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ミーティア・ストラック・エレクトロ  作者: discordance
6 〈彼を知り己を知れば百戦して殆うからず〉
12/25

 次は剣道部のいる道場へ行く予定だったが、通り道にある保健室に寄りたい、と級子が言い出した。衝動的な挙動不審は収まったものの、依然として顔に赤みが残っている。

「熱でもあるのか?」

「いえ、お昼のあの方のことが、ちょっと心配なので」

 まだ気にしていたのか。もういないんじゃないかと思いつつ、一応安否を確かめるべく保健室へ向かう。

室内に学校医の姿は見当たらない。無人の空間に表の運動部の掛け声が小さく反響している。ベッドの並ぶ区画は、薄手の白カーテンで隙間なく覆われていた。シルエットも見えないので人の有無までは判らない。跫音を殺しつつ、そっとカーテンを横に引くと……

 果たしてE組の野生児はベッドの上にいた。けれども、そこにいたのは一人ではなかった。死んだように横たわる男の傍らに、更にもう一人。丸椅子に腰掛け身を屈め、剥き出しになった男の腕にかぶりつく、ユニフォーム姿の女子が。

「……!」

 野生児が、く……喰われてる?

「……!」

 級子が手帳と脇に挟んでいた傘を、同時に落とした。その物音に、人喰い女が鬼の形相で振り返る。

「……見たな」

「いや、み、見てない……見たけど、すぐ忘れる。忘れる努力はしてみる」

「嘘を吐くな」

 女は口許を押さえ、何かを吸い込むような音を立てた。に、肉汁を吸ったのか?

「ひ、人のお肉って、な、生でいただいても、おいしいのですか?」

 懸命に声を絞る級子に対し、女はクックッと忍び笑いを洩らした。大きな眼に太い眉。小麦色の肌をした、一見健康的な女子にしか見えないのだけれど。

「肉なんて食べてないよ。あたいは血を吸ってたのさ」

「血?」

 それでも驚きの度合にさほど差異はない。

「あたいは生粋の〈ヴァンピリスト〉、吸血症者だからね。あんたたちの血も吸ってやろうか?」

 そう言って女は下品に笑った。

「じょ、冗談だろ……ていうか、いくら寝てるからって、勝手に他人の血吸っていいのかよ」

「問題ない。こいつとはドナー契約を結んでいる。正式な血液の提供者だ」

 吸血女に給血男というわけか。お似合いのカップルじゃないか。

「正式なドナーっつっても、衛生的に大いに問題あるだろ」

「口腔用の消毒液は持ってる」

 おい、傷口は消毒してくれないのか。

「契約って、金で雇ってんのか?」

「いいや、現物支給だ。昼飯のな」

 ああ、あの大量のハンバーガーのことか。

女は何かに気づいたように床の傘を見下ろすと、

「そういえば、傘を持った女にやられたとかクラスの連中が言ってたな。じゃああんたが、H組の推薦者なのかい?」

「そ、そうです。あの、お昼には、すみませんでした」

 深々とお辞儀をする級子を、吸血女は冷ややかに見つめながら、

「虎徹は執念深いから、あんまり近づかないほうがいいよ」

「はあ、ですが……」

 ひょっとしてこいつ、E組の……

「もしかしてお前、E組の生徒会長候補か?」

「そうだよ」

 吸血女は即答した。落とし物を拾い上げた級子が、はっと背筋を伸ばした。再び手帳が床に落ちる。

「では、〈ブラッディ生徒会〉を目指していらっしゃるという、フットサル部所属の、俵藤真紅さん……」

「よく知ってるね。あんたがH組の代表かい」

 ハンカチで口を拭いながら吸血女は言った。無言で頷く。野生児の腕に滲む血も拭ってやれよと思いつつ。

「まさか、あたいに用があって来たの?」

「本当は明日お伺いしようと思っていたのですが、思わぬ所でお会いできました。実は、選挙活動についてお訊きしたいのですけれど」

「ああ、なるほどね。それで昼間来たわけね」

 腕を組んで脚も組み、吸血女は額にかかる前髪をフーと吹き上げた。

「まだ構想段階だから話すほどのことでもないけど、積極的に献血をするよう呼びかけるつもり」

「お前、それ飲むのかよ」

「なわけないでしょ。味見ぐらいならしたいけど。そうじゃなくて、献血への意識を高めさせることで、ヴァンピリストに対する偏見をなくしてもらって」

「もっと沢山血を吸いたいと」

「そうそう……ってちょっとあんた。それじゃまるであたいが生徒会長の権限を利用して、血をいただく環境を整えようとしてるみたいじゃないか」

 それ以外の何物でもないだろうが。適当に二言三言話したのち、俺と級子は足早に廊下に出た。

「ひでえな、ありゃ」

「虎徹さん、いつもあんなふうに血を吸われているんですかね」

「完璧ブロイラー扱いだな」

 俺たちにお鉢が回らないように、精々血袋としての役目を全うしてほしいもんだ。当てられた毒気を振り払うように深呼吸をして、次なる目的地へ足を運んだ。

「ああっ丸木戸さん! それに級子嬢まで」

 活気と竹刀の打撃音に溢れた道場に辿り着くと、同じクラスの長船が面を外して大急ぎで駆け寄ってきた。こないだの一件がよほど堪えたのか、以前の傲慢な態度が嘘のような卑屈っぷりだ。呼び名まで変わっている。

