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気になるあいつは天才テレビ君

 火曜日の午後5時。授業が終わり、ホームルームが終わり、晴れて義務から解放された多くの生徒が部活に勤しむ時間帯だ。今まで特に部活動に思いを馳せず、帰宅部員としての責務を全うにこなしてきた僕にとっては、無為に過ぎ行く価値のない時間であったが、これからの僕にとっては特別な意味を持つ時間となるだろう。実に喜ばしいことだ。

 相談部、である。

 僕はその部の部長と思しき、栗谷先輩に恋をした。いわば衝撃的な恋だ。陳腐な表現であるが、僕は間違いなく、彼女の笑顔に心を盗まれた。見事な手口だ。銭形も手を焼くはずである。

 活動日でもなかったので確証はないが、恐らく部員は彼女一人だろう。人手が足りない、とも言っていたし、彼女の他の言動から、その部に複数人所属していることも読み取れなかった。これはチャンスだ。

 さて、家庭科室前に着いた。彼女はいるだろうか。いたら僕は彼女に見られるだろう、そして微笑まれるだろう。何とも恥ずかしい光景だ、耐え切れない。変な顔をしたらどうしよう、鼻の下が伸びて、下心が丸見えになったらどうしよう。不安な気持ちに駆られ、扉を開けられない僕がいた。

 ええい、うじうじしてみっともない。

 自分に喝を入れて、道場破りよろしく扉を開ける。もう、どうにでもなれ。

 最初に目に飛び込んできたのは、テレビの黒い画面だった。

 はて、こんな扉のすぐ傍にテレビを置くだろうか、と疑問に思った瞬間、そのテレビの下から体がにょっきり生えているのに気付いた。テレビは、僕と同じ制服を着ていた。

「うわぁ!」

 仰天して、僕は思わず後退った。

 ひどく混乱しながらも僕はまたテレビの画面を見つめた。テレビ画面も、僕を見つめていた。

 テレビは腕を上げて、自分の電源ボタンを押した。ぶぅーっんと低く耳障りな音を発した後、画面にぼんやり文字が浮かんできた。

『もしかして、君が石坂宗也君かな?』

 自分の名前が出て、僕は反射的に頷いた。途端、画面が煌びやかな装飾にまみれた。

『待っていたよ、ようこそ、我が相談部へ』

 パンパカパーン、と安っぽい効果音が流れ、画面いっぱいに色とりどりの紙切れが舞い始めた。そしてテレビは拍手を始めた。

 なんだなんだ、なんなんだ。

 あまりの衝撃と、ちょっとの恐怖に、僕の思考と身体はまんじりとも動かなくなった。僕はただ、テレビの乾いた拍手を聞きながら立ち尽くすことしかできなかった。


「いやぁー、本当にごめんね、宗也君。突然のことでびっくりしたでしょ」

『そりゃそうだ。俺は驚かせるためにやったのに、びっくりしなかったら意味がないよ』

「そういうことじゃないでしょ、金丸君。大体、金丸君がこんな風に悪戯するから、新入部員の子がびっくりしちゃって入ってこないんだよ」

『それは悪いと思ってるよ』

「ほんとに?」

『ほんとほんと』

 さて、部室である。

 あの後、栗谷先輩が姿を見せた。固まっている僕と、何やら得意げに拍手を続けるテレビを見た先輩は、すぐに現状を察したらしく、僕に謝りながら部室へと招いた。その際、テレビの腹に裏拳を入れることも忘れなかった。怒らせると怖そうだ。だが、そこがまたいい。

 こうして、今僕らは部室でお茶をしていた。本来ならこの時間帯には一人くらいはお客がいるようなのだが、珍しく人が来ないために、部の活動である午後の優雅なティータイムとやらに興じているわけである。

 それにしても。

『どうしたんだい石坂君、ずっと俺のことを見ているけど。顔に何か付いてる?』

「あ、すいません、ぼーっとしてただけです」

 テレビが付いてるだろー、と栗谷先輩が笑いながら金丸さんにチョップを入れた。金丸さんも『そりゃそうだ』と表示して肩を揺らしている。笑っているのか。

 そう、僕が気に食わないのはまさにこれだ。

 まず配置。僕らは家庭科室の隅にある角机で話をしているのだが、僕が片側に一人で座っているのに対し、栗谷先輩とテレビが並んで座っているのだ。しかも二人の間はかなり近い。僕の機嫌が悪くなるのも分かるだろう。先輩と一年生の親睦を図るための便宜なのだと分かってはいても納得がいかない。

