彼は釈然としないまま呟いた
昔々、最果ての森の奥深くには、大きな世界樹があった。
その世界樹の麓で静かに暮らしていたのは、森を愛するエルフ達だった。
いつの頃だったか、エルフ達の中に巡礼でやってきた当時の神官長に恋をした者がいた。
やがて二人は結ばれ、二人の間には黒い髪に紅い瞳を持った女の子が産まれた。
黒髪紅目――エルフ達は知っていた。
それが、かつてこの世界を統一していた魔族の特徴であると。
魔族の力を恐れたエルフ達は、暗い洞窟の中に女の子を幽閉した。
「この子は何もしていません! 何の戦う力もない幼子です!」
その子の母は訴えたが、長老達は耳を貸さなかった。
それどころか、訴えてきたその母が不貞を働き、魔族と密通しているのではないかと疑った。
エルフの里にはこんな言い伝えがある。
百年に一度、渓谷に住むと言われている大精霊に生贄を捧げなければ、精霊に守られている世界樹は枯れてしまうと。
その精霊は、精霊には珍しく、成熟した女性を好むという。
母は生贄とされ、二度と里に帰ることはなかった。
女の子は最低限の食事と最低限の接触で生かされた。次の生贄とされる為に。
どれくらい経った頃だろう。
定期的に食事を運んでいたエルフはあることに気付いた。
少女が、少女から一向に成長していないことに。
不老不死の少女。
その噂は里中に広まり、里から何処かへと漏れ、とある死期が迫っていた魔族の耳に入った。
噂を聞いた魔族はさっそく里へと出向き、少女を差し出せとエルフの里を蹂躙した。
その魔族は、魔王から宝珠を奪って逃げた魔族だった。
自分と同じように創世から生きている魔王の力が衰えないことを訝しんだ彼は、魔王が大事にしている宝珠には延命の力があると思い込んだ。
しかし、この世界に来て、それには延命の力などないことを悟った魔族は、それでも貪欲に死を嫌った。
壊滅寸前のエルフの里から少女を攫った魔族は、少女に不老不死を要求したが、少女は虚ろな眼差しで魔族を見返すだけで、いつまで経ってもその魔族に不老不死を与えようとはしなかった。
痺れを切らした魔族は、暗い洞窟の中に再び少女を幽閉した。
少女が救われたのは、それから数日後のことだった。
轟音と共に崩れる洞窟から救い出された少女が見たのは、自分をまるでおとぎ話の中の姫のように抱く、月の光に照らされたそれはそれは美しい一人の魔族の姿だった。
「こうして出会ったお前達の父さんと母さんだが……って、皆もう寝てるか」
月の光が差し込む牢の中、子供には難しい話だった所為か、この孤児院で過ごす六人の子供達はもうスヤスヤと眠っていた。
ザイレに俺を牢から出すなと命じられている為、仲良くなった俺と一緒に居たいけれど、部屋に連れて行けないと嘆いた彼らがとった行動は、一緒に牢で過ごすというものだった。
不衛生だった牢は魔法で綺麗に洗浄しているし、子供達には枕も毛布も持参させてきているから、床が石で硬く冷たいのが気にならないなら別に構わないのだが……こうも懐かれると複雑な気分だ。
接してみてわかったが、レゼを除く子供達は、攫われる前は普通の家庭で過ごしていたにも関わらず、普通の子供達がしている遊びや常識を知らなかった。
魔力制御回路を頻繁に狂わせ、時にはあり余る魔力で周囲の物を壊してしまう子供に対して、裕福ではない家庭がとれる対応は二つだ。
リリアの家のように両親が自分達で何とかして魔力を安定させようとするか、その子を遠ざけるか捨てるかして自分達が被害を受けないようにするか。
俺達と一緒に攫われてきた子供がボロボロの格好だったので、俺はてっきりザイレが子供を大人しくさせる為に何かしたのではないかと思ったが、子供達の様子を見ていると、後者であることは間違いなさそうだった。
この世界が現実となった今、ゲームでは語られなかったことにも理由や背景が付随していることは、俺の母がエリクシル剤でしか治らなかった病気を患っていたという事実で痛感した。
