【歪み始めた物語】
ガチャリ
出会い頭に鳩尾を殴られ、朦朧とする意識の狭間で、執務室の扉が閉まる音がした。
犯人はわかっている、あの男だ。
エルンストからの報告を受け、行方を晦ましていたと思っていたが…
ニルギリ「…ッ 貴様ッ…なんの…つもりだ…ッ」
床に伏せながらニルギリが声を振り絞る。
老人相手に一切の遠慮ない急所攻撃、指先まで痺れているし、息が上手く吸えず視界が霞む。
虚勢を張って「なんのつもりだ」と言ってはみたが、実戦で研ぎ澄まされたフリッツの打撃はたった一撃で「抵抗する気力」すら奪ってしまった。
フリッツ「…幾つか、質問がある。」
ガタッ
フリッツは執務室の椅子をニルギリの目の前に置き、そのまま座りながら問う。
手には先程蹴り飛ばされたP38拳銃が安全装置を外した状態で握られていた。
ニルギリ「…ッ質問…ッ!?」
フリッツ「余計な事は喋らないでいい、オレの質問に簡潔に答えてくれ。」
一呼吸置いて、空気が一気に張り詰める。
いざ一対一で対面すると身体の芯から理解出来る。
この男は、間違いなく怪物だ。
言葉こそ「質問」だが、
場の空気はすでに「尋問」に変わっていた。
フリッツ「1つ目、オレの監視に秘密警察を手配したのはハインリヒの指示か?」
ニルギリ「…そうだ、ハインリヒ長官からの勅命として秘密警察長官エルンスト・カルテンブルンナーに依頼した。」
フリッツ「…2つ目、ハナは監視対象に含まれていたか?」
ニルギリ「…含んでいない。 イチノセ少尉の警備は私が個人的に依頼していた。」
フリッツ「……3つ目、アンタはハナが母国に戻ったあと"どうするか"知っていたか?」
ニルギリ「─────…あぁ、知っていた。 ナルヴァで【Seele】の打ち上げ試験を行った際に私も現地に居たからな。 …その時に、彼女の口から直接聞いた。」
フリッツ「……そうか。 じゃあ次が最後の質問だ、ニルギリ・ディールス補佐官。 アンタは──────────…」
ニルギリ「──────────はぁ??」
フリッツの口から放たれた"最後の質問"に、目を丸くするニルギリ。
そもそも他の質問の意図もよく読めなかったが最後のそれは更に意味不明だ。
…だが、そういう事か。
なるほど、道理で希望に満ちた顔をしていた訳だ。
その為の布石、全ては"それ"を成す為か。
フリッツ「…言いたい事はわかるけどな? けどこれしか表現しようがねえんだよ。 …で、アンタの答えは?どうする?」
ガシガシと照れくさそうに頭を搔くフリッツ。
まぁそうだろう、戦況がこのザマで、明日にもどうなるか分からない地獄のような状況で"その提案"を出してくるとは思ってなかった。
ニルギリ「─────答えはYesだ。 だが勘違いするなよ、私はお前の味方になるつもりは毛頭無い、鳩尾の1発は必ず返してもらうからな。」
スッ…
痺れもよくなり、眼前で自身を見下ろすフリッツに手を伸ばす。
フリッツ「─────契約成立、だな。」
死神相手に手を伸ばすとは、些か穏やかではないが…まぁいい。
私も見たくなってしまったのだ。
我々の支配から離れ、絶望ではなく希望に向けて進み始めた、
─────この男が描く、物語の結末を─────
………
……
…
ジリリ
ジリリ
エルンスト「オレだ。 …なんだ、ディールスか。 まだお探しのモノは見つかってないぞ、マイゼンブークも東洋人も、影も形もありゃしねえ。」
山のように積まれた煙草の吸殻を眺めながらエルンストは言う。
ひっきりなしに鳴る電話の対応にいよいよ辟易していたところ、そのうち1本がコレだ。
我らがドイツの剣、武装親衛隊の頭目。
偉大なる全国指導者ハインリヒ長官の右腕。
ニルギリ・ディールスからの電話だった。
おおかた捜索中のマイゼンブークと、東洋人の死体についてだろう。
ニルギリ『その事だが、出来ればすぐに人を回して欲しい場所がある。 番地を伝えていいか?』
…何やら言葉の節々(トーン)に違和感を感じるが、まぁいい。
何か情報があるなら、ありがたく受け取っておきたい。
エルンスト「いいぞ、言ってくれ。」
ニルギリ『場所はMoltkebrücke(モルトケ橋)の橋脚付近だ、そこに彼女がいる、身なりは白いワイシャツと紺色のスカートだ。』
…? 妙に詳しい情報だ、まるで「そこにいる」とわかっているような─────
エルンスト「……確かな情報か?」
ニルギリ『今私の隣にいるフリッツ本人からの申告だ、信じるしかあるまい。』
エルンスト「……わかっ、た。」
なるほど、それは確かに確かな情報だ。
と、納得するのに0.1秒。
いやいや待て待てマイゼンブーク隣にいるのかよ。
と、脳内でツッコむまで1秒掛かった。