 しかもさらに僕の気分を悪くするのが、栗谷先輩とテレビの予想外な仲の良さだ。何とも快活に話をしているし、時折悪口を言い合ったり、叩き合ったりしている。僕には、いわゆる友達以上、恋人未満な関係にしか見えない。

 まったく、どうしてこうなった。僕は栗谷先輩と仲良くお話をするために相談部に入ったのだ。それがどうした、仲良く話すことなどできず、先輩とテレビのいちゃいちゃ具合をただ黙って見る羽目になっている。僕は新婚さんいらっしゃいの司会者になるために相談部に入ったのではない。

「うーん、お客さん来ないねぇ」

 テレビ君との話をひと段落終えた栗谷先輩は、時計を見てそう呟いた。

「珍しいなぁ。今日はどうしちゃったんだろう」

「やっぱり、人気なんですか、相談部」

 どうにかして会話に入り込む。テレビ君に先手を取らせてばかりはいられない。

「いや、あはは、人気、なのかなぁ」

 もじもじする栗谷先輩は可愛かった。さて、ここから会話を繋げるぞ。

『ほとんどただ飲みただ食いを目的に来る人ばかりだけどね』

「へえ、そうなんですか」

 あんたじゃねえという言葉を飲み込むのにだいぶ苦労して、僕は相槌を返した。

 しかし、やっぱりそんなものなのか。先輩がやたら真面目に相談部について語るものだから、結構重い話題を扱うのだと思っていたが安心した。これなら僕でも何か力になれるだろう。

 あ、そうだ、と先輩がぽん、と手をついた。

「誰も来ないうちに、とりあえず自己紹介だけ済ませちゃおっか。お互いによく知らないまま部活動しても、気持ち悪いもんね」

「そうですね、僕も、その、先輩のことをよく知りたいですし」

「だよね、このテレビ、気になるもんね」

 いや、そっちの先輩のことではないんですが。確かに気にはなるけども。

『ふふふ、何でも教えてあげよう』

「ありがとうございます」

 だからあんたじゃねえという言葉を飲み込むのにまたもだいぶ苦労して返事をした。

 若干の落胆もあるが、気を取り直そう。自己紹介で好感度を上げるのだ。落ち着け、石坂宗也。こんなこともあろうと昨日の夜にやったシミュレーションを思い出せ。あの完璧なシミュレーションを思い出すのだ。

「じゃあ、知ってると思うけど、私から。2年の栗谷美香です。一応、この相談部の部長です。分からないこととかあったら、遠慮なく聞いてください、というわけで、これからよろしくお願いします」

