異世界転移は突然に
「おめでとうございます。お二人は栄えある異世界転移の権利を手に入れました」
「へ?」
思わず変な声が漏れてしまったが、ここは何処だ。
周囲を見回すと、窓が一切ない。広さはちょっと大きめの会議室ぐらいか。
床は一見木目調のフローリングに見えるが、これは塩化ビニル樹脂製だな。足裏の感触が木とは違う。
ビルの一室っぽいところにパイプ椅子があって、俺はそこに座っている。正面には長机があり、それを挟んで女性が突っ立っている。
俺は、何故こんな場所にいるのだ。
それに、この女性は何を口走って言っている。地味な色合いのスーツを着込んだ生真面目そうな女性だというのに。
よくもまあ、無表情な顔でくだらない冗談を笑わずに言えるものだ。この女性は、かなり容姿が整っている。一般市民ではなく、役者なのだろう。
切り揃えられた前髪に、結構長い後ろ髪はくくっているみたいだな。まじまじと見てみると、CMやドラマで見かけたことがあるような気がする。
この状況から想像するに、素人を獲物にしたドッキリとかテレビの企画だろう。
「あ、あの意味がわからないのですが」
至近距離から女性の声がしただと……さっき、見回した時は俺とあの女性以外は誰も居なかった筈だ。どうなっている、床下にでも隠していたのか。これだけ大掛かりなことをしているのだ、ないとは言い切れない。
疑問を尽きないが、まずは状況判断が最優先だ。質問の声を上げた隣の女性をまじまじと見つめる。身長は150に届くかどうか。肌荒れもなく童顔だが、実際は三十路二歩手前ぐらいか。
寝起きの状態で連れてこられたのか、ピンクの寝間着姿で髪はボサボサ。そして、縁の細いメガネをしている。化粧どころか眉毛も描いてないから、何というかうちの母親の寝起きを見ているようだ。
顔の造り自体は美人の類いだが、何というか異性としての魅力を感じない。というのは初対面の相手に失礼だな。
「え、あ、ど、どういう状況なのでしょうか!」
隣の女性はここで初めて俺の存在に気づいたのか。目を剥いて迫られても、さっぱりだからな。こっちが知りたいぐらいだ。
「それが、私も覚えていないのですよ。警備の仕事が終わり、家に帰っている途中までは覚えているのですが」
警備員として、とあるビルの深夜警備を担当していた……それは間違いない。そこから、自転車に乗ってコンビニに立ち寄って、日頃は飲まないビールを買った。今度の飲み会用に少しは体を慣らしておく為に。
「そうなのですか。私は仕事が終わって家で寝ていて、目が覚めたらこの状況です」
今更なのだが、この状況、テレビの企画だとしても犯罪行為。
これは、訴えたら確実に勝てるレベルだ。
「あんた、何のつもりだ。どうせ、くだらないバラエティーの企画だろうが、こんなことをして許されると思っているのか。これは立派な犯罪だぞ」
自分の厳つさを理解した上で、威圧的な態度を取る。
うちの警備会社は時に要人警護も担当することがあり、俺はそこの部署に所属している。その為、体は常に鍛えていてそれなりに自信がある。身長も185を超えているので、すごむだけでかなり迫力があるらしい。
俺の威圧に対し、無表情に近かった黒髪の女性は微かに口元を綻ばせた。
「威勢の良いお方ですね。残念ながらテレビの企画ではありません。先程も申しましたように、貴方たちは人間の中からランダムで選ばれた、異世界へ転移する権利を得た幸運の持ち主なのです」
ほう、怯えるどころか笑みを見せつけた。
おまけに、訳のわからないことを再び口にしている。
「異世界転移だと、ふざけるのも大概にしろ! 俺は兎も角、この女性を寝た状態で連れてきたのが許せん! これは誘拐だぞ、それも無防備な女性を!」
俺だけなら笑い飛ばしても良かったが、眼鏡の女性は本気で怯えている。一番安心できる場所である家の寝床から、こんな場所へ連れてこられたのだ、その不安は計り知れないだろう。
本当は相手の女性に対して高圧的な態度はとりたくないのだが、事が事だ。甘い顔を見せてはいけない。それに俺が激昂したふりをすることにより、この女性が冷静になるという効果を期待している。
他人のふり見て我がふり直せというやつだ。少し違うか。
「憤りはごもっともです。この状況を一発で把握して素直に従う方がおかしいですからね。毎回、ここで長々と説明をするのですが、一番簡潔な方法をとらせてもらいます」
スーツ姿の女性がすっと右手を上げると、室内の壁が――消え失せただと!?
