【赤の十字架】
ギュラギュラギュラ メキメキ…ッ
ゆっくりと、だが確実にTigerは前に進んでゆく
街のように整備されていない道では最大でも25km/h程度が精一杯だ
本来なら遠距離からの砲撃でイギリス軍を一方的に撃破できるが予期せぬIS-2の乱入でそのプランは崩れた
今は多少のリスクを負ってでも真っ先にIS-2を討たなければならない
Tigerの装甲があればマチルダ歩兵戦車は無視できる…
問題は────・・・・
フリッツ「目標まで560yard(約510m)、敵戦車に動きが無い、このまま一気に距離を詰めよう。」
オリバー「…本当に撃たないのか? クロムウェルに接近されたら嬲り殺しにされるぞ? せめて2両は撃ってからのほうがいいんじゃないか?」
問題は…恐らく敵の主力であるクロムウェル巡航戦車だ
不整地でも4~50km/hを叩き出す相手を3両同時に相手すればあっという間に翻弄され、やられてしまうだろう
オリバーの言う通り、万が一に備えて倒しておくのも考えたが最終的な脅威度を考えたら圧倒的にIS-2のほうが高い
それに…もしかすれば…
ある可能性に賭けてみるのも有りか…
フリッツ「…よしッ」
突然何かを決意した顔でフリッツはガチャッとキューポラのハッチを開け、上半身を無防備に曝け出した
バルド「ちょッ!? 馬鹿野郎ッ!! 何やってやがるッ!!」
アルノルト「隊長ッ!? 危険ですよッ!!」
いきなりの暴挙にメンバーが悲鳴に近い声をあげる
ドイツ軍は特にキューポラから上半身を出して索敵する車長が多く、よく狙撃され命を落としていた
しかしそれは「敵を探すとき」だけの話だ
目の前に歩兵がいるのも戦車がいるのも分かっているのに何故キューポラから身を出したのか搭乗員には理解が出来ない、傍から見たら自殺行為でしかない。
フリッツ「…うっ…!」
ドガガガガガガガガガッッッ!!
チュインッ ガキンッ ガキンッ
ヘルマン「野郎!撃ってきやがったぞッ!!」
オリバー「本当に反撃しねぇのか…!? くそッ…何考えてやがる…!」
案の定、すぐさま歩兵の銃撃がTigerに向けられた
もちろん貫通はしないが流れ弾が当たれば負傷するし、当たりどころが悪ければ即死もありうる
ガギギンッ チュン…ッ…
フリッツ「(頼む…!! 通じてくれ…!!)」 バッ バッ
ガガガギギンッ…!! ギャリンッ
するとフリッツは襲い来る敵弾の中でクロムウェル巡航戦車の方に手信号で合図を送った
繰り返して送る余裕はなく、1回きりの信号だったがこちらの意図は伝わっただろうか
不安になりつつもフリッツは再びハッチを閉じ、車内に戻った
バルド「馬鹿野郎ッ!! 隊長が死んだら誰が指示を出すんだよッ!! 少しは自分の命を大事にしやがれ、あんただけの命じゃねぇんだぞッ!!!!」
フリッツ「……すまない、だがよかった。 無茶した甲斐があったようだ。」
ヘルマン「…!? ちょっと待て、『当部隊は現時刻を以てドイツ戦車部隊の指揮下に入り、これを援護する』ってどういう事だ!? 隊長…あんた、まさか…!?」
額に汗を滲ませながらフリッツがニヤリと不敵に笑う
外では歩兵達が慌しく隊列を組み直している
さっきまでこちらに砲口を向けていたマチルダ歩兵戦車は道の稜線(起伏)を利用して器用に砲塔だけを出し、Ordnance QF 2 pounder(40mm砲)をIS-2に向け一斉に砲撃を開始した
もちろん装甲の貫通は不可能だが
相手にかかる精神的な重圧と負荷は計り知れない
履帯に当たって外れようモノなら大金星だ。
フリッツ「オレは何も言ってないさ、ただ手で『援護しろ』ってやっただけ。 ……よく応えてくれた、感謝するぞイギリス軍…!!」
