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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第二章 レゼ・F・エクアシス
13/29

彼女はもう一度覚悟する

 離された、と思ったときにはもう遅かった。

 黒衣の男の指がパチンと鳴らされ、反射的に閉じたたった一回の瞬きの合間に私達はその場から移動させられていた。

 ――魔術だ。魔術は魔力で構成を編んだ後、術者の発する音を合図に発動する。

 ゲームでは主に魔界に繋がるゲートを開くことに使っていた空間魔術は、特に扱いが難しいとされているが、瞬間的に音を鳴らしただけで発動したなら、間が悪いことに構成はもう編み終わっていたところだったのだろう。

 何処でどう惑わされたのか、あのとき私達は意図せず術者側の空間に迷い込んでしまっていたらしい。

 まずい状況で出会ってしまった男の危険度故、私を庇おうと咄嗟に前に出たランスは繋いでいた私の手を放したし、私も彼が戦うならばと簡単に放してしまった。

 そして今、ランスは私の傍にはいない。


 私が連れてこられたのは、恐らく大聖堂内の一室だ。

 ゲームをしていたとき、大聖堂に女神の啓示を受けたとやってきたヒロインがとりあえずの滞在先にと案内された部屋に似ている。

 客室なのか、部屋にあるのは簡単な家具だけで、生活感がまるでなかった。

 空中に投げ出された私の身体を受け止めてくれたベッドの上で、私は自分を必死で落ち着かせて、ランスの気配を探った。


 孤児院、か。

 私がランスに掛けた防御魔法の気配は、大聖堂からは大分離れた場所にあった。

 ギリギリ魔法の気配が掴めるこの距離で、あの黒衣の男が空間魔術でよく転移する場所なら、聖都の西にある山の中に建てられた孤児院だ。

 あの男は私達と遭遇したとき、ボロボロの格好で気を失っている男の子を腕に一人抱えていた。

 その男の子を孤児院で治療するついでに、ランスも連れて行かれたと見ていい。

 彼に掛けた防御魔法の気配が幾つか崩れていた。

 私は勝手に泣き出しそうになる目を両手で覆った。


 自分で自分を叱責した。何をやっているんだ、と。

 本来なら守る役目は私のほうが適性があるはずなのに、彼に庇われることに慣れてしまっていた結果がこれだ。

 彼を盾にして、半年前まで毎日傷だらけの生活をさせていたのは私なのに。

 彼も父もちゃんと守れなくて、最後の戦いでも大怪我をさせて、父を失わせたのは私なのに。

 自分の弱さが情けなくて悔しくて涙が零れそうになる。


 どれだけ無様にそうしていたことだろう。

 カチャリと鳴ったドアの音に身体を起こしたときには、黒衣の男が部屋に入ってきていた。

 黒髪に紅い瞳を持つ、寒気がするくらいに造形が整った二十代後半の男。

 その容姿を持つ男には二人心当たりがある。

 攻略対象者であるレゼと、私達をここに攫ってきた張本人であるザイレだ。

 この二人は非常に外見が似ていた。

 純粋な魔族であるザイレのほうの血が濃く出ているレゼは明らかに父親似で、今時期は二人とも同じ二十代後半の姿をしているから。

 これはどちらだ、と頭を回転させる私を嘲笑うかのように黒衣の男は口元を緩ませた。


「おはようございます。この部屋、気に入っていただけましたか?」


 ああ、最悪のほうだ。

 だけど幸いなことに、ザイレが私の前にやってきたということは、世界最強クラスの戦闘能力を誇るザイレが今もランスの近くにいる訳ではないことで。

 彼に掛けた防御魔法で崩されているのは、殴られたか斬りつけられたかくらいで破壊される程度の彼の状態確認用の軽い防御魔法だから、それ以上の攻撃を受けていないなら大丈夫だ。

