【罪と罰】
蒼ざめた馬を見よ
その馬を駆る者の名は“死”
そして、その後ろに地獄が従う────…
黙示録か、聖書か、いつか聞いた一節が頭に浮かぶ。
黒い影が、オレの後ろに付き纏う、
振り払っても振り払っても、影は消えない。
そのうち影はオレの眼を覆い、手足を掴み、果ては思考すら真っ黒く染める。
手に握られた銃と、血塗れのナイフ。
耳元で誰かが囁く。
「裏切り者め」 と。
………
……
…
1944年 9月18日 北部キャンプ 隊舎/寝台
フリッツ「────…はッ!!」
ガバッと勢いよく毛布を跳ね上げ、辺りを見回す
そこはいつもと変わらない隊舎の景色があった
…どうにも夢見が悪い、夢の内容はいつも鬱々とした、それでいて酷く生々しい夢だ。
…兵士の中には戦闘時のストレスで精神面にダメージを負って「壊れて」しまう奴も少なくないというが…
まさかオレも…? いや、そんな訳ない…
オレは平気だ、いつも通り、なにも変わらないさ。
ヂャラ……
パキッ…
フリッツ「(考える事が多過ぎる、これでは頭痛になるのも仕方ない…か)」
起き抜けにペルビチンを1粒噛み砕く。
心地好い目覚めとは言えないが、とにかく今日も1日が始まった
予備のパンツァージャケットに袖を通し、軽く首の骨を鳴らす
前に着ていたジャケットは白リン弾でボロボロになってしまい、たしか戦車内で脱いだんだがそれっきり行方知れずのままだ。
ろくすっぽ支給もないため、弾薬はおろか衣服ですら今や貴重…
白リン弾の嫌らしさが身に染みる。
フリッツ「…さて、今日はどうするかな。 Tigerは修理中だし、Pantherだけでどこまで仕事をこなせるか…」
周囲の哨戒か、近場の基地に向かい補給を受けるか…
まずはヘルマンの無線傍受情報を聞いてプランを考えよう。
フリッツは枕元に置いた資料を抱え、隊舎を後にした
長い1日の始まりだ。
…と、思ったが、
隊舎から出てすぐに雷鳴のような怒声が耳を劈く。
バルド「ふざけるなよこの野郎ッ!! んな馬鹿な事があるかぁッ!! てめぇの情報は前の事があるからもうアテにならねぇんだよッ!! くそったれがッ!!」
ヘルマン「嘘じゃねぇよッ!! 本当に今ここに向かって武装親衛隊が…第8騎兵師団があのTigerと隊長を狙って来てるんだよッ!!」
オリバー「馬鹿はお前だバルド、まだ本当か分からねぇのに仲間内で殴りあったって意味無いだろッ!! …おい、落ち着けッ!! 離してやれッ!!」
アルノルト「ちょっと…ヘルマンさんも落ち着いて…ッ!!」
そこでは凄まじい剣幕でヘルマンとバルドが睨み合い、怒鳴りあっていた
アルノルトとオリバーが2人をたしなめるが、周囲の兵士が面白がって囃し立てる
何が原因であんなに怒ってるのか聞き取れないが、とにかくあの場を収めなければ
フリッツ「おい、止めろお前ら。 まったくなんの騒ぎだッ!! 周りも煽るんじゃないッ!! …ちッ …総員整列ッ!! Achtungッ!!!!」
グイグイと兵士達の輪を掻き分けてフリッツが大きな声で叱責する
その声に反応して、周りにいた兵士達もビシッと姿勢を正した。
溜め息をつき、ボリボリと頭を掻きながら暴れていた2人の前に立つ。
フリッツ「…喧嘩の原因はなんだ?」
ヘルマン「………昨日の夜に傍受した無線の情報を伝えたらバルドの奴がキレたんだ。 …いや、そもそもこれはアンタが招いた事態かもしれねぇぞ隊長。」
先に口を開いたのはヘルマンだった。
それを聞いたバルドがまた眉間に皺を寄せて小さく舌打ちをする。
フリッツ「…どういう意味だ?」
ヘルマン「…傍受の内容を信じるか信じないかはアンタ次第だが、今この基地に向けて第8SS騎兵師団が進軍してる。 明確な規模と目的は不明。 …だが連中は隊長と、あのTigerに興味があるらしい。 更には『抵抗した場合は殺せ』と上から命令を言い渡されてるようだぜ?」
フリッツ「──────…武装…親衛隊……だと!? ッ?! ……ぐ…ぁッ!」
ズキッ!!
