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「……以上で演説を終わります。このメルレイーズ・ジョスヴァル六世に清き一票を!そして全き白きシリウスと、この蒼き星に幸あれ!」
割と好意的な拍手を浴びて、シリウス星の使者は満足そうだった。演説後にステージからバク転で着地したE組の吸血女には及ばないものの、階段を使わずそのまま飛び降りる使者のパフォーマンスに、更なる拍手とやんやの喝采が沸き起こった。
ちなみに演説の間中ずっと片膝を突いて足許に控えていた推薦人は、普通に階段を使って降りていった。推薦人というより、あれは従者か何かだろうか。
「なんか出づらいな」
「ファイトです、名尚さん!」
ピンクの鉢巻を頭に巻いた級子が、励ましの言葉をかけてくる。
「では続きまして、二年H組から出馬の、無所属・丸木戸名尚さん、よろしくお願いします」
小竜委員長のアナウンスが入る。俺は軽く足を引き摺っている使者とすれ違い、横に居並ぶ候補者たちの前を通ってステージ上へ向かった。これ見よがしに左腕をぶるんぶるんと振り回しながら。それは、この中に俺の腕をぶった切った張本人がいるんだろ、生憎だが俺はこんな程度じゃ引き下がらないぜ、という意思表示でもあった。
――九月で二番目の祝日の、その翌日。九月二十四日水曜日。六時限目を丸々潰しての立会演説会兼公開討論会は、予定通り学校の体育館にて定刻より開催された。
それより以前、学校医の許可を得てほかの生徒たちと同じ学校生活に戻ったのが、保健室のベッドで眼醒めてから二日後の九月十八日。今から六日前のことだ。
「ひょっとして先生、顔の皺もその再生医療技術ってやつで取ってんじゃないスか?」
この一言で、さっさと出て行けと保健室から追い出された。
H組の生徒会長候補、つまりこの俺が何者かに左腕を切断された事件は、連休が明けると共に全校中に知れ渡ったらしい。俺が登校すると、クラスメイトはもちろん、知らない奴にまで大丈夫かと声をかけられた。ただ、左腕を動かすだけで喚声上げていたそいつらの態度から察すると、心配というより驚異の近代医学に触れたいという気持ちのほうが強かったようだけれど。
ホームルームでもしばしばその話題が取り上げられ、こんな悪逆無道な行いをした者は至急名乗り出るようにとのお達しが幾度もあったという。結局誰一人として名乗り出なかったそうだが。まあ当然だろう。
むしろ、腕のケガとそれにまつわる諸々のせいで、曲作りが遅れてしまったことのほうが悔やまれた。昨日も放課後まで残って練習室に籠もったが、とうとう今日の日には間に合わなかった。
というわけで作戦は変更を余儀なくされ、級子言うところの〈鳳雛の中策〉、デモCD配布作戦に切り替えることにしたのである。
「……まあ、そんなわけなんで、キャンペーンソングは完成してないんスけど、三年の布都之先輩が何曲かデモトラック作ってくれたんで。今配ってるのがそれね。欲しい人はちゃんと手挙げといて。あと限定五十枚なんで早い者勝ちね」
マイクを通した俺の声が、体育館の壁をビリビリ震わせている。ステージ下では、売り子のように小型のケースを首から提げた級子が、どうぞ、是非聴いて下さい、と言いながら居並ぶ生徒たちにCDーRを配り歩いていた。先輩のネームバリューと限定五十枚という縛りが効いたのか、中には列を抜け出して貰いに行く者まで現れた。
「あと、さっきも言ったけど、うちら女性ダンサーを随時募集してるんで、H組の丸木戸か七支まで気軽に声かけて下さい。経験・学年・クラスは不問ってことで。でも野郎は不可ね」
「おい、なんとかエレクトロ!」
どこぞのお調子者が、俺の発表した選活限定ダンスユニットの名前を早速呼び返してきた。明らかに天太の声だ。
「なんとかじゃなくてイレクティヴだから。〈イレクティヴ・エレクトロ〉」
「どういう意味だよ!」
「えっと……自分で調べて」
「男女雇用は平等が原則だぞ!」
「うるせえよ」
「俺にも歌わせろ!」
「いや、ダンスユニットだって」
天太の周囲に笑いの輪が広がった。やれやれ、こんなもんかな。さて、切り上げるか。
「じゃあ、投票のほうよろしく。丸木戸でした……あ、それと、俺の腕ちょん切った人、後で言いにくるように。右腕は斬らないように言っときたいんで」
