白の記憶
お婆ちゃんから、アリセプト――認知症の治療薬を取り上げた。
この薬を取り上げたところで、どの程度効果があるのか、つまり認知症の進行をどれだけ早められるのかはわからない。
ただ、このまま死んでくれればいい、と思った。
幼い頃、交通事故で両親を亡くした私を引き取ってくれたのは、母方の祖父母だった。
祖父母は私のことを孫というよりも、実の子供のように育ててくれた。私は私で、祖父母のことを両親のように思っていたし、慕っていた。
祖父母の家は築五十年以上経っている平屋で、お世辞にもきれいとは言い難かった。自分にあてがわれた部屋も古臭い畳の部屋で、どんな小物を並べてみても『可愛い部屋』には近づけず、思春期には文句を言ってしまったこともある。フローリングの部屋の方がお洒落だ、二階建ての家がいい、お風呂が狭い――。今思えばどうでもいい文句ばかりだけど、お婆ちゃんはいつも真剣に聴いてくれた。お爺ちゃんは私が文句を言うたびに、「まあこれでも食べて落ち着きなさい」とか何とか言っては、自分の好きなミルク味の飴を私によこした。
お爺ちゃんがよく食べていたミルク味の飴は、甘ったるくて、やっぱり古臭くて、でも嫌いじゃなかった。
お爺ちゃんが余命数か月だと宣告された時――私は二十八歳で、八十歳になるお婆ちゃんは『認知症』の診断を受けていた。まだらボケとアルツハイマーを合併している可能性があるとのことで、アリセプトという薬を処方された。
病気にも薬にも疎い私は、まだらボケとアルツハイマーの違いすら理解できなかった。けれど、お婆ちゃんの頭の中から、少しずつ大切な記憶がなくなっているということだけは分かった。そして、いわゆるボケている時、お婆ちゃんは『お婆ちゃん』という人間そのものをなくしているようだった。まるで何かに憑りつかれたかのように深夜に徘徊したり、口内にある食べものをいきなり吐き出したり、私が何を言ってもうわの空だったり。ボケている時のお婆ちゃんを、お婆ちゃんと言えるのかどうか。私には分からなかった。
私が仕事をしていることもあり、お婆ちゃんはデイサービスに通うようになった。私の休日はデイサービスもお休みして、一緒に過ごすようにしていた。
余命宣告されたお爺ちゃんは市民病院の個室に入院していて、身体を動かすことも、食べ物を嚥下することも困難になっていた。固形物を食べるのは難しく、「飴を舐めるところから始めましょう」と言われ、誤嚥しないよう棒付きの飴を選んでは、少しずつ舐める練習をしていた。
「ジュースが飲みたい」とぼやいていたけれど、お爺ちゃんの今の状態じゃ、その夢すら叶えられそうになかった。「ミルクの飴が欲しい」も毎日のように言われたけれど、棒なしのミルク飴は誤嚥する可能性があり、それも叶えられそうにない。もともと小柄だったお爺ちゃんが、ますます小さくなっていく様子は、とても直視できなかった。
お爺ちゃんがミルクの飴を求める度、「元気になったらね」と口癖のように繰り返し、その度に絶望感に襲われた。
お爺ちゃんがゼリーを食べる練習をし、結果的に誤嚥性肺炎になったのは入院して二か月ほど経った頃だった。担当医のスガワラという女は「またですよ」とうんざりした表情をしてみせた。確かにお爺ちゃんは、入院した直後にも肺炎を起こしていた。とはいえ、そんな言い方はないんじゃないか。そう思っても何も言えなかった。他の転院先が見つからなかったからだ。
「まあ、病院に入院されている以上、何もしないってわけにはいかないですしねえ」
