【1944年 Berlin Cantabile】
遠く、雷鳴が鼓膜を揺らす。
ハナの様子が、声色が、何か暗いものを孕む。
フリッツ「ハナがドイツに来た理由…って、ナルヴァで使ったアノ兵器…【Seele】の開発とノウハウの譲渡だろ?代わりにドイツからはTigerを武器貸与するって取り決めで……」
ハナ「………そうです。そして私は無事に【Seele】を造り出しました、いずれ本国に六号重戦車が送られ、来たるべき本土決戦の要となるでしょう…」
…?
今のところ何も問題がない、とフリッツは思った。
ハナは立派に役目を果たし、国に大きな手土産を持って帰る。
本来、褒め讃えられるべき立場となるはずだが…
それなのに、不思議と彼女の空気は重い。
ハナ「…フリッツさんは、軍の機密情報を書類で見たあとに、その書類をどうしますか?例えばその中身が、国家を、世界をひっくり返すような内容だったら?」
フリッツ「……そんな危険な内容なら、読んだら燃やすだろうな。隠し通すにもリスクがあるし、万が一敵の手に渡ってしまったら…と思うとな。」
何か引っ掛かる。
どうして彼女はそんな質問を?
いや、ひとつ、似たような話が───────
フリッツ「───────まさか!!」
ハナ「………そうです、その通りです。私はもう"設計図"としての役目を終えました、国に帰っても、私に待っているのは"処分"のみです。」
余りの衝撃に、目の前が真っ白になる。
冷えていく身体と裏腹に、血液は沸騰しそうなほど熱くなる。
フリッツ「そん…な馬鹿な話があるか!?死にそうな目に遭って、眼まで焼かれて、ようやく果たした任務の先に待つのが"処分"だと!?」
湧き上がったのはまず怒り。
国によって評価や処遇が違うのは百も承知だ、だがそれでも、それでもハナがこれから迎える結末に納得が出来ない。
大した護衛もなくドイツに入り、一時的とはいえソ連軍に捕虜にされ、ようやく決死の思いで【Seele】を造り、その任務を全うしたのに。
ハナ「…私は"生きる設計図"ですから… 私が生き続ける限り、【Seele】の作成方法や対処法が何処かに漏れる可能性は捨てきれません… だから私はもはや用済み、こうして生きている1分1秒が、すでに本国としては危険な時間なんです。」
フリッツ「だからって…!! ……ッ」
だから…の後に言葉が続かない。
彼女がいうリスクもわかる、そりゃあんな兵器の設計図が他に漏れたらこの戦争はお終いだ。
だが実際すでに【Seele】は造られ、作成のノウハウはドイツが独占している状態、万が一にでもハナがこの情報を他国に流そうものならようやく手に入れた枢軸軍の勝ち筋が水の泡だ。
そうなれば…確かに彼女は"死んだ方がいい"
国家転覆の機密が書かれた書類を燃やすように、
危険性は出来るだけ排除するべきだ。
フリッツ「(……馬鹿かオレはッ!!!!)」ギリィ
強く、強く拳を握る。
食いしばった奥歯が割れそうになる。
目の前で俯く彼女に、かける言葉が無い。
そして一瞬でもハナに対して「死んだ方がいい」と思ってしまった自分自身を今すぐ殺してしまいたい。
何か方法が無いのか、空っぽの頭を振って考える。
ハナだけを何処か遠くに逃がす方法も、匿う場所も無い。
そもそも自分自身がハインリヒの…ひいては国の管理下に置かれている以上、妙な動きは出来ない。
かといってドイツで定住しても、彼女の国がそれを許さないだろう…
何か方法は無いのか…!?