最後にささやかな笑いを提供し、申し訳程度に一礼してステージを降りた。むろん階段でだ。拍手の勢いは……まあまあか。下馬評通り、C組の鬼丸が一番歓迎ムードだった。別に拍手の大きさで勝敗を決めるわけじゃないから構わないが。
ケースを持った級子が、鉢巻を揺らして戻ってきた。肩口の後ろに紅い傘の柄が覗いている。
「全部なくなりました」
「おお。よくやった。で、小銭を置いていくような気前のいい奴はいなかったか?」
ケースを覗き込む。空っぽだ。まあ昨今の高校生は経済観念がしっかりしているんだろうな。
「以上で各クラスの生徒会長立候補者による、立会演説会を終了致します。引き続き、公開討論会をここで行いますので、先生方の指示に従い速やかに左右に分かれて下さい」
俄に雑然となる館内。準備ができるまで候補者用のパイプ椅子に座っていると、布都之先輩がやって来た。
「完パケしたみたいね」
「これも先輩のおかげです」
俺の背後でぺこりとお辞儀をする級子。先輩はふふ、と笑って俺に向き直り、
「タスキ似合ってるわよ」
「結構恥ずかしいんスけど」
今日から候補者に着用を義務づけられた、〈○組生徒会長候補者〉と書かれたタスキだ。以後、選活の際には必ず身に着けていなければならない。どうにも滑りやすくて何かと足許に落ちてしまうのが難点だ。今も級子に後ろからタスキのズレを直してもらっていた。
「緊張した?」
「いえ。ただ、なんかすげえ場違いな感じが」
「もっと大暴れでもするかと思ってたんだけど」
「俺そんな性格じゃないですよ」
実は布都之先輩に内緒で、先輩の秘蔵ブロマイドを封入しようかとも考えたのだが、現物が入手できそうにないので諦めたのだった。今思うと、やめておいて本当に良かった。何せ先輩は、俺が謎の剣士に襲われたあの日、麓町に下りて自腹で生のCDーRを購入してくれたのだ。そんな先輩を売るような真似は断じてできない。売ろうと思ったことは認めるけれども。
「討論会頑張ってね。わたしも見ていくから」
「はあ」
強制参加なのは先の立会演説会だけで、この公開討論会は自由見学となっている。帰りたければ帰っていいわけだ。当然俺は帰れない。
全体の三分の一ほどが体育館を出て行った。それでも六百人近く残っている計算だ。ツバメはほかの剣道部員らと共に、生徒たちの誘導に大わらわだった。
「ツバメの奴張り切ってんな」
「学校の行事のときは、いつもあんな感じよ」
そうか。俺が参加率低すぎて知らないだけなのか。
「名尚さん、もうじき始まりそうです」
二手に分かれた生徒たちが中央を向いて腰を下ろす。体育館のど真ん中に、勉強机が八つ、円形に並んでいた。それぞれの席にはデスク用のマイクまで用意されている。
「では候補者の皆さん、こちらの席にお座り下さい」
そのうちの一つに座った委員長が、俺たちを呼び招いた。背凭れの後ろにはクラスを示すアルファベットを書いた紙が貼られ、机の上にもプラスチックの札にアルファベットが印字されている。
席次はAから順番に時計回りになっていた。H組は、Fと委員長の間だ。左側はともかく、右は要注意だな。俺は最後に着席し、手前の札を持ち上げた。きれいな表面だが、相当な年代物のようだ。使い回しか。
進行役の委員長が挨拶をして、第二部とでも言うべき討論会が幕を開けた。ここからは推薦人も観衆の一部となり、立候補者同士の真剣勝負となるわけだ。
と、周りの拍手が五秒と待たずに途切れたそのとき、
『こういうの、夜中のテレビで観たことあるぜ』
なんの前触れもなく〈影〉が話しかけてきた。いや、独り言のようだ。俺は無視した。
『面白そうじゃねーか。なんだかわくわくしてきた』
正直言って、こんな討論会には欠片ほどの興味もない。俺の仕事はさっきの演説で粗方終わっている。後は聞き役に徹して、精々欠伸を噛み殺す程度に留めておくつもりでいた。
「今年の議題も、例年と同じく〈各候補者の公約及び選活方針について〉となっております。皆さん忌憚なき意見をお願い致します」
「お、鬼丸くん!」
我先にと挙手したのはD組の詩人だ。演説の際も訳の判らない詩を絶叫して失笑と野次を浴びていたが、この席では何を言い出すつもりだ?
