彼女の誇りは父親で
周りに異変が訪れ始めたのは、私が十三歳になった頃だった。
父が狩りで怪我をすることが多くなってきた。兄曰く、魔物が段々強くなってきていると。
父の怪我は今のところ一つ一つは大したことはないのだが、何せ数が多くて心配だった。
それ以上に、私と母に心配をかけまいとしている兄が、狩りの途中でどれだけの怪我をしているのか、わからないことがもどかしかった。
父が私と母のいない場所で兄に声をかけているところを窺えば、帰る頃には治癒魔法と魔法薬で完全に消えている兄の怪我は、決して軽いものだけではないらしい。
兄にそれを聞くと、治癒魔法の適性のなさを嘆いて、父を助けられなくてごめんと謝るだけで、答えてはくれないけど。
この世界の人間には、魔法が使える者と使えない者がいる。
心臓辺りにあるという魔力制御回路の有無で、魔法が使用できるかどうかが決まるのだが、回路がない者は、炎や水を実体化させるような攻撃魔法ならともかく、治癒魔法や精神魔法が効きづらい。
体内で魔力をうまく処理することができないため、身体にそういった魔法効果を浸透させることがなかなかできないのが理由だ。
それは、魔法薬を使った場合も同じこと。
それでも、この世界の人間は生まれたときから魔力が周囲に溢れている環境で暮らしているので、魔力に順応した身体はある程度つくられており、回路がない者も魔法浸透率がゼロではないのがせめてもの救いだった。
母には魔力制御回路の存在を感じるが、父に回路はない。
今は支援系魔法――治癒や防御魔法に適性のある私が、帰ってきた父の傷を、過剰なほどの治癒魔法で力ずくで治しているので何とかなっているだけで、何とかならない日がやがて来ることが怖い。
私の魔法でも父の傷が何とかならなくなった日が、この生活が終わるその日なのだから。
「……っ……!」
最近、大声を上げる寸前で目を覚ますことが多くなった。
夢に見るのは、私にとっては最悪のエンディングで――。
乱れた息を整えていれば、隣のベッドで寝ていた兄が必ず起きてきて抱きしめてくれる。
いつの間にか大きくなった手で、いつの間にか低くなった声で、いつでも変わらない優しい声音で言うのだ。
「一緒に逃げようか。ヒロインも世界も関係のないところで、二人で暮らそう」
プロポーズにも似たその言葉を受けることはできない。だって――
「ここでお母様を守れなかったら……魔法学園でヒロインに会えなかったら、いつか貴方が死んじゃうじゃない」
「でも俺達がヒロインに会ったら、お前が死んでしまうかもしれないだろう」
「ルートによってはこの世界自体がなくなるわ。もう、なんでこんなに……」
ヒロインの選択次第という、R15のマルチエンディングの未来が、こんなに苦しいと思わなかった。
過去も現在も確実にあのゲームの舞台へと進んでいるのに、今をどうにか生きるだけで精一杯だ。
未来を知っていることが必ずしもアドバンテージにはならない。
知っているからこそ、自分のしていることがどう影響するのか余計に疑心暗鬼のまま、数ある未来に恐れを抱いてしまうのだ。
私達が行動したせいで新しくできる未来が、最悪のルートになってしまったならと考えると尚更に。
それでも時は進んでいく。
最悪の未来に向かってなのか、まだ見ぬ明るい未来に向かってなのかはわからないが。
いつか、兄と話したことがあった。
私達にとって、どのエンディングがベストなのかと。
この世界は、ヒロインが浄化の力に目覚めたことで救われる世界だ。
人間ならば魔物化させ、魔物ならばその負の力を強化する魔素というものを振り撒く種が魔王によって世界中に放たれ、それをたった一人、女神の力を授かったヒロインが浄化していくシナリオで。
魔素の種は攻略対象の数だけ存在しており、それぞれの大切なものに根付いて、攻略対象者を苦しめていく。
