5 回想3
「巽?! 巽?!」
テトラポットや水面を何度も見つめて親友の姿を探した。
そして淘汰は、親友の姿のかわりに、小さな少女がテトラポットに必死で捕まってがたがたとふるえているのを見つけた。
真っ青な顔色と唇に、淘汰はとっさに駆け寄り、あわてて男を振り返った。
「おじさん、この子は俺が上に上げるから、おじさんは巽を捜して!」
叫んで淘汰は少女に手を伸ばしていると、後ろから、男の驚いた声が掛かった。
「巽? 助けに飛び込んだ子か? いないか?」
「いない! はやく! おじさん、早く! 巽を助けて!」
咽がかれるくらい大きな声で叫んだ。
男はうなずくとすぐさま海に潜った。
淘汰も続いて水に入り、力無い少女を抱えた。淘汰ほどの体格からすれば、もがく力さえなくしている少女相手で、それは難なくできたが、水の上に上げるとなると信じられないほど力がいった。
何度も持ち上げては、テトラポットの上に置こうとするが、なかなか引っかかってくれないのだ。さんざん走ったせいで足はぱんぱんに張っていたこともある。立ち泳ぎとなると更に足の筋肉を酷使する。けれど、何度も失敗しながら、それでも少女を海からあげることができた。
その頃ようやくサイレンが響き、救助隊が来たことに気付く。
その間も、何度か男が息継ぎをしに海面に顔を出している。
男と一緒に巽を捜そうかと考えた。
しかしサイレンの音が止まり、周りが一気にざわめきはじめた事で、ハッと我にかえる。
少女を見ると、真っ青な顔をしてふるえてもいなかった。
淘汰は海を上がって少女を抱きかかえた。
冷たい。
息はしているようだが、今にも止まりそうに思えた。
どうしたらいい、どうしたら!
こんな時、どうしたらいいのか、まったく分からない。
寒さとは別の意味でがたがたとふるえた。
「君! 大丈夫か!」
振り返ると、救助の人がいた。
「この子!」
淘汰は泣きそうになりながらその人に少女の体をあずけた。そして後ろにいる救助隊の人に向かって叫んだ。
「この子を助けに入った友達がいないんだ! おじさんがさっきから探してくれてるけど見つからない! 巽を助けて!」
そして数人の救助隊員が海に潜った。替わりに男が海から上がってきた。
「おじさん、巽、いなかった? あいつ、いなかったか?」
少しふるえながら荒く息をする男に詰めよった。
「すまん、ぼうず。思った以上に潮の流れが速い……」
「……そんな……」
既に潮に流されたということか…。
男の考えが分かって、淘汰は頭の中が真っ白になった。
「……そんな……」
頭がクラクラとした。
「ぼうず、顔が真っ青だ! お前も横になって休んでおけ」
ぐいっと肩をつかまれ、揺すられた。
それを振り切るようにして波の打ち寄せる方へと体を向けた。
「ぼうず! しっかりせんか!」
動きを止められ、再び体が揺すられる。
「巽! たつみぃ! たつみぃ! たつみぃ!」
何度も海に向かって叫んだ。
淘汰は自分を押さえつける男の手を振りきろうともがいた。
「俺が探す! 人に任せてられるか! 俺が巽を捜す!」
「バカをいうな! お前も溺れるぞ!」
「溺れない! あいつだって溺れてない! 巽は泳ぎは上手いんだ、俺よりずっと上手いんだ! 溺れるわけないじゃないか!」
力任せに海へ向かおうとしながら叫ぶと、男に何度か肩を揺さぶるようにつかまれた。
「落ち着け、いいか、落ち着くんだ! 救助の人が入っている!」
「だって、たつみ、たつみ……」
がたがた震えながら、何度も巽の名前を呟いた。
口の中が、しおっからい。
海水の味か、自分の涙か、判別はつかなかった。
「念のため、君も病院の方へ行こうか」
半ば引きずられるようにして堤防の向こうまで連れてこられた淘汰は、その言葉に力無く拒否を示した。
日はじりじりと照りつけてくる。濡れていた制服もだいぶ水分をとばして、早くに乾きだした部分は塩をふいていた。
救助の人達は、まだ巽を見つけていない。
淘汰は何も出来ずにただぼんやりと海を見つめる。
再びうながすように救助隊員だか救急隊員だかが「行こう」とぽんぽんと肩を優しく叩いた。
その人の気遣いはうれしかった。けれど、その人の顔すら見ず、淘汰はただ首を横に何度も振った。
「……そうか。体でおかしいところはない?」
淘汰はうなずいた。
「どこか打ったりしてない?」
もう一度淘汰はうなずいた。
「わかった」
その人はそう言って、ちょっと淘汰のそばを離れた。
そして、しばらくすると、すぐにその人は戻ってきた。
「今日起こったことを全部聞かせて欲しいんだけど、大丈夫?」
なんとなく頭が働かず、言葉の意味を一拍ほど置いて理解する。
淘汰は再びやって来たその人の方に顔を向けると、他に二人大人がいた。
警察だということはすぐに察しがついた。
じっと彼らを見て、淘汰はうなずいた。
「事故が起こる前から話してもらえるかな?」
淘汰はこくりとうなずいて、話し始めた。
「……学校の帰り、ここを通ってたんです。……」
淘汰が全て話すと、いくつかの質問をして、彼らは行った。
野次馬もやってきて、周りがだいぶ騒がしい。それに混じって自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
母親の声だ。姿を探すと、彼女はせっぱ詰まったような表情をして淘汰に向かって走ってきていた。
「あんた、けがはない?」
彼女は僅かにふるえながら息子の存在を確かめるかのように、濡れている体を抱きしめた。
「誰かが海で溺れたらしいって……、そこに、あんたがいたっていうから、お母さんびっくりしてとんできたのよ!」
泣きそうになって震えている母親に抱きしめられた。
「……巽が……」
淘汰は呟いた。
「……巽君?」
「……巽が、いないんだ……」
震える声で呟くと、母親がわずかに強ばったのがわかった。
「……俺、……俺が海に入ればよかった……」
自分を抱きしめる母親にしがみついて、淘汰は涙をこらえながら呟いた。
「俺の方が体力あったのに、こんな事にはならなかったかもしれないのに……!」
声を絞り出すように呟いた淘汰を、母親は更に力を込めて抱きしめた。
「お母さんは、あんたが無事でよかったと思うよ、どっちが海に入っても、同じだったと思うよ。淘汰、自分を責めないでね、お願いだから、そんな風に自分を責めないでね……」
ろくに状況などわかってもいないだろうに、母親はそう言って、淘汰を抱きしめた。
「巽、大丈夫かな、巽、死んだりなんかしないよね、お母さん」
声を震わして呟く淘汰を、母親はただ抱きしめることしかできなかった。
「……たつみ、……たつみ……たつみ……たつみぃ……」
自分より小さな母の腕の中は、やけに温かくて、淘汰は泣いた。
その日、夜になっても巽が見つかることはなかった。