 教会内で防御魔法が幾重にも掛かった状態で何の拘束もされていない彼を本気で殺せるとしたら、この男くらいなもの。

 幸せな日々に腑抜けていたとはいえ、私の彼を想う魔法はそこまで柔じゃないし、彼も決して弱くはない。


「ランスはどうしたの?」


 気持ちで負けたら、私の防御魔法は崩れる。

 思い切り睨みつけてやれば、ザイレは心外だと肩をすくめた。


「貴女は知っていますか? 今、聖都周辺で流行している病を。彼はそれを患っていたようなので、我々の治療施設にお連れしました」


「白々しい。貴方は知っていますか? 今、聖都で子供達の誘拐が相次いでいるのを。彼はどうやらそれに巻き込まれたみたいなのだけど」


「誘拐事件については我々も頭を悩ませているところでしてね。彼とは別問題ですよ」


「ええ、別問題でしょうね」


 そう、普段なら貴方達は魔力制御回路が狂った子ども達だけを誘拐しているんだから、とは続けて言わないが。

 笑みをさらに深くしたザイレは、何もない空間から数枚の紙を取り出した。


「彼の治療を円滑にする為に、治癒魔法に適性がある高位魔力保持者の貴女にお願いがあるのですが」


 ザイレの手には、教会で今日受けた適性検査の結果と、私達が提出した書類が握られていた。




 再び空間魔術で私が連れてこられたのは、思った通り孤児院の地下だった。

 石造りで外界の光とは遮断された血の臭いが漂うその場所には、魔力を安定させる為の魔法陣が床に描かれていて、その上で一人の黒髪の幼女と見覚えのある面影の少年が血を吐いて倒れていた。

 二人とも身体のいたるところから血を流しており、過去、ランスと父の散々な怪我を見てきた私ですら、目を逸らしたくなるほど痛々しかった。

 幼女は聖女エレノアで、少年は私達と一緒に攫ってきた男の子だろう。

 男の子は私達が出会ったときよりも成長していた。

 ここで少年に対して、エレノアによる奇跡の治療が行われたのは明白だった。


 これが“聖女の奇跡”の原理。

 魔術特性の中でも特殊とされる、エレノアの時間魔術による肉体操作だ。


 私が幼いときにそうであったように、魔力を持つ子供は幼少期には魔力が安定せずに体調を崩しがちで、時には命まで落としてしまうことがある。

 聖女エレノアは、時間魔術で魔力を安定させられる年齢まで強制的に身体ごと魔力制御回路を成長させて子供を救っている。

 だが、世界の理を無視して無理やり肉体を操作し、術者も対象者も無事で済む訳がない。

 死者蘇生すら可能である奇跡の魔術を授かった代償に、時間魔術は術者の身体にも反動がくる。

 対象を成長させれば術者は反対に若返り、対象を若返らせれば術者は老化する。

 エレノアは今日も聖女の奇跡をたくさん起こして、対象を若返らせることで病を患っていない頃の状態に戻し、自身は少しずつ大人の姿を取り戻していったはずなのにもう幼女の姿に戻っている。

