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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第二章 レゼ・F・エクアシス
20/29

彼はこうしてエピローグを迎えた

 俺は雪や雨が嫌いではない。

 水系統属性最高血統といわれるオルトランド公爵家の血は、水だけでなく、氷ですら己の力に出来るほど強い魔力を秘めているから。

 いつもよりも冴えた魔力の感覚に、こうして深々と降り積もる雪が本当に女神の祝福に思えてくる。

 俺が戦いやすいフィールドで、獣の動きが鈍る寒さの中、相手にするのは最強だが深い傷を負った魔獣。

 手負いの獣は厄介だが、前回、魔素の種と戦ったときとは違って、バックアップ体制は整っている。

 俺が負ける要素など、何一つない。


 そう自分に言い聞かせて、俺は近づいてくる禍々しさ全開の魔素の気配を睨みつけた。

 今はもういない父は昔教えてくれた。獣と対峙するとき、気持ちで負けたら狩られるのはこちらだと。

 狩人の父がいなくなってから形見代わりにペンダントにして身につけている胸元の宝珠を、リリアの無事を祈るように握りしめた。

 同時にレゼから借りた魔界へのゲートを開ける鍵がぶら下がったネックレスが鳴る。

 リリアがそれとなくザイレから引き出した情報では、ザイレは魔獣形態のときは、魔界のゲートがすでに開いているか、鍵を身に付けているかしないと魔界に帰れないらしい。

 鍵を獲られないように、俺達が今は侵入できない魔界に逃げられないようザイレを引きつけるのが俺の役目だ。


 魔素の種を浄化された後、ザイレは自分の命の危機を察して、帰巣本能のまま魔界に帰る為にこの鍵を狙ってくる。

 何十年も魔力制御回路に取り込んでいた魔素の種を失くし、半ば魔力制御回路が崩れた状態で人の姿に戻って空間魔術を使うことはできないから、たとえ理性を失っていたとしても魔獣として知性があるザイレは、空間魔術が使えなくてもゲートを開けることができるこの鍵を奪いに来るとリリアは予測した。

 ザイレが魔素の種を浄化された後に人の姿に戻れないと判断した根拠を聞けば、ゲームの中で、ザイレが魔素の種を浄化されてから魔獣形態のままこの世界に戻って来た際、エレノアがまず魔獣にザイレなのかと問いかけるシーンがあったからだと。

 実際にエレノアに聞いたところ、ザイレが魔獣形態になれることすら知らなかったと言っており、自分のもう一つの姿を知らない相手に態々いつもと違う姿で会わなければならなかったのは、そうするしかない事情があったからだと考えるほうが自然で納得ができるからだということだった。


 リリアは本当によくこの世界のことを考えていると思う。

 ゲームの世界では在り来たりな展開にこうして現実的な理屈や理由を通すことは難しいし、そもそも理由や背景が必ず存在しているなんてことを考えもしなかった俺よりも遥かに先を考えて行動している。

