食前の運動
目が覚めると眼前に鍋だった。
顔が熱いと思ったら、鍋から立ち昇る蒸気が当たっていたのね。
え、ええと、今の状態は……空は明るいから朝がきた。私は相変わらず檻の中。
王座の前に設置された大鍋にはお湯が満載で、ぐつぐつと煮えたぎっている。私を茹でる準備万端なんだ。結局、料理方法は茹でるで決定したのね。
死が目前に迫っているのに、意外と冷静。ここまで窮地に陥ると腹をくくれるみたい。
門に門番が三匹いるだけで、他の化け物は全てこの場にいる。逃げ道なんて何処にも存在していない。
パジャマのズボンはちゃんとある。気を失う前に着られたのね、そこは安心したわ。寝ている間に悪戯された痕跡もないみたいだから、私の捨てたくても捨てられなかった貞操は未だに守れている。
こんなところで失ったら、最悪の初体験になるところだった。
体の疲労感は全くと言っていいぐらいにない。むしろ、寝起きなのにいつもより元気なぐらい。消耗した体力や精神力は寝れば回復する程度か。この情報を今後に活かせなさそうだけど、一応覚えておこうかな。
周りの化け物たちはかなり腹を空かせているみたいで、私が煮られるのを今や遅しと待ち構えている。美味しく頂かれるのは確かだろうけど、全くもって嬉しくない。
ああ、親玉が立ち上がったわ。手に大きな鉈のような物を手にしている。あれで、私を食べやすい手頃な大きさに分断する気なのかな。
短い人生……一応、三十路手前までは生きたからそれなりなのかしら。それでも、ここで死ぬのは悔し過ぎる。異世界に転移してこれからだって言うのに。
親玉があの鉈を振りかざしている。あれが叩きつけられて私は命を落とすのね。
って、冷静にいられるわけないでしょ!
いや、そんなの、受け入れられない!
加護の力を利用して異世界を満喫するんだから!
この分裂を育て上げれば、逆ハーレムを構成しても全員と仲良くすることも可能な筈!
私の欲望をこんなところで終わらせてなるものですかっ!
鉈が振り下ろされる直前、私は来ていたパジャマを脱ぎ捨てると、檻の一番奥まで飛び退いた。
予め檻の前方にいたので、そこへ振り下ろされた鉈は檻を破壊はしたが、私には届いていない。
パンツ一枚という格好だが、化け物相手に恥ずかしがる必要は皆無よ。肌の殆どを露出したことにより、身体能力が飛躍的に向上しているのがわかる。
今ならやれる筈。
いきなり服を脱ぎだして、攻撃を避けた私を見て呆気にとられている化け物たち。この隙を逃すわけにはいかないわ!
私は破壊された檻から飛び出し、一目散に逃げるのではなく――化け物の親玉へ突っ込んだ。
この動きは相手の意表を突いたようで、親玉が無防備な姿を晒している。地面に突き刺さった鉈を握っている手に触れると『分裂』を発動させる!
そう『分裂』を自分に使うのではなく、親玉を分裂させたのだ。
親玉の姿がぶれたかと思うと、すっと隣に全く同じ姿をした筋骨隆々の化け物が現れた。
「キサマ何者ダッ!」「キサマ何者ダッ!」
上手くいったわ。親玉同士が睨み合って、お互いを牽制している。
周りの化け物たちも状況についていけず、軽い混乱状態に陥っているわね。
先手必勝とばかりに、二匹が同時に鉈を振り下ろしたけど、刃同士がぶつかり大きく弾かれている。
私は、その光景をチラチラと背後を振り返りながら確認はしているけど、もうその場にはいない。現在脱ぎ捨てたパジャマを拾って小脇に抱えたまま、丸太の壁に向かって爆走中だから。
逃げた私に気づいた化け物もいたけど、それどころじゃない。
「オマエラ コノ侵入者ヲ 殺セ!」「オマエラ コノ侵入者ヲ 殺セ!」
どちらの命令を聞けばいいのか戸惑っている。見た目に違いが無い二匹なのだから、区別がつくわけがない。
自分が生み出した分裂した親玉だけど、操れるわけでもなく勝手に動いている。これで、支配権がこっちにあれば、色々と楽しめたかもしれないけど、贅沢は敵よ。今は逃げることだけ考えないと。
背後から金属同士がぶつかる音が何度も響いてくる。化け物共の叫ぶ声も聞こえているのは、戦いに巻き込まれたのか悲鳴なのか、私には判断が付かない。
体から力が抜けていく感じが持続しているのは、あの分裂した親玉のせいよね。力尽きる前に、ここからおさらばよ!
