彼の決意
村から太陽が消えてどれくらい経ったのか。
母は倒れ、父は傷だらけで、村には生きている人間は俺達家族しかいなくなっていた。
外を徘徊する魔物は異常な強さとなり、昼夜構わず襲ってきた。
水系統属性の高位魔力保持者である俺の肌まで焼くほどの雨は、もう針のように鋭い。
俺は、まだ魔素の種を見つけられていなかった。
それは、母がまだ魔素の種に狙われる危険性があるということで。
すべてを侵す魔素の雨は止まない。
俺達が帰る家に防御魔法を掛け続ける彼女は、随分前から疲弊していた。
しかし、彼女はいつ倒れてもおかしくないくらいの状態で、それでも諦めず凛と立っていた。
俺達が帰れば温かい家と食事で迎えてくれるし、母が倒れれば何度も薬と治癒魔法で治療していた。
その姿に俺達がどれだけ救われているのか彼女は知らない。
俺も父も母も、人一倍頑張って運命を変えようとしている彼女のためにも諦める訳にはいかなかった。
とうとう村が半壊するほどの嵐が来たその日。
朝から父と荒れ狂う外に出たが、いつも一緒に行動している父が途中で別行動を提案してきた。
「魔素の種はもう近くにあると思うし、別々に探したほうが早いよ」
「でもリリアからも俺からも離れれば、父さんはこの雨粒にもダメージを受けるだろう?」
「僕はリリアの防御魔法が届くこの辺で探すよ。ここでリリアとフィリアさんを守っているから、ランスロット君は街道のほうをよろしくね」
いつもは探さない安全なはずの街道を探せという父の言いたいことはわかる。
すでに行商人によって、この辺一帯の連日の雨と流行病は王都にも伝えられ、オルトランド公爵が向かっている頃だから。
「オルトランド公爵様を迎えに行くんだ。エリクシル剤を早くフィリアさんとリリアの元へ」
「……公爵なんて黙ってても母さんに辿り着く」
「それでも一秒でも早いほうが良いよね? 何よりも、魔法を使い続けて倒れそうなリリアのために」
この父は、狩人らしく勘が鋭かった。
俺自身が彼女に恋愛感情を抱いていることに気付いて打ち明けた頃には、父はとっくの昔に察していたほどに。
「魔素の種を見つけたら、無理はせずに君に知らせに行くから。……頼むよ」
父は苦笑いを浮かべて胸を押さえていた。もう父の限界が近いのだろう。
「……わかった。でも公爵を案内したら、俺はすぐ父さんのところへ戻るからな!」
「聞き分けのない子だね。君が帰る場所は僕の家だよ。僕のところじゃない」
そう言って俺の背を押した父の顔は、深く被ってしまったフードで見えなかったけど、きっといろいろな感情に耐えた表情をしていたのだと思う。
それをわかっているから、俺は振り返らずに全速力で街道方面へと向かった。もう一人の父親を信じて。
オルトランド公爵は、一時間ほど街道を走ったところで見つかった。
ちょうど乗っていた馬が雨でダメになったらしい公爵の腕を引いて、家へと帰り道を急いだ。
ろくに説明もしない俺の様子を最初は訝しんでいた公爵だが、すぐに母の厳しい状態を理解して俺よりも前を走ってくれた。
俺よりも遥かにコントロールの巧い水魔法が毒の雨を退けていく。
――俺は、どうあってもまだ子どもだった。
この父親にも今の父親にも、全然勝てる気がしない。
リリアが苦しんでいることすら、俺は本当の意味で気付けなかった。
父親に彼女の魔力制御回路の状態を指摘されて、実際に床に倒れている彼女を見て、彼女も限界だったと知った。
俺は彼女が魔素と戦い疲れて眠り込んだ後、拳を握りしめて立ち上がった。
「……何処に行く気だ?」
「母さんとリリアを頼みます。父さんがまだ外で戦ってる」
「構わないが、事情はお前も後ですべて話せよ?」
「わかっています。俺だけでは力不足だと痛感したばかりです」
「だったら行って来い。お前の帰りが遅いと、待ちくたびれて私も飛び出すからな」
バサリと自分が着ていた外套を投げつけてくる父親と、心配そうな母に礼をして外に出る。
父親の外套は内側に防御魔法が縫い付けてある最高級品の防具で、嵐すら気にならない代物だった。
(あの親父……さっきは俺のために魔法使って雨を避けてたのか)
思わず舌打ちをしてしまった。
こうまで格の違いを見せつけられたら、もう、尊敬するしかないじゃないか。
奥歯を噛みしめながら、俺はもう一人の尊敬する父の元へと急いだ。
雨のせいで気配は辿れなかったが、父がいる場所は何となく想像がついていた。
公爵を迎えに行く途中、走りながら必死で考えたのだ。
この時期、魔素の種が出現するのは、俺が考えようとしなかっただけで、たぶんリリアも父も気付いている場所だ。
魔素の種にとって苗床候補がたくさんいて、リリアが訓練の中で意地でも防御魔法を届かせた場所――そこに父はいる。
案の定、父は簡素な墓標が並んだ丘に立っていた。
まだ辛うじて立ってはいたが、見えたその背中はボロボロで、胸に何かを抱えているようだった。
「父さん!!」
「……結局、最後は君に頼るしかないみたいだ。頼りなくてごめんね」
振り返った父の腕の中にあったのは、探していた魔素の種だった。
リリアの防御魔法ごと父の皮膚まで食い破り、身体の奥に何本も根を伸ばそうとしている禍々しい紫色の種の姿。