「どうしたんですかこんな所に。ささ、どうぞどうぞ」

 限界まで上体を傾げて中に迎え入れようとする。

「ここでいい。それより、鬼丸呼んできてくれ」

「はっ、畏まりました!」

 ぴゅうと音がしそうな勢いで長船は飛んでいった。両極端なんだよあのヒゲ男は。

「いや、特に活動はしないよ」

 それから程なく、頭部に手拭いを巻いてやって来た男子剣道部次期部長は、級子の質問にあっさりそう答えた。これは意外な回答だ。鬼丸は上級生にコネもありそうだし、様々な工作をしてくるだろうと予想していたのに。

「僕は今まで通り、剣道を優先するよ。選挙が控えているとはいえ、この生活に変わりはない。むろん、演説や討論には参加するけどね。それで落選したら仕方がない。僕に信頼がなかっただけの話だ。そうだろう?」

 演説や討論というのは、委員長に渡された紙にあった〈立会演説会兼公開討論会〉のことだろう。確か九月下旬に催されるとかいう。つまりこの二つと日頃の宣伝活動、そして投票日の最終演説でしか、票を集めるチャンスはないというわけだ。

 それにしても、発言とは裏腹に、確乎たる自信が鬼丸の口調の端々に垣間見えた。自分が当選することに一ミリの疑問も抱いていない、真っ直ぐ前を見据えての発言。それは王者の風格を思わせる、真っ直ぐに成長した者のみが持ちえる強力な武器でもあった。

「それでは、目指している新生徒会のヴィジョンというのは、一体どのような……」

 級子は尚も尋ねたが、恐らくこれ以上有益な情報は得られないだろう。この手の輩を揺さぶるには、ちょっかいを出して動かそうとするよりも、まず自分が率先して動く必要がある。こいつに焦りを生じさせるような、攻めの動きが。それを見つけ出すのは容易なことではないと思うが。

 不意に悪寒がして、俺は女子剣道部の一団を眺めた。やっぱりいた。一人だけ竹刀を振るのをやめて、凄味の利きすぎた眼でこっちを見ていやがる。昼休みの一件以来、休み時間ごとに小言を言われていて俺はかなり辟易していた。このまま突っ立っていると、そのうちここにやって来て小言の続きが始まりそうだ。俺は早めに切り上げるよう級子を急かした。

 あ、そうだ、と鬼丸は最後に意味深な笑顔を浮かべて、

「立会演説のときに、もう一つ公約を追加しようと思っているんだ」

「それ、今教えていただけませんか?」

 しかし鬼丸は首を振って、

「今後の楽しみに取っておいてほしいな。僕にとっては重要なことだから、あまり外部に洩らしたくないんだ」

「はあ……判りました」

 うわ、こっちに近づいてきたよ。まずい、早く出ないと。

「じゃあな、鬼丸」

 俺は級子の手を掴んで、そそくさと退散した。

「ど、どうしたのですか?」

「ツバメの奴、自分だけお前の剣術が見れなかったのをずっと根に持ってんだよ。しつこいっつうの」

「は、はい」

 校舎に戻り、級子に時刻を尋ねる。当然ながら俺は腕時計を着用していない。午後五時。まだ時間は残っている。文藝部だけなら、見て回れるかもしれない。

 俺たちは文藝部の部室のドアをノックし、中に入り、こちらも鬼丸同様次期部長と目される青江刀馬に会えたところまでは良かったが、無理矢理椅子に座らされ、どうして文藝部の〈藝〉の字が旧字なのかという説明に始まり、自分の雅号の由来、全部員の紹介から年間の活動内容に至るまで滔々と語られ、もし終業のチャイムが鳴らなければ、部員の自作小説と次期部長渾身の一作という一大叙事詩まで聞かされるところだった。

「丸木戸くんに七支くん、また来たまえ! いつでも僕の詩を朗読してあげよう。持ち込みも大歓迎さ!」

 部員全員に親指を上げて見送られ、廊下へ。

 質問らしい質問もできず、ぐったりした様子で薄暗い廊下を歩く級子。欠伸をしいしいその横に立ち、俺は自分のこめかみを指先で押しやった。

なんなんだ、この学校は。一年半通ってきて今更思うことでもないのだろうが、まともな候補者が少なすぎる。

「なあ級子。残りは何人だ?」

 ページを捲る指にも力がない。ややあって級子は手を止め、

「あとお二人ですね……B組の、〈日巫女教〉教祖の三条月読さんと、F組の、前世名がメルレイーズ・ジョスヴァル六世の、孫六諄一郎さんです」

 ははっ、最後に残ったのがそれか。どっちに当たっても、まともに質問できる気がしない。ひとたび失われた気力と体力は、暫く回復しそうになかった。

大きく欠伸をすると、級子も小さく欠伸をした。

「伝染っちゃいました」

 そう言って級子は小猫のような舌を出した。

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