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【Paranoia(パラノイア)】


あの日の彼女(アリス)の幻が、光に溶けた。

あの日の自身(フリッツ)の影が、暗闇に消えた。


永く、永く、男を縛っていた呪いが解けた。


ひたすら逃げ続け、ただ殺すだけだった男の人生(たたかい)に、

今、ようやく意味(ひかり)が差す。


"鳥は、卵の中からぬけ出ようと戦う。

卵は、世界だ。


生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。


鳥は、神に向かって飛ぶ"


フリッツ「──────そうか…」


ハナ「──────────え?」


透明な世界から、意識が戻る。

目の前に佇むハナの輪郭が、今までで1番鮮明に映る。


纒わりついていた鬱屈な影も消えた。

頭痛も、耳鳴りも、嘘のように無くなっていた。


フリッツ「やる事はもう、最初から決まってたじゃないか。」


ハナ「え…? あ、あの…? フリッツさん…??」


急に晴れやかな表情になったフリッツに、戸惑いが隠せない。

ほんの数瞬前の彼は、私を待つ結末にただ絶望しているだけだった。

どう足掻いても変わらない結末に、ただ無力な己を卑下するような苦しい苦しい顔をしていた彼が……


フリッツ「…ハナ。」


ハナ「は…はい…」


ヒュッ

こつん


いま、静かに、拳銃を抜いた。


ハナ「─────…っ!?」


…一瞬だった。

瞬きより疾く、フリッツはホルスターからP38拳銃を抜き、それをハナの眉間に押し当てる。


周囲の空気がザワつくのがわかった。


微塵も迷いのない瞳が、こちらを見ている。

彼がその気なら、もうすでに引金は引かれている。

"そうしない"のはきっと何か、理由があるからだろう。


撃たれないと頭では理解しているが、銃を突き付けられるのはかなり怖い。


ハナ「─────…これは…どういうつもりですか?」


恐怖を堪えながら、フリッツに問う。


フリッツ「これから死ぬ人間に、答える必要はない。 …とはいえこんな路上ではなく場所を変えよう、おあつらえ向きに、そこにホテルがある。 そこに入ろうか。」


カチリ、と拳銃の撃鉄を起こしてフリッツが言う。

だが、その言葉から殺意は感じない。

彼が何を考えてるのか分からないが、今は彼の指示に従おう。


ハナ「…わかりました…」


ゆっくりと踵を返し、ハナは近くのホテルに足を進めた。


………


大戦末期のベルリンにも、ホテルはある。

とはいえ開戦前の華々しさはなく、ほとんどが兵士のための宿舎や、備蓄施設として接収されている。


もちろん全てがその限りではないが、中には「ホテル」として運営を続けている建物も少なからず残っていた。


フリッツは3階の、1番奥にある部屋を指定した。

道中、2人の間に会話は無い。


部屋に入ると、戦時中とは思えないくらい綺麗に整えられたベッドがまず目に入った。

何がとは言わないが、醸し出される生々しい空気に、別の緊張感が走る。


ハナ「…次は…何をすれば…?」


ぎゅ…っと胸元を掴むハナ。

緊張のせいで、身体が小刻みに震える。


なんとなく、ハナはこれから起きる事の予想が出来た。


私だってこんな感じだが年頃の女子だ、男女がこういう場に来ればやる事はひとつしかない。


気持ちは分かる、フリッツさんだって…男だ。


やり方はともあれホテルに連れ込んだって事はつまり「そういうこと」だ。

一応私も未経験ですけど「そういう情報」や知識も人並みに持ち合わせてはいる、ぶっつけ本番でも対処は出来るはずだ。

雰囲気(ムード)はアレだけどどうせお互いこのままいけば死ぬだけだし、お互い気持ちはあるハズだし、なんなら接吻(キス)だってしたし、なら最後くらいちょっとくらい身体を重ねたっていいよね?って感じだと思うんですよね。

けど多分フリッツさんの事だから上手い誘い方が分からなくてちょっと(?)強引な感じになっちゃったったったって感じですよね?