でも、だったら何故、ザイレはそのような子供達に対して、普通に遊んだり、教養を与えられる人間を教会内で探したりせず、こうして山奥の屋敷でほぼ軟禁に近い生活をさせているのか。
その理由だけは、考えても考えても俺にはわからなかった。
牢の中で遠慮なく焚いていた火を消して、俺は重い腰を上げた。
気配に敏感なレゼがぼんやり目を覚ましたが、ちょっと荷物を取ってくると言えば、レゼは何事もなかったかのように再び夢の世界に落ちた。
レゼのこの反応からして、ザイレは俺のことはどうでも良いらしい。
子供達に聞くと、自分達の手で牢から出すなとは言われたけれど、捕まえていろとは言われていないので、俺が自発的に出ていく分には問題ないという認識だ。
まったくもってよくわからない屁理屈だが、実際、俺よりも長く接していて子供達の思考を理解しているはずのザイレはその認識を修正しようともせず、俺の様子を子供達に聞いてはいるようだが見に来るまでもなく、完全放置を決め込んでいる。
地下牢に外と通じる大穴を開けようが、子供達が農作業に出向いている間に魔物狩りに行こうが、厭みの一つも言われないということは、俺が逃げても問題ないということなのだろう。
リリアが何も言わずに治癒魔法を使ってくれていれば、ザイレにとって俺を此処に拘束していなければならない理由などないし、必要になれば空間魔術ですぐに連れ戻せるから?
俺には人質としての価値はないと、そういうことか?
俺達が攫われてもう一週間だ。
そういうことならと、俺はどうにも釈然としないものを抱えながら、子供達を起こさないよう静かに大穴から外に飛び出した。
俺が向かったのは、俺達が攫われる前に泊っていた宿だ。
受付でセルディオの行方を聞くと、気の利いたことにまだ同じ部屋に泊っているということだったので、そちらに向かった。
そこで俺が見たのは、滅多に触れない白金貨を真剣な表情で見つめて固まっているセルディオの姿だった。
「……セルディオ?」
俺の声にビクリと肩を震わせたセルディオは、扉を開けた音にすら気付かないほど集中していたのか、わたわたと白金貨を枕の下に隠した後、俺の姿を見て驚愕した。
「ぼ、坊ちゃん! 今まで何処にいたんスか!? 教会に行っても居ないって言うし、何があったかと!」
「連絡できなくて悪かった。ちょっと孤児院の牢に入れられて様子を見てたんだけど、大丈夫そうだから一旦抜け出してきた。お前が此処にまだ居てくれたことは嬉しいんだが……で、その白金貨は何だ? まさか教会に買収――」
「される訳ないじゃないッスか! リリア様が何かあったら疑えって言っていた神官長を徹底的に調べていたら、今日、その神官長がリリア様の伝言と一緒に白金貨を渡してきたんスよ!! というか、牢って何スか!? リリア様も一緒にいるんスか!? やっぱり神官長が原因ッスか!?」
「ちょ、落ち着けって! 俺もリリアも無事だから! というか、リリアからの伝言って何だよ?」
迫り寄ってきたセルディオを片手で押えながら聞けば、セルディオは目を潤ませた。
「リリア様が退屈凌ぎに、手元で眺められるくらいの綺麗な物を欲しがっているって。白金貨一枚分の価値がある物をフリーマーケットで探して来いなんて……そんな高価な物、フリーマーケットにある訳ないじゃないッスか」
本気でリリアを心配して泣きそうになっているセルディオに苦いものを感じながら、俺は頭を巡らせた。
聖都で開かれるフリーマーケット、白金貨を出さなければ買えない物、手元で眺められるくらいの綺麗な――といえば、リリアが求めている物は想像がつく。
攻略対象者達の中に、トゥルーエンドを迎える為に特定のアイテムが必要となるキャラクターがいた。
そのアイテムは、自由に動き回れる休日を潰して、月一回しか開かれない聖都のフリーマーケットで材料を収集してから、教会で作ってもらわなくてはならないのだが、それらの材料を売ってくれる人物の出現はランダムで、しかも店に並ぶ商品は毎回一つずつなのでなかなか揃えづらくて、俺は何度もロード&リセットを強いられた。