 じゃあ、次は金丸君、と彼女は続けた。

 すくっとテレビくんは立ち上がった。これは擬音表現ではなく、画面から本当にすくっという効果音を流しながら立ったのだ。全くいらない演出だった。

『副部長の金丸郁です。2年です。身長175センチ、体重はシークレット、インチ数は14です。どうぞよろしく』

 今、自己紹介でまず聞かない単語が聞こえたような。

 というかこの人、何のためにこんなキャラづくりをしているのだろうか。自分の意思か、誰かの圧力なのか。どちらにしろ修羅の道を歩んでいることに変わりはない。

「金丸君はねー、被り物依存症なんだよ」

 栗谷先輩におかしそうに話し始めた。

「面白いでしょ、被り物をしてないと落ち着かないんだって。だから、いつも被り物してるの。日によって被るものは変わるんだけどね。今日はテレビなんだよ」

『依存症とは人聞きが悪いな。俺だってTPOくらい弁えてるさ、体育では自重している』

 体育以外が実に気になるところだ。かの豪鬼もここまで修羅の道は歩むまい。

『おっと、変に俺の事情を勘ぐらないでくれよ』

 金丸さんは芝居がかった動きで僕に指を突き付けた。

『どこぞの漫画よろしく、暗い過去でこんな風になったと思わないことだ。ただ単に生まれついての趣味だというだけさ』

「それはそれで問題な気もしますが……」

 過去のトラウマが、という理由があればまだ理解できたが、単なる趣味となると、もはや常人の理解の範疇を超えている。

「社会に出た時苦労しそうだよね」

「まず、口で喋れないのは痛いですよね、面接は絶対に避けては通れない道ですし」

 大体、こんな人が高校に受かっているのが信じがたい事実だ。この高校は確か面接があったはずだ。面接にどうやって臨んだのかが激しく気になる。

「確かに面接では困ったかな」

「普通に喋れるのかよ!」

「おいおい、敬語はどうしたよ、一年ボーイ」

「あ、す、すいません、つい」

 あまりの驚きに、思わず素で突っ込んでしまった。

 いや、面接をパスしているのだから話せると考えるのが普通なのだろうが、ここまでずっと保ってきた「画面表示だけでコミュニケーション」キャラを、しかもインチ数まで言うなど凝ってきた設定をこうも唐突に放棄するとは思わなかった。掴めない人だ。

「まあ、いざとなったら卒業するさ。禁面しないと、最近うるさいからな」

「初めて聞きましたよ、そんな言葉」

 あと、それに関してうるさいのは、最近に限らない。

「金丸君も終わったかな。じゃあ、石坂君お願いします」

「あ、はい」

 おっと、金丸さんに気を取られてすっかり自分の自己紹介を忘れてしまっていた。よし、昨日の練習を思い出せ。

 深呼吸をして、僕は口を開いた。

「石坂宗也です。部活動自体初めての経験なので、いろいろ迷惑をかけるとは思いますが、よろしくお願いします」

 僕は静かに席に座り、心の中でガッツポーズをした。

 よし、真面目かつ礼儀正しい姿を見せることができた。この態度でいれば嫌われることはまずあるまい。すぐにがっつくのは阿呆のやることだ、まずはきっちりと下準備をして、外堀を埋めてから確実に物にする。これが、恋愛の鉄則なのだ。

「よろしく」

 だが予想に反して、栗谷先輩は、硬く塞いだ表情でそう答えた。あれ、自己紹介の仕方、不味かっただろうか。冷や汗ばかりが湧いてくる。

「口元ゆるんでるよ、栗谷君」

「えっ、あ、あは、えへへ」

 金丸さんに指摘され、栗谷先輩はバツが悪そうに笑った。

「相談部でこういうやり取りするのが夢だったからさー、なんだか嬉しいなぁーって思って。かっこ悪いから、凛々しく振る舞ったつもりなんだけど」

 なんだ、そういうことか。安心と同時に、先輩の可愛さに悶えた。

「俺としたじゃないか最初に」

「いやいや、そういうことじゃなくて、かわいい後輩君とするのがだよ、ねぇ、宗也君」

「え、あ、ありがとうございます」

 そう返事をしたつもりだったが、かわいいという言葉に心高鳴った僕がまともに返事できるわけはなく、なんとも情けない、消え入る声になってしまった。落ち着け、あれは言葉の綾だ、鏡を見てみろお前のどこが可愛いんだ、お前が可愛かったらそこらで歩いてるゴブリンでも可愛いぞ、いやそこらでゴブリン歩いてないけど!

「さてさて、自己紹介も終わっちゃったし、何して暇をつぶそうかなぁ」

 勝手にどぎまぎしている僕を置いて、彼女はのんびりとカップに口を付けた。

「この部活動は、誰も来ない限り活動できないからな」

 金丸さんが入ってきた。そういえばこの人、もう普通に話してるな。キャラがブレすぎだ。

「何か活動を増やす予定はないんですか?」

「普段の活動が大変だからなぁ」

「ほんと、こんな暇な日はなかなかないからね。わざわざその時の活動を決めなくてもいいかなーって考えてるの」

「じゃあ、何もない日は、本当に何もしなくていいんですか」

「まあ、そうなるね。自分から心理学の勉強をしてみるとか、そのくらいでいいんじゃないかな」

 それなら、僕でも付いていけそうだ。どうも、音楽系やスポーツ系の部活動は部内での活動が厳しいと聞いて辟易していたところなのだ。初めて部活動をするにはちょうどいいかもしれない。

「まあ、どうせだし、今日はこの暇な時間を使ってもっと親睦を深めようかー。どんどん無駄話しようね、宗也君」

「そうですね」

「修学旅行で買った物って大抵無駄になるよな。番傘は本当に買って後悔したよ」

「え、無駄話ってそういう方向で?」

 そんなこんなで、僕たちはゆっくりと流れる時間を背景に、くだらない話を重ねていった。ちなみに「無駄話」に関してはすぐにネタが尽きて、あっという間に別の話題に移った。本当に無駄な物は少ないんだと僕たちは学んだ。

