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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第二章 レゼ・F・エクアシス
14/29

彼はもう一度決意する

 彼女を引き寄せようとしたときには、もう遅かった。

 手を伸ばした先に彼女はいなくなっており、俺の腕は情けなく空を切った。


「……彼女を何処へやった?」


 俺を薄暗い地下牢に置いて去ろうとする背に問いかけた。

 しかし、返ってきたのは答えではなく、強烈な回し蹴りだった。

 反射的に右腕でその足を受け止めて、黒衣の男――ザイレを睨んだ。

 まさか不意打ちを受け止められるとは思っていなかったのだろう。ザイレは片眉を上げた。


「まるで私がどう攻撃するか知っていたかのような反射速度だな」


「変に勘ぐるなよ。動体視力が良いだけだ」


 もちろん、それだけではないけれど。

 ゲームでザイレは体術オンリーで戦っていたし、今は腕に気を失った子供を抱えているから、十中八九、攻撃するなら足だと警戒していたことが防ぐことができた大きな要因だ。

 魔族は長寿故に生殖能力が低く、魔界にはあまり子供がいなかった所為で実は子供好きという設定のあるザイレなら、空間魔術に入り込んだことを危険視して同時に攫ってきたと考えられる俺を、わざわざ殴りかかって腕の中の子供に近づけさせることはしないだろうと予想した通りだ。

 ただ、裏を返せば、悔しいことにそこまで予想していなければ、今の俺ではこの速度の攻撃は防げなかった。


 さらに憎々しいことに、ザイレは武器を使うよりも己の鋼の身体で戦うほうが攻撃力が高いとも設定されているが、そちらもこの現実に存分に活かされているらしい。

 実際、蹴りを受け止めた右腕は痺れていて、しばらく使い物にならなくなった。

 蹴りの衝撃でリリアの防御魔法が幾つか壊れた気がする。

 あまり彼女に心配はかけたくないのだが――

 俺達の間に不穏な空気が流れたそのとき、牢の暗闇を裂いて、ザイレと同じ姿の男が現れた。


「父上。母上を儀式の間に連れてきたよ。このお兄さん、誰?」


 口調に幼さを残す声とともに首を傾げた彼は、レゼ・F・エクアシスだ。

 ザイレと同じ二十代後半の姿のくせに、ザイレとは違って表情も仕草も幼い。

 レゼも過去に魔力制御回路を狂わせて死にかけたことがあって、魔力は十分にあれどコントロールが未熟な彼を救うため、エレノアが時間魔術を使って成長させた本当の子供だからだ。

 そういった子供達は身体だけ成長させられた所為で情緒面の成長が歪になっていて、レゼは特に残酷なこともザイレの命令なら悪気なくやってのける負の純粋さがあった。

 ザイレは、俺を見て凶悪な笑みを浮かべた。


「良かったな。このお兄さんがお前と遊んでくれるそうだ」


「え? 本当? じゃあ、オレ、追いかけっこが良いな」


 レゼは嬉しそうに飛び跳ねて、途中で足を不自然にタンッと軽く踏み込んだ。

 それがレゼの空間魔術の発動の合図であると知っていても、ザイレとその腕に抱えていた子供が消えた以外は、風景の変わらないここがレゼの創り出した疑似空間だと気付くには瞬きを三回分要してしまった。