 その考え方や冷静に物事を判断する姿勢に尊敬を抱いたのは、もうこれで何度目か。

 本人は全然自分の考えが足りないと不安を感じているようだが、俺はいつでもリリアの思考回路には良い意味で驚かされてばかりなのに。


 ……でも、きっとリリアが自分の考えに自信が持てないのは、俺のそういうところなのだろうなと思うことがある。

 唯一、リリアと同じこの世界の未来の知識を持っている俺がいつまでも頼りないから、リリアに確証も自信も持たせられずに不安にばかりさせて、こうして隠し事をさせて。


「夫が頼りないままじゃ、ダメだよな」


 握った宝珠が伝えてくる冷たい熱に父との約束を思い出す。

 リリアはちゃんと俺が幸せにする。俺が守る。

 俺は今リリアを幸せにできているのだろうか。守れているのだろうか。


 濃厚な魔素の気配を撒き散らしながら俺の前にやってきた魔獣形態のザイレに問う。


「なぁ。お前のその怪我、リリアの防御魔法を無理やり破ってきたからできた傷じゃないのか?」


 ザイレは俺の攻撃が届く距離のちょうど手前で立ち止り、呻り声を上げた。

 俺が懸念していた通り、ザイレの身体にはぶつけたような痕が幾つもあり、至るところから血が流れていた。

 魔族であるザイレの場合、身体も血も魔力でできている。

 魔力と似た成分である魔素も、ザイレの魔力と一緒に血となって外に流れていた。


 魔素の種が消えた後も、身体に取り込んでしまった魔素はすぐには消えないことは知っていた。

 亡くなる前の、父さんの身体もそうだったから。

 すぐに魔素が消えてくれるのであれば、父さんも何とかして救えていたのだから。


「昔、父さんの傷を治すときに段々とリリアの治癒魔法が効きづらくなってきて、魔法の精度は一日一日で明らかに上がってきているのにどうしてかと聞いたことがあったんだ。リリアは、身体の中に入り込んだ魔素が魔法の浸透率を悪くさせていると言っていた。お前、魔族だから自分の中の魔素も魔王と同じように魔力として使えるよな? 身体の中の魔素も魔力して放出させたほうが、この後、大昔の魔族戦のダメージが返ってきて倒れるお前に魔法を使う予定のリリアやエレノアにとっては効率が良いはずなのに、どうしてリリアは俺に鍵を守って逃げるだけで良いと言ったんだと思う?」


 ザイレは血としても魔力を大分消費しているようで、肩を上下させて呻る姿はもはや獣そのものだった。

 目は濁った紅色をしていて、到底、そこに知性や理性が残っているとは思えない。

 それでも俺は、ザイレに僅かでも思考が残っている可能性を信じて話を続けた。


「リリアは最初から、自分だけ血を流すほどの負担を抱えるつもりでいたんだよ。お前、魔素の種が浄化された後も暫く防御魔法の中に閉じ込められていたんじゃないか? 防御魔法に適性があるリリアの魔法を無理やり破るのは、さぞ大変だっただろうな。防御魔法を攻撃に使うなんて、負荷が掛かりまくって自分が怪我をするのはわかりきっているはずなのに、リリアは治癒魔法にも適性があるから、そんなことは意地でもなかったことにして俺のところに来るんだよ。お前に治癒魔法を使うときも、魔素なんて邪魔になっていない素振りで、目眩がするくらい全力で治癒魔法を使うんだ」


 ――いや、本当はザイレに思考が残っていようが残っていまいが、どうでも良い話だった。

 ただ、吐き出したかっただけだ。俺の苛立ちを。


「もういいよな。リリアに俺が気付いていることを悟らせないよう、ポーカーフェイスを気取るのも心苦しかったんだ。やっぱり夫婦ってのは、お互いに隠し事をしないほうが幸せだと俺は思う。俺もリリアに謝るから、エレノアにもお前に謝らせないと」


 ザイレは頭側だけ低く姿勢を落として、いつでも俺に襲いかかれる体勢をとった。

 俺はレゼから借りた鍵を見せびらかすように指先で一回転させて、この日の為に仕立てた戦闘服の中に仕舞った。

 生憎と俺は、最初からリリアと立てた作戦通りに大人しく逃げ回ることだけに徹する気はない。


「今日、朝から何度お前の背中を先に抉ってやろうと思ったことか。リリアの見解が間違いじゃなかったと、だからもっと自信持てって言ってやりたい為に我慢していた俺に感謝しろよ」


 朝から魔物狩りの手伝いをしてくれていた子供達には、俺がザイレを誘導するから儀式の間で待っているように伝えてある。

 儀式の間の魔法陣の上でザイレを治療する予定になっていて、リリアが予めその場に防御魔法を張ってくれているので安全なのだ。

 俺とザイレだけしかいないこのフィールド。それなら遠慮なく戦える。


 俺はザイレと同じように姿勢を低くして、剣の柄に手を掛けた。

 鞘から刀身を抜き切るときに無機質な金属音が一つ大きく弾ける。

 それが、戦闘開始の合図だった。


 もの凄い脚力で跳びかかってきたザイレを剣で空に跳ね上げて、下から水魔法で狙い撃つ。

 最初から普通の剣でザイレを斬れるとは思っていない。

 体勢を崩したところをすべて高位魔法でぶっ飛ばす。

 魔術の使えないザイレは、魔力の塊をぶつけて俺の魔法を逆に吹き飛ばそうしてくるが、環境的にも感情的にも絶好調な俺の魔法を、たとえ魔界ランク二位だとしても手負いの獣が完全に止められる訳がない。