 

「さて、もうこんな時間か」

 時計を見ると、すでに七時を回っていた。この季節は、この時間帯でも十分に明るいので分かり辛い。窓の向こうは、いまだ薄く紫ばんだ橙が水彩画のように広がっていて、暗闇がそばに迫っていることを微塵も感じさせない。

「じゃあ、今日はこれくらいで締めようかな」

 はい、片づけと、栗谷先輩は手を叩いた。と言っても、荷物を整理するだけだ。こうした準備物の少なさも、相談部の一つの利点と言える。

「お疲れ様です、宗也君。どう、うまくやれそう?」

 先に荷物を纏め終わった栗谷先輩が話しかけてきた。

「お疲れ様でした。そうですね、とても楽しいです。入ってよかったと思います」

「それはよかった」

 先輩は笑った。

「また明日もあるからよければ来てね」

「はい、もちろんです」

「せいぜい、俺の明日の被り物を期待しているんだね」

「あ、それはしないです」

 ついでに、できれば来ないで欲しいです。

「後輩が冷たいよ栗谷君……」

 金丸さんは先輩の元に寄った。

「これはもう、君に慰めてもらうしか」

「じゃあ、私は帰るね、さようならー」

「あ、はい、さようなら」

 体育座りをして沈んでいる金丸さんを無視して、僕は先輩を見送った。

 さてと、僕も早く片付けないと。出していた本を鞄に戻そうと僕は後ろを向いた。

 その時だった。

「きゃあ!」

 突如、背後から先輩の悲鳴が聞こえてきた。

 何が起こったのかとドアの方を振り向くと、尻餅をついた先輩と、突っ立っている一人の男が目に入った。

 男は、背が高かった。何年生だろうか、少なくとも僕とは同い年ではないだろう。精悍で整った顔立ちは大人っぽいし、背丈などは家庭科室のドアに頭が入りきらないほどだ。制服を着ていなければ、学生だとはよもや思わなかっただろう。

 だが、その制服の着こなし方はいささか異様であった。学ランに手を通さずに羽織っているのだ。そして、何故か手にはキセルを持っている。風紀委員である僕に真っ向から喧嘩を売っている容貌である。

「すいません、驚かせてしまいましたかね」

 彼の声は、低く落ち着いたものであった。モテそうな声だ。モテる奴は、皆僕の敵だ。自然と握り拳が硬くなる。

「大丈夫ですか」

彼は手を栗谷先輩に伸ばした。「あ、ありがとうございます」と彼女はその手を取り、ってくそ、もうダメだ。握りしめた指先が手の甲を貫通しそうだ。彼は本格的に僕の敵のようである。

 そうして先輩を立たせたあと、彼は教室を見渡した。

「もしかして、もう活動は終わってしまいましたか。確かに、課外活動の時間ぎりぎりだとは思っていたのですが」

「え、えーと……」

 少し困った声を出した後、

「どうぞ! 相談と言うならいいですよ!」

 先輩は笑って彼を出迎え、僕たちに視線を送った。なんというか、先輩、損をしそうな性格だよなぁとしみじみ思いながら席に戻った。

「嫌な時は嫌って言わないとダメだよなあ」

 横で、金丸さんが嫌そうに肩を落として僕に囁いた。あんたはむしろもう少し隠せ。

 失礼します、と彼は頭を少し曲げて入室した。本当に背が高い。背の高い奴も皆僕の敵だ。彼の僕に対する敵対行為は目に余るものがあるな。拳にはすでにメリケンを仕込んでいる。戦闘態勢はばっちりだ。

「どうぞ、座ってください」

「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」

 彼は席に着くや否や、キセルを口にくわえた。

「ちょ、ここ学校ですよ! 喫煙禁止!」

 栗谷先輩が注意した瞬間、キセルからぷくぷくとシャボン玉が生まれた。ふわりと舞った泡の淡い虹が、あっという間に彼を包み込んだ。

「え、え?」

 驚く僕たちを見据えて、彼は静かに口を開いた。

「一つ、相談があるのですが、よろしいでしょうか」

 この相談こそが、僕の相談部としての最初の仕事であり、最後の大仕事であった。

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