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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第一章 ランスロット・オルトランド
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攻略対象予定な彼の場合

 ランスロット・オルトランドという公爵令息は、元々は公爵が浮気をして侍女との間にできた息子だった。

 高位魔力保持者の証である銀髪と澄んだアメジストの瞳を持った彼は、幼い頃は本来なら怯えながら暮らしていたらしい。

 妊娠の気配さえなかった公爵夫人を差し置いて、非公式ながら公爵家の長男として生を受けたため、酷い仕打ちを受けたという。

 子がいなかったオルトランド公爵の庇護下にありながら、元王家の姫でもある公爵夫人や周囲からの冷遇に耐えていたと。

 やがて公爵夫人が男児を出産して、必要のなくなった非公式の長男は母とともに屋敷を追い出され、公爵はせめて殺されないよう手を回すことが精一杯だったと別れの際に泣いて母子を見送り、母を愛していた公爵はいつか迎えに行くからとの約束通り、公爵夫人と公式の長男が事故で亡くなった後で、辿り着いた村ですっかり人間不信になったあげく、母を亡くして心が死んだ息子を迎えに来る予定だ。

 その後、ランスロットは貴族が集う魔法学園に入学させられ、そこで出会ったヒロインに心を癒されて、立派な公爵家の跡取りとなるのだ。

 ……まあ、それは、あくまでゲーム上の話なのだが。


 何の因果か知らないけれど、死の間際まで妹がやっていた乙女ゲームの世界に転生してしまった俺。

 名前もその境遇もまさにその“ランスロット”だということに気付いたのは、産声を上げる俺を抱き上げた嬉しそうな公爵を見た直後。

 あまりのショックで生後一年くらい記憶がぼやけているのは、俺にとっては幸いだった。

 身体は確かに子どもだったとはいえ、綺麗な女性達に下の世話をされるのは恥ずかしすぎて悶え死ぬところだった。


 必死に歩けるようになった俺は、世話をしてくれる公爵側の侍女や執事には愛想を振りまきまくって、味方と知識を手に入れた。

 俺を産んで弱い身体に拍車をかけて儚くなった母のため、公爵夫人や周囲からの冷遇はすべて俺に向かうように仕向けたりもした。

 「お父様の跡を継いで、公爵家のために頑張るね!」と一見無邪気で、その実、邪気たっぷりな笑顔を敵側に振りまきまくったのだ。

 父譲りの魔力の高さを見せつけたり、頭脳は大人な優秀さを見せつけたり、それはそれは忙しい日々だった。

 六年間、一握りの味方を除いてはすべて敵という環境を生きていけたのは、一重に俺にプラス二十九年の記憶があったからだろう。

 あのような環境で実際に子どもを育てたら、絶対にグレるか心が死んだようになることは間違いない。


 公爵夫人に息子が産まれ、追い出されることになった俺は、こんな環境に母を置けるかと意気揚々と母と屋敷を出た。

 別れの際に泣いて母に縋っていた父は正直うざかったが、俺達に公爵夫人の手が回らないようにどうにかしてくれた口の巧さは認める。

 俺の優秀さがあっての説得だったようだが、実際、公爵夫人やその周囲の人間は辺境へと向かう俺達には手を出してこなかった。

 実戦経験はなかったが、来たら来たで刺し違えても返り討ちにするくらいの魔力はあったから、構えてはいたんだが。

 辺境の村にあともう少しで辿り着くというところで、この一帯には元来いないはずのドルグラベアという熊のような魔物に出会ったときは、フラグの強制力に驚いたものだが、物語通り新しい父となる狩人が奇襲してくれたおかげで、俺達は難を逃れた。


 ここまで運命が強制的ならもう休んでも大丈夫だろうと、家に着いた途端、倒れた俺を狩人が部屋に運んでくれて。

 連日の野宿で体調を崩した母の隣りで俺が目覚めたのは、まだ太陽が沈む前のことだった。

 ふと、家に向かう途中で狩人に聞かされた、リリアという少女の存在を思い出す。

 たしかゲーム通りなら、母の死を受け入れきるその前に、母の部屋に違う女性が眠っていることにショックを受けて、性格が変貌するのだったか。

 夕焼けの丘で、迎えに来たランスロットに一目惚れして、やがては公爵家の養女となって高飛車なツンツン悪役キャラになるはず。

 娘がいなくなったことに慌てる狩人を見ながら、このイベントを俺が無視したらどうなるのだろうと考えて足を止めた。


「ランスロット君!僕はリリアを探してくるから、君はここでフィリアさんを看ていてくれ!」


 いつの間にか慣れ慣れしく母の名を呼ぶようになった狩人の背を見送り、その言葉通りにしておこうと俺は母の元に向かった。

 空が夕焼けから月夜に変わり、さすがにここまで帰ってこないと妹になる予定の彼女も魔物に襲われているのではないかと心配になってきた。

 だが、ろくな実戦経験も土地勘もない俺が夜に探し回っては、逆に狩人に迷惑をかけることになりそうだと思い直したとき、ここ数日、体力的に落ちてきた母にばかり食べさせて、こっそり何も入れてなかった腹が鳴った。