フリッツは再びハッチを開け
先程手信号を送ったクロムウェルに再度信号を出す
『感謝する』と送ると、隊長機と思しきクロムウェルが凄い速さでTigerの横に並びあちらの車長も身を乗り出してご丁寧に返事を返してきた
クロムウェル車長『勘違いすんな、あの赤い奴を殺ったら次はてめぇだドイツ野郎ッ!!(訛りの強い英語)』
そして思いっ切り中指を突き立て、おまけにサムズダウンして再び隊列に戻って行った
英語もいまいちわからないフリッツも流石に馬鹿にされた事くらいは理解出来る
フリッツ「うるせぇイギリス野郎ッ!! 木端微塵になりやがれッ!!」
さっきの感謝の言葉はどこに行ったのか…
メンバー達は大きな溜め息をついた
アルノルト「間もなく目標地点です!」
フリッツ「…よし、位置に付き次第砲撃用意。 この距離なら防楯部(砲の付け根)以外なら確実に抜ける、頼んだぞバルド。」
バルド「了解」
…とにかくイギリス軍と連携してIS-2を攻撃出来るのは大きなアドバンテージだ
操縦士を失ったその状態で、これだけの戦力を相手にする馬鹿はいない
あわよくば投降してくれればいいのだが────・・・・
ガチャ
ギィィ
フリッツ「──・・・待て!! 砲撃待てッ!! …IS-2のハッチが開いた、何か見える。」
バルド「まさか『援護しろ』って手信号かぁ? もしそうならオレなら丁重にお断りするぜ。」
徹甲弾を小脇に抱えながらバルドが軽口を叩く
こいつめ、本当に調子のいいやつだ
しかし…ハッチを開けたという事は何か意図が────・・
フリッツ「…? ッ!!!? …あれは………まさか……死体の…ッ!?」
双眼鏡の先に見えたのは2本の『手』
それも、赤黒く染まった手だ
不自然に曲がった指がぶらぶらと奇妙に揺れる
肘の先からは先程の砲撃で千切れたのだろう
余った肉から折れた骨がすっかり飛び出ている
そしてぶらぶらと死体の手を振りながら
『それ』が姿を現した
ナボコフ「よぉ…随分と派手な挨拶じゃねぇか…!! 虎野郎ッッ!!!!」
自分の両手に、部下だったモノの手を持ちながら
怒りと歓びに満ち溢れた顔で
狂気の男が、ニヤリと笑う
イカれてやがる…!
アイツは早く殺さないとヤバいタイプのヤツだ!
フリッツ「……ッ!!!! オリバーッ!! 砲撃を──・・ぐッ!!!?」
ヒュウンッ─・・・ドガゴゴガゴンッ!!
ボンッ ボンッ ボシュウゥウゥ…ッ!!
「アレはまずい」と本能的に察し、ここで仕留めなければとオリバーに砲撃指示を下そうとした瞬間、Tigerは濃い白煙に包まれた
咄嗟に車内に戻ったが、ジリジリと肌が焼けるような熱さを感じる
バルド「!? おいおい、白リン弾じゃねぇかッ!! 待て待て、何が起きたんだッ!?」
ヘルマン「隊長!! 早くジャケットを脱げッ!! 皮膚が焼けちまうぞッ!!」
フリッツ「ぐ…う…ッ!! か…構うな…ッ!! 白リン弾はIS-2より後ろから飛んできた、着弾音からして約4両…ぅッ!! くそったれがァ…ッ 敵…増援確認ッ!! 『M4 sherman』!! 米軍だッ!!」
ガンッ!
バサッと白リンが付着したパンツァージャケットを脱ぎ捨て
怒りに任せて車内を叩くフリッツ
アルノルト「(あんなに怒ってる隊長… はじめて見た…)」
ヘルマン「(…ん…? 隊長のジャケットのコレは…まさか……?)」
なんてザマだ…予想外の事態が重なり過ぎた挙句、完全に不意打ちを食らうとは
あの時、くだらない死体のパフォーマンスに釣られてなければ…!
何を躊躇したんだ…!!
敵に砲撃の隙をむざむざ与えるとは!!
