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 投票箱は学年ごとに全部で三つ。上手が二年、下手が一年でお立ち台の下が三年用だ。三年の投票箱は、まだ片づけていないアンプの上に置かれていた。

全校生徒の投票が終わるまでの間、俺たち候補者はお立ち台の後ろで無為に時を過ごしていた。推薦者も応援係も投票に向かい、ここにいるのはD組以外の候補者と委員長のみ。

 投票用紙は模擬選挙で使われたものと同じで、組を示すアルファベットと丸をつける枠が印刷された、至って簡素なものだ。なんでも由緒ある伝統的書式で、数十年来変わっていないらしい。

そして記入から投票箱への投函に至るまで、付近に立つ選管の面々が不正のないよう鋭く眼を光らせていた。

「あーあ、やってらんねーよこんな選挙よぉ」

 聞こえよがしにそう悪態を吐く天太の声が、二年の投票箱付近から聞こえてきた。選管の注意にも耳を貸さず、俺投票しねーから、この紙貰っちゃっていいよね、などと言い立てている。

「妙だね」

 数席離れた鬼丸が、ふと口を開いた。

「そう思わないかい、丸木戸くん。十握くんは憎まれ役を買って出るタイプじゃない。そんなことをするくらいなら、最初からここには来ない」

「ふーん」

「何か裏があると見たね」

 鬼丸の直感は確かだ。天太が何か企んでいるのは間違いない。そんな騒ぎに乗じて、じゃあ俺もやめるわ、と伽藍が投票用紙を丸めてポケットに仕舞ったのを見て、その思いは更に強くなった。

 それ以外はさしたる混乱もなく、投票は締め切られた。即日開票なので、選管と現生徒会役員が手分けしてフェンス脇のテントで集計を行っている。

「布都乃先輩ー!」

「先輩かっこいー!」

 集計結果が出るまでの間を繋いだのは、布都乃先輩の生ギターによるアコースティック・ライヴだった。客の勢いなら先輩プロデュースのダンスユニットのほうが上だったが、声援の量では明らかに先輩に軍配が上がった。

