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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第一章 ランスロット・オルトランド
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迎えられないトゥルーエンド

 かつて公爵である父が村人達を弔った送り火の跡には、一人の女が立っていた。

 黒に近い紫色のドレスを翻した女は、この降り続く雨の中、胸の中央に咲く邪悪な色の花を優雅に愛でながら、地面に這い蹲ることしかできない俺達三人を嘲笑った。

 二段階目まで開花が進んだ魔素の種――その宿主である女にどのような攻撃をしかけても、防御魔法で阻まれてしまった。

 魔素が含まれた雨の所為で近くの街に騎士団を置いてくるしかなかったこの状況で、俺達にもう打てる手はない。

 俺は口に広がる血と土の臭いを噛みしめて、女を睨みつけた。


「あらあら、久しぶりに会った我が息子はつれないわね。そして、なんて情けないこと! この程度の力量だなんて、あの御方の血を引いているとは到底思えないわ!」


「……俺が誰の血を引いているか、一番わかっているのは貴女だろう」


「そうよ! そうなのよ! 貴方はあの御方の息子! 私が産んだあの御方の息子なのよ!」


 女は甲高い声を上げ、黒い空を両手で仰いだ。


「貴方はあの御方と私の息子! そうよ! 貴方さえいなければ、私はあの御方の傍にずっといられたの! こんな辺鄙な村で死ぬこともなかったのよ!」


 女の狂った笑い声が頭に響く。


 わかってはいた。わかっていたから、俺は怖くて母に聞けなかったし、優しい母も本心を隠すことは容易に想像できたから問わなかった。

 でも、この女――流行病で亡くなった母と同じ顔、同じ姿をしたこの女なら答えてくれるだろうか。


「母は……貴女は、俺を憎んでいたのか?」


 俺の酷く掠れた声は、それでも女の元までは届いた。

 その証拠に女の笑い声は止んだ。まるで時間が止まったかのように忽然と。


 女は緩慢に視線を俺に戻して、儚かった母と同じ人物だとは思えない冷酷な微笑みで肯定した。


「そう、貴方。そして、そこに倒れている小娘と、権力で公爵家に嫁いだあのお姫様も。全部憎いわ。当然じゃない。貴方がいなければ、私はあの御方にお仕えし続けることができたし、あの血筋だけが取り柄のお姫様さえいなければ、そもそも私とあの御方はきっと結ばれていた。こんな寂れた村で、その小娘に母と認められない苦しみを味わうこともなかったし、私の可愛い貴方が小間使いのようなことをさせられることもなかった!!」


 女は言い終わった後、俺の後ろに倒れている二人――聖女と妹に視線を移した。

 どうしてか、ただそれだけの動作なのに俺の心臓がどうしようもなく凍えた。


「そうね……そうよね。その小娘、考えてみれば私が欲しいものを手に入れているわ。あの御方のお傍、公爵家の身分、貴方からの家族愛。そして何より、あの人からの私への愛情だって娘の為だったなんて!」


 あの……人? 狩人だった父のことか?

 想像もしていなかった人物を指す言葉に驚いたと同時、頭の中で警鐘が鳴る。


「……本当に憎いわ。愛情も身分も、すべて手に入れられる女が」


 目が完全に据わった女が一歩踏み出した。

 戦えるのは俺だけなのに、この傷だらけの身体は動かない。


「貴女の前で、貴女の愛する人を殺したらどうなるのかしらね。私と同じ苦しみを貴女も知ることになるかしら?」


 女の胸に半分だけ咲いていた濃い紫色の花が、歪な音を立てて開き始めた。

 後ろで誰かが立ち上がる音が聞こえる。


 俺と一緒に異変の調査を命じられた聖女は、浄化魔法を一度失敗して跳ね返されて動けないはず。

 この中で動けるとしたら、もう、強引に付いてきてしまった妹しかいない。


 女の視線はそちらに向いたままだ。

 危険なのは俺じゃない――狙いに気付けと願うが、女が身体から伸びる根の一本を放った刹那、俺の前に飛び込んできたその妹によって、防御魔法が展開された。


 だから、ついてくるなと言ったのに。


「お兄様……大丈夫ですか?」


 鋭い根の切っ先は、俺を庇うように立ったリリアが両手で展開した翡翠色の光を放つ防御壁に突き刺さって止まっている。


「大丈夫に決まっているだろう! その攻撃は、俺を狙ったものじゃない! 最初からお前を狙って……ッ!!」


 魔法が軋む音が聴こえる。

 術者だから気付いているはずなのに、前を見据えたままのリリアの後ろ姿は一切怯えを見せていなかった。


「そうでしたの? お兄様が甘やかすから、私はいつまでも無知で気付けませんでしたわ」


「どけ!! 防御壁が崩れる!!」


「どきませんわ。だって、根は一本ではありませんもの」


 リリアが言うが早いか、次々と根が防御壁に突き刺さっていった。


「お兄様。一つ、お聞きしたいの」


 魔法にかかる負荷に耐えきれず、その細い指先からは血が滴った。

 リリアの表情は俺からは見えないが、相当な苦痛を伴っているだろうに声は落ち着いていた。


「私は、お兄様に愛されていたのでしょうか?」


 こんなときに意味のわからないことを言う。


「お前は、俺の家族だろうが!! 愛していない訳がない!!」


「……だからお兄様は女心がわかっていないのですわ」


 防御壁にヒビが入った。


「お兄様、先程あの女が言ったこともちゃんと理解していませんでしょう? あの女が言った“貴女”って、私のことじゃないわ。ほら、この軌道、聖女様を狙っているわ」


 途中から公爵家に引き取られる前の言葉遣いに戻ったリリアは、自嘲めいた口調で続けた。


「お兄様。私があの女の羨むような、愛情も身分も“すべて”手に入れられる女ではないことは、私もあの女も知っているの。あの女、私がお兄様から与えられたのは家族愛だって言い切ったもの。私が欲しいものは、そんなものではないのよ」