 リリアは、俺が余裕で逃げ切れるように自分を犠牲にしてまでザイレに深手を負わせて、俺に気取られないように平気な顔で魔素に侵されたザイレを治癒させるつもりでいる。

 それに何となく気付いたのは、リリアが計画を話した後、念の為にと魔力補充用の魔法薬を大量に準備し始めたあたりだ。

 ただザイレから逃げるだけの俺に魔法薬はそんなに必要ない。

 そして、計画通りにリリアやエレノアが魔力を使うにしては、各々の実力を考えたときに多すぎる魔法薬の量がおかしかった。

 リリアは自分や他人の力量をちゃんと客観的に把握できる人間だ。

 さらに俺の戦闘能力もある程度把握しているだろうに、鍵を持ってザイレから逃げ回る役目を俺に簡単に託したところでもう確信した。

 これは、俺に黙って自分で何かを背負い込むつもりでいると。


 俺はザイレから無傷で逃げ切れる自信なんて少しもなかった。

 俺自身がそう思ってしまったなら、リリアは俺以上にそれをわかっているだろうに、俺から言い出したとはいえ、ザイレから逃げ回る役をリリアが承諾したのはこうして自分で何とかしようとしていたからだ。

 ただ一言、俺にザイレと戦えと言えば喜んでザイレの中の魔素を消費させる為に動くのにそれをしないのは、リリアが俺を自分の盾にするようなことをしたくないからで。


 この計画は、俺が大怪我を承知の上で戦ってまでザイレの身体から魔素を引き出さなくても上手くいく。

 リリアが表情にも出さずに頑張れば済むところは、俺を犠牲にしなくて良いように彼女が立てた計画だから。

 だが、俺の代わりにリリアが犠牲になる道を気付かなければ知らないところで選ばれていたのなら、俺だって大人しくしている道理はない。


 無理をしてでも、ザイレの身体に留まった魔素を削らせる。

 腕や足を噛まれようが、背中や顔を引っかかれようが、吐きそうになるくらいの勢いで体当たりされようが、純粋な魔力をぶつけられて地面に身体を叩きつけられようが。

 ザイレを此処で完全に討伐してしまったって、エレノアにザイレの魔力を溜めていた宝珠の回収を頼んである。

 宝珠からザイレの魔力を引き出して再生することが可能だから、手加減なんてしないし、そもそもできるとは思っていない。




 雪に染まった山の一部が崩れ、孤児院が地下を残して粉々に吹っ飛んで。

 ――暫くして、魔獣は半身を失って雪の上で動かなくなり、ザイレの攻撃は止んだ。


「……何をやっているのよ」


「途中から動きやすくなったと思ったら、やっぱりリリアだったのか」


 血を大分失って目眩がする頭で振り向けば、いつもよりも数段白い顔をしたリリアと、俺のいないところで彼女が無茶をしたときに止めてもらう為の保険として王都から呼んだ父親が立っていた。

 ザイレとの戦闘を終えて、俺は結果的には無傷で、最後のほうはほとんど俺のターンだった気がする。

 途中から翡翠色の光が傷を負ってもすぐに俺を癒していたし、攻撃を受けて崩れた防御魔法は倍の強度で即座に修復されていたから、視線で確認はできなかったけど存在に気付いてはいた。


「リリア・オルトランドは、元々、ランスロット・オルトランドをサポートする為のキャラなのよ。一緒に戦えない訳がないじゃない」


「それなのに一緒に戦おうとしなかったのは誰だ?」


「……勝手に一人で敵に突っ込んで行ったのは誰よ?」


「そもそも黙って一人だけ傷つく作戦を立てたのは誰だよ」


「それを気付いていながら、貴方も黙って戦う計画を立てていたでしょう」


「俺、今回の件に関して気付いた二か月くらい前から怒っているんだけど?」


「私は全然そんな素振りも見せずに大丈夫だと微笑んでいた今日の朝の貴方の顔を殴ってやりたくて仕方ないのだけど?」


「…………」


「…………」


「……お前達、夫婦喧嘩は後にしろ。今は他にやることがあるだろう」


 溜息を吐いた父親をつい八つ当たり的に睨みつけて逆に睨み返されたが、俺は別に悪くないと思う。

 だけど思わず視線を逸らした先にあった聖都の空は、もういつの間にか雪は完全に止んでいて、明るい太陽が雲間から差し込み始めていた。

 いつかのあの日の空のように、差し込む光が最愛の彼女の髪のように綺麗だと思いながら、俺はピクリとも動かなくなったザイレの首をとりあえず思い切り掴んで盛大に引き摺って地下まで行くことに決めたが、それくらい許されて当然だろう。

