§1 輝きし者 -3-
水泡より生まれ出でる天空人は、人よりも遙かに長い年月を生きる。不慮の事故にでも遭わぬ限り、天空人は500年という年月を生き水泡へと帰るのだ。
彼らはそれ故、人とは成長の仕方がかなり違っていた。天空人は生まれてから約一年で成人を迎えるのだ。
人でいうところの十年分ほどの成長を一年でし、その後、彼らは殆ど年齢を重ねずやがて最後の時を迎えるのであった。
まだ若く、人間に例えるならば二十代後半といった姿のエンリキも、すでにかなりの年月を生きてきた。死を迎えるのも、彼とってはそう長い先の話ではない。
「エンリキ」
黄金の髪を振り乱し、ヒューガがエンリキの衣の裾を引っ張った。
「どうしました?」
問いかけながら、エンリキは乱れた髪を手ぐしで整えてやる。
「背中が痛い……」
キュッと眉を寄せ唇を尖らせるヒューガを後ろ向きにさせ、衣を脱がせた。
その背の、ちょうど肩甲骨の辺りが、ぽっこりと瘤のように膨らんでいる。
「ああ――」
エンリキの唇が淡い微笑が浮かべた。
慈しむような笑みの理由が判らず、ヒューガはキョトンとした顔で彼を見つめ返す。
「大丈夫。羽根が生えるのですよ」
その言葉に、金色の瞳が大きく見開かれた。
澄んだ黄金色の瞳は、どの天空人にも持ち得ない虹色の輝きを放つ。
天空人たちが持つ、ただの金石の瞳ではない。ヒューガのそれは、黄金の中にその都度輝きを代えるオパールの輝きがあるのだ。
キラキラと彼の感情によって色を変える瞳を見ていると、まるでその輝きに吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
「羽根が生えるの?」
首を傾げ、不思議そうにヒューガはそう問うた。
「ええ」
彼がこの世に誕生して、そろそろ一年が経とうとしている。ちょうど羽根の生える頃であった。
「いつ生えるの?」
「貴方の生まれた日の朝には生えてますよ」
「羽根が生えるのって痛い?」
「ほんの少しだけ」
「痛いのヤだ」
頬を膨らませるヒューガに、エンリキは困ったような笑みを浮かる。
嫌だ――と、ヒューガは己を主張する。だがそれは、天空人にとりあってはならぬ事であった。
彼らは起こる事を享受するだけであり、それを嫌がったり否定したりはしない。
予言の通り、ヒューガの性は天空人とはあまりにもかけ離れていた。それが時折、こうしてエンリキを困惑させるのだ。
「我慢なさい。そう長く痛むものではありませんから」
言いながら、エンリキはヒューガに衣を着せてやった。
「羽根が生えたらお祝いをしなくてはいけませんね」
「お祝い?」
「ええ。貴方が大人の仲間入りをした…という事になりますから――」
「ふうん。でも俺――」
「ヒューガ」
ヒューガの言葉を遮るように、エンリキは彼の名を呼んだ。
「――何度言えばわかるのですか? 自分の事を“俺”などと言うのはおやめなさい」
どこで覚えてくるのか、ヒューガは天空人達が使う言葉よりも、人間達の使う言葉を好んで使う。仕草一つについても同様であった。
どこか粗野で、それでいて明るい……。
「羽根が生えれば、貴方の会いたがっていたシルフの王に会えますよ」
「本当!?」
「ええ。生まれて十三ヶ月が経ったお祝いですから……」
「やったー――っ!!!!」
飛び上がって喜ぶと、ヒューガは自分の部屋と駆け戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、エンリキは生まれて初めて小さな溜息をつくのだった――。