異世界召喚
目が眩む光が継続している。
一瞬だけ感じた浮遊感が消えると、隣にいた斉場さんの気配も消えていた。
やはり、別の場所に送られたのか。光が強すぎて周辺の様子を探ることもできないが、一応片目だけは開けておこう。
足元には確かな感触がある。足を踏み鳴らした時の感触で判断するなら、かなりの厚みがあるコンクリートか床石だ。問題は光の先に感じる気配だな。
臭いはどうだ……ほんの少しだが、嗅ぎ慣れたあの臭いが混じっている。
音は無音に近いが、微かだが誰かが「おおっ」と感嘆した声を漏らしたぞ、男か。年齢は中年といったところか。
近くにいる人の数は気配から察するに、おそらく三人。正面、左右斜め後ろか。
光が徐々に弱まってきたようだが、相手が何者かわからない以上、警戒は解かずに動揺した振りをしておくか。
「おお、我が召喚魔法により、良くぞまいられた勇者殿!」
光が消えると目の前に、灰色のローブを着込んだ理想的な魔法使いスタイルの爺さんがいた。身長は160程度か。皺が多く痩せこけているが目が鋭い。
雰囲気が以前護衛の任務を受けた、大企業の初代会長に似ているな。あの爺さんは裏でやくざとも繋がりがあって、腹黒い爺さんだったが。
言葉は確かに理解できる。だが、口の動きと耳に届いてきた声が異なるな。出来の悪い吹き替えを見ているかのようだ。
「るはぎごぐよもしたっ!?」
少し大袈裟に驚いた振りをして、意味不明な言葉を叫んでおく。
相手に言葉が通じていないと知れば、本音が聞けそうだからな。ついでに小心者っぽく見えるように、挙動不審を演じて辺りを見回しておくか。ここがどのような所か調べなければ。
「ふむ、やはり異世界の者であれば言葉が通じぬか。魔法陣に翻訳の機能ぐらい付与しておけばよいものを……間抜けな魔法使いどもめ」
この爺さん凄いな。悪態を吐いているのに笑顔が崩れていないぞ。それに優しい声で吐き捨てるなんて芸達者だ。本当に言葉が通じていなかったら、人のいい老人に見えてしまう。
愚者を演じた甲斐はあったようだ。今の会話だけでも重要な情報が手に入った。この老人は胡散臭い。
魔法陣に翻訳の機能が付いているかどうかを、召喚した当人が知らないことがあり得るのか。勇者を異世界から呼び出すなんてことは国家の一大プロジェクトの筈だ。当事者であるなら、知らない訳がない。
「ごばるぎはへ?」
意味がわからない振りを続けながら、周囲を観察する。
床は石畳。円形の部屋。小さい窓が二箇所……俺がギリギリ通れるか?
足下に薄ら光を放つ、複雑な形をした図形がある。六芒星にひし形を三つ重ね合わせたような感じか。更に、英語の筆記体と梵字を混ぜ合わせたような字体も書き込まれている。この状況から考えて、俺を召喚した魔法陣だな。
天井はかなり高い。マンションの三階をぶち抜いたぐらいはありそうだ。
灯りは壁際にカンテラのようなものが二つ。光量がカンテラの油が放つ明かりというよりは蛍光灯に近い。充分な明るさを確保できている。
扉は鉄製で厚みがあるようだ。扉の隙間から光が薄らと射しこんでいるということは、扉が少し開いているのか。
普通ならこんな重大な儀式をするなら、扉は閉めて鍵をかけておくのが常識だ。だというのに、少し開いている。あの扉の向こうに誰かいそうだな。
気配を感じていた他の二人は、金属鎧を着込み槍の穂先を俺に向けている。護衛の兵士なのだろう。だが、鎧のサイズがおかしいな。背が高く頬に傷がある方は鎧が大きすぎる。坊主で背が低い方は鎧がきつそうだ。
量産品だとしても、もう少し体格に合わせた鎧を選ぶだろう。何らかの理由で自分の物ではない鎧を着ているのか。
ここまでの情報から判断すると……こいつらは、元々俺を呼んだ当事者ではない。
じゃあ、何者なのか。それは、扉の隙間から流れ込んでくる煙。そして、部屋に残る血の臭いから結論付けると、召喚を行った誰かを殺し、入れ替わったと考えるのが妥当だろう。
ここが砦か城かは知らないが、攻め落とすか忍び込んだと言ったところか。煙は建物に火を放って混乱させるのが目的か。
そういや、社長が口を酸っぱくして忠告していたな。
「護衛の任務は観察力が物を言う。どんな状況でもどんな些細な情報でも見逃すな。それが命にかかわるのだから」
教育のたまものですよ、社長。
この憶測が外れている可能性もある。だからこそ、俺は言葉の通じない振りをしている。
「ヌソマナ様。どうしますか。火の手が予定よりも早く広がっているようですが」
「言葉が通じぬとはな。翻訳系の道具があったのやもしれんが、今更言っても詮無きこと。念話が使える魔法使いの一人でも連れて来るべきだったか……出来るだけ穏便に事を運びたかったのだが、やむを得ん。気絶させろ、殺すなよ」
俺に穏やかな笑みを向けておきながら、言葉が通じないと思って酷いことを口走っているな。笑顔で人を刺せるタイプか。政府の要人を暗殺しようとしたテロ組織の輩に、似たようなオッサンがいたぞ。
自分たちで火を放っておきながら、盗人猛々しいとはまさにこの事。
「ふおっふおっふおっ。如何に勇者とはいえ、まだ己の力も知らぬ若輩者。今なら手駒に――」
にこやかに語りかけることにより注意を引きつけて、後ろから当身の一発でも入れるつもりか。今、微かに床に何かを置いた音がした、槍を手放したか。
俺の格好は護衛用の黒スーツ。護衛用の特注で防刃性能もあり動きやすさも考慮された逸品だ。ナイフ程度は防ぐ自信はあるが、この世界の刃物がどれ程の切れ味かわからないまま、試す気にはなれん。
漫画なら首筋に手刀の一発でも入れて気を失わせるというのが定番だが、今までの人生でそれを実際に成功させた奴を見たことが無い。
意識を失わせる方法として、最も確実で有益なのは後頭部を強打――
風の動き、そして、一瞬にして肥大する気配。くるかっ!