壁と天井が消滅して、周囲は膝上ぐらいまでの長さがある雑草が生えた草原。空からは燦々と降り注ぐ太陽。
「えっ、はっ、うそっ……」
「トリックでは……ないか」
吹き付ける風に青臭い草の香りがする。いや、これなら、ビルの一室のセットを草原に運び、そこに俺たちを押し込んだごいう可能性も。
「キュルルルルルゥゥゥ」
何だ、この奇声は! 今のは頭上からか!
慌てて空を見上げると、首が二つある巨大な鳩なのだろうかあれは。CGや着ぐるみでは、ないな、あの躍動感は作り物ではあり得ない。
い、いや、でも、しかし……なっ!? 信じられん……。
その光景は驚愕を通り越し、俺の思考回路が煙を上げる寸前だった。その二首の鳩が、更に巨大な羽の生えたトカゲの化け物に捕食された。
俺の目が正常であるなら、あれは俗にいう――ドラゴンという魔物に見える。
「これで納得していただけましたか。これは異世界の映像を見せているだけですが。つまり、貴方たちはこういったファンタジーの世界へ転移する権利を得たのです。あっ、映像を元に戻しますね」
女性が手を下ろすと、またビルの一室へと戻って……こられたのか?
これを見て嘘だという勇気は俺にはない。隣の様子が気になったので視線を向けると、その女性は驚いてはいるようだが、さっきとは違い、その瞳が輝いているように見えた。
それに微かだが微笑んでいないか。こんな意味不明な状況が嬉しいとでも言うのだろうか。
「では、納得いただけたようなので話を戻しますね。私は神見習いとして、異世界転移課に勤める、目神 天伊子と申します」
めがみ てんいこ? いや、それよりも、異世界転移課に神見習いだと言ったな。
さっきまでなら、テレビの企画か狂人の戯言で済ませられた。神見習いを真に受けるわけにはいかないが、何かしらの力を持った存在だと考えた方が身の為かもしれん。
「神の気まぐれにより毎年何人か異世界へ送られる人間を選んでいるのですが、今回はお二人が選ばれたという訳です。何故、異世界に転移させられるのか、それは天界の業務内容の一環だからです。我々、神見習いは異世界へ地球人を送り、そのレポートを書いて神へ提出しなければなりません。できるだけ、面白おかしく」
異世界、業務、神……それだけでも頭が混乱するが、レポート、面白おかしくってなんだ。
「ちょっと待ってくれ。レポートと、面白おかしくってなんだ。あんたは神見習いで、人間である俺より格上の存在かもしれんが、今の言葉聞き捨てならんぞ」
「か、神様にそんな口を聞いたら駄目ですよっ! お、落ち着いてください」
いきり立つ俺の腕に寝巻の女性がしがみついている……すまない、そうだな。俺だけではないのだ。迂闊な行動で相手の機嫌を損ねてしまっては、彼女にも悪影響を与えかねない。芝居のはずが本気になりかけていた、自重しなければ。
「申し訳ない」
それだけ呟くと、俺はパイプ椅子に腰を下ろした。
「怒りも当然だと思います。ですが、話をもう少し聞いてください。転移者を選ぶのはランダムだと申しましたが、詳しく説明しますと数日の内に命を落とすか、既に死んだ方の中から選ばれています。お二人はまだ生きていますが。死ぬ定めである人への救済措置の一つが、この異世界転移なのです」
死が近い人間に選択肢を与えるというのが目的なのか。いや、その前に俺はもうじき死ぬ宿命だったというのか。実感が全くわかないが、あんな仕事をしていたら、いつ死んでもおかしくはないか。
そう考えると、確かに救済措置だと言える。数日の内に死ぬのであれば、異世界とやらに飛ばされるのも悪くないと思ってしまうな。本当の事であるなら。
「異世界へ転移させる業務はかなり古くからしていたのですが、異世界への悪影響を与えないか監視する為に、転移させた担当者はその後も見守りレポートを書くことを義務付けられています。そして、神がその内容をチェックしていたのですが……とある転移者のレポートの内容に神が想像以上にはまってしまいまして。娯楽の一環としての面も持ち合わせるようになったのです……迷惑なことに」
今、ボソッと神に対して悪態を吐いたな。
この人は会社で言うところの平社員か。そして、神というワンマン社長の無理難題に手を焼いていると。そう考えると、一気に天伊子さんのイメージが良くなるが。
「神見習いとしては歯向かうわけにもいきませんし、レポートの内容が神に気に入られると出世も早くなるので、多くの神見習いは躍起になって転移や転生の演出に凝るようになってしまったのです。出来るだけ奇抜で面白い転移、転生は無いかと。そして、神に提出する前に、自分の作品が面白いかどうかを客観的に判断する方法として、同僚たちはレポートを人間界の素人小説サイトに投稿するようになってしまいました」