――何が楽しいのか、担当医はどこまでも気軽そうな笑顔でそんなことを言った。『どうせ近々死ぬ人間ですけど、まあやることはやってあげますよ』という副音声が聞こえた気さえする。人の死を見届け続けていると、死に関してここまで鈍感になるのだろうか。そう思えるくらい、その担当医にとってお爺ちゃんの命は『軽い』ようだった。
スガワラの判断で、肺炎の治療をしながら、鼻からチューブを通して栄養点滴することが決まった。肺炎で息をするのさえ苦しそうなお爺ちゃんは、もちろん何も食べられない。なのに病室へ行ってみると、ベッドの横に汚い字で『絶食』と書かれた紙がこれ見よがしに貼りつけられていた。スガワラが書いたのだろうか。レッテルを貼られたという言い方は間違えているけれど、少なくとも気分のいいものではなかった。自身の身体を自由に動かせなくなっているお爺ちゃんが、自分で何かを食べるはずがないのに。そう思いながら、ぼんやりとその紙を見つめた。
その時、私と一緒にその紙を見つめていたお婆ちゃんが、『お婆ちゃん』であったのかどうか。私はちゃんと見ていなかったし、今となってはもう分からない。
お婆さんが家に居ません。仕事中そんな電話が入ったのは、その紙を見た翌日だった。私が仕事の日は、デイサービスの方が午前十時頃にお婆ちゃんを迎えに来てくれることになっている。ところが今日迎えに来てみると、お婆ちゃんの姿がどこにも見当たらないのだ、と。玄関の鍵は閉めていかれましたかと訊かれ、「はい」と答えると、「私が着た時には開いていました」という、不安と焦燥の混ざった声が返ってきた。私は仕事を早退し、家へと向かいながらお婆ちゃんを探した。
朝、私が出かける時は若干ボケていたように思う。「行ってくるね」と声をかけても返事はなく、天井の一点を見つめていた。よくあることなので、気にも留めず出掛けてしまったことをひたすら後悔した。けれど、もう遅い。
ボケている老人はどこまでできるのか。玄関の鍵を開けられるのか。自分の意思でどこに行こうとするのか。――あるいは、私が出かけてから一時的に『お婆ちゃん』が戻ってきたとして、お婆ちゃんはどこに出かけようとするのか。あれこれ考えた結果、私は電車に乗り、お爺ちゃんの病院へと向かった。近所の病院ならともかく、お爺ちゃんの入院している市民病院は自宅から電車で二十分、更に駅から歩いて十分はかかる。そんな場所まで、お婆ちゃんが一人で行けるのだろうか。駅を、道を、病院を。覚えている可能性がどの程度なのかも分からない。私がお爺ちゃんの元へ向かったのは、孫ではなく娘としての勘だった。
病院の面会時間は午後からで、それまではロビーで待たされることが多い。清拭中、リハビリ中、施術中など、理由は様々だった。お婆ちゃんが、デイサービスの迎えよりも早く家を出たのなら、午前中に病院に着く可能性が高い。もしかしたら、ロビーに座らされているかもしれない。期待を込めて病院のロビーを探したけれど、お婆ちゃんの姿はなかった。お婆ちゃんがここに来たかどうか受付に確かめると、受付の女性は首を傾げた。
「お婆さんでしたら、先ほど来られましたよ。あとから『娘』も来るんで、と仰っていましたが……」
お婆ちゃんの一人娘――私の母はすでに他界している。だとすれば娘、というのは私の事だろうか。自分が勝手に外出すれば、私が迎えに来ると理解していた? それはボケている? それともボケていない?
