異世界でまずやるべきことは
目が眩むような激しい光が消えると、そこは――
「うわああああぁ。母さん、すっごく広いね!」
「空気が美味しいねぇ。故郷を思い出すよ」
大草原だった。膝下ぐらいの長さまで伸びた雑草が緑の絨毯となって地面を覆っている。空は雲一つない晴天。温かい日差しが降り注いているわ。
気温から推測する感じだと、異世界の季節は春かしら。四季があればの話だけど。
右の方角には巨大な山々がそびえ立っている。ここからだとかなり距離があるみたい。左手には草原が続いているけど、一部分だけ草のない地肌が剥き出しの場所があるわね。
「あれって、道かな?」
「そうみたいね翔ちゃん」
地面が露出しているだけで整備もされていない道のようだけど、真っ直ぐに伸びている。その先には何も見えない。でも、きっと町や村がある筈よね。
草原の周辺には今のところ何もいないみたい。大きな岩が、幾つか転がっているぐらいで見通しはよい。不意打ちは受けにくいけど、何かに発見される確率も高いってことよね。
「まずは、道の脇に行ってみんか。屋根だけだが人の手が加わっている。おそらく、旅人の休憩所のような場所ではないかのう」
お婆ちゃんの指し示す方向には、確かに木製の屋根が見える。といっても真っ直ぐ伸びた丸太に木製の笠を取り付けただけのシンプルな構造だけど、無いよりましよね。
「そうね、そうしましょう。じゃあ、周囲に注意しながら出発よ!」
「はーい!」
翔ちゃんは元気良く手を上げると、スキップでもしそうなぐらい嬉しそうに駆けている。あれで警戒しているつもりなのかしら、まったく。
お婆ちゃんはしっかりとした足取りで少し離れた後方から追いかけてきている。以前とは比べものにならない機敏な歩き方ね。
「やはり、20歳若返っているというのは嘘ではなさそうだねぇ。今なら走ることも容易にこなせる。だから、心配しなさんな」
「顔に出てた? それが本当なら、天伊子さんには感謝しないと」
お婆ちゃんはこっちの心を読んでいるようなタイミングで話しかけてくるから……あれ、そういえばお婆ちゃんって能力、じゃなかったわ、加護の力で心が読めるのだったわね。
「そういうことだよ」
あら、やだ。これからはお婆ちゃんに隠し事ができないわ。
「何しているのお母さん、お婆ちゃん。早く、早く!」
元気良く手を振る翔ちゃんに促され、私たちは速足で追いかけた。お婆ちゃんは苦も無くついて来ている。体が若返ったというのは嘘じゃないみたいね。
「いっちばーーん!」
先に休憩所らしき場所に着いた翔ちゃんが、人差し指をピンと立てて胸を張っているわ。もう、そんなところも可愛らしいんだから。
「お婆が二番やね」
いつの間に追い抜かれたのかしら。お婆ちゃんが翔ちゃんの横に並んでいる。私も遅れて合流すると、家族の顔を見回した。
みんな元気で体調も悪くないみたいね。じゃあ、ここから何をすべきか目的を決めないと。でも、まずはこっちが優先よね。
「翔ちゃん。遠足や旅行に行く前の日は何をしますか?」
「ご飯をいーっぱい食べて、いっっぱい寝ます。あと、明日の準備と確認!」
「はい、よくできました。じゃあ、ランドセル地面に置いて、中身の確認をしましょう」
緑色のランドセルのカバーを上げると、中には暗黒の空間!?
中身が全く見えないわ。この中に手を入れて物を出さないと駄目なのよね。正直ちょっと気持ち悪いけど、こういうのは私の役目。オカマは度胸よっ!