 考えてみれば、そもそもの始まりから、全部、こいつの所為だった。




 ザイレを治療する段階に入れば、俺ができることはない。

 魔力を安定させる為の魔法陣の上にザイレを横たえて、剥き出しになった魔力制御回路に魔道具“魔力源泉”を近づければ、気を失っていてもザイレは本能からかそれを自分の中に取り込んだ。

 魔素の種が埋まっていただろう個所に据えられたその魔道具は、周囲の魔力を取り込んで数倍に増幅させる効果を持っている。

 本来なら、魔素の種の所為で存在を失いかけている砂漠の国の水精霊を助けるために使う魔道具だが、精霊と同じように全身が魔力でできている魔族にももちろん有効だった。


 魔力をほとんど失った高レベルの魔族や精霊の再生は、通常なら何百年と時間が掛かるものだ。

 しかし、時間魔術を扱えるエレノアがいて、魔力を増幅させる魔道具があるのならば、その問題もこうしてなくなる。

 エレノアがザイレの魔力制御回路に取り込まれた魔道具に魔術を使って若返っては、ザイレの為に年齢を溜めておいてくれた子供達を子供に戻すことで成長して、また魔道具に魔術を使って若返るのを繰り返すことを数十回。

 急な変化に身体が軋んで血を流すエレノアや子供達を治癒しながら、器が割れていて空中に霧散してしまうザイレの魔力を、リリアが治癒魔法でザイレの身体を回復させることで留めることも同じく数十回。


 ザイレは、エレノアが数十年間恐れて何度も怯えていたその時を越えて目を覚ました。

 リリアが言っていた、永遠に怯えるくらいなら此処で乗り越えさせてしまえば良いという算段通り。

 レゼを含む子供達が全員幼児となり、エレノアは俺達と同じような年齢にまでなっていた。

 壁に背を預けて休んでいる俺の隣りにいた父親を、そろそろエレノアに差し出して若返らせようかと考えていたくらいギリギリのタイミングだったが、成功してくれて本当に良かった。


 ザイレに掠れた声で名前を呼ばれ、声もなく泣き出したエレノアをザイレが普段は見せない顔でそっと抱き寄せた。

 リリアがそれを見て安堵の表情を浮かべたのを見届けてから、空気を読んで静かに儀式の間から俺と父親は退出した。




 予想はしていたが、八割方壊れた孤児院からそっと外に出た俺達の背を、予想外にも気配すら悟らせずに追ってきたのはリリアだった。


「ねぇ。私達の話はまだ終わってないでしょう?」


「……いや、なんかもう全面的に俺が悪いってことでいいから、そのハイスペックな父親譲りの気配遮断やめないか?」


「お父さんみたいに貴方相手に気配を消すなんて高度なことができたら苦労しないわ。レゼに飛ばしてもらったのよ」


 リリアの初めて見る随分と据わった目が怖くて、素直に父親に助けを求めてみたが、頼みの綱は簡単に俺を裏切った。

 コートの内ポケットから見覚えのある封筒を取り出して、リリアに手渡したのだ。


「これが愚息が私に寄こした手紙だ。私は魔物の討伐に向かった部下の様子をみてくるから、後は二人で話し合いなさい」


「え、親父。俺を助けに来たんじゃないのか?」


「私がお前に手紙で頼まれたのは、無理をするだろうリリアの護衛と、あの魔獣の血に含まれた魔素に引かれて山を下りてくるだろう魔物を討伐することだ。痴話喧嘩の仲裁など頼まれていない」


 ポンと俺の肩を叩いて無情にも去っていく父親の背を見送る。

 リリアに目の前で俺が父親に宛てた、思い返せば惚気と自意識過剰も入った手紙を熟読されるという羞恥プレーをされながら居た堪れない気持ちになっていたら、手紙から顔を上げたリリアが俺をジッと見詰めてきた。


