【雪原を征く】
息を潜め、静かに瓦礫を越える
フリッツ「(さて…と…)」
予想が正しければ敵のSU-152は行動不能の状態で頓挫しているハズだ
自車両との位置関係から読めば主砲はこちらを向いていない
SU-152の搭乗員は記憶が正しければ5名、車長のナボコフを除けば残り4名
…考えられる選択肢は3つ…
①白兵戦に全員投入して2人1組での見敵必殺
②数的有利を最大限に活用した包囲殲滅戦
フリッツ「(そんでもって1番厄介なのは…)」
僅かな音すら起てないように
僅かな気配も悟られないように
静かに、ひたすら静かに瓦礫から視界を通す
────────────居た
彼我との距離おおよそ100m以内、80m弱
深深と降る雪の中、ソ連の"猛獣狩り"SU-152がそこに居る
やはりこちらも予想通りエンジンが動いている様子は無い
フリッツ「(────チッ…)」
問題は停車位置だ
SU-152は運悪く視界が開けた広場…いや交差点の様な場所で停車していた
その車体の陰にPPsh-41短機関銃を抱えた兵士が1人
少し離れた廃屋の中に同じくPPsh-41を持った奴が1人
そして車体上部、車載機関銃手が1人
この時点で見えているのが3人、どこか死角にいるのかもう1人の姿は見えていない
武装の次第では狙撃も十分に有り得る
フリッツ「(あの男の乗ってた戦車の搭乗員だからな… やっぱりそこら辺のソ連兵とは練度が違うか…)」
これが1番厄介な選択肢 ③
「練度の高い兵士による待ち伏せ」だ
展開が済んだ待ち伏せ陣地を崩すのは容易じゃない
仮に敵の位置が明確でもこちらの戦力は2人、敵は4人
武装に関してもMP40とPPsh-41の差は大きい
発射速度、装弾数共にこの距離(相対距離100m以内)はこちらが不利だ
見付かれば凄まじい連射速度で弾幕を張られて身動きが取れなくなるだろう
瓦礫から身を下げ
アレクシスにその旨を伝える
フリッツ「見たところ敵は3人だ。 車体後方と車体正面を基準に13時方向の廃屋に短機関銃で武装した歩兵が2人、車載機関銃手が1人、あとの1人は見えてない。」
アレクシス「距離は?」
フリッツ「おおよそ100。」
アレクシス「無理だ… P08拳銃でどうにか出来る距離じゃない。やはり引き返して渡り鳥達を待とう…外は…寒い…」
小刻みに震えながらアレクシスが言う
寒さか恐怖か、言葉に力が無い
さっきまでの威勢はどこに行ったのか
このザマを見るとあの男の兵士としての質の高さがよく分かる
あの男と共にいた連中とこの坊ちゃんで質比べなど烏滸がましい話だ
こうなれば実質、自分1人と連中の戦いになる
自分、1人で────────
ザワッ……
フリッツ「…………お前のP08貸せ、それで今からオレが言う事を確実に実行しろ。 いいか、必ずやるんだぞ。 そしたら……」
アレクシス「…?!」
フリッツ「"勝たせてやる"」
ゾクッ
その時アレクシスは見た
確かに見た
凍える様な寒さの中で、今まさに獲物を狩らんとする獣の眼を
アレクシス「………Tiger………」
ああ、この眼が、この男を怪物たらしめる理由か
白い雪と真逆、ドス暗い闇を孕んだ獣の眼
何も意志を感じない
どこまでも純粋で深い、ただ目の前の敵を殺す事だけに傾した眼
フリッツ「最初は1分に1回、瓦礫から銃身だけ出して10発だけ撃て。 次は30秒置きに5発、これをひたすら繰り返せ。」
ガシャガシャとフリッツがMP40の予備弾倉を放り投げる
アレクシス「繰り返せ…って。 …いつまで?」
放り投げられた弾倉を手元に手繰り寄せながらアレクシスは問う
フリッツ「オレが奴らをぶち殺すまでだ。全弾撃ち切る前には終わらせてやる。いいか? オレは遮蔽物に隠れながら右回りに移動して廃屋の奴から順に仕留めていく、お前はなるべく連中の注意を引くようにSU-152の車体を狙って撃て。」
アレクシス「………何故車体を狙う必要がある?」
フリッツ「ガキに説明しても理解出来ねえさ。お喋りは終わりだ、始めるぞ。合図したら撃て、お前の位置からSU-152は11時方向辺りだ。」
アレクシス「…Jawohl」
ヂャキッ
P08拳銃のトグル・スライドを引き、薬室に弾を送り込む
アレクシスも続いてMP40のボルトを開いた
空気が張り詰める
少し間を置いてフリッツが吼える
フリッツ「────Angriff!!」
アレクシス「…ッ!」バッ
ドダタタタタタタタタタッッ!!