「すごい人気ですね」

 とうに戻ってきていた級子が、俺の剣に包帯を巻きつつ誰にともなく呟いた。

「そうだな」

「観に行かなくていいのですか?」

「まああれだけファンがいれば、俺が応援するまでもないだろ。ところでお前」

 級子のユニフォームを間近に見て、俺は言った。

「そんな恰好で恥ずかしくないのか」

「は、恥ずかしいですよ、ものすごく」

 耳まで真っ赤にして級子は下を向いた。

「おっ、集計終わったか。包帯サンキュ」

「あ、はい……」

 選管の一人がお立ち台に駆け寄り、集計の終了を告げる。先輩は声援に挙手のみで応じ、最後まで無言のままワンマンステージを終えた。なんてかっこいいんだ。

 突き出た腹部を撫でながら理事長がお立ち台に立った。美女の次に現れた典型的メタボリック中年に、生徒たちの多くから落胆したような溜め息が洩れた。

「では、只今より生徒会長選挙の集計結果を発表致します。結果発表後、理事長の宣言によって新生徒会長の決定となります」

 グラウンドが静まり返る。聞こえるのは風にそよぐ木の葉の音のみ。


「発表致します。

 A組136票。

 B組47票。

 C組266票。

D組29票。

 E組158票。

 F組113票。

 H組201票。

 無効票2票

 最多得票を得たのはC組です」


 ……やっぱり勝てなかったか。

 一気にどよめくグラウンド内。

「やっぱり鬼丸かぁ」

「まあ順当っちゃ順当だよな」

「でもかなり接戦じゃない?」

「鬼丸、三分の一も獲ってないのか」

「俺丸木戸に入れたんだけどなー」

 教祖の悲鳴や吸血女の残念そうなぼやきを朧げに聞きつつ、俺は椅子に深く身を沈めた。力が入らない。全身の力が抜けた。体が抜け殻のようだった。

「級子ちゃん……」

 ツバメの声がする。布都乃妹も級子を励ましている。だが級子の声は聞こえない。とてもじゃないが後ろを振り返るなんてできない。今、級子の顔を見ることは俺には無理だ。

 理事長の咳払いが響く。再び観衆は鎮静化した。

「結果がまとまったようなので、ここに改めて宣言します。来年度の生徒会長に選ばれたのは……」

「ちょっと待ったぁー!」

 観衆の中から大声と共に手を挙げる者がいた。天太だ。

「な、なんだね君は」

 狼狽える理事長に対し、天太は人の波を掻き分けて最前列に躍り出た。

「これこれ、この投票用紙、ちょっとおかしいぜ」

 ざわめきに怪訝そうな声色が混じり出す。選管たちも何があったと顔を見合わせている。

「どこがおかしいんだね」

「ほら、ここだよここ、丸をつける枠の上に、AからHまで書いてあんだろ?」

 天太は理事長の足許に詰め寄り、投票せずにおいた用紙を掲げてみせた。

「よーく見てみなよ。このC組の〈C〉んとこ、なんか書き足してねーか?」

「……ふむ。横棒が足してあるな」

「だろ?だろだろ? これアルファベットの〈G〉だよな。〈G〉って書いてあるぜ!」

 アルファベットの〈G〉?

「あーっ! 俺のもだ」

 わざとらしい声が別の場所から聞こえた。もちろん伽藍の声だ。

「ひょっとして、これ〈G組〉ってことじゃねえの?」

「G組?」

 騒ぎは大きくなる一方だった。

「あぶねーあぶねー。これってもしC組に丸つけてたら、G組に投票してることになってたんだよな」

「全くだ。二年にG組なんてありえねーから、同じクラスの鬼丸に丸つけてたら、危うく無効票になっちまうとこだったわけだ……ってこれも投票してねーから無効票だけどさ」

「けどよ、CがGに書き換えられてる投票用紙って、もしかしたらほかにもあるんじゃねーの?」

「あの集計終わってる中に?そりゃ大問題っしょ」

「ちょっと、あなたたち何を言ってるんですか?」

 我慢しきれずに、マイク越しのまま委員長が口を挟んできた。

「だからさ、書き加えがしてある投票用紙を調べてくれっつってんだよ。それ存在してないクラスに投票してんだぜ?そんなの無効に決まってんだろ」

「その必要はありません。投票されたものは凡て有効です」

「ああ?あんたさぁ、俺らが投票の際の注意事項知らないと思って高括ってんだろ」

「冗談じゃねーっての。いいかい、あんたが集計結果を全部発表した時点で、選管は投票における〈凡て〉を認めたってことになるんだぜ。その〈凡て〉の中に〈不正行為〉を除外する記載は、生徒会則のどこにもない。そうだろ?」

