彼の希望は母親で
異変が隠しきれなくなってきたのは、俺が十四歳になった頃だった。
狩りで怪我をする頻度が増えてきた。ここ最近、異常な速度で魔物が強くなってきているのだ。
俺自身は、自分の拙い治癒魔法でも浸透率が高いから、帰る頃には無傷の状態でいられるが、魔力がない父はそうもいかない。
彼女のつくる魔法薬は年々強力になってきているが、それを全部父に使っても傷が隠しきれないレベルになってきた。
彼女は父に治癒魔法をかけて、傷が治る度にホッとしたような顔をする。
それは治ったことに対する安堵より、まだ治せることに安心した顔で。
彼女にそれを聞くと、攻撃魔法の適性のなさを嘆いて、一緒に戦えなくてごめんと謝るだけで、答えてくれはしないけれど。
この世界の魔法には、属性と適性が存在している。
俺は水系統属性に、彼女は支援系属性に適性を持っている。
それぞれの属性以外の魔法が使えない訳ではないが、やはり適性があるのとないのとでは効果が違う。
魔力の配給方法によって適性の枠は大分緩和されるが、俺も彼女も適性のある属性以外を苦手とする内在型だ。
魔力制御回路が自身で魔力をつくれるかつくれないかで、魔法使いは内在型と外部介入型にタイプ分けされる。
内在型は、自身で魔力をつくれる分、純粋な自分の属性に合った魔力を手足を操るかのように扱えるため、適性属性の魔法ならば複雑で強力なものが使える。
外部介入型は、周囲から魔力を取り込んで魔法を使える分、身体疲労は内在型に比べれば少ないし、適性の縛りもあまり受けないが、回路が余程優秀でない限りは低レベルの魔法しか使えない。
しかも外部介入型の場合、周囲に漂う魔力の属性の影響を受けやすいという難点があった。
火事場で水系統魔法は扱いづらいし、水場で火系統魔法は起こしづらい。
彼女と俺は内在型だが、母は外部介入型だった。
周りの魔力を使って魔法を使う母だからこそ、魔力に似た成分である魔素の体内への取り込み率が高くて、いつまた体調を壊すかわからなくて怖い。
母が体調を完全に崩したその日が、この生活が終わるその日なのだから。
「……っ……!」
最近、リリアが夜中に魘されて目を覚ますことが多くなった。
夢に見ているのは、きっと最悪のエンディングだろう。
家に部屋数がないことを建前に隣のベッドで寝ていた俺は、その気配に起きて彼女を抱きしめる。
いつの間にか俺より小さくなった震える身体を、いつの間にか泣きそうなほどか細くなった声を、いつでも変わらず想って伝えるのだ。
「一緒に逃げようか。ヒロインも世界も関係のないところで、二人で暮らそう」
プロポーズにも似たその言葉を彼女が受け入れることがないと知っていながら。何故なら――
「ここでお母様を守れなかったら……魔法学園でヒロインに会えなかったら、いつか貴方が死んじゃうじゃない」
「でも俺達がヒロインに会ったら、お前が死んでしまうかもしれないだろう」
「ルートによってはこの世界自体がなくなるわ。もう、なんでこんなに……」
まず先に俺がいなくなるエンディングを嫌がる彼女のことが、こんなに愛おしくなるなんて思わなかった。
過去も現在も確実にあのゲームの舞台へと進んでいるのに、俺の気持ちだけはゲーム通りにヒロインには落ちない自信がある。
俺がヒロインに落ちることで世界が救われる未来を知っていても、もう俺のルートを辿らせるつもりはない。
知っているからこそ、自分のしていることがどう影響するのか予想ができるから、数ある未来に対策を立てられるのだ。
俺達が行動したせいで新しくできる未来が、最善のルートになるならと考えると尚更に。
だが、魔素の種が見つからない焦燥感とともに時は進んでいく。
最悪の未来に向かってなのか、まだ見ぬ明るい未来に向かってなのかはわからないが。
いつか、父に話したことがあった。
俺が目指している未来は、父にとっては非情なものであることを。
いずれオルトランド公爵が俺を迎えにきたとき、女神の涙でつくられたエリクシル剤という、あらゆる病気を治すことができる魔法薬を、確実に一本は持ってくることになっている。
体内の魔素まで浄化できる伝説ものの希少な万能薬だが、オルトランド公爵家は一本だけなら用意できたという設定だ。
ゲームではそれが届く頃には、母も父も流行病で亡くなっており、本来ならあまり魔力のなかったリリアが魔素に侵されているところに飲ませて命を助けるのだが、今の高位魔力保持者になりかけているリリアにそれは必要なさそうだ。
今の彼女なら、自分の力で異物である魔素を体内から押し出すよう魔力をコントロールすることができるだろう。
ならば、次にエリクシル剤を飲ませる対象としてあげられるのは母だ。
母ならば魔法薬を浸透させるための魔力制御回路もあるから、死んでさえいなければ助けることができる。
だが、それは同時に、同じように魔素に侵されている父を見捨てることも意味していて。
正直に言えば、出会ったときにはすでに父は魔素に侵され始めていた。
支援系属性内在型の魔法使いであるリリアの近くにいたおかげで、覚醒前ながら彼女から無意識の防御がなされていた父は今も症状が出ていないだけで、村の住人はもう魔素に大分狂わされていた。
でなければ、いくら気に食わないからといって、鋭利な農具を他人の子どもに投げる自分の子を見過ごす親がこんなにも多くいるはずがない。
あまつさえ、笑いながら時に大人である自分も混ざったりするはずがなく。
それほどまでにこの世界の住人は、他人に厳しくはないと信じている。
魔素によって負の感情を増長させられたここの村人達が異常なだけで、優しい人間もたくさんいることを俺は王都で知っている。
母が助かれば、少なくとも俺が知っている最悪のシナリオは回避できる。
この村でいち早く魔素の種を潰せれば、リリア・オルトランドが種に殺される未来は来ない。
そのために、村を出ればもしかしたら助ける道もあるかもしれない父を見捨てようとしていると、黙っていることに耐えられなくなった俺は父に伝えた。
父は静かに俺の話を聞いていた。
こんなことを本人に話して、ただ自分のために許されたかっただけなのかもしれないと本音を漏らした俺に父は笑った。
「許すも何も、君は悪いことをしていないよ。むしろ僕にとって君は救世主だ。君のおかげで、僕は家族を本来の運命より多く守れるんだから」
一緒に未来を変えよう。僕もいるから大丈夫だよ。
微笑んでそう言う父の前で、俺は涙が止められなかったのを覚えている。
――母は、俺が母が勘付いているのではないかと気付いた頃にはすべて知っていた。彼女が話したらしい。
やがて自分が魔素の種の苗床になるかもしれない恐怖を押し殺し、それでも俺達の無事を祈っていつも見送ってくれる。
守られることで、守ることを選んだのだ。
「たとえ種が見つからなくても、私は私の愛しい貴方達を決して傷つけたりはしないわ。無理はしないで、必ず私の元へ帰ってきて」
いつでも涙を堪えて笑ってみせる母は、俺達にとって誰よりも温かいこの世界の希望だった。