異世界転移への準備
「時間ですが大丈夫でしょうか」
家族会議が終わると同時に、姿を消していた天伊子さんが現れた。
ここからが運に頼らない本当の勝負よ。
「異世界の説明は多く語ることが出来ません。転移する場所も不明です。事前に話していた通り、三人全員同じ場所に転移させてもらいますが」
「あの、お姉ちゃん質問いいですか?」
「何ですか、翔様」
やっぱり、翔ちゃんへの対応が優しいわね。頑張って翔ちゃん、失敗しても構わないから。
「ええと、食料とか道具とかは何もないのですか? ゲームとかだと初めは薬草とか道具袋とか装備とか、妖クエとかそうだったから」
「異世界転移はゲームではないので、残念ながら」
本当に申し訳そうな表情で翔ちゃんを見ているわ。
ちょっと良心が疼くけど、これも家族が生き延びる為。
「そうだよね。ワガママ言ってごめんなさい。むこうは、お菓子もないんだよね……大丈夫かな、お母さん」
「そうね、私は幾らでも我慢できるけど。翔ちゃんは食料も水もない状態で異世界に行ったら、お腹すくかもしれないわね。武器と防具が無いと魔物と会った時危ないから、翔ちゃんとお婆ちゃんはちゃんと隠れているのよ」
「ダメだよ、僕も戦う! 僕だって能力あるんだし」
「お婆も何とかやってみせ……ごほごほっ、はあはあ、やってみるかのう」
「大丈夫、お婆ちゃん?」
お婆ちゃんが咳き込み、翔ちゃんが背中を優しく撫でているわ。
その姿を天伊子さんは落ち着かない感じで見ているわね……もう一押しかしら。
「どんなことがあっても、翔ちゃんは翔ちゃんだけは、守ってみせるわ!」
「お婆の少ない命、翔の為に使ってみせよう」
「お母さん、お婆ちゃんっ!」
家族三人が肩を寄せ合い抱き合ってみせる。お婆ちゃんは見事な演技力ね。翔ちゃんなんて芝居を忘れて、感情移入しているわよね。
「そ、そうでした。私としたことが、説明不足でしたね。転移する者にはある程度のアイテムを持たすのが決まりでした」
よし、きたわ。翔ちゃんの魅力により、強制的な申し出ではなく、あくまで相手の譲歩を求める作戦。何故かわからないけど、翔ちゃんの『年上からモテまくる』だけは発動しているようだから、この能力を利用しない手は無い。
「えっ、本当に! ありがとう、お姉ちゃん。大好きっ!」
くううぅ、我が息子ながら、屈託のないまるで太陽のように輝く笑顔なの。そんな表情されたら、誰だって速攻で墜ちるわ。
翔ちゃんは素でやっているのだけど、嬉しさのあまり天伊子さんに抱き付いているわね。あのとろけそうな……完全に魅了された雌の顔よ!
「だ、大好き……あ、ごほんっ。翔様、今からアイテムの説明をしますね」
「うん! あ、ごめんなさい。抱き付いちゃって」
翔ちゃんが照れたように頭を掻きながら離れていくと、天伊子さんが名残惜しそうにその手を伸ばしかけたが、慌てて引っ込めた。
わかるわー、わかるわよ。翔ちゃんぎゅーっとずっと抱きしめたいわよね、うんうん。
「では、アイテムなのですが、まずはこの品。魔法の鞄を提供します」
革製の背負い袋……というよりは、これってランドセルに似ているわね。色は緑色だけど、最近のランドセルは様々な色があるから、凄く珍しいって程でもない。
「この魔法の鞄は見た目の十倍以上モノが入ります。それだけではなく、入れた物の重さを一切感じません。あと、既に携帯用の食料と最低限必要な道具を一週間分入れておきましたので」
至れり尽くせりね。ランドセル十個分も物が入るなら、かなりのものよ。それでいて重さも感じないなんて、想像以上の物を提供してもらえたわ。
「うわああ、ねえねえ、これ背負っていい?」
「はい、どうぞ――お似合いですよ」
背中を向けた翔ちゃんに天伊子さんが魔法のランドセルを背負わせた。この魔法の鞄のデザインって絶対に天伊子さんの独断よね。荷物運びという役割を与えられたから、翔ちゃんも役に立っていると思えるから喜ぶだろうと、そこまで考えていてくれてそう。
「あ、これを忘れていました。はい、この水筒もどうぞ」
「水筒もくれるの。ありがとう!」
首にかけてもらったのは、同じく緑色の良くある長くて細いタイプの水筒だった。
完全に小学校へ行く前の格好よね、これ。
「この水筒は冷たい水でも温かいお湯でも、好きに出すことができます。おまけに、どれだけ使っても水がなくなることがありません。その代わり少し疲れますが」
また凄い物を貰ったわね。これで、水の心配はしなくて済むわね。食料も一週間分あれば、何とかなるでしょう。節約すればもっともつかもしれないし。
「あとは、そうですね翔様には、この鎧も渡しておきますね」
そういって何もない空間から突如現れたのは、全身を覆うタイプの鎧――というよりは、ライダースーツのような代物ね。この人、緑色が好きなのかしら、全身緑で肘と膝と肩、胸にプロテクターがはめ込まれている。
「体の形に応じてこの鎧も変形しますので、これを着たまま変身の能力を使っても大丈夫ですよ。その服の下にでも着込んでいてくださいね」
「うわあー、カッコイイ! 覆面ライダーみたいだ!」
ライダースーツを掴んだまま、ピョンピョン跳ねている翔ちゃんは、まさに天使!