……多分。


フリッツ「………ハナ。」


ハナ「…ッ ひゃい…」


フリッツの手が、優しくハナの髪を撫でる。

いよいよか、と目を瞑ると─────…


フリッツ「─────」

ハナ「─────…フリッツさん…いま、なんて…?」


フリッツは小さく何かを耳打ちして、告げる。



フリッツ「─────…ごめんな。」



─────……ドンッ!




彼の声と、銃声が、私の鼓膜を揺らした。



………

……


ギシッ…

ギシッ…


軋む階段を降り、ひとり深く溜息をつくフリッツ。


その左手は赤く染まり、彼自身の表情も、情事を終えた男のソレとは程遠いものだった。

受付に現れたフリッツを見た従業員達はあまり驚かなかった。

この街で黒服を纏う彼等(フリッツ)良識(モラル)は無い、と理解しているからだ。


捕虜や娼婦を連れ込んでは犯し、何か粗相があれば呆気なく殺す。


全員が全員その限りではないが一度刷り込まれた、彼等ならやりかねない、という心象はどうしても拭えない。


案の定、掃除道具を抱えた女中から、酷く侮蔑的な眼で見られてしまった。

「きっとこの兵士も、先ほどの娘が気に入らず殺したのだろう。」「何故私がそれを片付けなければならないのか。」

…そう思われているに違いない。


フリッツ「…」


ホテルのロビーで、しばし休憩。

椅子に腰掛け、天井を仰ぐ。


…ハナがいなくなり急に静かになったせいか、自分自身、いま何をするべきか少し悩んだ。


こういう時間は一服したくもなるが恐らくホテルにあるのは代用コーヒー(Ersatz kaffee)だろう。

本物のコーヒーを飲む機会なんて、今やほとんどない。

ハインリヒを強請(ゆす)れば出て来そうだが、きっと面倒だ。


…椅子に座り、10分程度だろうか。

フリッツは特になにもせず、天井を見つめていた。


そうしてる中、たまに目を閉じ、耳を澄ますと、様々な情報が入ってくる。


車のエンジン音、道行く人の歩行の癖、近くにいる人の息遣い。

複数人が階段を登る音。

…胸元に忍ばせた銃が揺れる音。


フリッツ「─────」


ゆらり、と影が動いた。

フリッツは音も無く椅子から立ち上がり、静かに階段を登る。

行先は…3階の奥。


─────これは余談となるが、この時のフリッツの動きの一部始終を、ホテル内の全ての従業員が覚えていなかったという。

皆、口を揃えて「初めからそこに居なかったように、気付いたら消えていた」と後に警察の取調に答えている。


………

……


ハイネ(清掃員)「─────…え…?」


今日は間違いなく厄日だ。

久しぶりのお客様は親衛隊、相も変わらず娼婦を連れ込み、血と硝煙の臭いを(はべ)らせながら降りてきた。


部屋の掃除に入れば、きっとあられもない姿で転がる死体が目に入るだろう。


別に男女で交合(まぐわ)う事は否定しない、このご時世、そうでもしないと溜まるものも溜まるだろう。

が、殺す必要は全くないはずだ。


これだから親衛隊の連中は…

そう思って部屋の扉を開けるとそこには─────


カイゼル「───チッ 思ったより早かったな。」


ハロルド「どうする?消すか?」


民間人の装いはしているが、明らかに様子がおかしい男が2人いた。

彼らはベッドシーツを剥がし、棚という棚を開け、何かを捜しているようだった。


カイゼル「……やむを得ないな。」


パシュッ パシュッ


ハイネ「え…?あ…ぇえ…?」


2人のうち1人が胸元から銃を取り出し、慣れた手つきで棒立ちのハイネの胸と腹に2発.32ACP弾を撃ち込む。


ぐらりと倒れ込むハイネを、ハロルドが音をたてないようにすぐさま抱き抱えた。


Walther PPK に消音器(サプレッサー)を取付けたこのモデルは第二次大戦中、秘密警察(ゲシュタポ)の諜報員の間で好まれた。


そう、カイゼルとハロルドはフリッツを尾行していた秘密警察(ゲシュタポ)の警察官だ。


監視対象(フリッツ)が急に路上で銃を抜いて警護対象(ハナ)とホテルに入った時は何事かと思ったが、間もなく血の着いた状態でフリッツだけがロビーに現れたとなれば緊急事態発生としか考えられない。


