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『何度も言わすな。ケンカに勝つ方法なんて知らねーよ』

「いや、そう言わずに」

『だってケンカしたことねーし』

「そこをなんとか」

『アホか。自分でどうにかしろや』

 いくら相談しても〈影〉は全く聞く耳を持たず、知らねーの一点張りだった。

 寮の食堂で夕飯を済ませた後、寝室に独り。むろん相部屋だが、もう一人は入浴中で当分戻ってこない。なので、気兼ねなく自分の〈影〉と話をすることができる。

『相手はどんな奴なんだ?』

「ケンカっ早い。単細胞。あと顎鬚を伸ばしてる」

『顎鬚か!それ見たことあるかも。そいつ授業中に一回暴れてねーか?』

「おお、そういやいつだったか、解けない問題指名されて逆ギレしてたな」

 〈影〉と会話をする――死んだ爺さんもそれができたというし、親父も兄貴もそうだ。それは丸木戸一族に代々受け継がれし特殊な能力だった。しかも俺以外の全員は、他人の〈影〉とも会話を交わすことが可能なのだという。現に親父や兄貴は自分たちの〈影〉のみならず、俺の〈影〉とも普通に会話していた。

それに引き替え、俺の場合は相当調子が良くないと自分の〈影〉の声すら聞けなくなる。学業だけでなく、一族内においても俺は劣等生街道を一直線というわけだった。おまけにこの〈影〉という輩は、自分に都合のいいときだけ口出ししてきて、用が済んだら影の中に〈消えて〉しまうのだから余計質が悪い。そんなわけで、会話ができる頻度は、実質的には三日に一度あるかないかという程度だった。

『そんなことよりさ、ツバメのねーちゃん元気か?』

「元気すぎて困ってんだよ」

『あのねーちゃん、〈影〉も小うるせーんだよな。性格キツいし』

「お前のほうが、竹刀で叩かれないだけずっとマシだっての」

 〈影〉と会話をするとはどういうことなのか。正直、俺には答えようがない。影とは、物体が光に当たった際、その逆側に現れる暗い領域のことであり、つまりは〈現象〉である。現象に意思などあるはずがないし、口を利くわけもない。剰え影に人体の投影としての口ならまだしも、器官としての口なんて所有していないのだから。畢竟〈影〉が喋ることに関して、俺が説明できるようなことは何一つない。俺にできることは描写だけだ。

『思い出した。お前さ、こないだ思いっきり無視しただろ。俺様が折角話しかけてんのによ』

「いつだよ」

『知らねーよ。俺様はお前の〈影〉だぞ?そんなこといちいち憶えてるわけねーだろ』

「頭の悪さまで俺のせいにするなよ、偉そうに」

 個別に意思はあるものの、存在としてはあくまで〈影〉なので、影の持ち主の許を離れて勝手に動くことはできない。身体的には完全に主の操り人形である。

こっちから見ても真っ黒で何も判らないが、〈影〉には視力も聴力もある。反面、それぞれの〈影〉は自分たちの存在を区別するための明確な名前を持っていない。なんでも〈影〉たちには名前という〈概念〉がないらしいのだ。俺には訳が判らないし、知っていたところで些かの価値もない、無駄な知識ばかりだ。

『昔に比べると、お前もだいぶ反抗的になったよな』

「なんだよ急に」

『一昨日までの夏休みの間も、ろくに実家に戻ってねーじゃんか。いつまで反抗期なんだよ。親父も兄貴も心配してっぞ』

「うるせえ」

 小さい頃、自分の足許の〈影〉と話をするのが当たり前だった俺は、家族以外の誰も自分の影とは会話ができないことを知り、なおかつそのほうがむしろ人として当たり前なのだと判って途端に恐ろしくなった。そして、もし必要に迫られて〈影〉と話をする折には、目立たぬよう屈み込んで小さな声で話し合うようになった。事情を知らない周りの者たちには、きっと膝を抱えて独りでぶつぶつ喋っている変な奴と思われることだろう。現実に俺はそう思われ、疎外され、真っ直ぐな性格はどんどん拗くれ曲がっていった。

『大体さ、お前を推薦したその級子って女は、兄貴が仕向けたんだろ?だったら兄貴に訊けばいーだろ』

「やだね。どうせ家になんかいねえし」

『駄々捏ねてんじゃねーぞ』

「あのな、あいつに訊くぐらいなら、最初からお前に相談なんかしてねえよ」

他人よりも多くのものを聞いてしまう困難を乗り越え、強く逞しく成長した兄貴や親父と違い、俺は自ら正道を転げ落ちていったのだ。丸木戸家の中でも最も邪道を走る、限りなく左道寄りな男。それがこの俺だ。

『てか、もっとおもしれー話しろや。こうやってお前と話すのも久々なんだからさ』

「やかましいわ。俺は長船をぶちのめす方法を探してんだよ」

『ま、大人しくぶちのめされるのも、いい経験なんじゃねーか?』

「他人事だと思ってやがんな」

『俺様は痛くも痒くもねーしな……なあ、今のうちに天気予報チェックしとこうぜ』

 晴れの日は、それ以外の日に比べて影の形がくっきりと浮かぶ。〈影〉にとってはそれが何よりの喜びらしいのだ。〈影〉の美意識など全く理解の及ぶところじゃないが。

 そろそろ夕刻の天気予報が一斉に始まる時間だ。生憎テレビは談話室と食堂にしかない。携帯電話を操作して週間の天気を調べることにする。

『ナナ、決闘は雷雨の日にしとけ』

「なんで」

『その余裕こいてるヒゲとやらにさ、うまいことやって雷を落とすんだよ。アメリカじゃあ、それで死んでる人も結構いるっていうし』

「アホか。どうやって雷落とすんだよ。竹刀をこっそり避雷針にでもすり替えるのか?」

『いいねぇ』

「それに気づかないアホだったら、もっと簡単にやっつけられるだろ」

『なんにせよ、どうせやるなら徹底的にやるんだな。二度と立ち直れないように恐怖のどん底に叩き落としてやれ』

 俺は床絨毯に映る輪郭のブレた〈影〉をじっと見下ろした。恐怖のどん底……か。手間はかかるが、勝つためには仕方ない。ここは一つ、完膚無きまでに痛めつけてやらないと。本物の卑怯がどんなに非道いかってことを、身を以て思い知らせてやる。

『何見てんだよ気持ち悪い』

「なんでもねえよ。んーと、五日後の日曜が雨で、その次の月曜が晴れか……ふむふむ」

『おい、明日の天気はどうなんだ』

 不意にガチャリと音がして、相部屋の同居人が部屋に入ってきた。

「おう、いたのか丸木戸」

「ああ」

『なあ、教えろっておい。小声でいいからさ。ダメならジェスチャーでもいいわ』

「お前風呂入らねえの?」

「今から入るわ」

『風呂場で絶対教えろよお前』

 俺は〈影〉の語りかけを無視して入浴の準備を始めた。

〈影〉との不思議な会話のことを、俺は今まで誰にも告げていない。同居人はもちろん、悪友にも幼馴染みにもだ。級子も知らなさそうだし、知っているのは家族のみ。他人に報せたところで変人扱いされるのがオチだろう。下手すりゃノイローゼの疑いで病院送りだ。知られないほうが幸せなことだって、世の中には沢山あるというわけだ。


 翌日、俺は決闘の期日を長船に伝えた。

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