 多少の変化であるなら身体も軋む程度で済むが、それが過ぎれば、術者も対象者もお互いに内臓は悲鳴を上げ、皮膚は裂けて、このように血塗れになるのだ。


「あの二人を治療すれば良いの?」


「わかっているならさっさとしろ」


 私の隣りでザイレは酷い状態のエレノアを見詰めながら奥歯を強く噛んでいた。

 それほど無力に耐えなければならないなら、どうして愛しい彼女に治療を続けさせているのか。

 私はその理由も知っていながら、口調が本来のものに戻ったザイレに問う。

 正直、私は他人のことなど構ってられないからどうでも良いのだが、彼は……。


「ランスは何処?」


「治せば会わせてやる」


「会わせてくれたら治すわ」


 数秒間視線のやり取りをした後、ザイレは部屋の壁際で控えていた黒衣の男性と女性に顎で命じた。

 しばらくしてその男性と女性に脇を固められたランスが入ってきて、ザイレの傍にいる私を見て驚いた後、安堵の表情を浮かべた。


 私も怪我一つない彼の姿に安心して息を一旦吐き、すぐにエレノアと少年のそばに寄って、一気に治癒魔法で治した。

 魔法は魔術とは違って世界の理を大幅に無視できないが、適性と魔力さえ足りているならほとんど万能の域だ。

 何処が痛んでいるとかまどろっこしいことを考える必要はなく、魔力を注ぎ込めば注ぎ込んだだけ治癒魔法は傷ついた部分を治してくれる。

 ランスの腕を押さえてつけている女性が治癒魔術で治せなかっただろう個所すらも、私の治癒魔法であれば完全に。


「……素晴らしい。これで貴女をますます貴族にする訳にはいかなくなった」


 私ではなくランスに向き合って、ザイレは手に持っていた結婚関係の書類を端から破り捨てた。


「先程はオルトランド公爵様の令息とは知らず、ご無礼を致しました。思考検査の結果、御結婚予定だった彼女は実に神官向きの人材だということが判明しました。貴族ならば強引には誘えませんが、今の彼女は平民です。たとえ国王が認めていようと公爵家継嗣の貴方とは身分違いの恋……障害も多いことでしょう。いかがです? 彼女を神官として教会に捧げませんか? 今なら公爵家を継いだ貴方と定期的に会うことは認めますよ。貴方との子も何人でも産んでもらって構いません。教会が総力を尽くし、貴方達の愛を支援致しましょう」


 まるで芝居のような口調でザイレは語った。

 ザワリと冷たいものが背筋を走ったが、気の所為ではなかったらしい。

 ランスの纏う空気が、息も白くさせるほど冷たいものになっていた。


「ふざけるのもいい加減にしろ。元々は高位魔力保持者でもなく魔力の弱かったリリアが、アンタ達の言う神官向きの人間な訳ないだろう。俺にはアンタの言い分は、オルトランド公爵家を敵に回すのは厄介だから一先ず俺のことは見逃すけど、教会が処理しない限り戸籍がつくられず俺と結婚できないリリアを人質にとって、俺の口を封じたいって聞こえたんだが?」


「……………」


 ザイレは沈黙をもって正解だと応えた。

 私からは見えないが、ザイレが余程癪に障る表情をしていたのか、ランスは盛大に顔を顰めて吐き捨てた。


「そうやって自分達の優位を過信して誰にも助けを求めないから、こうして誰かが犠牲になるんだ。さっさと気付けば、俺達だって父さんを救えたかもしれないのに」


「……何のことだ?」


 ザイレが怪訝そうにしているのも無理はない。

 私達にしかわからない、私達がしている後悔の話だから。

 エレノアの傍にしゃがみ込んでいた私は、掌を握って立ち上がった。


「……いいわ、ランス。今度は誰も失わない方向で、この茶番を終わらせましょう」


「ああ。本当にふざけやがって。こんなシナリオ、絶対にここで終わらせてやる」


 彼に馬車の中で垣間見た弱気な様子はもうなかった。

 幸せに温くなった思考を、命懸けで運命に立ち向かっていた半年前まで戻すのは容易なことではないが、彼が決めたなら、私はあの頃のように彼を全力でサポートするのみ。


 意味のわからない会話に苛立ったザイレが私の首にナイフを突き付けた。

 その程度の武器で、私が命懸けで扱ってきた防御魔法が壊れるはずがないのに。

 案の定、私の魔法をわかっているランスの顔色は変わらない。


「まずは考えさせてくれ。俺は諦めが悪いんだ」


「……そいつを牢に連れて行け。絶望するまで出すな」


 ザイレの冷たい声が地下に響く。

 私が治療したときからエレノアは、愛する夫を見上げてとても悲しそうにしていた。

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