【しゃぼん玉】
ニルギリ「しかし、予想外の事態が続きますな。 まさか東の島国で『あんなもの』が造れるとは、やり方はともかくこれで戦局は大きく傾くでしょう。」
ハインリヒ「だが米英も『アレ』の開発に躍起になっているようだ、我が国か奴等か… 先手を打った方がこの戦いを征するだろう。」
コツン コツンと、革靴が床を叩く
ベルリンの作戦本部は大慌てだ
もっぱら話題は米英が極秘で開発している長距離兵器の噂と、ドイツで思案されている新型兵器に関する事で持ちきりだ
ニルギリ「…長官、これはまだ極秘情報ですが気になる情報がひとつ手元に届いておりまして… 確認をお願い出来ますか?」
ハインリヒ「この忙しい時に… 後に回せないのか?」
ニルギリ「…重大機密案件です。 同じく北部キャンプに例の試作戦車があるとの情報がありまして… 半年ほど前から急に合流したと。」
ニルギリの言葉にハインリヒはピタリと足を止め
手元の報告書を何も言わずに受け取り、目を通す。
ハインリヒ「………生きて…いたのか………!?」
ニルギリ「…そのようです、まだ憶測の域を出ませんが恐らく搭乗しているのは『彼』ではないかと…」
バサッと報告書を押し返し、額に汗を滲ませるハインリヒ
「まずい事になったぞ…!」と言葉が小さく漏れ、足早に会議室に向けて歩き出す
ハインリヒ「…急いで第8から増援を送れ、可能なら回収部隊も増やせ、最悪の事態になったら…その時は航空支援を出しても構わん。」
ニルギリ「了解。 …もし万が一、彼が抵抗した場合の処遇は……」
ハインリヒ「───…殺せ。 奴ほどの兵士を失うのは痛いが抵抗は総統閣下への離反を意味する。 そのような兵士は…不要だ。」
くしゃり、と報告書を握り潰し、
紙屑となったそれを隠すようにポケットに詰込んだ。
憂いと焦りに表情を曇らせながら、ハインリヒは会議室の向こうに消える。
ふ、と扉の先に佇む上層部の重鎮達にニルギリは頭を下げ、踵を返して自室へと急いだ。
………
……
…
北部キャンプ 医療テント 深夜
──────ズキィッ
フリッツ「……ふぐ…ッ!!」
いったいどれくらいの時間、こうしていたのだろうか
背中と肩に鋭い痛みが走る感覚でフリッツは目を覚ました
ズルズルと雑に掛けられた毛布が床に落ち、冷たい夜風が背中を撫でる。
フリッツ「(ここは…医療テントか? なんでオレはこんな所に…?)」
立ち上がるとそこは医療テントの中だった
記憶がちぐはぐで、頭がまだぼんやりした
薄らと、頬に何か滑らかなモノが触れたような感覚が残る
フリッツ「………?」
大きく背伸びをすると、曲がっていた背骨がパキポキと音を立てた
そうしてふとベッドを見ると、くしゃくしゃになったシーツが目に入った
フリッツ「(そうだ…オレは確かハナに会いに来て… 会いに来てすぐに寝たのか!? …なんてこった、こんな醜態を晒すとは…ッ!!)」
徐々に頭が冴え、自分が何をしてしまったのかを思い出す
あの時、猛烈な頭痛に襲われたオレは無我夢中でここまで来て、彼女に抱き着いて…そのまま寝てしまったのだ。
幾ら戦闘明けで気が緩んでいたとはいえまだ19歳の女子にいきなり抱き着くなんてまるで発情期の犬か猫じゃないか!!
バ ル ド じ ゃ あ る ま い し … ッ
\ブェックショア゛ア゛ア!!!/
\ウッセーぞバルド!/
フリッツ「(次からは気を付けよう…… ん…?)」
──────────…そう言えば、何かがおかしい
そこに居たはずのハナの姿が…
見えない。
ドクンッと心臓が大きく跳ね、背中に冷たい汗が噴き出した。
頭によぎったのは、彼女を助けたあの日と同じ、真っ赤に燃えるソ連軍キャンプの姿。
まさか…!
今度は『オレ達の番』か………!?
────…ジャキッ!!
毛布を乱暴に投げ捨て、腰に挿したMauser Schnellfeuer(Mauser M712)拳銃を抜き、ゆっくりと、慎重にテントから出る。
不気味なくらい静かな夜だ…
夜襲にしては静か過ぎる。
銃撃の跡や、死体も無い、
この時点で「殺し」が目的じゃないのがわかる。
フリッツ「(相当に熟練の回収部隊か? …しかし何故またハナを狙う…!?)」
ギリッと奥歯を噛み締め、静かに歩を進めるフリッツ。
本当は今すぐ走り回って探したいが、
夜襲の危険性を考慮したらそれは出来ない。
歯痒い思いをしながらテントの影から向こうを見ると、何者かの姿が見えた。
距離にして8m程、暗闇でよく見えないが撃てば当たる、しかし今は情報が欲しい…
────…生け捕るか。
意を決して、フリッツは影から飛び出し
音も無く相手の背後を取る。
そして流れるような所作で後頭部に銃口を突き付けた。
フリッツ「────…動くな。指の1本でも動かしてみろ。 お前の脳味噌をそこいらじゅうにブチ撒けるぞ。」
カチリとM712の安全装置を外し、いつでも撃てる状態にする。
指の一本でも動かしたら容赦しない…!!