それをヒロインが彼らと協力して浄化する過程で愛を育み、数々の困難を乗り越えながらエンディングを迎える乙女ゲームである。
最終的にはすべての種を浄化することになるのだが、攻略対象の好感度や、種を浄化した時期などで、どのエンディングになるのかは決まる。
さらに言えば、魔素の種には開花レベルというものが三段階あり、その開花レベルによって、キャラの個別エンディングは、グッドエンド、ハッピーエンド、トゥルーエンドに分かれていた。
ちなみに開花前にすべて魔素の種を浄化できれば、世界にそれほどダメージのいかないノーマルエンドとなる。
ヒロインにとっては、攻略対象全員とお友達ルートで一番つまらないエンディングだろうが、私達にとってはそのエンディングが一番平和だ。
逆にすべての種を三段階まで開花させて、全部浄化できれば、逆ハーレムエンドに辿り着く。
荒廃した世界をヒロインが攻略対象者達を侍らせながら女神の力で立て直すエンディングなのだが、これには兄が絶対に辿り着かせる訳にはいかないと憤っていた。
世界がほとんど壊れることより何よりも、そのエンディングには、攻略対象者に対で用意されているヒロインのライバル的存在――ランスロット・オルトランドの彼でいえば、リリア・オルトランドである私の存在はないからと。
同じ理由で、自分のトゥルーエンドもないと言っていた。
どうしてそれらのエンディングでは、ライバルキャラがいなくなるのか。
それは全攻略対象キャラ共通して、魔素の種を三段階目にさせる条件が、ヒロインとライバル関係にある者の死だから。
私だってできるなら死にたくはない。
でも、それ以上に私にだって回避したいエンディングがある。
この乙女ゲーム、魔素の種の浄化に失敗はない。
何故なら、魔素の種が強すぎて浄化できない場合、対応した攻略対象キャラがその命を以って、ヒロインが種を浄化できるレベルまで弱体化させてくれるからだ。
ゲームでは余程意図しないと見れない、唯一のバッドエンドは最悪だった。
攻略対象が全員死んで、何とか浄化を達成したヒロインが何も知らない人間達に聖女と崇め称えられる中、ライバルキャラ達にはどうして貴女だけが生きているのだと涙ながらに罵られるのだ。
そんなエンディング、絶対に迎えたくはない。
兄と話し合った結果、私達の向かう方向は決まった。
まずは、ランスロット・オルトランドの魔素の種を根付く前から潰す。
ヒロインに会う前の段階で潰せれば、少なくとも彼のトゥルーエンドと、逆ハーレムエンドとバッドエンドは回避できる。
私達がお互いに最悪だと思っているエンディングに、ヒロインは辿り着けなくなる。
だから、私は父や兄がどんなに怪我をしてこようと母の傍を離れる訳にはいかないし、父や兄を止めることもできない。
私の役割は、絶対に母を死なせないこと。そのためには、防御魔法を母に掛け続ける必要がある。
ランスロット・オルトランドの魔素の種は、流行病で亡くなった母に根付く予定なのだ。
流行病というのも、種が人間には毒となる魔素を周囲に撒いているから発生したもので、この辺り一帯の魔物が強くなってきていることからも、もう近くに迫っているだろう魔素の種を探す兄と父をただ待つしかできない。
――父は、私が父が勘付いているのではないかと気付いた頃にはすべて知っていた。兄が話したらしい。
やがて自分が流行病で死ぬことを知った上で、それでも私の防御魔法の届かない魔素に侵された外へ種を探しに行っている。
守られることよりも、守ることを選んだのだ。
「頼りないかもしれないけど、僕にも協力させてくれないか。僕はリリアもランスロット君も、フィリアさんも死なせたくないんだ」
微笑んで頭を撫でてくれる父は、私達にとって、この世界の誰よりも頼りになる強い父親だった。