彼女が迎えたエピローグ
「長かったなぁ……」
彼は空を見上げながら、感慨深げに呟いた。
こうして何をするでもなく過ごす日を想像していなかった所為で私は反応が遅れて、顔の前で手を振られて気付いたときには彼に笑われていた。
その表情には何処となく陰りがあり、何となくじっと見上げてしまう。
泣いたときに余程強く擦ったのか、彼の目尻はまだ赤かった。
「まだ頭痛いのか? 氷出そうか?」
「ううん。大丈夫。ただ、何だか平和だなって思っていただけだから」
「ああ、平和だな。この空の色も久しぶりすぎて、何だか感覚がおかしい気がする」
彼の手は、平穏を取り戻した証である宝珠を握りしめていた。
その視線は目の前の真新しい墓標を見詰めていて、私も胸元の母の形見であるペンダントを握りしめた。
ここに母によって綺麗に整えられた父を埋葬したのは昨日のことだ。
亡くなった薬師の母と一緒の墓に横たえ、遺品とともに丁重に葬った。
この世界では、高位の貴族でなければ、前世のように決まった葬儀の形式はない。
特にこのような小さな村では、誰かが亡くなったその日は一晩中、送り火を灯す風習はあるものの、葬った後は花を供えて終了だ。
村の方角を見ると、まだ送り火は煙を立てて燃えていた。
公爵が近くの街に置いてきた騎士団が迎えにくるまで、長い雨の間に亡くなった村人達を送るために灯し続けるらしい。
立ち昇る煙を雲に届くまで目で追って、同じように村の方向を見ていた彼を振り返って、私はふと首を傾げた。
「そういえば、私、いつから家に引き籠りっきりになっていたのかしら」
「俺が覚えている限りでは、もう出会った頃から比較的引き籠りだったな」
「それを言うなら、前世の記憶が戻るまで魔力酔いで体調が悪かったから、もっと前からってことになるわね」
「まさか産まれる前からの引き籠り気質か?」
「失礼ね。前世ではちゃんと大学まで卒業して働いていたわよ」
「へぇ。ちなみに前世の御職業は?」
「意地悪な人には教えません」
顔を背けて不機嫌を装えば、彼は適当に謝りながら頭を撫でてきた。
私の機嫌が悪くなったときに頭を撫でてくるのは昔から父も彼も一緒で、何だか撫でるときの手の動かし方やタイミングもいつからか同じになっていた気がするのは気の所為だろうか。
失くしてから気付くものってこういうことなのだろうなと思っていたら、彼に抱き締められた。
「一人で泣かせるのは一度だけだからな。その後は一緒に泣こう」
「……だったら、もう泣かないようにする。貴方って、一度泣いたらなかなか泣き止まないんですって?」
愛情を存分に含んだ甘い声につい可愛くないことを言ってしまう。
せめて、と温かい背に腕を回して彼の服に埋もれながら言うと、彼は短く呻いた。
「それ、あの親父から聞いただろ。無表情と見せかけて、嬉々として俺の恥ずかしい話をリークする器用な姿が目に浮かんだ」
「面白いお父様じゃない。ゲームではあまり出てこなかったし、無表情で冷たい印象しかなかったから、意外すぎて驚いたわ」
「一番驚いているのは俺だよ。王都にいたときは会うの禁止されていたから、あんな性格だとは思わなかった」
「仲が良さそうで何よりよ。私のことも気に掛けてくれて、とても素敵なお父様ね」
「何処が!? と言いたいところだけど、精神年齢的には実は親父よりも大人な俺が素直に感じるところを言えば、あの親父はあの親父で立派な父親だよな。あの七面倒臭い貴族どもから暗殺されかれない俺と母さんを、この十年、遠く離れた場所で守ってきたんだから」
彼はあくまで不本意そうにしているものの、私が二人の姿を見る限りでは、親子関係は良好そうだった。
敵や守る方法は違うが、確かに彼の父親が立場や身分的に生じる確執から、ずっと二人を守ってきたのも事実だ。
すでに国王のサインまで入った公爵家跡継ぎの指名書を見せられたときには、彼も何だかんだで嬉しそうにしていたし。
照れ隠しなのか体重をかけて凭れかかってくる彼を押し戻し、私の視界に戻ってきた丘の風景に何となく寂しさを感じた。
「ねぇ。随分と前にお母さんの命日にくれた花束、あの花って何処に咲いているの?」
魔素の種と彼の魔法の衝突によって吹き飛ばされた村人達の墓標は彼が直したが、咲いていた花は戻ってこない。
また自然に植物の種が根付いて花を咲かせるまで、どれくらいの年月が必要かわからないけれど、綺麗な花があるなら少しでもこの丘に残しておきたかった。
「あー……あれは特別だったから、少し遠い場所になるけど。今から行くか?」
柄にもなく歯切れが悪い彼の心情はわかる。あのときの花束の意図は、私が逸らしたから。
だから、私は今度こそ差し出された彼の手を、ちゃんとその想いごと受け取った。
「引き籠りで周りのことをあまり知らない私だけど、貴方が辿り着く場所に私も連れて行ってくれると嬉しいわ」
いろいろ含んでそう伝えれば、彼は何度か目を瞬いた後で、微笑んで頷いてくれた。