丸太の壁まで辿り着くと、膝を曲げて力を溜めてから一気に跳んだ。
自分の身長を超える高さの丸太をあっさりと飛び越えると、壁の向こう側へと着地する。
よっし、まずは集落からの脱出を達成。もうちょっと、分裂したのを暴れさせておきたいけど、また力尽きて動けなくなったら意味がないわ。
『分裂』の発動を止めると、力の抜けていく感覚が無くなった。
やっぱり『分裂』の消耗が激しいだけで『脱げば脱ぐほど強くなる』の能力は持続していても、大丈夫みたい。
丸太の向こう側の喧騒が止んでいる。とっととずらからないと。
「何処ニ消エタ! 女モイナイゾ! 探セ!」
親玉の叫ぶ声が聞こえるが、時すでに遅しってやつね。このまま私は逃げさせてもらうわよ!
面白いぐらいに軽くなった体で森の中を駆けまわり、雑草の生えた地面を素足で踏みしめる。普通なら足の裏が痛くて歩くのも辛い筈なのに、まるで砂浜を歩いているかのよう。痛いどころか感触が気持ちいいぐらい。
「ナッ、朝食ガナゼ」
不快な声がしたかと思うと、大木の裏から突然、緑の化け物が現れたことに驚き、立ち止まってしまう。
疾走する気持ち良さに油断しすぎていたみたい。化け物への警戒が薄れていたわ。
外に出ていたモノもいたのね。先端が鋭い棒のようなものを握っているけど……相手は一匹。もしかして、やれない?
いつもなら戦うなんて気すら起こらないけど、今なら勝てる気がする。
自分でも好戦的になっているのがわかる。内部から炎が燃え上っているかのように、体が火照るのだ。これも『脱げば脱ぐほど強くなる』の効果なのかもしれない。
「白イ肌、ウマソウダ」
人の裸を見て何、涎垂らしているのよ。気持ち悪いわね。
パンツだけど化け物相手だから恥ずかしくないもん!
羞恥心を押し殺し、私は漫画の見よう見まねで構えをとる。確か、半身をずらして片腕を軽く上げる感じよね。
格闘漫画の主人公がこんな感じだった筈。
「オマエ、アレダナ」
「な、なによ」
こいつ私の体をジロジロ見て……はっ、この流れ知っているわ。薄い本でありがちな、女の体を力尽くで蹂躙するエロ魔物!
そういや、何処となくエロい顔しているし、ゴブリンっぽい。こういう場面の定番はゴブリンかオークって決まっているもの。
「ソンナ格好デ、恥ズカシクナイノカ?」
「腰巻だけのあんたに言われたくないわああああっ!」
怒りの余り思わず顔面に、跳び蹴りを喰らわせてしまった。
あっ、化け物の顔が爆ぜて血を撒き散らかしている。うわっ、返り血を浴びないように離れないと。
でも、正直驚いたわ。5メートル以上離れていたのに、一足飛びで相手の顔面を蹴り抜けるなんて。私ってパンツ一丁になったら無双できるんじゃないの。
垂直跳びも3メートルは楽勝だし、身体能力何倍に跳ね上がっているのよ。酷い加護を取ったと思ったけど、実はこれって最強の加護なのかも。
でも、よく考えて私。これは露出しないと無理なのよ。どんなに最強の力であれ、人前で戦える能力じゃないわ。魔物相手になら、恥ずかしさも耐えられるけど。
この加護、もっと詳しく調べないと駄目ね。その前にもう少し集落から離れておかないと。
それにしても、化け物の首から上が消滅して、かなりグロテスクな光景を見せつけてくれているけど、何だろう罪悪感もなければ気持ち悪くなったりもしないわね。
私ってもっと小心者の筈なのに……まあ、いっか。
本当は上だけでもパジャマを着て胸を隠したかったけど、今は非常事態。羞恥心より命が優先よ。
私は脱いだパジャマを小脇に抱えながら、森の中を跳ぶように駆け抜けていく。
さっきよりも少し足が速くなった気がするのは、敵を倒したことによりレベルが上がったお蔭かもしれない。
まずは安全な場所を見つけて、ゆっくり眠りたい。最重要課題はそこよね。
はああああ、眼鏡クールや生意気ショタ系にちやほやされるのって何時になるのかな。あー、ツンデレ王子も捨てがたい。
私は全力疾走をしながら、そんなことを考え続けていた。
今日は夕方にもう一話上げます。