「あの追加した公約は、一体なんなんだい。選挙と全く関係ないじゃないか」
意外にも真っ当な苦情だった。鬼丸は三番目に立ったステージ上で、特筆ものの演説をぶってみせたのだ。曰く、生徒会長に当選した暁には、予てから思いを寄せていた人に告白したいと思う、と。
「あれこそまさしく選挙の私物化だよ。けしからんね。そう思わないか、俵藤くん」
隣席の吸血女は鬼丸を瞥見して、
「あたいはごめんだね。顔は悪くないけど、プロフィール見るとあんたA型なんだよね。A型はダメ。薄すぎて」
「な、なんの話だい?」詩人はずり落ちる黒縁眼鏡を押さえつつ、「それに君に告白するなんて一言も言ってないじゃないか」
「私物化という点に関しては、似たり寄ったりだと思うけどね」
と、俺の真向かいに座る鬼丸は、平静そのものといった居住まいで口を開いた。
「僕のはちょっとした余興に過ぎないけど、三条さんの秘宝探しはそんなレベルの話じゃなかったよ」
「妾に文句があろうてか、笑止な!」
左隣を睨み据え、教祖は言い捨てた。Yシャツの上に巫女風の白衣を着込んでタスキをかけるという奇抜な重ね着で演説会に挑んだ教祖は、その服装のまま討論会に参加していた。制服着用の決まりと白装束で臨みたいという願望の折衷案らしいが、下だけ普通にスカートなのは言いようのない不自然さを醸し出していた。
「裏山の中腹に太陽黒点の秘宝が眠っていることに、もはや疑問の余地はないのじゃ。ならば捜索隊を結成して探索に出るのが必定であろう」
「話を聞く分には面白いんだけどね」
「そうそう、ただその捜索隊に、俺ら候補者が選ばれているのが納得いかないんだよな」
更に隣の優男が口の端を曲げて言った。
「こっちの都合も聞かないで、何勝手に決めてんだか」
「お主の意思とは関わりない、霊的世界での取り決めなのじゃ。聖なる選挙戦を戦い抜く我々聖戦士は、宗教の枠組みを越えて、常人を遥かに凌ぐ高貴なる霊力を備え持っておるのじゃからな。秘宝を探し当てるには、膨大な量の霊力が不可欠なのじゃ」
夢見るような表情で中空を見上げる教祖の胸許に、白装束の襟からはみ出したリボンが悪い冗談のように複雑怪奇なアクセントを与えている。そんな様子を冷ややかに眺めていると、不意に教祖はこっちに顔を向け、
「お主は来なくてよいぞ。お主が来ると、見つかるものも見つからなくなりそうじゃからの。禍を呼ぶ凶の者じゃからして」
俺は肩を竦めて反り返った。誰が行くか。
「俺も行かねーよ。その日オフ会なんだ」
「何を申すか。黒点が最大限に活性化するこの日を措いて、秘宝の発掘は望めないのじゃぞ」
「僕は思索に耽って詩想が降りてくるのを待つタイプなんだけど、秘宝という言葉は僕の創作意欲をビシビシ刺激するね。参加するのも悪くないかもしれない」
「うむ。確かに神託は散文というより詩に近い。お主とは案外波長が近いのかもしれぬな」
「僕は散文詩が得意なんだけどね……全き秋の紋章は銀の幕僚のためにある。淀みの庭園に漁り火の獲物はなく、憑かれし王女の嘆きは黒き障壁を駆逐せり。其は安寧の雫にも似たり。どう?」
「訳が判らぬ」
教祖は一蹴した。
俺の右隣から呆れたような溜め息の音が聞こえた。
「秘宝、霊力、神託……ナンセンス極まりない戯れ言は、いい加減やめにしていただきたい」
窘めるような口調でナントカ六世は言った。
「ぼ、僕の詩のどこがナンセンスだというんだい!説明したまえ」
けれども六世は詩人になど興味がないらしく、対座する教祖を注視していた。
「ほう、ナンセンスとな?それはまたどういう意味じゃ」
「無意味だ、という意味だ。この星の授業で習っていないのか?」
「単語の意味ではない、お主の発言の意味を問うておるのじゃ。どうやらこの星の話法を、まだ完璧にはマスターしておらぬようじゃな」
「我輩への侮辱は、シリウスに眠る同胞全員への侮辱でもある。前言を撤回するか、さもなくば言葉を弁えよ」
六世が声を荒げて席を立つ。ずり落ちるタスキを手で押さえながら。それに呼応するように教祖も立ち上がった。
『お前もなんか言えよ、凶の者』
同じ方向から〈影〉の声がした。この話題に口出しするのは、火中に飛び込むようなものだ。自殺行為に等しい。
『言われっ放しで黙ってちゃ男が廃るぜ』
いやいや、世の中には〈雄弁は銀、沈黙は金〉という格言があってだな……。
「ちょっとすいません」委員長が勇気ある横槍を入れた。「話が少々脱線しているみたいなので、皆さんの公約のほうに立ち戻ってみましょう。お二人ともお座りになって下さい」
「先に挑発したのは彼奴のほうじゃぞ」
「我が母星では、侮辱した相手の前で膝を屈する臆病者など一人もいない」
頑として譲らない両者に、委員長はこれ以上関わらないほうが得策と判断したのか、
「それではですね、自分が掲げた公約について、補足のある方はいらっしゃいますか?どうぞ挙手の上、ご自由に発言して下さい」
と勝手に話を進めた。放置状態の二人は睨み合ったまま押し黙った。この連中にかかると沈黙ですら気味が悪い。
「じゃあ」吸血女が手を挙げる。「演説のときにも言った献血の話なんだけど、それに関連するとっておきのトピックがあって」
『お前B型だよな?』
それがどうした。心の中で言い返すが〈影〉には伝わらない。〈影〉は喋り放題なのに、俺は黙るしかない。一方通行の伝達というわけだ。そう考えると、なんか不公平だな。