 防御壁に一つの亀裂が走る。


「純粋に一人の女として貴方に愛されたかった。貴方に愛され、愛することを許された聖女様が羨ましい。だから私は聖女様が大嫌いなの。でも、貴方が幸せになれるのなら……私は、たとえこれが最期になろうと、本当に憎くて仕方ない聖女様を守らずにはいられないのよ」


 辛うじて振り返ったリリアは、何故だか微笑んでいた。


「今まで甘えさせてくれてありがとう。そして、いろいろ我儘を言って気を引こうとしてごめんなさい。私が無理やり付いてきたから、今日も貴方を苦しめて……。あの魔素の種を守っている魔法、根本にあるのは私が昔あの人にかけた魔法なの。でも、ほとんど無意識だったから解けなくて。だから、術者である私がいなくなれば貴方は勝てるわ。大丈夫、貴方は私の自慢のお兄様なのだから」


 リリアは片手を俺に差し出した。

 防御壁にはさらに多くの亀裂が入ったが、リリアは構わない様子で、その指先に魔法を灯した。


「世界で一番愛しています。どうか、お幸せに」


 微笑んだまま、その言葉とともに傷ついた小さな手が放ったのは、崩れた防御壁を修正するための術式ではなく、俺の傷を癒すための治癒魔法だった。


 動くようになった足で俺は即座に地面を蹴る。


 俺が向かったのは、聖女の元だった。

 満身創痍の彼女を抱え上げて、女の攻撃の軌道から抜ける。

 次は妹を、と振り返れば、リリアはこちらを向いて泣きながら、子どもの頃のように笑っていた。


 ガラスが割れたような音が響く――防御魔法は完全に崩された。

 たった一人の妹を巻き込んで。


「これで花が咲くわ!! 女王になれるの!! 身分違いの恋なんて言い放った、あんな姫になんてあの御方を渡さなくて済むのよ!! 私だってお姫様になれるんだから!!」


 女は高笑いを上げ、貫いた妹を攫っていった。

 身体ごと魔力制御回路を根に喰われて消えていく妹の姿を視界に入れた直後、どう動いたかは覚えていないが、俺はもう迷わずに母に似た女の胸に咲き誇った花の中央に剣を突き刺していた。

 あれだけ強固だった女の花を守る防御魔法は、リリアの言った通り、軸を失くして簡単に崩れていた。


「母様……母様は、リリアに母親だって認められていたよ。リリアの無意識の防御魔法は、リリアが愛した人間にしか掛からないって、父上が言っていたから。こんな姿になっても死なせたくないほど、リリアは母様のことが好きだったらしい」


「何……を……」


「もう一度眠ろう、母様」


 俺の後ろでは、聖女の魔法が眩い光を放っていた。

 剣を抜いて俺が離れた後、聖女の放った浄化魔法の本流が押し寄せ、母の姿をした魔素の種の悲鳴とともに、淀んだ空は晴れていった。






 夕日が照らす丘には、たくさんの墓標が並んでいた。

 狩人の父と母の名前の傍に妹の名前を刻んだ墓標を作って、色とりどりの花を供えた。


 母と妹の身体は、魔素の種に完全に浸食された所為で残らなかった。

 何も埋まっていない墓標だけの墓を見詰めながら、俺は自分の瞳と同じ色をした宝珠を握りしめた。


「……こんな思いをするのは、俺一人で十分だ。これから貴女が辿り着く場所に、俺も一緒に連れて行ってはくれないだろうか」


 墓標に祈りを捧げる聖女の手を取って、俺は指先に触れるだけのキスをした。


「どうか、貴女を俺に守らせてくれ。俺の愛しい人。願わくば、俺とともに生きる道を選んでいただけないだろうか?」


 聖女は俺を見上げ、白い頬に涙を流しながらゆっくりと頷いた。

 神秘的な涙に口付けて、俺はまだ見ぬ魔王への復讐を誓った。


 聖女の手をとって丘を去ろうとしたとき、一際強く吹いた冷たい風が俺の足を止めた。

 ふわりと舞った髪を押さえる聖女の仕草に妹の姿が重なったのは、俺の罪の意識が見せた幻影か。


 俺はそれから一度も墓標を振り返ることはなかった。

 振り返る資格など、俺にはない。


 俺が選んだのは、聖女。

 女神の力を授かった、この世界で唯一の崇高な女性なのだから。


 村を離れたとき、ふいに風の中に妹の寂しげな声が聞こえた気がした。

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