「空の花、水の瓶、地の草、時の砂、銀の皿、虹の石――どれも魔道具や薬の材料だ。どう使うのかまでは想像できないけど、リリアが欲しがっているのはその辺だろうな。売っているのは、フードで顔を隠している小柄な女性だ。商品が一つしか置いていない怪しい露天商がいたなら、高確率でそいつだ。元商人のお前の目利きなら探せると信じて、リリアもお前に頼んだんだと思うぞ」
具体的な商品名を挙げてそう言ったら、セルディオは目の色を変えた。
珍しい商品に対しての商人としての性なのか、単純にリリアに信用されて役に立てることを喜んでなのかはわからないが。
リリアに頼られていることが羨ましくて、セルディオに舌打ちをしそうになった。
ランスロット・オルトランドのグッドエンディングは、ヒロインとランスロットが結婚式を挙げているシーンで終わるのだが、そのスチルの隅には、悔しそうに泣いているリリアの肩を抱いて慰めているセルディオの姿があったのを覚えている。
俺がいなければ、もしかしたら将来的に結ばれていたかもしれない二人の信頼関係に嫉妬する感情を理性で抑えて、俺達が攫われた経緯やら公爵家への連絡内容についてなどを話し合い、王都から持ってきた自分の荷物を貰って、俺は子供達が待つ牢に戻った。
正直、リリアとこんなに長期間会えないのは初めてで落ち着かないし、不安になるばかりだ。
リリアとは出会ってからずっと一緒に居たし、王都に来てからも一緒の部屋で眠っていたから、今は隣りが物足りなくて仕方なかった。
俺はそっと溜息を吐き、幸せそうに眠る子供達に囲まれながら、一人ゆっくりと目を閉じた。
ぐっすり眠れそうにはないが、休まないよりはマシだろうと。
その日以降、セルディオへ魔物の皮など換金できるものを渡し、代わりに日用品などを買ってきてもらうというサイクルが組み込まれたものの、俺の一日の過ごし方は基本的にはあまり変わらなかった。
午前中はレゼの疑似空間の中で子供達と遊びという名の訓練を全力で行い、レゼの集中力が切れて空間魔術が維持できなくなった午後からは、単独で魔物を狩りに行って、夕方には子供達と獲ってきた肉や野菜を食べながら、この世界の知識を教えるという日々。
即ち、主に加減を間違えば霧散する魔力の球体で遊ぶことによって、子供達に魔力のコントロール方法を自然に学ばせ、穀物と野菜ばかりで栄養が不足しがちな子供達に、新鮮な肉も食べさせて身体を作らせ、他愛もなく話しながら知識を付けさせつつ精神面を伸ばすこと。
それが俺が考えた、俺にできる誰も失わせない方法だった。
強い精神は健康な身体から。その逆も然りと、よくリリアが言っていた言葉だ。
身体がしっかりできていなければ、いくら精神を鍛えたところで体力的に耐えきれないし、心がしっかり強くならなければ、いくら身体を鍛えたところで精神的に耐えられないと、幼い頃に体調を崩しがちだったリリアは考えていた。
実際、栄養バランスの良い食事で身体の基礎をつくり、何度も崩れそうになる精神面を崖っぷちの状態で鍛えて、リリアは魔素中毒を克服している。
エレン、ロイ、ヴィス、レイラ、セレナ、そしてまだ此処にはいないサラ。
序盤では元気だったのに、ゲームの終盤では死んでいたのはこの六人だ。死因はどれも魔素中毒だった。
リリアと同じ方法をとれば、潜在魔力量は高位魔力保持者ではなかった頃のリリアを優に超えている子供達だ。まだ時間もあるし、何とか救うことができるだろう。
リリアはアイテムを使った他の方法を思い付いたようだし、情けないことに俺には今はそれくらいしかできることが見付からないから、俺は主に子供達を救う方面に専念させてもらうより他ない。
幸い、重要課題である魔力コントロールを教えるのは、幼い頃にリリアに苦労させられたから得意ではある。
ドカンだのバキンだのと感覚で魔力コントロールを覚えようとするリリアに対して、どちらかというと理論で覚えた俺が四苦八苦しながら正式なコントロール方法を教えていた過去が有り難くさえ思える。