 だからという訳でもないが、せめて食事でも用意しておこうかと台所に行ったはいいけれど。

 料理器具の使い方がわからない。

 野営の知識はあれど、平民の台所の使用方法など盲点だった。貴族の屋敷では魔道具を使用していたし。

 この鍋、明らかに鉄製だが、いつもの勢いで魔法で熱を通したら変形しないだろうかと途方に暮れていたとき、扉が開く音がした。

 帰ってきたのは狩人ではなく、茶色の髪をふわふわさせた綺麗な翡翠の瞳の少女だった。

 ――驚いた。俺の妹となる予定の少女は、とてつもない美少女だったらしい。

 服は古ぼけた簡素なワンピースなのに、その野暮ったさすら可愛く見える。

 その印象的な大きな目をぱちぱちさせて、首を傾げて見てくる少女に鍋を差し出した。


「おかえり。“リリア”は、料理はできるのか?」


 リリアが料理ができるのかどうか、ゲーム内では描写がないため、わからなかった。

 公爵令嬢は平民のように料理などしないと、魔法学園の野営訓練でも高笑いで言い放ってヒロインだけにさせていたし。

 腹が減っていたし、咄嗟のことで、自己紹介などすっ飛ばしてしまったが、少女は気にしなかったらしい。


「ただいま。昔はできていたので、大丈夫だと思います。何か食べたいものはありますか?」


 彼女はナチュラルに鍋を受け取って、コンコンと叩いてみせた。

 その懐かしい音に、前世で一人暮らしをしていたときは、そんな安い鍋でよくうどんを作ったなぁと思い出して何だか懐かしくなった。

 だから、ついこの世界にあるはずのない「うどん」なんて言葉を口走ったのだが。


「うどん自体はともかく……塩どころか、醤油なんてうちにはありませんよ」


 なんてものを作らせる気なんだと、明らかに理解している顔を上げた少女に疑問を投げる。


「うどん、あるのか?」


「いや、それを聞きたいのはこっちなのだけど。醤油とか味噌とか、王都に行けばあるんですか?」


「王都にあるのかは知らない。でも、君が知っているということは、醤油や味噌がこの世界にもあるということなのか?」


 いまいち噛みあわない会話。

 糖分の足りない頭で考え込んで――ふと、その可能性にぶち当たった。

 目を見開いている彼女は、もうすでにその答えに辿りついていたようだ。


「もしかして……君は、転生者なのか?」


「……まさか貴方も、転生者?」


 お互いに驚愕の表情で数十秒、同じタイミングで鳴った腹の虫に恥ずかしそうに目を逸らした彼女が可愛くて俺は隠れて笑っていた。


 その日、彼女は庭の野菜をたっぷり入れたすいとんを作ってくれた。

 久しぶりに食べた食事が日本食だなんて……俺は、気付けば食べながら泣いていた。

 それほどに美味しすぎたのだ。本当に久しぶりの、毒味のいらない、ちゃんとした温かな家庭料理は。

 今思えば、すっかりこのときに俺の胃袋は彼女に掴まれていたのだろう。




 村に来てから、俺達にとっては概ね平和に日々は過ぎた。

 身内が初々しくいちゃつく姿を若干半眼で生温かく見詰めている俺と彼女の仲も、ゲームとは違ってとても良好だ。

 実戦を教わるついでに父さんと山に狩りに行っては、彼女に料理を作ってもらって、俺の所為で苦労をかけている母さんにも美味しいものをたくさん食べさせた。

 体力が落ちていた母さんは、彼女の産みの母が残した薬もあって徐々に元気になっていった。

 裕福になっていく余所者の俺達に対して、村の人間は良い顔をしなかったが、彼女はさらっとそのすべての悪意をスルーしていった。

 農具が飛び交う中を颯爽と歩く彼女が格好良すぎて爆笑した。


 でもって。


「お母様は綺麗だからお姫様なの!私が侍女をやるから、どうすればいいのかいっぱい教えて?」


 めずらしく子どもの顔で母におねだりする彼女は、思わず笑いが漏れるほど愛らしかった。

 後で彼女に睨まれたが、後々のことを考えると彼女は母に礼儀作法などを教わっていたほうが良いと思うので、母の前では必死に子どもの振りをする彼女の前で、俺は必死に笑いを堪えていた。




 森でたくさんの花が咲いた春の日、俺はある決心とともに彼女に花束を渡した。

 だが、俺から花束を受け取った彼女は、母の命日にありがとうと寂しそうに笑った。

 そうか、あれからもう四年が経っていたのかと気付いたときには、俺が本当に言いたかったことはすでに言えない空気になっていた。

 もうすぐ日が暮れる丘へ彼女が向かって行く背をしばらく見送った後、まるで俺が足を止めたいつかの光景を再生して見ているかのような錯覚に落ちて、今度こそは、と追いかけた。


「……お母さんは、お母様のことどう思う?」


 墓標に向かって、花輪をかけた彼女は呟いた。


「私は、お母様はこのままお姫様でいいと思うんだ。私が侍女で、お兄様が騎士で、お父さんは柄じゃないけど王子様。そんな生活が続けばいいと私は思っているよ」


 この先に待ち受けている父と母の運命を知っているからこそ、彼女の言葉は悲壮感に満ちていた。

 この先の未来で、彼女すら儚く消えてしまいそうな気がして、俺は無意識に声をかけていた。


「……おい。暗くなる前に帰るぞ」


 振り返った彼女は、実際は微笑んでいたが、心では泣いているようだった。

 その表情すらも彼女に似合っていて、俺は思わず心を奪われたけれど。


 夕日に照らされた彼女の髪色が、茶色から少しずつ金色に近づいていることに気付いたのはいつだったか。

 高位魔力保持者が持つ色素が薄いことは王都では周知のこと。

 彼女は、後天的に高位魔力保持者になりかけている。

 だから、もしかしたら彼女が努力してその姿を変えたように、運命も変えられるのではないだろうか。

 物語のために用意された日常から逃れる日が早く来ると良いのにと、俺は何も言わない彼女の隣りを歩いていた。

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