「……何か言いたいことがあるのならどうぞ」


「“リリアは俺を愛しすぎて何でも自分で解決しようとするから放っておけない”」


「……………」


「“リリアが傷つくくらいなら俺は聖都なんて滅びて構わないし、教会なんて潰れれば良いと思う”」


「……………」


「“でもリリアが気にするだろうから、聖都と教会を守るのを手伝ってくれないか”」


 彼女は顔色一つ変えずに手紙の内容を読み上げた。

 俺は顔が凄まじく熱すぎて頭を抱えた。


「これ、私が貰っても良いかしら?」


「燃やしてくれるのなら」


「燃やさないわ。だって、貴方が初めて書いてくれたラブレターじゃない」


 断じてラブレターなんかじゃないが、ほんのりと嬉しそうに頬を緩めたリリアの顔を見たら何も言えなくなってしまった。

 トンッと、俺の胸に当たってきた小さな頭を抱き締める。


「……ごめんなさい」


「……俺のほうこそ悪かった」


 お互いに何が、とは言わないが、背中に回された小さな手に何だかどうしようもなく安心したのは確かで。

 隠し事というわだかまりがなくなったことで、久しぶりに思う存分、細い身体を抱きしめたら、リリアが珍しくギュッと俺に抱きついてきた。


「私は貴方が傷つくくらいなら、聖都だけじゃなく、王都や皇国がなくなったって構わないの。世界樹が枯れたって、精霊がこの世界からいなくなったって、魔王が滅びたって、女神がいなくなったって……たとえ魔法が使えなくなったとしても、貴方が傍にいてくれるなら私はそれだけで幸せなのよ」


「……お前が我慢していることにも気付かないダメな俺でも?」


「我慢?」


「一年前、俺はお前の限界が近いことに気付かなかった」


 顔を上げて首を傾げたリリアの頬に触れる。

 寒さで冷えた頬は白い。

 でも、一年前のあの時は、その高熱に反して今以上にリリアの顔色は白かった。


 ――リリアが魔素中毒で血を吐いて床に倒れたあの時。

 魔素中毒を克服してリリアの髪色が金色に変化した後、急激に下がっていくリリアの熱に、俺は安堵ではなく、恐怖を覚えた。

 このまま目を覚まさず、冷たくなってしまうんじゃないかという恐怖は、忘れようとしても忘れらない。

 だから今回、まだ弱い俺よりも、リリアをちゃんと守ることができる力を持っている父親に頼んで、リリアの護衛にあたってもらったのだが。


「俺さ、実は父さんが死んだことよりも、リリアの異変に気付かなかったことのほうが数十倍も後悔してるんだ」


「……そんなこと後悔しないで。現に私、ちゃんとここで生きているじゃない」


 そういう結果論じゃなくて、と口を開きかけて俺は噤んだ。

 リリアの顔が、とても赤かったから。


「……もう俺、後悔したことをちゃんと乗り越えようとするのは止める。それでリリアを守れないなら、俺の覚悟なんてただの自己満足だって気付かされた。今回もリリアとなら救えるだなんて思い上がって、怪我までさせて本当にゴメン」


「謝るのは私のほうよ。お父さんが亡くなってから、辛気臭い顔ばかりして本当にごめんなさい。それに私、貴方と結婚するにあたって、夫を支えるのが妻の役目だと、どうやら肩に力が入りすぎていたみたい」


 リリアは苦笑した後、でも、と前置きして、ちょっと拗ねた顔で俺に指を突き付けた。


「貴方が考えることは随分とお人好しすぎるから、支えるにしても危険だということが今回のことでわかったわ。今度は支える支えない関係なく、キッパリ他の奴らなんてどうでも良いから私の手を放さないでって、ちゃんと貴方を止めるから安心して。それで後悔しても、貴方さえ無事なら私はそれで良いわ」


 そんなことを言ってくれる可愛い恋人の身体を苦しいと叩かれるくらい抱き込んで、俺は空を見上げた。

 ここ数カ月聖都を覆っていた雲も風に流されて、今、空はとても清々しい青色になっていた。

 レゼが毎日のように空間魔術の疑似空間の中で創っていた空と同じ、眩しさにハレーションを起こしそうなほどの晴天だった。

 瓦礫からかろうじて守られている地下の出口からは、子供達が嬉しそうに父や母にじゃれている明るい声が聞こえている。


 これから始まる学園生活という名のゲームの本編に懸念事項が一つ見つかったことは不安だが――偶然というよりはあまりにも必然のような気がする、ザイレの空間魔術に俺達を迷い込ませ、出現がランダムなはずの魔道具の材料を三つストレートで俺達に揃えさせた存在の更なる介入が心配だが、今はとりあえず聖都が平和になって、何よりである。

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