8 回想6
結局、まともに誰とも話さないまま毎日が過ぎてゆく。巽が見つかったという話はまだ届かない。
淘汰は重い足を引きずりながら帰ろうと向かった下駄箱のところで、友昭達の声がして立ち止まった。
聞こえてくる「巽」とか「まだ見つからない」とかいう言葉の断片で、巽のことを話しているらしいと気付く。
淘汰は思わず耳を澄ませた。
「……巽さぁ、死んじゃったのかなぁ……」
友昭の声だった。
「やっぱり、もうすぐ二週間だし、もう、……ダメかもな……」
「……うん」
なんとなく隠れてのぞくと、友昭が暗い表情でうなずいているのが見えた。
「俺さぁ、ちょっとだけ、……ちょっとだけだぞっ。……巽って、苦手だったんだ」
友昭の言葉に驚いて、淘汰は更に耳を澄ませた。
確かに、巽はクラスメートから敬遠されがちだった。あまり喋らなくて、落ち着きすぎている感じがあったせいだ。淘汰が側にいなければ、巽と話をする者はもっと少なかったかもしれない。
だが、どうして、突然そんなことを言うのだろう。
「何で、淘汰と仲がいいのかって思ってた。……でもさぁ、結構前なんだけど、勉強でわかんねぇとこがあってさ、淘汰と悩んでたら、巽が来て、俺にも教えてくれてさ。それが、すっげーていねいに教えてくれて。何だ、いいヤツじゃんって。話してみるとさ、すげーいいヤツで、あんまりしゃべんないのは俺らのことバカにしてんのかって、前、思ってたのが、すげー恥ずかしくなった」
聞きながら、淘汰は巽のことを考える。
巽は、頭よくて、運動もできて、他人なんてどうでもいいみたいな感じの嫌みなヤツだった。でも、実は、結構いつも人に気を使っているようなところがあって。何かあれば、必ず側にいてくれるようなヤツで……。
淘汰はまた込み上げてきた涙をぐっとこらえる。
友昭は、巽がもう死んでいると思っている。もう、戻ってこないと思っている。だからこんな事を話しているのだ。
そう思うと、淘汰は苦しくなった。悔しくもあったし、悲しくもあった、けれどそれ以上に、巽の生存を誰も信じてないことを仕方がないと感じている自分が許せなかった。
何で、おまえ、巽のことを、思い出みたいな感じで話すんだよっ
友昭は悪くない。けれど、苦しくて、淘汰は八つ当たりのようなことを考える。
その向こうでは、淘汰に気付くことのないまま、友昭が重い息を吐いた。
「今も、ちょとだけ、苦手だったけど、でも、ホント、すげーいいヤツだったのに……、何でこんな事になったのかなぁ……」
淘汰は隠れたまま、友昭が少しだけ声をふるわせたのを聞いた。
そのまま二人の会話が途切れ、すん、と鼻をすするような音が小さく響く。
分かっている。友昭は、心配しているのだ。親しい訳じゃなかったけれど、それでも巽のことを心配しているだけなのだ。
淘汰は唇を噛んだ。
ホントに、何で、おまえ、ここにいないんだよ……。
いつも一緒にいた親友。
なぁ、巽、みんな心配してんだぞ。早く、戻って来いよ。
淘汰はにじんだ涙をごしごしとこする。巽に会いたかった。
視線の先では、二人が靴を掃き終わって立ち去ろうとしていた。
ふと、友昭と一緒にいるもう一人の友人がぽつりと呟いた。
「なぁ、淘汰、大丈夫かなぁ……」
えっ、と、淘汰は顔を上げた。
友昭が暗い顔をして、らしくないほど力なく肯いている。
「うん……。柏木は何も話さなくていいっていうけど、ずっと落ち込んだままだし……」
あとに続いた友昭の思わぬ言葉に、淘汰は目を見開いた。
「巽、早く見つかればいいのにな、そしたら、淘汰も元気になるのに」
二人の声が遠ざかっていく。淘汰は、帰って行く二人の背中をぼんやりと見送った。
あいつが……。
淘汰は今の自分に対する周囲の反応が柏木によるものだということに驚いていた。
ここ数日のことを思い返すと、友昭の言葉に思い当たることがあった。登校以来、必要以外誰かが話しかけてくることはほとんどなくなっていたが、淘汰の友人関係ではいくら気を遣っているとはいえ、異常だったと言っても良い。
それが今の状態の淘汰にはありがたかったのだが。
そうか……。
淘汰は遠ざかる友人達の背を見ながら思った。
確かに柏木の姿を以前より多く見かけていた。少し離れたところに、必ず彼がいた。
柏木と巽はかなり親しかった。きっと自分と同じくらい巽を心配しているはずだ。
なのに、彼は淘汰にまで気を回していたのだ。
俺、みんなに気を使わせているんだ。
友昭やクラスメートだって巽の心配もしているはずだ。でも、更に自分までもが心配をかけていた。
そんなことに、はじめて気付いた。
淘汰はそんな自分を情けなく思いながら、靴を履く。
ふと、誰かが隣にいて、目を向けると、柏木が靴を履いていた。
「……」
淘汰は、無言で柏木を見た。
「よう」
柏木が何でもないように声をかけてきた。
「……」
淘汰はためらいながら、けれど声を出すことが出来ずに、ただうなずいた。
当たり前のように柏木が淘汰と一緒に歩き出し、無言のまま二人で校門まで歩く。
「……柏木、ごめんな」
別れ際、呟いた。それが精一杯だった。
「いいや」
ややあって、柏木の返事が返ってくる。
「……まだ、だめなんだ」
呟く声が、かすれた。
柏木はその言葉にうなずくと、ぽんぽんと淘汰の肩を叩き、「じゃあな」と言葉を続けた。
淘汰はまた何も言えないまま、うなずいた。
そのまま一日、一日が過ぎ、そして、二週間が過ぎた頃、捜索が打ち切られた。
巽は、まだ、見つかっていなかった。
「ねぇ、なんで? どうしてやめるんだよ? 巽、まだ見つかってないのに!」
淘汰はそれを知らせてきた父親にくってかかった。
「もっと探そうよ! 海に残されたら、巽、かわいそうだよ! ねえ、お父さん!」
父の服をつかんで、淘汰は泣きながら叫んだ。彼はそれをただ無言で聞いていた。
「……すまん」
力になってやれないことを苦しむように、呟かれ、どうにもならないことを淘汰は感じた。
「いやだよ、おれ、だって、たつみ……」
切れ切れに言葉を呟くが、それ以上言葉にならなかった。
泣いて、泣いて、咽がかれるほどに訴えたけれど、それが覆ることはなかった。
月が、姿を消そうとしていた。