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6 回想4

 翌日、警察の人が来て、再び、昨日の状況について尋ねてきた。

 説明の時には、淘汰の両親も付き添っていたのだが、その時になって初めて、昨日家族は誰も淘汰に事故のことを聞いてきたりしなかった事に気付いた。

 警察の人に話しながら、誰も巽のことが気にならないんだろうかと不思議に思うと同時に、誰も巽の心配をしていないように思えてならなかった。

 淘汰は無性に家族に対して腹立ちを覚えた。

 警察の人が帰ろうとしたときだ、淘汰はふと気になっていたことを思い出し、彼らを呼び止めた。

「……あの、巽が助けたあの女の子、……大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。今朝、目を覚まして、ご飯も食べたらしいよ」

 淘汰を安心させるように微笑んで、彼は言った。

「そうですか、……よかった」

 淘汰は少しだけ笑って頭を下げた。

 巽が身を挺して救った命だ、無事でなければやりきれない。引き上げた時の生気のない青い顔を思い出して、もう大丈夫なのだとほっとする。

 一方、巽が見つかったという知らせは未だなく、今朝も早くから巽の捜索をしているらしい。けれど、生存が絶望視されているのは淘汰の目にもわかった。

 捜索している海岸へ行くと、巽の両親がいた。

「おはようございます」

 躊躇った末に声をかけると、難しい顔をしていたおじさんは淘汰を見つけると普段の表情で「おはよう」とあいさつを返してくれた。

 けれど、いつも優しいおばさんは目を潤ませて頭を下げただけだった。

 何気に避けられたのがわかって、いたたまれない気分になった。

 無言で責められているように感じて辛かった。

 俺が、飛び込んでいれば。

 下を向いて唇を噛み締めると、そのまま二人に深く頭を下げる。巽の両親の顔を見ることが出来なかった。

 淘汰は耐えきれずに走ってその場を去った。どこに向かうでもなく、その場から離れたくてただ走った。

 とにかく走っていると、海岸から少し離れたところにある公園にたどり着いた。体は自然と、慣れた道を進んでいたのだろう。立ち止まって、少し躊躇った末、行く場所もなく、結局その公園に足を踏み入れる。

 小さい頃に巽とよく遊んだ場所だった。

 ゆっくりと辺りを見渡すと目に付いたのは二人とも好きだった、ブランコ。

 それは遊んでいた頃に比べると、ずいぶん古びて見えた。

 淘汰は腰をかけ、小さく地面を蹴った。

 きぃ……、きぃ……。

 音をたてて淘汰を乗せたブランコが揺れる。

「……死んでなんかないよな、お前が死ぬはずなんか……」

 自分の口から漏れた声は、細く震えていた。

 淘汰は自分の声の弱さに、そこにはらまれた恐怖を知る。

 ……神様、あいつを、巽を連れていかないで下さい。

 奥歯を噛み締めて、祈った。

 ぽたぽたと涙がこぼれ、こらえきれずに嗚咽が漏れる。

 神様、どうか。

 こんなに、真剣に神様に祈ったことなどなかった。こんなに神様の存在を信じたいと思ったことはなかった。

 お願いします、巽を、助けて下さい……。

「……お願い、しま……す」

 引きつったような声が漏れ、その後は声にならず、ただ開いた口から息だけが漏れた。

 潮に流されたのなら、きっと生きてはいない。

 わかっていても、それでも……!