彼女を救う方法は──────
ズキンッ
頭が、酷く痛む。
ハナ「…元々、用意されていた台本通りですから。 私が国に帰ったところで…帰る家も無いですし、死を哀しむ友人も居ません。 けど、こうして最期に、わがままを聞いて貰えて、よかったです。」
顔をあげたハナの目に浮かぶ、涙。
ズキンッ ズキンッ
この涙を、オレは知っている。
頭の中で、胸の奥で、何かの鍵が、開く音がした。
ハナ「…とっても短い、まるで夢のような毎日でした。 北部哨戒基地で過ごした日々も、こうしてフリッツさんとドイツの街を歩けたのも… 私には勿体ないほど…… かけがえのない想い出です。 …これで、よかったんです。」
震える声、
頬を伝う涙、
明らかに強がりな言葉。
フリッツ「──────────」
オレは、
この光景を、知っている。
この痛みを、覚えている。
かつて救えなかったモノ、
かつて手放したモノ。
視界が、暗転する。
…フランス…そう、フランスだ。
開戦直後の、オレがまだ戦車兵としてまだ新兵だった頃。
特別行動部隊の時から何も変わらず、虐殺に虐殺を重ねる日々。
そこで出逢った、1人の少女。
瓦礫と屍体の山の中に咲いていた、一輪の花。
思えば彼女との出逢いが始まりだった。
そういえば彼女も、出逢った時は白いワンピースだった。
瓦解した家屋の中で、古ぼけたピアノを弾いていた記憶が鮮明に甦る。
地獄のような戦場に響いたcantabile。
彼女が非武装かどうかも確かめず、自身も何も持たず無防備に近付いて行ったのを覚えている。
閉じ込めていた記憶が呼び起こされてゆく。
穴だらけのパズルが埋まってゆく。
僅かな時間だったが、確かにあった幸せな時間。
血と硝煙以外の優しい香りと、笑顔があった。
そして、その残酷な結末も。
────彼女を救いたかった。
だが救えなかった、お前が弱かったから。
────こうするしかなかったんだ。
じゃあ何故生きている?後を追って死ねばよかっただろう。
────生きろと、彼女が言ったから。
そう、だから生きている、その在り方は、死人となんら変わらないが、生きている。
「…背負った重さには、もう慣れたか?」
ふと顔を上げると、あの日の少年兵が、目の前にいた。
大事な人を奪われ、自身の無力を呪い、怒りを叫び、悲しみに暮れ、空っぽになった少年が、そこにいる。
瞳に生気は無く、夢や希望など甘っちょろいモノを微塵も抱いていない、まるで死人のような少年がいた。
「ようやく、影じゃないオレを見てくれたな。」
手にはナイフと、拳銃。
どちらも自分を象徴する武器が握られていた。
ナイフは家族を、拳銃は恋人を。
誰かを殺し続ける事で生き長らえてきた自身の象徴として、これ以上のものはない。
「もう誰も愛さないように、両手に武器を握った。 これがお前の選択だ。」
彼女は大事な人だった。
忘れてはいけない人だった。
彼女の最期の言葉と、今日まで生きていた。
「そうして彼女の言葉を呪いのようにして、自分自身を見失った。」
少年がゆっくりと銃を向ける。
不思議と、恐怖はない。
……人は痛みから逃れるために、都合のいい人格を創る時があるという。
こと、戦場に於いて精神を病む兵士は少なくなかった。
けどこうするしかなかったのだ、あの日の少年はこうする事でしか自分を守れなかったのだ。
"フリッツ・マイゼンブークという強い兵士"を演じる事でしか、心の安定を保てなかったのだ。
やがてクルスクでTigerという鋼鉄の揺り篭に出逢い、泥濘のような日々は加速していった。
「その果てに出来上がったのが、オレだろう?」
…コレはきっと、自身との訣別。
何かが終わり、何かが始まる、その為の儀式。
止められない、喪失の予感。
「今度は、救えたらいいな。」
銃口が閃光を放つ。
不思議と、痛みは無い。
ああ、何か聴こえる…
ああ、これは…そうだ…
cantabileだ。
???「曲名、覚えてる?」
ふと、光の中から、彼女の声がする。
この声を知っている、この声は心の底から愛していた、彼女の声だ。