プチッ
も う い い
遊 び は 終 わ り だ
フリッツ「…アルノルト、遮蔽物から出ろ。 オリバーは行進間射撃の準備。 バルド、オレが指示を出すまで徹甲弾を順次装填。 ヘルマン、お前は降りてイギリス軍と合流しこちらの意図を伝えて通信を共有しろ。 …皆殺しにしてやる。」
その冷たい声に、メンバー達の背筋が凍る
フリッツがこの隊に合流したのは半年位前だが
着任してからの戦闘に苦戦という苦戦は今まで1度も無かった
飄々としながらも的確な指示でどんな不利な戦況もひっくり返してきたフリッツが今はこんなにも追い詰められ、殺意を剥き出しにしている
「…はじめて見たぜ、アンタのそんな顔…」と、バルドの口から言葉が零れた
フリッツ「Panzervor」
メキメキとチャーチル重戦車の残骸を踏み潰し、Tigerが前に出る
白リン弾が燃焼して発生した煙はかなりしつこく燻るため、下がるか前に出るかを強いられる
ヘルマン「すまんバルド、ちょっと出る。」
バルド「おう、気を付けてな。 ちゃんと帰って来いよ。」
無論、今のフリッツに後退は無い
キューポラから身を出し真っ直ぐに敵を見据えている
砲撃戦が始まる前にヘルマンは車両を抜け出した
フリッツ「砲撃用意、距離500。 行進間(移動しながら)で撃つぞ、煙を抜けたら防楯以外を撃て。 次弾は榴弾を使う、装填用意。」
咽頭通信機を押さえながらフリッツが指示を出す
相変わらず声は冷たい、いつものようにメンバーの名前すら呼ばない
どこか人が、フリッツ自身が別人に変わってしまったかのような印象すらおぼえるほどだ。
アルノルト「煙幕抜けます…ッ」
オリバー「…大丈夫、やれる… やれるさ… いつも通りにやればいい…」
ボフッ!!
────・・・ゴガガガッ!! ゴガンッ!!
ガィインッ……ッ
バルド「…うおッ!! くそッ!! どうせ貫通しねぇんだから黙ってやがれアメ公がッ!!」
白リンの煙幕を抜けると
狙い澄ましたM4 shermanの砲撃がTigerに襲いかかった
放たれた徹甲弾はTigerの正面装甲にぶつかり明後日の方向に飛んでゆく
それらを一切無視したままフリッツはジッとIS-2を凝視する
アメリカ軍が搭乗するM4の76mm砲ではTigerの正面は『絶対に』貫通出来ない
零距離で接射されても貫徹は不可能だ
だが先程のイギリス兵からの射撃と同じく、戦車砲が直接『車長に』当たる可能性は0ではない
フリッツ「砲撃開始。」
バルド「────・・・くッ!!」
ドガァアァンッッ!!!!
ギュィチュン…ッ!
荒れた地面を走るTigerから放たれた88mm砲はIS-2の砲塔側面を抉り、そのまま後方に着弾した
掠った、と言うよりは過貫通に近い当たりだ
あれではダメージにならない、油圧系統に損傷があれば御の字だろう
フリッツ「(外したか、しかし妙だな… 何故撃たない、IS-2…)」
こちらから見て11時方向に停車しているIS-2は未だに微動だにしない
2発程度で沈黙するような戦車じゃない、少なくともあのイカレ野郎はまだ生きてる
奴 を 殺 さ な い と 安 心 で き な い
フリッツ「次弾装填急げ、動かないなら奴の後部に回って榴弾を撃ち込め。 車体方向はそのまま、砲塔だけをIS-2に向けろ、焼き殺してやれ。」
アルノルト「Ja…Jawohl…ッ」
バルド「くっそッ… アルノルト、少しでいいから停止射撃の時間をくれ… 一瞬… 一瞬だけでいいんだ…ッ 頼む…ッ!!」
行進間射撃の難易度は想像を絶する
姿勢制御や砲制御も無いこの時代
激しく揺れる砲で正確な射撃が出来る砲手はほんの一握りだった
しかし、その地形的不利や砲制御の技術的問題を解決するやり方が存在する
それは────・・・・
ギャギャギャギャッッッ!!!!!!