カッ キンッ チュィーンッッ
静寂を切り裂くようにMP40の小気味よい発砲音が街中に響いた
しっかり照準もしていない、肩付けもしていないので当然のように弾はバラけて飛んでいく
だが言われた通り11時方向に向けて放った10発のうち数発は見事SU-152の車体下部を捉え四方八方に弾かれていった
アレクシス「(今の音…命中した…!次の射撃まで30、20…)」
確かに聴こえた、金属同士がぶつかる跳弾音
命中だ
次の射撃まで10秒
焦らず、同じように同じ場所に撃てばいい
次は5発、5発撃ったら下がればいい
大丈夫、身体は晒さない
瓦礫があるから敵の弾は抜けてはこない
アレクシス「3…2…1… ……ッ!!」
ダタタタタンッ!!
キーンッ
アレクシス「……よし!また命中────────────」
ドガッシャッ
━━━━━━━━━━━━━━━ッッ!!!
2回目の射撃を終え、身体を下げようとしたその時だった
凄まじい衝撃と共に、眼前に積まれていた瓦礫が吹き飛び、アレクシスは瓦礫の山を転がり落ちた
アレクシス「〜〜〜〜〜ッ〜〜〜〜〜ッ〜〜」ドサッ
━━━━━━━━━━━━━━…オォンッ
"その音"は迂回中のフリッツの耳にも当然届いた
MP40の9mm弾とは明らかに質の違う、重く巨大な発砲音
クルスクで嫌になるほど聴いた音だ
フリッツ「………チッ………」
音の正体はSU-152に積まれている車載機関銃
DShK38(デュシーカ)の発砲音だ
12.7mm弾を使用するこの大口径重機関銃は広くソ連軍の車両や陣地に採用されており、フリッツは幾度となくこれと対峙して来た
ある者はキューポラから晒していた上体を吹き飛ばされ
ある者は悲鳴と共に両の足を千切られ
ある時は歩兵を積んだ輸送車両を肉塊だらけの棺桶に変えた
銃声
絶叫
悲鳴
血と肉の焦げる臭い
この世のものとは思えない、凄絶な光景
フリッツ「(やめろ… 思い出すな……)」
路地を横切り、敵の潜む廃屋を視認する
廃屋まで距離およそ80m、次のアレクシスの陽動射撃に併せて侵入し、まずは屋内の敵を片付ける
フリッツ「(集中しろ… 余計な事を考えるな……)」
ズキッ
久しく忘れていた頭痛がフリッツを襲う
一瞬、視界がチカチカと瞬き
目の前に
"地獄"が現れた
────ゴォ…ッ
フリッツ「────────」
そこに見えたのは 1943年 7月のあの日
忘れる訳も無い、ここは、そう。
プロホロフカ
世界最大の戦車戦があった場所
広大な野原に転がる、撃破された戦車の残骸 残骸 残骸
撃ち抜かれ、焼かれ、潰された死骸の山 山 山
ふ、と
何かに足を、掴まれる
「どうして助けてくれなかったんですか。」
「どうして裏切ったんですか。」
「どうして どうして どうして どうして。」
「お前も こっちに 来い。」
足元に眼を向けると、あの日プロホロフカで殺した"仲間達"が恨めしそうに己の足を掴んでいる
フリッツ「…………………」
全身の血液がまるで氷の様に冷えていくのがわかった
筋肉が強張り、呼吸の仕方を忘れる
DShk38の音で思い出したのだろう
そこいらじゅうに転がる"死"と、自らが負った、その責任を
足が…止まる
ヒュウ、と息を浅く吸い込んだ後、吐く事が出来ない
幻覚だと、それは夢だと言い聞かせるが身体が動かない
ああそうだ、思い出した
これが
"恐怖" だ
━━━━━━━━━・・・ダタタタタタタン!!