フリッツ「────La fille aux cheveux de lin────」
応えるように、フリッツの口から言葉が漏れる。
「亜麻色の髪の乙女」
1910年代にクロード・ドビュッシーが作曲したピアノソロ曲。
タイトル通り、美しい亜麻色の髪の少女の幻が、そこに居た。
???「思い出した? 私と出会った時の、あの曲よ。 フリッツったら、ほんと不器用なんだから。 闘うこと以外はて〜〜〜んで駄目。レディーの扱いも、まるでなってないんだもの。」
軽やかで、それでいて芯のある、甘い声。
そうだ、この声が「あの日」の自分を救ってくれたのだ。
フリッツ「────アリス。」
ぽつり、と彼女の名を呼ぶ。
ひらひらとワンピースをたなびかせ、彼女の幻が、ハナに重なる。
彼女の名前はアリス。
アリス・ヴェルネール。
フランス侵攻下でフリッツと出会い、短い恋路の果てにハインリヒ率いる特別行動部隊に殺された薄幸の少女。
その少女の姿が、今、目の前にある。
アリス「なぁに?」
夢なのはわかっている、きっとこれもオレが創り出した都合のいい幻想だろう。
…そうでなくてはいけないのだ、でなければ今更贖罪など、許されるわけが無い。
フリッツ「……ごめん。」
アリス「…なによ急に。 別に気にしてないわよ、私の国が貴方の国に負けた、それだけの事でしょ。 そこでたまたま惚れた男が貴方でしたってだけで。」
フリッツ「…守れなかった、キミを。」
アリス「4~5人に囲まれてあとは撃たれるだけ、みたいなあんな状況で助けられても困るわよ。仮に助かったとしても、どうせすぐ追いかけ回されて殺されただろうし。」
フリッツ「それでも…!」
アリス「だから私は、貴方に託した。 "生きて"と伝えた、それがどんな結末を迎えてもいい。だから私はあの日!あの時!貴方に生きてと!そう伝えたのよ!」
力強く、そして真っ向からフリッツの贖罪を跳ね除ける。
本当に幻なのかを疑いたくなるほど力強く、気圧されてしまう。
フリッツ「〜〜〜〜!!だけど!!」
アリス「あーもう!だけども何もない!馬鹿にしないでよね!こう見えて私は確かに幸せだった、たとえどんなに短くて残酷な結末だったとしても!私は幸せだったの!!それ以上の答えはもうないの!!」
がっ!とフリッツの襟元を力強く掴むアリス。
幻だから実際に掴まれてる訳ではないハズなのに、不思議と息が苦しくなる。
アリス「どんなに泥臭くてもいい、どんなにみっともなくてもいい!この馬鹿みたいな戦争を生きて生きて生きて、生き抜いて!成すべき事を成して、全部片付けて、それから死になさい!!天国でも地獄でも、いつまでも待っててやるんだから!!」
フリッツ「────…!!」
霧が、晴れてゆく。
身体に絡みついていた黒い靄が剥がれていくのがわかる。
まるで曇天の厚い雲が割れ、陽光が射し込むような────…
アリス「…いつまでも過去に囚われてないで、まずは目の前の彼女を救いなさい。 私と同じような結末にしたら許さないんだから。」
ふわりとワンピースを翻し、アリスが離れていく。
輪郭がぼやけ、景色に溶けていく。
フリッツ「待ってくれアリス…!オレは…!」
足が動かない。
喉が裂ける程の声で君の名を呼ぶが、君は振り返らない。
アリス「…C’est l’arbre qui cache la forêt. 森を隠すのは木よ、フリッツ。 世界は貴方が思ってるよりずっと広い、彼女を隠せる森だって、きっとあるわ。」
フリッツ「アリスッ…!!」
アリス「────そろそろ、時間ね。 もう少し話したかったけど、伝えたかった事は伝えたし、まぁいいわ。 」
全てがあやふやになっていく。
霞む姿に手を伸ばして藻掻くが掴めない。
足掻きながら何とかして彼女の欠片を拾おうとするが掴めない。
アリス「……ねぇ、フリッツ? 最期に聞かせて?」
まだ何も伝えてない。
まだ何も伝えてない。
行かないで、
行かないでくれ。
アリス「────────貴方は、幸せだった?」
全てが、透明になる。
第43部 1944 BerlinCantabile 完