ドォルルルルンッ ドドドドドドドドドッ
『敵の装甲を貫ける距離まで接近し、反撃される前に倒すか、避ければいい』
その暴論にも近い理論で戦闘を行う奴らがいる
ロト『待たせたなドイツ野郎、助けに来たぜ。』
クロムウェル戦車隊、車長ロト=マクギニス率いる、イギリス巡航戦車部隊だ
クロムウェル巡航戦車の速度は不整地でも40km/hを超え、接近戦に持ち込めば相手の砲塔旋回速度より早く旋回し砲弾を叩き込める
側背面に張り付かれたらまず何も出来ずに死ぬだろう
彼等なら、それが可能だ
フリッツ「お前だけか紅茶野郎、僚機はどうした。」
ロト『…あ〜何言ってるかわからねぇ、オレの部隊はアメリカ軍を蹴散らしに行った!! わかんねぇかな… 僚機は!! あっちに!! 行った!!』
Tigerの側面に付いたクロムウェルからロトがぶんぶんと手を振る
「…なるほどな」とフリッツが溜め息混じりに了解、と返す
純正M4程度ならTigerだけで蹂躙できる
たかだか4両、倍の数がいても足りないくらいだ
それを先に倒しに行くとは、なんとも物好きな奴らだ
フリッツ「雑魚はイギリスに任せてオレ達も始めるぞ、次は当てろ。 射撃用意。」
オリバー「(頼んだぞ、アルノルト…!!)」
ギュラギュラと履帯が鳴りTigerとIS-2の距離が縮まる
距離400yard(約365m)まで近付いたとき、再びナボコフがドライバーハッチから姿を見せた
ナボコフ「1…2…3…4………全部で6両か。 微妙な配置だがそろそろ頃合だ。 ……始めるぞ野郎共ッ!! 虎退治だ!! 英雄になってこいッ!!!!」
パァンッ!!!! …シュボッ
不敵な笑みを浮かべながらナボコフは空に信号弾を放った
もうもうと煙が尾を引き、赤い光が空中で炸裂する
フリッツ「……!? 射撃急げッ!! まだ何かやるつもりだッ!!」
オリバー「何処を撃てばいい!? 装填されてるのは榴弾だぞ!?」
ウィイィィィン…ッ ガコォン…
フリッツ「何処でもいい!! とにかく奴を撃てッッ!!」
ゆっくりと砲塔が旋回し、88mm砲が再びIS-2を捉える
バルドが装填したのは榴弾…履帯か車体後部に命中させないとダメージは期待出来ない
だが…『何かやるつもり』だ…!! ここで止めないと…!!
アルノルト「────・・・停車しますッ!!」 ギャギッ!!!!
フリッツ「砲撃用意ッ!!」
オリバー「────・・・喰らいやがれッ!!」
ヒュウンッ…ッ
ボシュウゥウゥ…ッ!!!! ボンッ… ボシュウゥウゥッ!!
ロト『くそッ またかッ!! それしか撃てねぇのかてめぇら!!!』
アルノルトがブレーキを掛け、オリバーが射撃スイッチに指を掛ける
しかしその瞬間、再びTigerとクロムウェルは白い煙に包まれた
しつこいくらいに放たれるそれは、M4の白リン弾だ
何故連中が居場所がバレてるのに白リン弾を撃つのか、その理由は────・・・
フリッツ「…撃てッッ!!!!」
オリバー「feuerッ!!」
ガドォオォンッ ……ドゴォッ…!!
白煙に巻かれながらもTigerは榴弾を放つ
だが榴弾は確かにそこにいた筈のIS-2には当たらず、遥か後ろの木々を吹き飛ばしていた
確かに照準はIS-2の車体後部を捕捉していた、停止射撃で条件は完璧だった
それなのに命中しなかった
つまり────
フリッツ「くそッ…!! またかッ!!!!」
ロト『…まずいッ!! あの野郎歩兵を狙ってやがるッ!! このままだと挟撃されるぞ、マチルダッ!! なんとか時間を稼げ、すぐ助けに行くッ!!』
ナボコフのIS-2は煙幕に乗じて前進していたのだ
そして奴は先程までフリッツ達がいた場所に向かって走り出していた
狙いはあの場所に待機しているイギリス軍の歩兵部隊だ
あそこを潰されたらIS-2とM4から挟み撃ちにされてしまう
なんとしても今は奴を止めなければ……ッ
フリッツ「次弾、徹甲弾装填ッ!! 超信地旋回急げ、奴に後部を晒すなッ!! !?ッ──・・ぐッ!?」
────・・・ヒュォッッ ガギィインッ!!!!
ガゴォンッ!! ォンッッ
IS-2の砲撃に対応する為、Tigerが旋回を始めた瞬間
車体の前後ではなく『左右』から砲弾が飛んできた
どちらも装甲に阻まれ跳弾したが、状況は想像していたよりも遥かに悪化していたようだ
ロト『更に敵の増援を確認、T-34/85だッ!! ────・・・なんてこった、十字砲火かッ!! いつの間にか囲まれてやがるッ!!』
フリッツ「………突破するぞッ!!」
ナボコフの策に嵌り、囲まれたフリッツ達
戦況はさらに混迷を増す
第6部 赤の十字架 完