アルノルト「…隊長ッ!?」
オリバー「おい、大丈夫かッ!?」
その言葉で、フリッツの眼から光が消えた
まるで蝋燭の火がフッと消えるように、一瞬で…
そして一呼吸おいて、また『あの頭痛』が襲ってきた
バサバサと資料が足元に散らばり、泥に塗れる。
頭が割れそうになる、何かが頭の中で弾けていく。
「君の偉大な功績を讃え、この勲章を贈ろう。 おめでとう、マイゼンブーク。」
「あなたの……指揮下で戦……えて…光…栄でし………た…。」
「助けて……助けて……隊長…ッ …………どう……し…て」
「何故です…ッ!! 隊長…信じてたのに…ッ!!」
いつもより酷い痛みに、意識が薄らぐ。
いつもより酷い幻聴が、耳をつんざく。
思い出したくなかったモノが、堰を切ったように溢れ出す、
ドロドロした黒い影が、身体を満たしてゆく。
吐き出されてゆく、何か、よくないモノが姿を現す。
フリッツ「………あぁ…… あぁ……ッ」
脳を掠める、閃光
鉄十字
黒い服
髑髏
戦車
仲間
そして──────────…
「ねぇ、フリッツ。 私、とっても幸せだったのよ? …ほら、泣かないで…? 仕方がなかったのよ、きっと最初からこうなる運命だったのよ。 …私は幸せ者だわ、だって貴方の腕の中で死ねるのだもの。」
銃声
息が、吸えない
何かが頭の中にいる。
影だ…
黒い影だ…
ゆらゆら揺れるそれが、オレを抱き締め、輪郭を帯びてゆく。
────…あぁ、そうか
それがお前の『正体』か……────
「さよなら、フリッツ。」
ピタリと頭痛が止み、頭が冴えてゆく
見えない鎖から解き放たれたように、身体が軽くなる
視界が澄み渡り、肺に新鮮な空気が行き渡るのが分かる。
フリッツ「────────よし…作戦を、説明する。」
バルド「なッ!?」
オリバー「おいおい…大丈夫…なのか…?」
アルノルト「隊長…!?」
ヘルマン「…作戦って…あんたまさか連中と戦うつもりかッ!?」
その言葉に場がざわつき、部隊の4人は顔を強ばらせた
二転三転する状況に頭がついていけないのもあるが、目の前の上官が口にした言葉が一番の衝撃だった
「作戦を説明する」と確かにフリッツはそう言った。
ほんの数秒前まで重病人のような様子だった彼が今はどうだ、憑き物が落ちたかのような…いや、まるで別人のような雰囲気すら纏っているではないか。
フリッツ「…把握してる限りでいい、現在の彼らの位置は?」
ヘルマン「あ… いや、昨日の時点で南に約20km地点だったが…」
フリッツ「……20kmか……よし、ならまだ大丈夫だ。 ……北部哨戒基地総員に告ぐッ!! 諸君らは以降『何もするな』これから何が起きて、何が来ても、諸君らは何もしなくていい。 …普段通りに過ごしてくれ、何か奴等から聞かれても「フリッツ・マイゼンブークという人間は、最初からいなかった。」そのつもりで頼む。」
告げられた命令は周囲の兵士達にも衝撃を与えた
フリッツの言う『何もするな』という命令が示す意味を、直感的に理解したからだ…
『何もするな』
つまり、それが意味することは────────
フリッツ「オレが1人で彼らと戦う。 お前達は、基地で待機だ。」
そう言って彼は、静かに笑った。
………
……
…
北部キャンプ 医療テント
エッケハルト「では今日の問診は終わりです、もう少しすれば日中に包帯を外しても大丈夫ですのであとちょっとだけ頑張りましょうね。」
ハナ「はい、いつもありがとうございます、エッケハルトさん。」