「……たつみ、たつ、み……」

 祈った。

 生きていて欲しいと、帰ってきて欲しいと。


 夕食を食べながら、淘汰は両親が話しているのを聞くともなしに聞いていた。

 何をするにも無気力で、何も考えず、何もしたくなかった。

「……明日は、学校へ行きなさいね」

 ぼうっとしていて、母の言葉を一瞬理解することができなかった。

「……え……?」

 顔を上げると、二人とも淘汰を見ていた。父親が、有無を言わさぬ表情できっぱりという。

「明日は、学校へ行くんだ」

「でも、お父さん、……巽が見つかるまで、俺……」

「甘えるな。お前が残っていたところで何の役にも立たないだろう。今、お前ができること、お前がしなければいけないことはなんだ?」

 容赦のない表情と言葉で、父は淘汰の苦しさを切り捨てるように言う。

 けれど、いけるはずがないと淘汰は思った。普通の生活をして良いはずがない。

「だって、巽は、俺があの時海に入っていれば……」

「いい加減にしろ。あれは事故だ。」

 突き放すようにきつい声で父が淘汰の言葉を遮って言う。

「……お父さん」

 その父の言葉に、母がなだめるように声を掛けた。そして、母親は次いで淘汰を見た。

 けれど、母親の言葉もまた、淘汰の望むものでもなかった。

「いつまでもそうしているわけにはいかないのは分かるでしょう?」

 母の言葉に何の言葉も返せず、淘汰はうつむいた。

 とても、そんな気分にはなれなかった。


 翌日、半ば無理矢理に淘汰は学校へと送り出された。

 気の重さを表すかのように、自然と足の歩みも遅くなる。

 歩みの遅い淘汰の周りを何人もの人が追い越していった。

 学校に行く気分じゃなかった。

 自分を追い越していくにぎやかな声が、うるさくてたまらない。

 学校に着くと、淘汰の耳に響く賑やかな声は更に大きくなった。

 うるさい、だまれっ

 心の中で何度も怒鳴る。

 今すぐこの場から立ち去りたかった。

 自分の気持ちと、周りの世界との落差が、たとえようもなく苦しくのしかかってくるようだった。

 けれど、慣れた教室までの廊下を、重い足が勝手にとぼとぼと歩んで行く。

 たどり着いた先にあるのは教室の扉。しばらく迷って教室のドアを開けた。

 そこには、まるで巽のことなど何もなかったかのように、クラスメート達がはしゃいでいる光景が目の前に広がっていた。

 淘汰は立ち止まり、教室の中のその様子を見ていた。

 元気なクラスメートの姿が、やけにいやなものに見える。

 わき上がる不快感に、淘汰は教室から目をそらすと、その場を離れようとした。

「松本、入らないのか?」

 下駄箱に向かおうとしていた淘汰に声が掛けられた。

「……」

 淘汰は立ち止まり振り返ると、返事も返さずその主を見る。

「行こう」

 柏木だった。彼は何でもないように言って淘汰を教室に入れた。

 二人で教室にはいると、わずかにはしゃぐ声が減った。

「おはよう、淘汰」

「淘汰おはよう」

 クラスメート達が声を掛けてくる。けれど、その顔には先ほどまでの笑顔はない。

 そんな、わずかに強ばった笑顔で遠慮がちに話しかけられると、余計、不快に感じる。

 淘汰は視線だけを彼らに向け、暗い表情のまま、ただうなずいた。

「おはよう」

 わずかに呟いたが、その声はくぐもって、聞き取ることが出来たのは、ほんの数人だけだったかもしれない。

 席に着く。

 いつもは一番に騒がしい淘汰が、席に着いたまま、動こうとしない。

 それがよけいにクラスメートの目を引いた。

 クラスメートの一人が淘汰の席に歩み寄ってきた。

「……あのさ、あの時、お前一緒にいたんだろ?」

 わずかに楽しげな含みを持って声が掛けられた。

「あの時」それが巽が行方不明になったときということは明白だ。その無神経さに淘汰はむっとしたが、それでも暗い表情のまま「ああ」とだけ答えた。

 すると、それだけでは好奇心がおさまらなかったらしいそのクラスメートは更にいくつも質問をたたみかけてきた。

「なぁ、どんなだったんだ? 警察とか来たんだろ?」

 うるさい、うるさい、うるさい!

 心の中で淘汰は叫んだ。

 もともと、このクラスメートは、無神経で、人によっては敬遠されがちな性格だった。

 しかし決して悪いヤツではなく、普段は普通に話してそこそこ親しいのだが、まさか、こんなときにまで人の気持ちを考えることができないヤツだとは思わなかった。

 イライラした。殴り飛ばしてやりたいとも思った。

 答えない淘汰に「なぁ、何か言えよ」と、更にたたみかけてくる。

 耳をふさぎたくなった。机の上で握りしめるコブシがわずかに震えた。かみしめる奥歯に力がこもる。

 しかし、彼らから、うつむいている淘汰の表情は見えず、気付いた様子はない。

 ほうっておいてくれ! 俺に近づくな!

 思い出したくもない。考えただけで苦しくて、辛くてたまらなくなる。

 そんな淘汰の気持ちが分からないクラスメートに怒りを覚えた。

「……やめろよ……」

 遠くで止める声もしたが、好奇心の方が勝っているのだろう、それには耳もかさず、更に淘汰に問いかけてくる。

「なぁ、淘汰、警察の事情聴取とかってほんとにやったのか?」

「いい加減にしろよ、淘汰の気持ちも考えろよ」

 たまりかねたように、彼のとなりの少年が言った。

「お前だって、興味あるだろ? 昨日言ってたじゃないか」

「そうだけど、でも……」

 その言葉に、止めようとした少年も、口ごもる。

 結局は他人事なのだ。

 そんな少年の心遣いが更に腹立たしかった。

 少年の制止はなんの役にも立たず、更にそのクラスメートは声を掛けてくる。

「なぁ、淘汰、ちょっとくらい教えろよ」

 彼に別段悪気があるわけでもなかった。単にめずらしい出来事に興味を引かれた、それだけのこと。

 彼とよく話す淘汰はそれがわかった。

 ただ、彼は自分の気持ちを優先しすぎて他人への思いやりが欠けていた。

 いま淘汰は、それを許せる気分でもなかった。

”うるせぇよ!”

 ついに淘汰が叫ぼうとしたときだった。

 ガン!

 机を蹴る音がした。

 淘汰以外の視線がそこに集中する。

 柏木が淘汰の周りにいるクラスメートを無言のまま睨んでいた。

「………」

 柏木がそんなふうに態度で怒りを示すのはごくまれなことだった。

 そんな柏木に逆らおうという者もおらず、驚いたクラスメートもまた、興味を残しながらも、渋々と言った様子で、淘汰の席から離れた。

 淘汰の周りは静かになった。けれど、握りしめられたこぶしは、変わらず力がこもっていた。

 自分の周りの全てがうっとうしく思えてならなかった。

 誰とも話したくなかった。

 何もする気になれなかった。

 その後に登校してきた友昭の遠慮がちな声も、ただ煩わしかった。



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