 その間にレゼは何処かの空間から何本もナイフを取り出して、宙に浮かばせて遊んでいた。

 物騒なことに切っ先はどれも俺のほうを向いている。

 誰がこの子をこんな風に育てたんだと、主に父親のほうを罵倒してやりたい気分になった。


「……レゼ、だよな。いいぞ、お兄さんと遊ぼうか。俺が勝ったら、ちょっと教えてほしいことがあってな」


「うん、いいよ。オレに勝てたら教えてあげる。勝てたら、ね?」


 無邪気な笑顔でレゼが飛ばしてきた大量のナイフを、俺は横に飛び退くことで避けた。

 そのまま壁を何枚もぶち抜く勢いで牢の石壁に水魔法を打ち込んで、開いた穴に滑り込んで最大速度で走り抜けた。


 律儀にその場に留まって十を数えるレゼの声が聞こえる。

 カウントダウンの声と俺の足音だけが響く地下を走りながら、その隙にこの疑似空間を抜ける術を考える。

 ザイレの空間魔術にすら意図せず入り込めたのなら、それに劣るレゼの空間魔術を抜ける方法もあるはずだ。


 ――リリアのことは、きっと心配はいらない。

 防御面においてなら彼女は確実にこの世界最強だ。

 それにあの男がリリアのような綺麗系で、とてつもなく可愛い美少女に手荒な真似をする訳がない。

 この分なら、あの男に設定された変態紳士(ロリコン)という宿命も有効だろうから。


 彼女は、本当はとても強い。

 俺と離された今も、俺を守る防御魔法にブレが一つも出ない程に。

 弱くて俺が心配すべきなのは、むしろ――俺自身だ。




 容赦なく急所を狙ってくるナイフを避け、時には手刀で叩き落とし、魔法で撃ち落として。

 地下から地上へ、屋内から屋外へと突破口を探し回っているうちに、レゼの攻撃の手がふと止まった。

 俺も足を止めて振り返ると、レゼが手招きをしてきた。


「父上がお兄さんの大事な人に会わせてくれるって」


 どんな気の変わり様だよと訝しんでいたら、またレゼはあの特徴的な足音を立てた。

 今度はガラリと景色が変わる。俺は最初の地下牢に戻されていた。

 太陽の光が燦々とした屋外から急に暗い地下に戻されたため、ハレーションを起こしそうになる頭を抱えようとしたら、脇から現れた二十代くらいの容姿の男女に腕を押さえつけられた。


「ごめんなさい、僕達と来てください」


「暴れないでほしいの」


 二人の腕を押さえる力は、俺がちょっと身体を捻るだけでも振り払えそうなくらいの力だった。

 脅しというよりも懇願寄りな言葉も大人らしくなく、困った子供の発するような。

 この孤児院は、そういう人間が集うところだった。

 外見に中身が伴わない、世間からは厳しい目で見られてしまう歪な子供達の集う屋敷。

 抵抗する気なんて即座に失せた俺は、ほら、どこまでも弱い。




 俺が連れて行かれた場所は、地下牢よりもさらに地下の、儀式の間と呼ばれるゲームでも出てきた広間だった。

 レゼのルートで、最初の回想シーンに出てくる血の臭いが強い場所。

 だから此処に嫌な思い出しかないレゼは、顔を伏せて牢で待っていると言ったのか。


 ザイレの隣りにリリアは立っていた。

 超一級の危険人物の傍で、彼女は凛といつものように背を伸ばして、少しの怯えも見せずに。

 その堂々とした姿勢には驚いたが、とても彼女らしい姿に俺は胸を撫で下ろした。

 村から出てから幸せすぎて心が弱くなったと嘆いていた彼女だったけれど、そんなことはないと俺は思う。


 リリアは俺を見て安堵の溜息を吐いた後、魔法陣の上で血塗れになっているエレノアらしき幼女と少年の元へ駆け寄った。

 翡翠色の温かい光が二人を包み、光がフェードアウトした後には、まるで幻だったように傷一つない二人の姿があった。


「……素晴らしい。これで貴女をますます貴族にする訳にはいかなくなった」


 ザイレは治癒された二人とリリアを背にして、手に持っていた紙を簡単に破り捨てた。

 端々に書かれている文字は俺達の結婚関係の書類だったが、見咎めるだけに留めたのは、複製された偽物だと気付いたからだ。

 重要書類のくせに紙の強度が弱いと愚痴って書類にまで防御魔法をかけていたのはリリアだ。

 その術者が近くにいるこの状況で、本物ならばそんな簡単に破れるはずがない。

 ザイレもザイレで、神官長という立場となり、国王のサインと判子まで押された書類を無碍に扱えないなんて、随分とこちらの世界に絆されたものだと思ったが。


「先程はオルトランド公爵様の令息とは知らず、ご無礼を致しました。思考検査の結果、御結婚予定だった彼女は実に神官向きの人材だということが判明しました。貴族ならば強引には誘えませんが、今の彼女は平民です。たとえ国王が認めていようと公爵家継嗣の貴方とは身分違いの恋……障害も多いことでしょう。いかがです? 彼女を神官として教会に捧げませんか? 今なら公爵家を継いだ貴方と定期的に会うことは認めますよ。貴方との子も何人でも産んでもらって構いません。全力で教会が貴方達の愛をサポート致しましょう」