ニルギリ『彼女の死体を確認したら検死や身元の特定は不要だ、そのまますぐに総督府に運んでくれ。 余り事を荒立てたくない、入口まで来たら私を呼ぶように伝えてくれ。』
…やはり何かおかしい気もするが、他ならぬ依頼主の言葉だ。
今は何も深入りせず、仕事を全うしよう。
エルンスト「…Jawohl、ディールス。 荷物の準備が出来次第、お届けにあがるよ。」
ニルギリ『…頼んだぞ。』
エルンスト「へいへい。」
ガチャッと半ば投げやりに受話器を放り投げ、煙草の煙を吐き出すエルンスト。
あぁ、面倒だ、ここ数日で普段以上に疲労が溜まってしまった。
しばらくまともに眠れてないのに、ここ最近は特に酷い。
エルンスト「さあて仕事だ、私は私の義務を果たしますかね。」
バサッ
大きく息を吐き、外套を翻す。
指定された場所に、本当に死体があればいいが…
微かに残る違和感を胸に、エルンストは部下を率いてモルトケ橋へ向かった。
………
……
…
…チンッ
ニルギリ「…これでもう、後戻りは出来んぞ。 露見したら私も貴様も仲良く首吊りだ。」
受話器を戻し、ニルギリは言う。
振り向いた表情はどこか、覚悟の色が滲んでいた。
フリッツ「構わねえよ、そん時は全員道連れだ。」
彼の背後でP38から弾を抜くフリッツも、また覚悟を決めた顔をしている。
安全装置をかけて、そっとホルスターに銃を戻す。
フリッツ「…殴って悪かったな、いきなり銃を抜かれそうになったからつい反射的に手が……いや先に出たのは足か? 足が出ちまった。」
少し申し訳なさそうにフリッツが言うと、ニルギリの目が大きく見開いた。
フリッツ「……なんだよその顔。」
怪訝な表情、怪訝な声色
警戒ともまた違う、なんとも奇妙な顔だ。
ニルギリ「……謝罪、出来るんだな……」
零れた予想外の言葉にフリッツの目も丸くなる。
お互い目を見合わせ、しばし間が空く。
そして、
フリッツ「わはは!」
ニルギリ「わはは!」
乾いた笑いが執務室に響いた。
フリッツ「失礼だな。」
ニルギリ「すまん。」
(乾いているとはいえ)まさかこうして二人で笑い合うような日が来るとは思ってもみなかった。
…そうだ。
何かが、違うんだ。
雰囲気…そう、雰囲気だ…
この男の纏う空気が違うんだ。
以前のように、黒い泥炭のような、
ドロドロとした禍々しい気配を感じない、
この男を死神たらしめていた、暗い何かを感じないんだ。
扉を開けるまで気配に気付けなかったのはコレが理由だ。
しかしその後、尋問された際には確かに怪物のソレを感じた。
「精神が壊れている」と言われていたが、明らかに今のフリッツに異常感や不安感は無い。
ましてや、一種の安心すら感じるほど、纏う空気が柔らかい。
「長いこと苦楽を共にし、戦い抜いてきたベテラン兵士」が醸し出す空気感に近い。
だからなのか、今のフリッツを「味方」として認識出来る。
ニルギリ「───…とはいえ、これからどうするつもりだ? 正直、お前の脚本はめちゃくちゃだ。 不確定要素は山積み、何か1つでもピースが欠けたら成立しない。 ……それでもやるのか?」
改めて、問う。
この絶望的な状況で、この男が"成そうとしている事"はあまりにもハイリスクだ。
…いや、というよりもリターンが無い時点でそもそも破綻しているのだが。
私と手を組む事で生まれるメリット、そこで生じるデメリットを加味していないのではないか、とすら思える。
…私が裏切るリスクだって当然ある。
ハインリヒ長官にただ一言報告するだけで全てが一瞬で瓦解する。
フリッツ「…やるさ。 そもそも"この話"はオレの自己満足だしな、損得の勘定じゃない、ただ1つの願いを叶えたいってだけ。 …そりゃアンタが裏切ったらそれでお終いだけど、きっとアンタは裏切らないだろ?」
ニルギリ「…!」
…正直、驚いた。
そこまで理解したうえで、この男は事を成そうとしている。
あらゆるリスクを背負い、障害を越え、仮に成し得たとして、
その先に待っている結末が、決して美しいものでなかったとしても。
強い強い意志を、光を宿した瞳が真っ直ぐに私を貫いた。
ニルギリ「……そうだな。 形は違えど、私とお前の願いは同じだ、やれる範囲の助力はしよう。 死体の件は私に任せておけ。」
お互い、覚悟は出来た。
あとはもう、やるしかない。
フリッツ「そっちはまぁ、よろしく頼む。 …あぁ、そうだ、頼まれついでに教えてくれ。」
執務室を出る直前、フリッツがふと立ち止まる。
まだ何か気になる事でもあるのだろうか。
ニルギリ「どうした?」
フリッツ「──────オレのTiger、今何処にある?」
──────────…ドクンッ
第45部【歪み始めた物語】 完