勢い良く手を突っ込むと、肘ぐらいまであっさり鞄の中に吸い込まれていった。
な、何とも言えない感覚ね。温かくもなくて冷たくもない、何もないようで何かに包まれているかのような。
「お母さん大丈夫?」
「余裕よっ。さーて、中身取り出すわよ」
ええと確か取り出したい物を頭に思い浮かべて、引っこ抜くだったかしら。異世界転移直前に使い方を頭に叩き込んでくれたみたいね。説明を受けていないのに、扱い方が理解できているわ。
あっ、でも私中身は食料一週間分と必要最低限の道具としか聞いてなかったわ。じゃあ、全部取り出してみようかしら。
口に出さず、心で全部の荷物が出るように念じると、手に何かを掴んだ感触があった。
「一気に引きずり出すわよ」
宣告しておいてから、腕を引っ張り出す。
するとランドセルから少し離れた位置に飛び出した、肉や魚介、みずみずしい野菜と米。調味料一式が山盛りになっている。
「なんとっ、一週間どころか、一ヶ月持ちそうな気がするのう」
「お婆ちゃん、私も同意見よ」
「あ、お菓子もいっぱいある!」
駄菓子からポテトチップス、その他もろもろの和洋取り揃えたお菓子が、上部を解放した段ボールに満載。天伊子さん……これ、急遽追加したでしょ……。
それだけにはとどまらず、調理用具。テントや寝袋等のキャンプ用品まで揃っている。あら、虫よけスプレーまであるわ。救急箱もあるのね。
天伊子さんの過剰なお土産に、嬉しさを通り越してしまい、頬が引きつっている。
「しかし、あれだねぇ。そのランドセルの十倍どころか、もっと収納能力がないと、おかしくないかい」
「確かに」
容量もかなり増えていると考えて良さそう。ここまで過剰なサービスをしてもらえるとは、翔ちゃんの魅力恐るべしね。
「これで暫くご飯の心配はいらないね!」
翔ちゃんの屈託のない笑顔を見ていると、天伊子さんの気持ちが理解できてしまうわ。
全員で出した荷物をランドセルへ戻すと、全ての物が何の問題もなく収納されていった。この目で確かめても、この収納スペースには驚かずにはいられない。
「お母さん、次何するの」
「そうね、じゃあ加護の発動やっておきましょうか。能力を事前に知っておかないと、いざという時に困るから」
「誰からする? 誰からする?」
まったくこの子は。自分の加護を試したくて仕方がないくせに、我慢して私たちの意見を待っているわね。こういう時ぐらい素直に欲望を出してもいいのに。
「じゃあ、誰からいこうかしらねぇー、私かなー、お婆ちゃんかなー」
「ど、どっちがいいかな」
まあ、そんな翔ちゃんをからかって楽しむ私も、どうかと思うけどね。
目がキョロキョロと落ち着かないわよ翔ちゃん。
「大や。そういうのはもう少し落ち着いてから、たっぷりやるがええ」
っと、そうだったわ。ここは何が起こるかわからない異世界。からかうのも程々にしないと。
「よっし、じゃあ翔ちゃんのから順番に試しましょうか」
「えっ、いいの! やったー!」
このまま無邪気に喜ぶ翔ちゃんをずっと眺めていたいけど、我慢我慢。
翔ちゃんの加護は『年上からモテまくる』『マルチタスク』『どんな姿にでもなれる変身能力』『霊体化』だったわよね。モテる加護は無視して『マルチタスク』から検証しましょうか。
「確か、マルチタスクって同時に考えたり行動できることだったわよね。翔ちゃん使い方って何となくわかったりする?」
「う、うーん、わかんない」
「意味的には並列処理ってことかしら。何かをしながら、同時にってことだから……お婆ちゃんと私が同時に問題を出すから、考えてみてくれる?」
「うん、やってみる」
お婆ちゃんと何を言うか打ち合わせをして、同時に問題を出してみる。
「お母さんとお婆ちゃんの誕生日の数字を全部足した数字は」「これで、お手玉してみい」
私が問題を出すと同時に、さっき出した食料の中から取り出しておいたジャガイモを三つ翔ちゃんに投げ渡した。
翔ちゃんはお婆ちゃん子だけあって、お手玉や竹馬といった古い遊びが結構得意。だから、お手玉三つも何とかできるのだけど、かなり集中してやらないと無理だから、計算なんて同時には無理。