私の指先を唇まで持って行って、触れるだけのキスをして。
「俺の幸いの人。どうか、俺とともに生きる道を選んでいただけませんか?」
これは、ゲームで各キャラの個別エンディングが確定されたときに出てくる質問で。
ゲーム内では選択肢はイエスかノーかの二つだったが、この世界はもう私達にとってゲームではない。
くれるなら、もっとほしい。
シナリオの強制力を危惧して、名前も呼べないほど想いを我慢してきたのは、私だって同じだ。
私はあえて肩をすくめて、どちらでもない返事をした。
「ヒロインでもない私が、この世界じゃ在り来たりなそのプロポーズで、素直に首を縦に振る訳ないでしょう?」
「誘導しておいて言ってくれるよなぁ。じゃあ、こういうのはどうだろう」
急に彼と握っていた手を引き上げられ、頭の後ろに回された手で強引に引き寄せられた。
そのまま唇に何度か噛みつかれて、呼吸まで奪われそうになったところで、目が合った彼に吐息交じりに囁かれた。
「俺が生まれ変わったことに意味があるなら、お前と出会う為だったと生涯思わせてほしい。結婚しよう」
…………。
美形が真顔でそれは反則だろう。
理解と同時に一気に顔に集中した熱を時間差で自覚する。
ニヤリと笑った彼に至近距離で顔を覗きこまれた。
「これならお前は断れないだろう?」
「そもそも私が断る気なんてないことに、もう何年も前からあからさまに気が付いていたくせに。まったく、十五歳のいたいけな少女に容赦ないわね、貴方」
「煽ったのはそっちだろう? まあ、身分とフラグに阻まれて、本格的に兄妹になってしまうっていう懸念事項もなくなったし、これからはそこそこアクセル踏んで行かせてもらうから、覚悟しておくことだな。こういう強引なことをするキャラに心当たりがない訳ではないし?」
すっかり私の好きなキャラの傾向が読まれていることに不服を覚えるが、相手が悪いことに気付く。
何せシナリオが気になるからといって、ほとんどのゲームを実は中途半端放置プレイをしていたらしいエセゲーマーな妹の代わりに、乙女ゲームですら台詞を覚えてしまうほどやり込むような男が相手なのだ。
「そういえば貴方、私との結婚を考えているってことを先にお父様に伝えたでしょう? ウェディングドレスはお父様の瞳の色と貴方の瞳の色、どちらがいいかと聞かれて、普通に前世では白いドレスが憧れだったと答えてしまったわ」
意表返しに伝えると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
変な警告の仕方しやがって、と彼がぼやいていたが、それはこちらの台詞である。
花嫁が纏うウェディングドレスの色は、相手の瞳の色にするというのがこの世界のルールになっている。
これからは公爵家を継ぐものとして、お互いに切磋琢磨しなければ、他の高位貴族に恋人すら無理やり奪われる危険性があるぞ、と。
彼に対しても私に対しても有効なこの遠回しのアドバイスは、公爵は公爵でほとんど接したことのない息子との距離――貴族的なことに関しては特に――を測りかねているところもあるからこその言い回しだと推測されるが、日常会話内だとまるで冗談めいていて、真意を汲むのに頭をフル回転させなければならないところが難点だった。
遠回しすぎて面倒臭いから、早くもっと仲良くなってほしいものだ。
「よし、前言撤回。あのロリコン親父、帰ったら全力で沈める」
「逆に貴方が沈められそうだけど」
「それは言わない約束だぞ、俺の可愛い奥さん」
「できるところまで頑張ってね、私の素敵な旦那様」
お互いに笑い合って、どちらともなく手を強く握った。
二人で両親の墓標に向き直り、私は不思議と一瞬だけ強く吹いた風に流された髪を片手で押さえた。
「……お父さんとお母さん、やっぱり今のやりとり見ていたのかしら?」
「きっと今の風みたいに生ぬるい視線を送っていると思うぞ」
「そう考えると気恥ずかしいを通り越して、開き直りたくなるわね」
「ゲームのときは他人の墓の前でプロポーズなんて何をやってるんだお前らと思ったけど、身内なら報告も兼ねてってことで良いよな?」
「あのヒロインとランスロットのトゥルーエンド確定シーン、リリア側に立ったら文句を言いたくなるわよね。せめてリリアの御墓の前でのプロポーズは避けるべきじゃないかしら、あのお兄様」
「まったくそう思う」
頷く彼の横顔はいかにも憤りたっぷりな様子だったが、でも、長年見てきた切羽詰まったような表情とは違って、柔らかな眼差しをしていた。
その顔にはもう、陰りは消えている。
「ランス」
ゲーム内でも誰も呼んだことのない愛称で彼を呼ぶと、彼がすごい勢いで私にそのアメジスト色の視線を向けた。
「これからもどうかよろしくね」
私が笑いかければ、彼も笑う。どのスチルにもなかった優しい笑顔で。
「ああ、こちらこそ末永くよろしくな。リリア」
繋がった手はいつまでも温かい。
彼と見た絶望に塗れていたはずのこの世界は、今はとても広くて美しかった。