§0 始まり -2-
「イシュラ様――」
嗄れた老婆の声が、主の名を呼んだ。
辺りは淡い光に染め上げられている。
「先見〈さきみ〉のおばばよ――。そなたの見立てに違いはあるまいな……?」
朗々と響く、黄金の声音――。
「残念ながら……。いかがなさいます、イシュラ様よ――」
その問いは、玉座に座る黄金の女神像へと向けて放たれた。
ゆっくりと、その像の閉じられていた瞳が開かれてゆく。
金の長い睫に縁取られた隙間からこぼれ落ちたのは、やはり黄金の輝きであった。
澄んだ金石の瞳――…。同じ黄金でてきた髪は流れるように床を這い、まるで豪奢な絵のようにも見える。
黄金でできていると謳われる美しき女神。それこそが、天空の女王“イシュラ”であった。
全てが黄金に染まる世界の中、唯一、女王の白皙の額に飾られた石だけが深紅の輝きを放っている。
「魔道士ヘルザーが復活するとあっては、この地上もただでは済むまい――」
イシュラは美しい眉を寄せ、固い声で告げた。
「何とかきゃつの復活を阻止せねばならぬ」
「それには時が遅すぎますぞ!」
老婆はそう言って手の中の水晶を女王の前へと差し出した。
「ご覧なさいませ。この水晶の輝きからして、ヘルザーの復活はもうまもなくでございます。さすればヘルザーはこの大陸をすぐにでも襲ってまいるでしょう。きゃつめの狙いはただ一つ――…っ」
老婆の視線の先で、イシュラの金石の瞳がほんの僅か揺れた。
「インスファイア大陸の封印石か……」
「さよう――。封印石が奪われかつての大陸が浮上してくれば、この世界は再び魔物どもに征服されてしまいましょう」
「封印石を、どこかへ隠せとでも――?」
声は黄金の光となって老婆へと降り注いだ。
「さようでございます」
「隠しただけで奴が諦めるとでも思っているのか?」
「いいえ――」
応えは意外なほどあっさりとしていた。
「…実は先程の先見とは別に…もう一つ予言を見ました――…」
「ほう――」
老婆は口の中で呪文を唱える。
古の言葉が紡がれる度、老婆の足下に文字が浮かび光となって彼女の周りを飛び回った。
『汝、水晶は大地の輝きなり。其は水の流れなりて、水は空の恵みとなり、大地へと帰らん。始まりは原始へ――。終わりは混沌へ――。我はその大いなる力の源によりて、この世の果てをいま垣間見ん――!!』
白光と冨名、水晶は音を立てて砕け散った。
老婆は細い目を閉じ、時空の狭間に見た先を口にする。
「宇宙より落ちし三つの光――。其を持ちし者たち、永き暗黒の時に終わりを告げん」
僅かに開かれた両手に、白く輝く炎が燃え上がった。
予言は続く……。
「輝きし光の一つは天空に在り。其を持つは天空人にあって、その性天空人には非ず。知恵と力を備えしその者、やがて旅の案内人とならん。
二つ目の光は緑なす大地に在り。その者小さきにして獣さえも倒せず。なれどその者、大いなる運命の下に導かれ、やがて力を得て聖なる騎士へとなり変わらん。
最後に落ちし光は暗き夜の中。其を持ちしはダークエルフなり。されどこの者、邪眼を持ちし王なりて、愛を失い闇夜を渡らん。だが、失いし愛を得た時、この者光の中で最強たるその力を解き放たん。
――…三つの輝きが揃いし時、光が闇を切り裂きこの世に白亜の輝きを取り戻さん――」
言葉が終わると手の中の炎がかき消され、老婆の周りを飛び回っていた光が消えた。
ぐらり…と老いた身体が床に崩れ落ちる。
「おばば様!」
「先見殿!」
侍女に支えられ立ち上がった老婆に、イシュラは小さく頷いた。
「その三人。この地上に揃いし時はいつか――?」
「今よりおよそ百年の後かと……」
「百年か……。私たち天空人にとってはそう永い時ではないが、人にとっては永すぎる時よの――…」
「確かに……。されど…あのヘルザーを打ち倒すにはそれだけの時が必要…かと……」
その言葉に、イシュラはそっと玉座から立ち上がった。
「私も少々永く生き過ぎたようだ。そろそろ代替えしても良い頃であろう――。ならば、この命に代えても、百年の間はヘルザーを幽閉してみせようぞ――…!」
「イシュラ様――っ」
その夜、暗黒の時魔道士“ヘルザー”は復活したのだった。