「天伊子さんと大は同じような顔しておるよ」
はっ、お婆ちゃんのぼそっと呟くような指摘で、ちょっと我を取り戻せたわ。
じゅるっ、涎を拭っておこう。
「でも、僕ばっかりいいのかな。お母さんやお婆ちゃんは貰えませんか?」
でた、翔ちゃんの上目づかい攻撃!
潤んだ瞳で見つめられたらどんな堅物な人間でも、一瞬で陥落する必殺技よっ。それが能力の影響で更に強化されていたら、その威力はどうなるというのっ!
「あ、あ、あ、あ、あ、そ、そ、そうですね。もちろん、ありますよ。那賀様にはこのローブを」
そういって再び何もない空間から引っ張り出されたのは、フード付きの外套……ローブよね?
渋めの藍色がベースになっていて、手首やフードの縁だけは鮮やかな赤色をしている。これお婆ちゃんが着たら、本格的な方の魔女のコスプレが完成するわ。
「このローブは『潤いのローブ』といいます。これを着こむと、温度が一定保たれますので、寒い場所でも熱い場所でも快適に過ごせます。あと、着ている間は身体能力が20歳若返ります。80歳とのことなので、60歳代の力ですが発揮することができます」
これもまた、とんでもない逸品ね。お婆ちゃんの体調を気遣ってくれているのが、凄くありがたいわ。温度調整もかなりの優れものだけど、それよりも20歳若返る効果よね。
私が着こむと翔ちゃんと同じぐらいの年齢まで能力が若返るから、寧ろ弱体化するだけだけど、お婆ちゃんにとっては革命的な変化よ。
天伊子ちゃんは60歳ぐらいなら、私たちの邪魔にあまりならないようにと調整してくれたのだろうけど……まあ、それは後で確かめておかないとね。
「ほう、これはありがたいねぇ。大切に使わせてもらいますよ」
潤いのローブを受け取ったお婆ちゃんが、上から羽織る。うん、見事なまでに童話に出てくる邪悪な魔女ね。
「最後に、大様にはこの手甲と脚甲を渡しておきますね」
手渡されたのは薄い桃色をしていた。
手甲は肘の少し後ろまで覆うタイプね。指は関節ごとに小さな突起があるわ。これで殴ったら痛そう……肘もカバーしてくれているから肘打ちも強化される訳ね。
前腕部分には巨大な鱗のようなモノが縦に並んでいるけど、これってよく見るとハート形している。良いセンスしているわ。
脚甲は膝まで達している。同じくハート形の鱗のようなモノが、足のすねを守ってくれている。靴紐がないようだけど、足のサイズは大丈夫なのかしら。
「大きさは履いた人に自動調節されますので、ご安心ください」
疑問が顔に出ちゃっていたかしら。無用の心配だったようね。
思ったよりも上手くいきすぎて怖いぐらいだけど、貰えるものはありがたく頂戴しておかないと。明るくは振舞っているけど、翔ちゃんもお婆ちゃんも、不安があって当然だわ。
初めての海外旅行に行くだけでも、何かと心配したり不安になったりするものよ。それが異世界で地球の常識が通じないかもしれない場所となれば――私がしっかりしないと。
「これで全てになります。皆様、準備は終わりましたでしょうか」
「ええ、手甲も脚甲もバッチリよ」
「うん、貰った服もちゃんと着れたし、ランドセルも背負いました!」
「お婆もオーケーだよ」
翔ちゃんはいつも格好の下に緑色の全身タイツを装着している感じね。冬場に学校へ行く格好に見えるけど、その能力は神見習いのお墨付きだから、大丈夫。
お婆ちゃんは、あのローブを羽織ってから体の調子がかなりいいわね。
天伊子さんにはわからないようにだけど、自分の体が何処まで動くようになったのか、いつもより機敏な動きで、一歩一歩確かめるように歩いているわ。
私の手甲、脚甲はオーダーメイドで作られたかのように、肌に張り付いている。かなり軽い物質で出来ているのかしら、全く違和感がない。足なんてさっきまで履いていた靴より動きやすいぐらい。
「皆様、特に翔様の活躍を期待しています。異世界での出来事には私は関与を禁じられていますので、どのような苦境に陥ろうとも、助けはないと思っていてください。それでは、良き異世界生活を」
そう言って微笑む天伊子さんに見守られながら、私たちは異世界へ家族ごと旅立つことになった。