途中、たまに自分のやっていることがこの状況での最適なのだろうかと疑心暗鬼になりながらも、リリアよりも大分物わかりの良い子供達の成長速度に少しずつ俺の期待感は高まっていった。
二週間後、エレノアがまた儀式を行うということで、儀式用の白い神官服に着替えた子供達が牢に迎えにきた。
久しぶりにリリアに会わせてもらえるという話だったが、一人で浮かれていたら女の子達に腕を絡めとられてしまった。
無闇に振り払えないし、これはちょっとリリアに怒られないかと不安になりつつも、彼女がどういう反応をするかドキドキしている俺もいて、とうとう俺のリリア不在病による情緒不安定もここまで来たかと逆に落ち込んだ。
レゼの軽い足音の後、儀式の間へと空気が変わる。
酔わないよう閉じていた目を開けると、先に来ていたリリアが俺をどこか熱の籠もった視線で見詰めていた。
「……これは予想外よ。さすが私の素敵な旦那様ね」
久しぶりに聞くリリアの声で“私の素敵な旦那様”と呼ばれたことにニヤける顔を何とか抑えて返す。
「俺の可愛い奥さんをいろいろ助ける為だから、これは別に浮気じゃないぞ。なんか仲良く食事して、楽しく遊んでいたらこうなった」
「それを浮気と言わず何と言うの?」
うっかり自分の言ったことを振り返って俺は顔が引き攣った。
どう言い訳しようか考えているうちに、いつの間にか子供達を見回したリリアの視線が明らかに驚きの色に染まっていた。
それから少し涙を浮かべ、頬を紅く染め、俺を尊敬の眼差しで見詰めてくる可愛い姿が。
俺のしていたことは彼女にとってベストだったのだと認められたようで嬉しくなって、思わず理性が飛びそうになったのを頬笑み一つで自制した。
実のところ、俺はリリアに十年間こうして精神面を鍛えられたと言っても過言ではない。
同じ部屋、隣り同士のベッド、無防備に安心しきって眠る愛しい彼女、たまに腕で潰された綺麗な胸の谷間が見えたり、それはすごく過酷で幸せな日々だった。
あの頃を回想していたら、魔法陣の上から空気がぶれる音がした。
少しでも相手の姿を目に焼き付けておこうと見詰め合っていた俺達を引き裂いたのは、やはりザイレだった。
奴を睨みつけようと視線を移し、ふとザイレの腕の中の人物に見覚えがあることに気付いた。
「……これで全員揃ったな」
ザイレの抱える幼女は、きっと植物魔術使いのサラだ。
孤児院最後のメンバーにして、魔素中毒の最後の犠牲者。
リリアもそれに気付き、雰囲気を硬質なものに変えて彼らに向き直った。
「まずはその子を救いましょう」
リリアが覚悟を込めて発したその言葉に俺だけが頷いた。
儀式はリリアのおかげで問題なく終了し、俺達はまた引き離されて。
少女となったサラが屋敷で過ごすようになってから、夜は子供達全員でサラの部屋で過ごすようになった為、一人寂しく放置をくらっていた俺を深夜に起こしたのは、セレナという治癒魔術使いの女の子の叫び声だった。
「ランスロット兄! 大変なの!! サラが怪我したけど治らないの!」
泣いているサラの手を引きながらセレナは牢に飛び込んできた。
ざっと確認するが、外傷はなさそうだし、ここまで歩いてこれるということは、大した怪我ではないように見えるが。
「どうしたんだ? 何処が痛い?」
「……ひっく。おなか……いたいの……」
「お腹?」
腹部に視線が行き、それよりももっと下の、ちょうど寝巻のワンピースから出た足を伝って下りてきた鮮血を視界に入れた瞬間。
きっと俺は、聖都に来て最速で動いたと思う。
使っていた毛布をひっつかんで、サラの身体を覆い隠すように毛布を被せた。
泣きじゃくるサラの頭をとりあえず大丈夫だからと撫でながら、たぶんこの成長した女の子特有の現象を男の俺が何と説明しようか考えていたとき、バタバタと子供達が屋敷中から集めてきたらしい色々な薬品やら包帯やらを持って牢にやってきて、レゼに至ってはザイレとエレノアを連れて転移してきて、ザイレが珍しく狼狽し、サラの出血を見たエレノアが慌てながら時間魔術を使おうとして。
「……お前ら馬鹿か?」
騒ぐ彼らに対して、ついそう呟いてしまった俺は悪くないだろう。