「隙だらけ……なっ!?」
攻撃に移る瞬間に声を出すとは愚かな。
後頭部へ攻撃が来るとわかっているなら、見なくとも避けることは容易い。
横に避けながら屈伸の要領で膝を曲げる。頭上を横殴りの何かが通り過ぎた。振り下ろしの攻撃も警戒していたのだが、横薙ぎだったか。
「何とっ! もう力に目覚めたのかっ」
爺さんが目を見開き、後方も慌てているようだが、ここで俺は後ろを相手取るのではなく、前に踏み出す。
この爺さんが司令塔であるのは間違いない。それに、ここの面子で最も腕が立つのは、爺さんだ。立ち居振る舞いに油断も隙もなく、以前稽古をつけてもらった古武術の達人を彷彿とさせる。
ならば、こちらの手の内を晒す前に一気に仕留めるのみ!
俺は抜き手を爺さんの喉元に向けて突き出す。
「ほうっ、ワシを狙うか!」
本気の一撃が体を軽く捻るだけで、あっさりと躱された。やはり達人クラスか。
だが、考慮済みだ。続いて軽く握った拳を顔面へ叩き込む。
今度は避ける素振りもせずに、ニヤついているだけの爺さんにクリーンヒットした――かのように見えたのだが、手首を掴んでくるとは。
「筋の良い攻撃だ。今回の勇者は使え、くおおおっ!」
俺は饒舌な爺さんの言葉を無視して、拳を開く。俺の手に握られていた大量の胡椒と一味が眼前で広がり、相手の鼻孔や目に付着した。
ぶっつけ本番で『どんな調味料も出せる能力』を発動させてみたが、上手くいったようだ。
「な、なんじゃっ! 毒の粉かっ!」
目鼻を擦り後退っている今が好機。視覚嗅覚に障害が発している爺さんの後ろに回り込むついでに鉄扉を蹴りつけ閉めると、閂も降ろしておく。
音に反応して爺さんが振り向くことを考慮して更にその背後へと回り、首に腕を回す。このまま容赦なく落とさせてもらう。
「キサマ! ヌソマナ様を離せ!」
そう言われて離した奴が今までいたのだろうかと疑問に思う。それに俺は言葉が通じない設定なのだが、忘れているのか。
背の高い方は短い両刃の剣を両手に構えた、二刀流。背の低い方は先端の膨らんだ鈍器か。
「そっちの背が低い方」
「なっ、キサマ話せるのか!」
「それは今どうでもいい。この爺さんを殺されたくなければ、その鈍器でそっちの背の高い方の頭を本気で殴れ。悩む時間は無いぞ、泡を吹き出し始めているからな」
後ろから首を極め、おまけに片腕は既に外してある。残りの右腕は関節を捻り背中に回して、絶賛締め上げ中だ。
うちの社長が護衛任務を担当する者に教え込んだ、捕縛術の一つ。「古武術や柔術を混ぜ合わせて魔改造した技だ!」と自慢げに話すだけのことはあって、実用性があり何度も命を助けられてきた。
銃や刃物相手に基本無手で対応しなければならないので「容赦、油断、躊躇い。この全てを捨て、極めたら折れ、絞めたら落とせというのが基本だ」と何度も叩き込まれてきたおかげで、体が無意識でも動くようになってしまった。
「ヌソマナ様……ぐっ、すまん!」
「覚悟済みだ」
唸りを上げる鉄塊が背の高い男の頭部を陥没させ、男は血を吐いて倒れた。
避けようともせず、攻撃を受け入れただと。自己犠牲の精神が異様に高い、宗教がらみのテロ組織のようなものか。
経験上、一番厄介な相手だ。
「さあ、ヌソマナ様を離せっ」
仲間を自らの手で葬り、吹っ切れたのか。さっきよりも凄味を増している。
爺さんは既に意識を失っているようだが、ここの人間が地球と同じ造りをしているとは限らない。継続して圧迫は続ける。
じりじりと間合いを詰めてきているな。爺さんは全身から力が抜けている。気を失った者の状態だ。背にしている鉄扉からはドンドンと激しく扉を叩く音が続いている。
向こうで待機していた連中が異変に気づいたか。
そう簡単に破れないとは思うが、あまり悠長なこともしていられないな。
ならば、爺さんを利用させてもらうか。
体を後方へ捻り、そのまま腰を回転させ締め付けていた腕と手を離す!
「ヌソマナ様!」
仲間の命を迷わず差し出せる重要人物なら、投げつけられて無視するわけにもいかないよな。武器を手放して飛んでくる爺さんを受け止めた。
これで相手の両手は塞がった。俺は爺さんの陰に隠れるように突進すると、男の側面を抜け、通りすがりに相手の首に腕を通して、頭を肩に抱え込むようにして前に飛んだ。
そのまま地面に尻から着地することにより、首に衝撃を与える。ついでに軽く捻っておこう。社長はあくまで古武術の業だと言い張っていたが、これって技名は知らないがプロレス技だよな。
「ぐがっ」
小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、右肩に白目を剥いている男の顔があった。
気を失ったか。これにて任務完了だ。