慌てて(可能な限り静かに)フリッツがいた部屋に入ったがなにぶん大きめの部屋だ…隅々まで証拠を探す暇なく清掃員が来てしまった。


清掃員の娘には悪いが、これも仕事だ。

運が悪かったと思ってもらうしか言葉がない。


カイゼル「…おい、いつまで抱いてるんだハロルド… 時間がないんだ、お前も早く手伝─────…」


ほんの一瞬、時間にして僅か5秒にも満たない時間、カイゼルは意識をハイネとハロルドから外してしまった。


─────ごとんッ


視界の端に、ハイネと共に倒れ込むハロルドの姿が見えた。

見間違いでなければ同僚(ハロルド)の首は不可解な方向に捻れ、顔が背中側を向いている。


何が起きたか考える暇はない。

もうすでに、状況は"最悪"だ。


カイゼルは再びPPKを握る手に力を込める。

─────が、そこまでだった。


ボギュッ

メキッ パキッポキッ


枯れ木を手折る時の様な、乾いた破裂音が全身を貫いた。

瞬間、手足の感覚は無くなり、自身の意識も、暗闇に溶ける。

痛みは、無い─────


カイゼル「ゴポポ」


自らの死を認識する間もなく、カイゼルは血の泡を吐き、床に伏した。


「─────ここまでは、予定通り。」


耳に届いたその声の主を、カイゼルは知る由もなく─────


………

……


同日、秘密警察(ゲシュタポ)がホテルに突入してから1時間後、総督府2階。


ジリリリリ!

ジリリリリ!


ニルギリ「…」

パサッ カリカリ… パサッ…


ニルギリは溜まりに溜まった書類に目を通していると、何やらよくないモノを感じたのか皮膚がザワザワと粟立った。


静寂を破り、けたたましく電話の呼出音が鳴り響く。

受話器を取る前から嫌な予感はしていたが、渋々電話に出る。


ガチャ


ニルギリ「私だ。 …エルンストか、その様子から察するに、いい報告ではないな?」


案の定、ろくでもない報せだったようだ。

電話の主は秘密警察(ゲシュタポ)の長官、エルンスト。

今回ハインリヒ長官からの勅命でフリッツの監視を命じられた男だ。


大規模作戦前、Tigerの修理と部隊の招集、本人の希望もあり今は休みをとらせているが当然、あの狂人(フリッツ)を野放しにはしておけない。


監視役には警告なし発砲、拘束の許可も出していたが…

嫌な予感は的中した。


エルンスト『取り急ぎ報告だ。ブランデンにあるホテルの3階でうちの腕利き職員が2人殺られた、犯行の瞬間を見た目撃情報無し、争った形跡も無し、死んだ2人は頚椎を綺麗に捻り折られていたそうだ。』


ニルギリ「…」


エルンスト『発砲の形跡はあるが現場に遺されていた薬莢を見るにうちの.32ACPで間違いない。 あの量の血溜まりを見るに2発とも命中している。 部屋に入ったら襲われて、片方が殺られ、もう片方が撃つも絶命前に反撃された…と見るのが普通だな。』


ドクン


エルンストの言葉を聞き、背中にザワつきを感じた。

僅かに額に滲む汗が、瞬く間に冷えるのがわかる。


ニルギリ「…エルンスト… 死体は…"どっち"だ…?」


応える声が震える。

返答次第では諸々の話が変わってくる。

もし…もし万が一、撃たれていたのが彼女(イチノセ)だったら─────


エルンスト『────…無いんだよ。 死体はうちの職員2人分しかなかった。 あれだけの血溜まりが出来るほどの銃痕を受けて、歩ける人間はいねぇ。 死体が歩いたか、何者かが持ち去ったか…だろうな。下手な怪奇小説でも見てるみたいだぜ…』