 まるで芝居のような口調でザイレは語った。

 後ろで自分の妻が、今どのような表情をしているかなんて気付きもしないで。




 教会は魔力制御回路の狂った子供を人知れず攫う。

 それは、子供の命は救いたいが、時には親よりも成長してしまった姿の子供を“異常”とする世の中に返す訳にはいかないから。


 教会は大々的に聖女の奇跡を起こす。

 それは、子供達の命を救う為に、成長させられるくらいの肉体年齢がエレノアに必要だから。


 聖女エレノアは血を流してまで子供を救う。

 それは、彼女にはその時が来てしまったときに年齢を調節するための生贄が身近に必要だから。


 どうしてエレノアは生贄を傍に用意しているのか。

 それは、愛するザイレとこれからも変わらず、ずっと一緒に居たいと願うから。


 どうしてエレノアはそうまでしないとザイレと共にいられないのか。

 それは、エレノアがもう――


 エレノアはどれだけ身を裂くほどの感情を繰り返して俺達と出会ったのだろう。

 たった一つの事実を夫に隠し続ける為に、彼女はどれだけ子供達も自分も犠牲にして血を流してきたのだろう。


 すべては、お前の為なのに。

 すべては、お前と一緒に生きていたいが為なのに。

 どうしてお前は、お前の後ろで泣いている妻に気付いてやれない!!




 本当のことを叫んでしまいたい衝動を、今までそれを隠し通してきたエレノアの為に力付くで抑え、俺はザイレの猿芝居に合わせて声を絞り出した。


「ふざけるのもいい加減にしろ。元々は高位魔力保持者でもなく魔力の弱かったリリアが、アンタ達の言う神官向きの人間な訳ないだろう。俺にはアンタの言い分は、オルトランド公爵家を敵に回すのは厄介だから一先ず俺のことは見逃すけど、教会が処理しない限り戸籍がつくられず俺と結婚できないリリアを人質にとって、俺の口を封じたいって聞こえたんだが?」


「……………」


 ザイレは沈黙して、ただ自信満々に笑っていた。

 何が魔界ランク二位だ。何がこの世界最強だ。


「そうやって自分達の優位を過信して誰にも助けを求めないから、こうして誰かが犠牲になるんだ」


 ここがゲームの世界だと、転生して未来の知識がある自分は優位に立っているんだと思い込んで、幼い頃に話していたなら助けになってくれていたかもしれない今の父親に助けを求めることをしなかった以前の自分を見ているようで、ひたすらに苛立った。


「さっさと気付けば、俺達だって父さんを救えたかもしれないのに」


「……何のことだ?」


 ザイレが怪訝そうに聞いてくるが、俺も答えてやる気は毛頭ない。

 リリアだけは俺の考えていることを察して、少しの逡巡の後に拳を握って立ち上がってくれた。


「……いいわ、ランス。今度は誰も失わない方向で、この茶番を終わらせましょう」


 俺は内心、誰も失わせないというその覚悟に驚いたが、彼女がそう決めたならと力強く頷いた。

 このレゼのシナリオ、すべての関係者を生かせる道があるかはわからない。

 だけど、魔素の種の所為で父親を失ったリリアの後悔は深いから、此処で同じく魔素の種で苦しんでいる彼らを救うことで、後悔が少しでも和らいでくれるなら。


「ああ。本当にふざけやがって。こんなシナリオ、絶対にここで終わらせてやる」


 訳がわからないとザイレがリリアの首にナイフを突き付けた。

 その切っ先が、決して彼女に届くことはないのに。


「まずは考えさせてくれ。俺は諦めが悪いんだ」


「……オルトランド公爵令息を牢に連れて行け。絶望するまで出すな」


 ザイレの何もわかっていない冷めた声が地下に響く。


 まだ俺達が村にいた頃、悪夢が現実のものにならないかと毎日怯えていたリリアを彷彿とさせる表情を浮かべたエレノアが、俺達を心配そうに見詰めていた。

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