はあ? ど、どういうことだ。俺の頭では理解しきれないぞ。つまり、異世界に人を送り込み、それを観察してレポートにする。そして、そのレポートを小説として投稿サイトに書き込み、人間の反応を見ているということなのか。馬鹿な、そんな馬鹿な話――
「もしかして、それって小説家なうろう、というサイトですか!」
寝巻の女性が身を乗り出して質問しているぞ。気弱に見えた人なのだが、何故こんなにも興奮しているのだ。
「良くご存知で。その小説サイトに投稿すると、人々が面白ければ、ポイントを与えるシステムになっているのです。そして、そのポイントが高ければ娯楽作品として優れているという指針になりますので、今、天界ではそのサイトに投稿するのが大ブームとなっています。私もその作者の一人です」
「すまんが、その小説家なうろうというのは、どのようなサイトなのだろうか」
彼女の反応を見る限り、有名なサイトらしいが俺はそういうのがさっぱりなので、詳しそうな彼女に質問してみた。
うおっ、さっきまでの沈んでいた表情が嘘の様に輝いているぞ。
「知らないのですか、あの有名なサイトを! 今やラノベ作家へなる為の一番の早道と言われているぐらいなのに。主にファンタジー作品が人気の誰でも小説が投稿できるサイトの事です。そこでは、読者が気に入った作品にポイントを入れることが出来て、ポイントの上位になった作家の殆どは小説家としてデビューしているのですよ」
ラノベか。俺も中高の頃は結構好きだったが、大人になってからは全く読まなくなってしまった。そういう文化を馬鹿にしているわけではなく、たんに忙しかったというのと、別のことにハマってしまったからなのだが。
そうか、今はそんなところがあるのだな、勉強になった。
「話を続けますね。私も転移者を見世物にするような業務はどうかと思っているのですが、所詮下っ端。何を言ったところで上には届きません。そこで、今は神の評価を得ることに邁進し、いつかそのシステムを自らの手で変えて見せようと誓いました。その為には、神が楽しめるような作品を書き、目に留まることが一番の近道なのです」
この人――いや、神見習いは真面目な人のようだ。怒鳴ってすまなかった。
「そこで、私は全く新しい異世界転移方法を思いつきました。あまりに斬新すぎるので、この方式を受け入れるかどうかは、お二人の判断にお任せします」
そこで言葉を区切った天伊子さんの表情は真剣そのものだ。
俺としては腹をくくった。どうせ死ぬ身であるのなら、未来ある神見習いの話に乗るというのもまた一興だ。
「い、異世界転移が私にも……うふふ。悪役令嬢とかになっちゃったらどうしよう、ふふ」
以外にも彼女は楽しそうだ。悪役令嬢というのが何かはわからないが、この状況をあっさりと受け入れられるとは、見た目に反してかなり豪胆なのだろう。
「では、お二人には読者の皆様から応募いただいた、様々な能力から四つをランダムで選んでもらいます」
「ランダム? 読者というのは、天伊子さんも小説投稿サイトとやらの作者をしているといった話から察して、そこで作品を読んでいる読者の事で間違いないだろうか?」
「はい、その通りです。面白さを追求する為には、読み手の意見が最重要だと判断しまして、皆さんから欲しい能力と欲しくない能力を募集したのですよ」
「あのー、こういうのって、凄く強いチートと呼ばれる有益なスキルを頂けるものではないのですか?」
スキルというのは技能ということだよな。つまり能力ということか。
「普通の在り来たりな展開だとそうなのですが、その場合、特例が無い限り一人につき一つの能力が決まり事なのです。それだと、皆さん選ぶのは似たり寄ったりとなってしまいますし、面白みに欠けてしまいます。だからこその、このシステムです。このランダム要素だと一人四つまで与えていいと、事前に神から許可は頂いています」
ふむ、通常は能力とやらは一つが決まり事なのだが、この場合だと特別に四つも貰えるという訳か。お得ではあるな。
「あ、あの、そのスキルは、見せてもらえるのでしょうか」
「ええ、もちろんですよ。読者の皆様から応募していただいた能力は、これです!」
いつの間にか室内に現れていた巨大なホワイトボードにかかっていた布を、天伊子さんが剥ぎ取ると、そこには無数の能力が書き込まれていた。