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 休日返上で音楽練習室にて曲の打ち合わせ。ほかに楽器の練習をする者もなく、室内は貸し切り状態だった。休みの日に学校に行くなんて冗談じゃないと最初は渋ったが、いざ来てみるとそうでもない。机に向かって勉強するわけでもないし。

「先輩、ほんとすいません。折角の休みなのに来てもらっちゃって」

「いいのよ、わたし受験の必要もないし、一度こういうのをやってみたかったの」

 スタンドに乗せたシンセサイザーとその上の小さな箱型機械を手慣れた様子で操作しながら、私服姿の布都之先輩はあっけらかんと言った。訊けば、卒業後は音楽の勉強のためアメリカへ留学するのだという。俺と級子は感心すること頻りだった。

「じゃあ、やってみたい序でにダンサーのほうも」

「それはダメ。踊りは苦手」

「残念」俺はがっくりと膝に手を突いて、「先輩が踊ってるとこ見たかったんスけど」

「級子ちゃんはどう?」

「わたしですか?」話を振られた級子は俯きがちに、「……恥ずかしいです。人前で踊ったことないので」

「可愛らしくていいと思うけど。わたしがしゃしゃり出るより」

「級子、可愛くなくてもお前は踊れ。命令だ」

「そ、そんな……」

「だったら、あのコも誘ってみたらどう?」

 あのコ?訝るように先輩を見ると、先輩は手許のシンセから顔を上げてドアを指差した。

「ほら、あそこ。覗いてるコがいるわよ」

 遠くて見えない。誰だろう。

先輩がおいでおいでと手招きすると、暫しの逡巡ののち、ゆっくりドアが開かれていった。

「おお?」

 面に胴、そして小手。完全武装した竹刀の剣士がそこに立っていた。上履きを履いているのが非常にアンバランスだ。顔は見えないが佇まいで判る。ツバメだ。部活を抜け出してきたんだろう。

「何やってんだ、次期部長」

 近くに来た剣士にそう言うと、無言で俺の脇腹を突いてきた。

「ナナくんの選活が気懸かりなのよね」

「そんなんじゃありません!」面の下から声を張り上げるツバメ。「たまたま通りかかっただけです」

「その割に、十分ぐらいはいたと思うけど」

「そんなにいません。五分です、五分」

「そう、五分もいたの」

 先輩のほうが一枚も二枚も上手だった。観念したように面を外すツバメに、先輩は尚も畳みかける。

「今ダンサーを募集してるの。ツバメちゃん参加しなさいよ」

「ダンサー? 無理です無理無理。あたし盆踊りしか踊ったことないし」

「なら充分だ。丸っきり初心者の級子もいるんだから。お前が手取り足取り教えてやれよ」

「あの、わたし踊ることになってるんですか?」

「曲が完成したら、振りつけ考えないとな。ツバメ、お前何か案出せよ」

「なんであたしが」

「現場の意見を取り入れないと」

「あたしゃ参加するんかい!」

「いてててて!」

 先輩は頭の中のメロディーを紡ぎ出すように空中で指を動かしながら、

「けど、ナナくんたちに協力しに来たのは間違いないんでしょう?」

「通りかかっただけですってば。すぐ戻ります」

「ずる休みの口実でも探してたんだろ、どうせ。さっさと部活に戻れよ」

「何をーっ」

 逃げる俺と、それを追うツバメ。困り顔の級子に、悠然と笑みを零す先輩。広い練習室を全力で駆け回りながら、なんだか長閑な光景だなあ、とぼんやり思った。脹ら脛に強烈すぎる一撃をもらうまでの、ほんの短い間のことだったが。


 夕方になり、打ち合わせは解散となった。明日は月曜だが敬老の日で祝日なため、本日同様お昼集合ということで意見がまとまった。

機材の片づけを済ませ、裏口から外へ。グラウンドから聞こえる運動部員たちの掛け声は、一向に途切れる気配がない。青春と熱血の一緒くたになった、運動部特有のものすごく暑苦しい感じのやつだ。応援ソングでも提供してやろうかな。適当に頑張れとかいう歌詞の。作詞クレジットは伽藍の名前で。