エッケハルト「〜〜〜〜…ッ!? その声は…フリッツ大尉…!? なんですか!? 私が…何かしたのですかッ!?」
暗闇から聞こえたのは、聞き慣れた軍医の声…謎の兵士の正体はエッケハルトだった。
フリッツ「お前は…エッケハルトか…!? …ッ貴様ァ!! …ハナをどこにやったッ!!」
ぐぐっと銃口を押し付け、エッケハルトから情報を聞き出そうとする。
まさかこいつが裏で糸を引いていた工作員だったとは…!!
エッケハルト「…!? ちょっと待ってください一体なんの話…!!? ……って、あぁ〜〜……なるほど…そういう事ですか… 安心してください大尉、彼女ならすぐそこにいますから。」
何かを悟り、溜め息混じりにそう言うと、
エッケハルトの指がちょいちょいとフリッツの後ろを示す。
フリッツ「…!?」
ハナ「私をお探しでしたか?」
するとフリッツの横にある小道から、ひょっこりとハナが現れる。
驚いた事にその眼を覆っていた包帯が外れ、彼女の素顔があらわになっていた。
フリッツ「────」
ドイツの19歳とはまた違う可憐さ、と言うよりは美しさ…
歳に不相応な大人びた空気の中にある歳相応の子供らしさ…?
いや、佇まい? 雰囲気? …わからないが、ある種これが日本らしい可愛さなのだろう
ハナの素顔は、そんな顔だった
結論から言うと、可愛らしい顔立ちだ(フリッツ談)
フリッツ「え、あ…あぁ、ははは、いや… そうだな、うん…? そう、ちょうど君を探してたんだ。」
思わず赤面するフリッツ、言葉もしどろもどろになり
明らかに動揺していた。
はじめて見る彼女の素顔が、あんまり綺麗過ぎて言葉に詰まる。
エッケハルト「とりあえず…銃を下ろしましょうか。」
フリッツ「!? あ、す…すまん。」
動揺してしどろもどろなフリッツはエッケハルトに促されて銃を下ろす。
やっと緊張状態から開放されたエッケハルトが低く唸りながら背伸びをする。
振り返った彼の表情は呆れたような、どこか半笑いのような顔をしていた。
エッケハルト「説明が遅れて申し訳ありませんでした、彼女の眼がだいぶ良くなったので、光に慣れさせる為にこうして夜に散歩をしていたのです。 いきなり日中の光に晒すと、また眼が傷ついてしまいますからね。」
フリッツ「…あぁ…なるほど…」
ハナ「フリッツさん、よくお眠りになってたようですので… 起こすのも悪いなぁと思いながら出てきたんです… すみません…」
診断書を片手に持ちながらエッケハルトが説明すると
安心したようにフリッツの表情が緩む。
ハナは申し訳なさそうに、しょんぼりとした顔になった。
エッケハルト「あぁいやいや、貴女は謝らなくてもいいですよ、勝手に勘違いしてひとりで突っ走った挙げ句、音もなく背後から近付いてあろうことか部下に銃を向ける大尉が悪いんですから。 ──というか、謝るなら大尉が私に謝るべきですよね?」
フリッツ「………すぅ─……まなかった……(小声)」
張り付いた笑顔で刺のある言葉を放たれ、フリッツは頭を下げながら絞り出すような声で謝罪する。
「だから医者は嫌なんだ、ひねくれ者が多過ぎる…」と続けたかったが火に油を注ぐだけだと瞬時に悟り、やめた。
それからエッケハルトはフリッツに「後は頼みますね」と言い、その場を後にした。
図らずもハナと2人っきりになり、何故か身体が強ばる。
フリッツ「…………」
ハナ「…………」
いざこうなると話す事が無い
静かな夜に、自分の心臓の音と彼女の吐息だけが響く。
フリッツ「(こんな時、何を話せばいいんだ…!? 戦車の話なんて興味無いだろうし、身の上話も面白くないだろうし……ッ)」
ハナ「……すぅ……」
どうする どうすると考えていると、ハナはすぅと息を吸い、
あの日と同じ、歌を歌いはじめた。
────────あぁ……綺麗な声だ。
相変わらず詞は分からないが、この歌は胸に染みる
Panzarliedほど長い歌ではない、独特なリズムが心地良い。
フリッツ「…その歌、好きだよな。 たしかあの日も歌っていた曲だ。」
ハナ「…しゃぼん玉、という歌です。 故郷のおばあさんが私がまだ小さい頃によく歌って聴かせてくれていたので、好きなんです。」
ふふ、と笑いながらハナはまたしゃぼん玉を歌う