 四肢に多少力が戻ってきた。今なら問題なく振り返れそうだ。

「そうなのか、級子」

 俺は後ろに尋ねかけた。未だ涙の乾いていない級子は、しかし眼をぱちくりさせてはっきり頷いた。

 ところが委員長は納得しない。

「その書き加え、今あなたたちがやったんじゃないですか?」

「いい加減にしとけよ」天太は怒髪天を衝くといった形相で、「俺たちは全投票用紙の開示を要求する! でもって〈G組〉に投票した凡ての票を無効票にするべきだ」

「あ、悪夢だ。悪夢の再来だ……」

 この世の終わりといった口調で、理事長が膝を突き呻いた。

「こんなことの二度と起こらぬよう、面倒でも二学年だけはG組を避けていたというのに……〈C〉と〈G〉……歴史は繰り返してしまった。なんということだ」

「認められません! そんなの、ダメに決まってるでしょうっ」

 頑として折れない委員長。事態は混迷を極めようとしていた。

 そんな騒ぎの中、鬼丸が朗々たる声で委員長を呼んだ。

「僕は構いませんよ。集計し直して下さい」

「ですが、これは明らかに仕組まれたものです。こんな騙し討ちに近いやり方、わたしには」

「確かに仕組まれたものではあるでしょうね。今朝方、生徒会室に何者かが侵入したという話もあります。恐らくそのときに書き足しが行われたのでしょう」

「侵入……二人組……二人の侵入者だと?」

 理事長が呟く。理事長同様、何かに気づいた生徒たちの眼が、前方の天太と伽藍に向かう。

「さすが鬼丸。お見通しだったか」

「貴様らの仕業か! ゆ、許さんぞ! 絶対に許さん!」

「理事長!」

 有無を言わさぬ大喝に、理事長は言葉を失った。

「僕は構わないと言っているんです。これ以上押し問答を続けるなら、僕は生徒会長の立候補を辞退しますよ」

「お、鬼丸くん」

「ぜ、前代未聞だ……悪夢だ、今日は厄日か……」

「いや助かったぜ鬼丸。お前が話の判る男で」

「礼には及ばない。君たちはちゃんと生徒会則に眼を通し、それを踏まえた上で行動を起こしたんだからね。称賛はできないが無下に否定する権利もない。さあ選挙管理委員の皆さん、再集計をお願いします」

 天太がこっちを見てガッツポーズを取る。伽藍も笑いかけている。

「あのお二方は、素晴らしい策士です」級子が感心したように口を開いた。「集計結果の発表から、実際に決定するまでの空白期間を突いた、見事な策略です。今回の選挙に関して、相当勉強なされたのでしょう」

 持つべきものは悪友だ。俺の知らないところでこんな活躍を見せていたとは。ただ、俺が二人に命令したと思われそうで、心中あまり穏やかではなかったけれども。

 鬼丸の指示で、取り急ぎ再集計が行われた。といっても全体の取り直しではなく、C組の得票分から横棒の書き足されたものを除外するだけだ。

「邪魔さえ入らなきゃ、全部書き足してやったんだけどな」

 結果待ちの間、そんなことを天太は嘯いた。用紙の中には横棒の書き足されていないものもあれば、逆にほかのクラスへの投票分に書き足しがあるという無駄なケースもあるので、どの程度票が流れるかは全く予想がつかない。

「それでは、改めて発表致します」

 委員長が結果の記された紙を見ながら口を切った。

「C組への投票分のうち、無効票は65票でした。C組の得票数は、201票となります」

「201票」

「てことは、H組と……」

 同点か。

「同点だ!」

「同点って、じゃあ決選投票か?」

 口々に言い合う生徒たち。天太と伽藍が満面の笑みでガッチリ手を組んだ。

「やりましたね、名尚さん!」

 級子が声を上擦らせる。

「そうだな。天太と伽藍のどっちかが俺に一票入れてれば、俺で決まりだったんだけどな」

「あ……」

 級子は口を開けたまま固まった。

「同票なので、決選投票を行います」委員長は半ばやけくそ気味に言った。「投票用紙の準備があるので数分ほどお待ち下さい。あ、理事長も、次の集計が終わるまでお降りになっていて下さい」

 だが、悪友たちの奇策ももうこれで通じなくなる。後は鬼丸との真っ向勝負の一騎討ちだ。

「理事長……?」

 委員長が訝しげに語尾を上げた。

 理事長の様子がおかしい。棒立ちのまま、呆けたようにどこまでも高い空を見上げている。委員長の声も全然耳に入っていない様子だった。

 再集計のショックでどうかしてしまったのか。そんな不安が過る中、最初に言葉を発したのは、

『だから逃げろって言ったのにさ』

 〈影〉だった。

『上見ろ上』

 その言葉に従い、雲一つない上空を仰ぎ見る。


 青一色に塗り込められた空のキャンバスに、黒い染みが一点。

「上だ!!」

 俺は自分でも驚くほどの大声で叫んでいた。

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