「あ、うん、よっ、ほっ、48かなっ、んっ」
お手玉を継続したまま、計算も間違っていないわ。それどころか、いつもより計算が早いぐらいよ。なるほど、こんな感じなのね。極めると面白いことに成りそうな加護。
「翔ちゃんもういいわよ。じゃあ次に変身能力やってみましょうか」
「はーーい!」
いつもより返事が大きいわ。ずっと変身を楽しみにしていたみたいね。
「じゃあ、覆面ライダー、トレインになるね!」
それって、翔ちゃんが一番好きな覆面ライダーよね。前々シリーズの主人公だったかしら。電車をモチーフにした一風変わった主人公で、良くも悪くも話題になったキャラね。
「あ、服が破れたら嫌だから」
パーカーと半ズボンを脱いだわ。天伊子さんからもらったライダースーツは脱がないみたい。あれは伸縮自在って話だったから大丈夫よね、きっと。
「Please stay behind the yellow line アライバルッ!」
変身台詞の英語だけ発音が流暢なのよね。翔ちゃんも完璧に覚えてしまっているわ。
駅員さんが扉を閉める前の確認の動作を、大袈裟に真似る変身ポーズも完璧。さあ、ここから……えっ、翔ちゃんの体が歪に変化していくわ……だ、大丈夫なのかしら。
駅員さんの制服の色合いを派手にして、新幹線を正面から見たような覆面を被り、電車のパーツをそこら中に貼り付けた姿へと翔ちゃんが変貌した。
あの貰ったスーツは何処にも見当たらないということは、服も一緒に変身したということよね。
「うわああ……お母さん、本当に覆面ライダートレインになれたよ!」
「あれまあ、凄いもんやね」
ここまで精密に姿を真似られるのね。そっくりというか、そのままね。サイズは翔ちゃんと一緒なことを除けばだけど。
「翔ちゃん、違和感……おかしなところとかない? 痛いとか、気持ち悪いとか」
「全然平気。いつもとおんなじだよ!」
「ちょっと触らせてね」
形は確かに覆面ライダーだけど、肌触りはあの貰った全身スーツね。普通の服を着たままだと、体のサイズが合わなくなって破れたり脱げたりするのかしら。
「一度、元に戻ってくれる」
「うん」
あっさり、普通に戻れたわね。全身スーツが破れたりもしていない。
そこから、何回か検証してみてわかったことは、普通の服は変身した時に一緒に変化はしない。この貰った全身スーツのみが適用されているということ。
天伊子さん、翔ちゃんに甘すぎじゃないかしら。私としてはありがたいけど。
「変身はこれで充分ね。じゃあ次に霊体化やってみましょう。翔ちゃん疲れてない?」
「ちょっとだけ疲れたけど、大丈夫! 次やろうよ!」
変身すると少し体力を消耗するみたいね。見た感じまだ元気いっぱいだから、もう少し続けさせてもらいましょう。厳しいようだけど、最優先事項はこっちだから。
「じゃあ、使ってみるね……えいっ!」
あっ、翔ちゃんの体が徐々に透けて、後ろの風景が見える様になってきたわ。そして、すっとその姿が完全に消滅した。
「しょ、翔ちゃん!? ちゃんとそこにいるのっ!?」
「いるよー。何かね体が少し地面から浮いていて、ふわふわして楽しいよ!」
こっちからは全く見えなくなるのね、いい意味での誤算だったわ。これなら、窮地に陥っても翔ちゃんだけ逃げられる。
「お母さんに触ったり、物に触ったりはできない?」
「無理みたい。手がねすーっと通り抜けるよ。あっ、体ごと通り抜けた!」
声さえ出さなければ、完全に姿を消せるのね。
「疲れたりしてない?」
「変身より楽だよー。これならずっと霊体化できるかも」
霊体化は一番有能な加護みたい。あとは霊体へダメージを与える方法がなければ完璧なのだけど。異世界には神聖魔法とか聖属性とかありそうよね。如何にも、霊やアンデットに効きそうな。
それにさえ気を付ければ、翔ちゃんの安全は確保されるわ。
「じゃあ、翔ちゃん霊体化といてね。次はお母さんがしましょうか」
お婆ちゃんの加護はちょっと問題がある能力が潜んでいるから、一番後回しにした方がいいわね。よーし、お母さんの能力、翔ちゃんに見せつけちゃうぞ。