フリッツ「……ハッ……!」
静寂を破ったのはMP40の射撃音だった、DShkの発砲から数瞬途切れたがアレクシスの陽動射撃はまだ続いていた
が、何かがおかしい
……ダタタタタタタタタン!!
…ダタタタタン! タタタタン!!
「陽動射撃の間隔が早すぎる」のだ
最初に指示した間隔よりずっと早いうえに撃ってる弾の数も多い
考えたくはないが、さっきのDShkの至近弾で恐慌状態に陥ったか、射撃に影響が出る傷を負ったかのいずれかだろう
あんなペースで撃っていたらあっという間に弾切れになってしまう
こちらも合わせて動かなければいけないが………
フリッツ「…………オレもあとで行く、もう少し待ってろ。」
フリッツは小さく零し、ブーツに浅く積もった雪と亡霊を振り払うように地面を踏み抜いた
ダタタタタン!!
バラララララララ!!!
バラララ!! バラララララララ!!!!
陽動射撃に合わせて、可能な限り身を低く、駆ける
タイミングがズレて射撃数が多くなったせいで兵士達がアレクシスがいた方向に応射し始めた
PPshの射撃速度は速い、目の前にいる兵士は箱型弾倉、30発程度の装弾数は即座に空っぽになるだろう
バラララララララ!! ガチンッ
コズロフ(操縦手)『Я должен перезарядиться!(弾倉交換)』
ガチャッ ゴソゴソ
弾を射ち切り、弾倉を交換するためにポーチに手を伸ばした瞬間、眼前のドアが、カタンと音を立てた
コズロフ『ッ!!』バッ
敵の気配は無い、
ここは廃屋だ、何かの弾みでドアが動いてもなんら不思議ではない
だが、なんだ、この"嫌な空気"は
まるで何か……
猛獣の様な何かが……
居
ぞぶッ
コズロフ『………ご…ぼ……?』
一瞬だった、決して油断では無い
一瞬、ほんの一瞬、意識がドアに向いてしまった
その時点で勝敗は決していた
弾倉を交換する前に、拳銃を抜くべきだった
コズロフ『………тигр(ティーゲル)………』
ずるり、と自分の首から金属の板が抜かれていく感覚が脳に伝わる
冷たいその感触が首からすっかり抜け、温かな液体が流れ出る
意識が遠のいてゆく
視界が暗くなる
ゆっくりと膝をつき、最後の力を振り絞って後ろを向く
せめて、せめて一目、自分を殺した男の顔を────・・・
カチャッ
振り返ると、暗く、深い闇がこちらを覗いていた
それが銃口だと理解するには、余りにも時間が足りなかった
パァンッ!!
P08のトグルが跳ね上がり、薬莢が宙を舞う
眉間に9mm弾が突き刺さり、首があらぬ方向に弾け飛ぶ
コズロフがフリッツの顔を見ることは叶う事無く終わった
フリッツ「まず一匹。」
流れるような手際で敵を屠り、フリッツはPPshを回収した
死体から弾倉を回収し、再装填する
武器は手に入れた
さっきまで冷えていた血が温まってゆく
ああ、これだから白兵戦は嫌いなのだ
戦車と違って「人を殺した感触」が嫌に生々しく手に遺る
ああ、ああ、これだから白兵戦は嫌いなのだ
この手で
人を殺めた感触が
こんなにも、温かい
フリッツ「………ははッ!」
返り血を浴びた虎が微かに笑い
白い吐息を吐き出した
第37部 雪原を征く 完