私は受付に頭だけ下げると、お爺ちゃんの病室へと向かった。『先ほど』ここに到着したのだとすれば、家からここまで二時間近くかけて来ていることになる。それまでどこかを徘徊していたのか。それとも、ここまでまっすぐ向かったにも関わらず、それだけの時間を費やしたのか。――今更、としか言えないことに頭を回し続けていたのはきっと、この先に待っている現実をなんとなく予期していて、それを私が拒絶していたからだろう。
お爺ちゃんの病室の扉は、開けっ放しだった。走ってきたにもかかわらず、のろのろと中を覗く。真っ先に、お婆ちゃんの曲がった背中が見えた。
「……お婆ちゃん」
声をかけてみる。返事もないし、こちらを振り向こうともしない。ただ一点を、――お爺ちゃんの顔を見つめていた。一歩一歩、ゆっくりと二人に近づく。重い足取りとは対照的に、心臓は早鐘を打ち続けていた。見たくない、――そう思った。
「……いっぱい食べてくれたんだよ」
私が隣に立つと、お婆ちゃんはようやく顔をあげた。舌は回っておらず、目は遠かった。私に話しかけているのかどうかも分からない。ただただニコニコしている。――誰がどう見てもボケているお婆ちゃんは、見覚えのある袋を握りしめていた。
「いっぱい食べてくれたんだ」
そう言って、お爺ちゃんへと視線を戻す。私もお婆ちゃんと一緒に、お爺ちゃんの顔を見た。脚から、腰から、身体から、力が抜けていくのが分かる。立っていられなくなるって、こういうことを指すのか――どこか遠くで、そんなことを考えていた。
お爺ちゃんの口内には、数えきれないくらいの飴が詰め込まれていた。
ずっと食べたいと言っていた、大好きだったミルク味の飴。それを頬張ったお爺ちゃんの顔は苦しそうで、でも何故か安らかにも見えた。顔色は飴と同じくらい白くなっていて、彼がもう『ここにいない』ことは、すぐに分かった。その原因が、衰弱死ではなく窒息死であることも。そしてその窒息死の原因が、――お婆ちゃんが握りしめているミルク味の飴であることも。
一粒一粒、お爺ちゃんの口に飴を入れるお婆ちゃんの様子が目に浮かんだ。私とお婆ちゃんの家に、その飴は置いていなかった。道中、どこかで買ってきたのだ。――お爺ちゃんの、ために。
お婆ちゃんはずっと微笑んでいた。「いっぱい食べれたね」を繰り返した。警察の事情聴取の時も、お葬式の時も、涙一つ見せなかった。ぼんやりと笑って、どこか一点を見つめて、「いっぱい食べれたね」を繰り返しているだけ。認知症が進行しているのは明らかだったし、殺人の罪に問われることもなかった。
『お婆ちゃん』でなくなったお婆ちゃんは、お爺ちゃんの棺の中にも、ミルク味の飴をばら撒いた。「お爺ちゃん、この飴ならいっぱい食べられるからねえ」と言いながら。くしゃくしゃの顔を、さらにくしゃくしゃにして笑って。
――お爺ちゃんが死んだその日、『お婆ちゃん』という人間もまた、いなくなったようだった。
お爺ちゃんが遺体になっても、骨になっても、お墓になっても、お婆ちゃんはその変化に気付いていないようだった。毎日毎日、ミルク味の飴をスーパーで買っては、お爺ちゃんの周りにばら撒いた。まるで、白い花を撒くかのように。
――お婆ちゃん、この飴がお好きなんですね。スーパーの店員にそう言われた時、お婆ちゃんは首を振った。あの日と同じ笑顔で、あの日と同じように飴の袋を握りしめたまま、ふんわりと微笑む。
「私じゃなくてね。お爺ちゃんが、好きなんですよ」
ある日、私はお婆ちゃんから、アリセプト――認知症の治療薬を取り上げた。
この薬を取り上げたところで、どの程度効果があるのか、つまり認知症の進行をどれだけ早められるのかはわからない。
ただ、このまま死んでくれればいい、と思った。
もしも今、『お婆ちゃん』が戻ってきたら――正気に戻ったら。お爺ちゃんの死を、自分のしたことを、事実を知ってしまったらどうなるのか。それが怖かった。
せめて、このままでいてほしかった。『お婆ちゃん』に戻ってほしくなかった。
何も分からないまま、知らないまま、……『お婆ちゃん』は死んだまま。お爺ちゃんのために飴を買い続け、いつか本当に死んでくれたらいいのに。そう思った。
今日もお婆ちゃんは、飴を握りしめてお爺ちゃんの元へと向かう。
今日も私は、お婆ちゃんの薬を握りしめたまま目を閉じる。
――私のこの行為も、殺人と、いえるのだろうか。