 先輩は麓町に用があるそうで、その場で別れた。

「用事ってなんでしょうかね」

 先輩を見送ってから、級子がぽつりと呟いた。

「そりゃデートだろ」

「デ、デートですか?」級子は狼狽気味に、「布都之先輩、付き合ってる方いらっしゃるんですか?」

「いや、知らんけど。あんな美人だから、彼氏ぐらいいてもおかしくないだろ」

「そ、そうですね。美人ですしね」

 運動部の掛け声をバックに寮へ向かう。と、そこから十歩と歩かないうちに、突如として級子はああっと大声を放って立ち止まった。

「なんだなんだ、どうした」

「すみません!わたし、急用思い出しました」

「デートか?」

「ちち、違います!すみません、お先に失礼します」

「おう……じゃあな」

 三回ほど頭を下げ、級子はもはやトレードマークとなったストライプ傘を片手にぱたぱたと駆け出していった。

 なんだかんだ言って、俺の生活パターンはかなりあいつに引き摺り回されている。たまには独りでのんびり帰るのも悪くないか。

「おい」

 俺は舗装道路を進みながら、前方に長々と落ちた自分の〈影〉に声をかけた。周りに誰もいないのは確認済みだ。変な奴と思われることもない。

『なんだよ』

 聞こえる聞こえる。今日は調子がいい。

「面白い話しろよ。なんでもいいから」

『なんだお前、気持ち悪いな。デートの約束でも漕ぎ着けたか』

「アホか。そんなんじゃねえよ」

『あれ?おい、今日休みだろ』

「ああ」

『ああ、ってお前何Yシャツ着て学校にいるんだよ。寝惚けてんじゃねーよ』

「寝惚けてるのはお前のほうだ。今日は曲作りの手伝いでずっと練習室にいたんだよ」

『ああそっか。なんだよ驚かせやがって』

「お前が勝手に驚いてんじゃねえか」

 角を曲がると、夕陽に映える並木道が前方に見えてきた。

『まだ選挙活動なんぞやってんのか』

 左側の路面に居場所を移した〈影〉が言う。

「悪いか」

『悪かねーけど、意外だわ』

「見直したか」

『呆れてんのさ。お前の物好きっぷりにな。兄貴に対抗意識でも燃やしてんのか』

「そんな競争心があったら、もっと早い時期にどうにかしてると思うぜ」

『はは、ちげぇねえ』

「ところでさ、前々から訊きたかったんだけど」

『なんだよ』

「もし俺が死んだら、お前どうなるんだ?」

『そんなの死んでみなきゃ判らねーよ。試しに死んでみるか、お前』

「試しに訊いただけだ。もういいや、忘れろ」

『はは、意気地がねーな。いっぺん死んでみたらどうだ?案外どうってことないかもだぜ』

「ふん、俺は殺されたって死なねえよ」

『なんだそりゃ……おい』

 〈影〉がふと、いつにない厳しい口調で俺を呼び止めた。並木道に入って、十数メートルばかり進んだところだった。

「ああ?」

『立ち止まるな。そのまま真っ直ぐ歩け。お前尾行けられてるぞ』

「何?」

 後ろ側を見ようと上体を捩じると、今度は叱責するような声で、

『バカ、見るな!』

 思わず脚を止めてしまった。〈影〉の声にではない。遥か後方にいる人影の尋常でない立ち姿に、呆気に取られてしまったからだ。

漆黒のマントに足許も黒タイツ。全身黒ずくめの中、顔に貼りついた仮面だけが雪のように白かった。両眼と口に穿たれた線状の穴は、無表情すぎてむしろ滑稽にすら見えた。

 謎の人影は、瞬く間に距離を詰めてきた。

『走れ!早く逃げろって!』

「え、なんで?」

『得物持ってんだろが! 日本刀!』

 えっ、と今一度見返す。マントを広げ、蝙蝠のような姿で迫り来る怪人物の右手に、陽光を受けキラリと閃く――まさしく日本刀。

「うわわわわ!」

 俺は慌てて走り出した。走りながら考えた。な、なんだあれは?どうして俺を狙う?俺を襲うんだ?まさか、級子と離れたところを狙われたのか?にしても、何故俺を?

 こういうときに限って、示し合わせたかのように通行人が誰もいない。これも相手の計画なのか?チキショー、保護法も何もあったもんじゃない。

『おいおい、まさかあれ、〈影縫い〉じゃねーだろうな』

「な、なんだ、カゲヌイって」

『お前にゃ関係ねー。てか喋ってる暇あったらもっと速く走れや。なんかすげーやばいぞ』

 それができるなら最初からしてるっての。一瞬だけ振り向く。まだいる。完全に俺を追ってきている。距離は縮む一方だ。いかん、このままだと追いつかれる。俺、そんなに脚速くないし。

 しかし、窮地に立たされた思考は新たな可能性に思い当たった。俺のことだ、どうせもうじきバテるだろう。追いつかれるのは時間の問題だ。ならば、いっそスピードが落ちる前に反転して追手にぶつかっていけば……。

追いかけていた相手がいきなり突っ込んできたら、さすがに向こうも怯むだろう。刀で返り討ちに遭う可能性も当然ゼロではないが、このまま逃げていたら背中を袈裟懸けに斬られて一巻の終わりだ。

 それに、本物の日本刀じゃないかもしれないし。

 もう迷っている暇はない。並木道の終点が視界に入ったが、寮の建物は更にその先、助けを呼ぶにはまだまだ遠すぎる。

 よし、五秒後に反転するぞ……あれはおもちゃの刀だ、おもちゃの刀……三……二……おもちゃの、刀!

 右脚でブレーキ。滑る足を手で押さえる。重心を後ろにかけ、反転。前傾姿勢で逆方向に飛び込む。ここまでは予定通り。追手は……?

 目前に迫っていた追手は、驚いたようにその場に急停止した。チャンスだ!そのまま頭から突っ込んでいく。

 逃げ腰になった追手の黒い腕が、俺を振り払うように下から上へ動いた。それを追うように、刀に付着した透明の液体が周辺に散る。その直後――


 ――俺の左腕が吹き飛んだ。


 上空に跳ね上がった俺の腕が、鮮血の尾を曳いて宙に静止し、同じ速さでタイルの路面に叩きつけられた。

 あれ? じゃあ、俺のこっち側は……?


「ない……ひ、左腕」


 肩から下が、なくなっていた。軽い。体の左側が軽すぎる。俺は少し右によろけた。

 激痛が襲った。いや激痛なんて生易しいもんじゃない。剥き出しになった肩の神経を掻き回されるような凄まじい痛覚に、俺は脳自身が激痛を発している錯覚すら感じ、声もなく道の真ん中に倒れ込んだ。


 な……なんでだ? どうして、俺がこんな目に?


 絶え間ない激痛に、眼の前が真っ暗になる。意識も昏くなる。肩の痛みと頭痛と眠気が、いちどきに襲ってきた。俺の体は痛みを和らげる唯一の手段として、意識を消すことを選んだようだった。さっきの刺客の姿がふと思い浮かんだが、それも敢えなく闇に溶け込み、世界は完全に溶暗した。

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