テントの外が妙に騒がしい中、エッケハルトはハナの問診を済ませた
元々負傷者が出るほど大規模なキャンプではないからきちんと軍医として仕事するのは実を言うとかなり久しぶりだったりする
彼女の眼は順調に回復している、昨日の夜に色々試してみたが眼としての機能はほぼ100%異常無しとみているが、どうにも解せない部分がある。
…ちょうどいい機会だ、少し探ってみよう。
エッケハルト「…ハナさん、ちょっと聞きたい事が幾つかあるのですがよろしかったでしょうか? 簡単な質問ですので。」
ハナ「? はい、構いませんよ?」
エッケハルト「こほん… えーっと、貴女は……何故ドイツへ?」
小さく咳払いをしていきなり核心を突く質問を投げかけるエッケハルト。
その質問に、ハナの表情が若干曇った。
やはり言い難い理由があるのか、ハナはあまり喋りたがらない。
…と言うよりはどう説明すればいいのか分からないようだ。
ハナ「…んーとですね… その…私、実は…大日本帝国陸軍参謀科に所属してまして… こちらの偉い人達にお話があって来てたのですがどうにも色々と事情が重なってしまいまして……ね?」
エッケハルト「───────え? ちょ…ちょっと待って下さい、ハナさんって軍人だったって事ですか!? しかも偉い人ってまさか本土の…!? …ちなみに当初の行き先って…」
ハナ「ベルリンです。 …ほんとならあの日、護衛の方たちと一緒にここに立ち寄るハズだったのに、残念です……」
衝撃的な言葉が続き、今度はエッケハルトが言葉に詰まる
つまり彼女は同盟国、大日本帝国陸軍の軍人で、ベルリンにいる上層部と何らかの話し合いがあってここに来た…と言う事だ
いやいや待て待て、そんな重大な人が捕虜となって捕まってたんだぞ!?
本部の連中がそれを知らない訳がない、何らかの動きがあるハズだ!!
エッケハルト「ちょ…ハナさんッ!! あの日貴女と一緒にいた兵士達について何か覚えてませんかッ!? 会話でも、服装でも些細な事で構いませんからッ!!」
思わず語気が強まり、ハナの身体がビクッと跳ねた
考えたくないが、どうしても最悪の状況が頭をよぎる
同盟国の要人警護を任される部隊なんて一握りしかいない、まさかとは思うが……!
ハナ「…確か、皆さん黒い服を着てました。 会話はいまいち定かではないですが、印象的な部分はありましたよ。」
エッケハルト「…それは…?」
ハナ「徽章に馬が描かれていました、帝国陸軍の徽章よりお洒落でしたのではっきりと頭に残っています。」
────…まずい状況だ。
つまり彼女を護衛していたのは武装親衛隊の連中だったという事だ。
馬の徽章は恐らく騎兵隊を表してる…
僅かな救いだが、騎兵隊ならまだ可愛いものだ。
もしこれが【鍵】の徽章だったら…
まずいを通り越して最悪の事態になるところだった。
とにかくこの情報をフリッツ大尉に伝えなければ…!
もしかしたら、もう連中が来ているかもしれない、この後どうするのか指示を仰ごう。
エッケハルト「…ありがとうハナさん、私は少し用事を思い出しましたので、これで失礼しますね。 また夜に散歩に出ましょう。」
ハナ「はい、楽しみにしてます。 お仕事、頑張って下さいね。」
ふにゃっとした彼女の笑みを背に、エッケハルトはテントを飛び出した。
じわじわと近付いて来る武装親衛隊の足音。
徐々に明かされるハナの秘密、フリッツの過去…そして………
狂い始めた歯車がギシギシと軋みを挙げ始める
第11部 【罪と罰】 完