いつの間にか顔を出した真ん丸な月を背にして、まるで舞踊手のようにくるくる回りながら歌を紡ぐ彼女がとても可愛らしかった。
思わずそれを口にしてしまいそうになり、慌てて我に返る。
フリッツ「(…まずいな、このままでは余計な事まで喋ってしまいそうだ。 出来ればもう少し聴いていたいが、ここは思い切って、話題を変えよう。)」
ガシガシと頭を掻きながら、フリッツはハナに声をかけた。
フリッツ「なぁ、ハナ…」
ハナ「…はい? どうかしましたか?」
にっこりとした笑顔に、またしても口元が緩みそうになる
だがすんでのところで堪えて、凛とした顔でフリッツは言った。
フリッツ「今夜は…月が綺麗だな。」
瞬間、空気が凍った
自分でも何を口走ってしまったのかさっぱり意味が分からない、いきなり脈絡もなく「月が綺麗だな」なんて言う男がどこにいる?馬鹿かお前は(自己否定)
いや、確かに事実として月は綺麗だ、見事な満月だ
だが…何度考えても今言う事ではないだろうし、やはり意味が分からない。
その証拠にハナは俯いたまま返事を返さない…
完全にやってしまった… 大失敗だ。
フリッツ「(馬鹿野郎かオレはッ!! ………ん?)」
しばらくの間が空いて、ハナがゆっくりと顔をあげた
どうしてかその顔はまるで林檎か苺のように真っ赤に染まっている。
フリッツ「…んんッ!!?!?」
ハナ「〜〜〜ッ うぅ〜〜……ッ!!」
そうして唸った直後に、ハナは駆け足で医療テントのほうに戻ってしまった。
呆気にとられたフリッツはその様子をただ呆然と見送る事しか出来なかった。
フリッツ「(お…怒らせちまった…のか…!?)」
………
……
…
時同じくして、無線室ではヘルマンが日課の無線傍受(盗聴)を行っていた。
部隊内一番の情報通であるヘルマンの情報入手手段は大体これだ。
北部哨戒基地の周辺数10kmに張り巡らせたアンスヘルムが暇潰しで造った特製盗聴装置を使って世間話から隠匿情報まで様々手に入れる。
ヘルマン「……今日はハズレだな。 英国もソ連も嫌に静かだ、アレだけの戦力に被害が出てるのに音沙汰無しとは… ─────…いや…これは……?……味方の無線ch…? まさか増援か?」
カチカチと無線chを回すと聞き慣れたドイツ語が聞こえた。
会話を遮るように鳴り響くのは戦車のエンジン音だろう。
つまり味方と思しき戦車隊、または車両を有する部隊がこの周囲にいるらしい。
恐らくは前線に行く部隊だろうが、確実にこのキャンプを中継するだろう、
これは助かる、補給部隊が随伴してれば酒や嗜好品が手に入るかもしれない。
だが──────…
ザザ…ザザザザ…
『こちら2号車、間もなく作戦領域に入ります。 北部哨戒基地まであと20km。』
『隊長、ニルギリ補佐官より「敵は試作機のTigerを所持している」との情報が届いてます。 抵抗の意志がある場合は殺しても構わないとのこと。』
『我々を追って増援が出ているそうです、待ちますか?』
ザザザザ…ザザ……ザ…
嫌な汗が、身体中からぶわっと噴き出す。
ヘッドホンを押さえる指が小刻みに震え、身体から血の気が失せてゆく。
鼓膜を揺らす言葉のひとつひとつが脳と心臓を震えさせる。
ヘルマン「そんな…馬鹿な…ッ 嘘だろ…嘘だ、嘘だ…ッ!? なんで味方がこっちに…!?それに敵って…何を狙って……ッ 待てよ…いま試作のTigerって……まさか………ッ」
ザザ…ッ
『増援は必要無い、到着前に我々第8SS騎兵師団が任務を果たす。 フロリアン・ガイエルの徽章に誓え、我々は閣下の剣、我々は国家の盾だ。』
『Verstanden!!』
ザザ…ザザザッ ブツッ
ヘルマン「〜〜〜〜〜ッ!!!」
ガシャアンッ
無線の向こうで、大勢の何かが勇ましく吠える声が聞こえた
あまりの恐怖にヘルマンはヘッドホンを投げ捨てる
ヘルマン「だ…ッ第8……SS騎兵師団……ッ 武装親衛隊が…ここに来る…ッ!?」
形容し難い恐怖が全身を駆け抜ける。
皮膚はことごとく粟立ち、震えはさらに大きくなる。
第二次世界大戦における、ドイツ軍が誇る精鋭部隊
一般の兵士とは装備も技術も桁違いに上のエリート集団。
それが、彼ら
【武装親衛隊 Waffen-SS】
黒い殺意の奔流が、フリッツ達に迫っていた。
第10部 【しゃぼん玉】 完