身体の内側を這う根が動く度に痛みが走るのか、父はときどき顔を歪めて小さく呻き声を漏らしていた。
それでも、種を押さえ付けている手は離さそうとはしない。
俺を視界に入れた父は、苦笑いした。
「僕ね、リーナ――リリアの母親を埋葬するとき、魔力のなかったリーナが魔法薬を作るときに使っていた魔道具ごと埋めちゃったんだ。君達の前世で、魔道具を浸食して寄生した魔素の種もあるって話をしていたよね。もしかしてと思って来たら、やっぱり彼女の魔導具を浸食しようとしていたから……どうしても僕はそれが許せなくて」
父の傍には、不自然な円形に掘り起こされた墓があった。
リリアがよく花を添えていた墓標があった場所だ。
今は、墓標まで粉々になっている。魔素の種が、自身の波動で砕いたのだろう。
「僕は君に比べたら弱いけど、村の中で喧嘩には一度も負けたことがなかったんだ。リーナもそんな僕が好きだって言って、一緒になってくれた。僕が負ける訳にはいかないよね」
苦痛の表情を浮かべる父を助けるために踏み込んだが、魔素の種が発した波動に弾かれた。
魔素の種は、いわば高濃度の魔素を固めた物質だ。
だから、生身で近づけないのなら、あとは同じように高濃度の魔力を注ぎ込んだ魔法で介入するしかないのだが、この状況で、高位魔法は攻撃系しか持たない俺がそれをすると、父まで吹き飛ばしてしまいかねなかった。
戸惑う俺に、父はいつものように大丈夫だと笑った。
「僕には魔力制御回路がないから、種の苗床にはなれない。だけど、幸いなことに今なら僕の身体には、種の好きな魔力に似た魔素がたっぷり流れているし、少しの間なら種を誤魔化せるよ。こうして、ここに種のまま押さえていられるんだ」
父に、魔素の種は、魔力があるなら生きた人間にも死んだ人間にも、魔力を生成できるものであれば道具にだって寄生することは話していた。
魔力と魔素が似ている成分であることも、種が魔素を振り撒くのは自身が浸食しやすいようにするためだということも、完全に寄生した後は浄化魔法以外では倒せた事例がないということも。
自分の身体で必死に魔素の種を留めるその父を見て、そのときの自分をこれほど後悔したことはない。
「君にこんなことを言うのは酷だと思うけど……僕がちゃんと押さえているから、浄化魔法以外の方法で種を潰せるか試してくれないか?」
俺は再び強く拳を握った。
魔素の種を根付く前に通常の魔法で潰せるかどうかは、実際にやってみないとわからないと教えたのも俺だ。
何せゲームの中で根付く前の魔素の種と戦った人間はいなかった。
ただ、ゲームの中では、魔素の種を逃がすまいと高位魔力保持者である自分の中に強制的に招き入れたキャラがいた。
魔素の種は、魔素で浸食しづらいから高位魔力保持者を狙わないのが通常だが、そうした異例もある。
俺が魔素でそれほどダメージを受けていないように、高位魔力保持者の身体は純粋な魔力に溢れていて、魔素の種もすぐには浸食できず、そのキャラが関わるルートは、開花が他のキャラより遅く設定されていた。
根付く前の魔素の種を見つけ、倒せなかったなら。
俺がどうするつもりだったか、恐らくリリアなら気付いているだろうが、それを父は知らない。
魔力制御回路を全力で回転させ、魔力を急上昇させて、溢れた魔力を外側に向けて解放する。
――これはエサだ。さあ、こちらに来い。
魔素の種がピタリと父の浸食を止めた。ちゃんと獲物は引っかかったようだ。
その根を父の身体から引き戻し始める種に向かって、もっと魔力を上げる。
「ランスロット君!! ダメだよ、今すぐ回路を閉じるんだ! 種が君に向かおうとしている!」
「大丈夫だよ、父さん。必ず途中で叩き潰すから」
「それだと逃げられるかもしれないし、一度しか試せないじゃないか! 僕ならリリアが掛けてくれた防御魔法もあるから、きっともっと耐えられるよ!!」
「その防御魔法を破られた状態で何言ってるんだよ。それにチャンスは一度だけで十分だ。絶対に成功させる」
溢れた魔力が俺の周りの空間にも作用して軋んだ音を立てる。
「僕は……僕は!! 息子を犠牲にしてまで生き長らえたくない!!」
父の泣き声にも似た叫び声はその中でもよく聞こえた。
でも、それは俺も同じこと。
「俺だって、できれば父さんを犠牲にしたくなんてなかったんだ!!」
「でも、僕はもう限界なんだ!! 自分でもわかっているから!!」
「限界があっても、限界を迎えるまで絶対に死なせない!! 俺は、父さんはちゃんとリリアに最期を見送らせるって決めてるんだ!!」
俺の怒鳴り声に、父はハッとしたように動きを止めた。
「父さんのことを一番必要としてるのはリリアなんだよ。それに母親の最期を看取れなかったこと、リリアはずっと後悔していたから……リリアのためにも、父さんをここで死なせる訳にはいかない。だから、種から手を離してくれないか?」
父はしばらく迷いながら、それでも最後は頷いた。
タイミングは、この父となら合わせられる気がしていた。
俺に幼い頃から、戦い方や魔物狩りの仕方をずっと教えてくれていたのは、この父だから。
複雑な水属性の高位魔法を組み立て、綿密に魔力を巡らせて。
全力で魔法を放った反動で倒れた後、雲の隙間から差し込んだ太陽の一筋は、彼女の髪色に似てとても綺麗だった。