ニルギリ「!?」


頭が混乱する、何を言ってるんだコイツは。

死体が歩くわけないだろうに、仮にフリッツが撃たれたとしてイチノセ少尉の身体で奴の死体を運ぶのは不可能だ。

それが意味するのはひとつ、撃たれたのは─────


エルンスト『…シーツと床に東洋人のものと思われる黒い髪が散らばっていた。 恐らくは…もう1人の要監視対象者のもので間違いないだろう。』


つまり…"そういうこと"だ。

最悪のシナリオだ、よもやイチノセ少尉が撃たれるとは想定していなかった。

(フリッツ)が抵抗して撃たれる想定はしていたがまさか彼女が撃たれるとは…


エルンスト『証拠や目撃情報がない以上、逮捕は出来ねえ。 相手が民間人なら多少強引に引っ張れるがアイツの場合そうはいかねえだろ。』


ニルギリ「…やつは今…何処にいる…」


言葉の節々に僅かな怒りを滲ませながらニルギリが問う。

エルンストの報告からして、彼女の生存は期待出来ない。

ならばせめて遺体だけでも回収し、せめて故郷の地で眠らせてやりたいが─────


エルンスト『…わからん、ホテルの連中も周辺の民間人もそれらしき人物を見てないときた。 …死体を抱えて街中を走り回れるとは思えないが、他の監視役も現場(ホテル)で足止めされてる。 こっちも巡回(パトロール)を出したが見つかるかはわからん、進展あり次第また連絡する。』


ニルギリ「…わかった、よろしく頼む。」


こみ上げる怒りを堪えながら、静かに受話器を戻す。

どこまでも思い通りにいかない男だ、こちらの脚本(シナリオ)(ことごと)く無視してくる。

たかが駒のひとつに、何故ここまで振り回されないといけないのか。

(フリッツ)の戦略的な価値は理解できる、が、どうにも邪魔だ、鼻につく。


ハインリヒ長官には悪いが、最早我慢の限界だ。

あの危険因子(イレギュラー)を排除する。


ガラッ!


ニルギリは机の引き出しを開け、愛用のP38拳銃を取り出す。

スライドを引き、薬室に弾を送る、安全装置をかけ、ホルスターに納める。


─────…私が、奴を殺す。


外套(ロングコート)を纏い、覚悟を決める。

相手は死神(マイゼンブーク)、刺し違える覚悟で臨む。


ぎいっ


ニルギリは意を決して執務室の扉を開けた。


すると、


なんと、


そこには、


────ここにいるハズのない男が、居た。


ニルギリ「──────────フリッ…ッ」


ありえない、今の今、まさにエルンストと貴様の行方について話をしていたばかりだぞ!?

死体をどうした!?

…いや、それよりこの男は何故"ここ"に来た!?


〜〜〜〜〜駄目だ、考えるな!!

撃たねばッ!!!!


ニルギリ「────ッ───!!!!!!!!」


バッ!!!!


叫ぶより早く、ホルスターに手を伸ばしたが遅かった。

こちらの動きを見透かしてるかのように拳銃に手をかけた右手を蹴り挙げられ、勢いそのまま、フリッツの右拳がニルギリの鳩尾(みぞおち)に叩き込まれた。


ニルギリ「ッ……は…ッ…ぁ…ッ」


混濁する意識と視界の中で、フリッツの顔だけが、はっきりと脳裏に焼き付いた。


ニルギリ「(なんだ…その…顔は……?


我々の操り人形だったお前が……


なにを…


そんな…



希望に満ちた顔をしているんだ───────────────)」







第44部【Paranoia(パラノイア)】 完

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