2 闇夜
2 闇夜
ひとつの影が、夜の町をかけて行く。
タッタッタ……
小さく足音を響かせながら、手に持った懐中電灯が前後に揺れる。
街並みを離れ、ぽつぽつと灯る街灯がだんだんと遠ざかっていった。
影の向かった先は、海。
堤防沿いを懐中電灯の光をゆらしながらそれは駆け抜けてゆく。
ジャリ、ジャリと、コンクリートと砂の擦れる音が、階段を踏みしめる足下から響いた。
そして、ザク……と、音を立てて砂浜に足が踏み込まれる。
海にたどり着くと影は止まった。
少年は、肩で息をしながら闇にとけ込んだ海を眺めた。
「闇夜の海には、明かりが灯るよ。愛しい人を捜す、明かりが灯る」
祖母の声が耳によみがえる。
サク、サク
打ち寄せる波の音と、自分の踏みしめる砂の音。
それを聞きながら少年はゆっくりと波打ち際に進んだ。
全てが闇に包まれ、少年の影も海と陸の境も、海と空の境も無く、全てがひとつになっていた。
ただ、足下を灯す懐中電灯だけが、やけに明るい。
サク、サク
歩むごとに波の音が近づき、間近に海を感じたところで、少年は歩みを止めた。
はぁ……。
少年ひとつ大きく息を吐いて、少ししめった砂の上に座る。
夏も終わりに近づき、夜になると少し寒い。それが走って熱くなっている体には気持ちよかった。
カチリと懐中電灯の光を消す。
あたりが真っ暗闇になった。
闇と波の音だけが少年を包み込んでいた。
「たつみ」
膝を抱えて少年は呟いた。
それは物心がつく前からずっと一緒にいた親友の名前だった。
生まれたときから十四年間、ずっと一緒にいた親友。その彼と、二週間も前から会っていない。
少年は、膝に顔を埋めた。
最後に親友の姿を見たのが、この海だった。
「淘汰! すぐに大人の人を呼んでこい!」
巽が叫んで海に飛び込んだ。
「わかった!」
うなずいて、淘汰は人を呼びに走った。
それが、最後だった。
ザン……、ザン……
波の寄せる音だけが耳に響く。
少年はふっと息をついた。
たった二週間前だ。
なのに、いやになるほど長い二週間だった。
バカげたことをしている。
少年は今自分がしていることをそう思った。
けれど、自分のできることなら何だってしたかった。
小学生の頃、大した意味もなくした約束。それを果たすことができたなら。
海とも陸とも空とも区別の付かない闇を見つめながら、約束したあの日を思い出す。
やっぱりおまえ、頭よかったよ。俺、バカだから、今でもばあちゃんのいってた意味、わかんねえや……。
泣きそうになりながら、少年が笑う。
幼い頃かわした約束を果たすため、新月を待って家を抜け出してきた。
少年は待っていた。
あの昔話のように、あかりが灯るのを。
この海に消えた親友を捜すためのあかりが灯るのを。
潮風が、走って温まった体に心地よい。
逆だったらよかったのになぁ……。おまえだったら明かりの灯し方、わかっていたのに……。
膝を抱えたまま、闇を見つめる。
もしおまえがここにいたら、なんて言うかな。
いつも一緒にいた親友。思い浮かべて、ふと顔がゆるんだ。
ああ、そうだ。きっとこんな時なら、笑って俺を見てる。
からかうように笑いながら、気持ちを落ち着かせるように、言うかもしれない。
『どうせおまえはバカなんだから、考えるだけ無駄だ。ばあちゃんの言ったように、一生懸命祈ってたら? どうせそのくらいしかできないんだ、そうしとけ』
……言いそうだ。
小バカにしたように、皮肉げに言う親友の姿が思い浮かぶ。
それがあまりにも親友らしくて、自分で想像して、おかしくてぷっと吹きだした。
「……ハハハ……」
声を上げて笑った。そして笑いながら考えた。
どうしてあいつがここにいないんだろう、と。
笑っているのに、泣きたいような虚しさが胸を占める。
いつも一緒にいた。
性格は正反対といってもいいほど全く違うのに、物心ついた頃から今まで、変わらず一緒だった。
泳ぎの上手いヤツで、溺れるようなへまをするヤツじゃなかった。
何だってできて、要領がよくて運動もできて。
なのに今、あいつは、ここにいない。
「……たつみぃ……」
親友が側にいないことが、たまらなく辛い。
どうしてここにいるのが巽じゃないんだ。
ドジをするのはいつも少年のほうだった。
少年は心の中で責めるように親友に問いかける。
ドジを踏むのは俺の専売特許だと言ったのはおまえじゃないか。そのおまえがドジ踏んで、どうして俺がここにいるんだ。
何度も繰り返した答えのない問いかけ。
バカをするのは少年、それをフォローするのが親友。それが当たり前にすらなっていた関係。
彼のすることに間違いはないと思っていた。
だから。
と、少年は膝を抱える腕に力を込めた。
こんな事でおまえがいなくなるなんて、思いもしなかった……。
この二週間、ずっと少年を苛み続けてきた後悔が、耐えられないほどの重さでのしかかってくる。
あの時もっと他の方法があったのに、俺はみすみすあいつをこの海に置き去りにしてしまった。
そしてそのまま、親友は姿を消した。
『死んでなんかいないだろう? 早く帰ってこい!』
海に消えた親友を想い、祈り続けたこの二週間。
救助の人達が親友を捜しにこの海に入った。救助隊の名は、まもなく捜索隊という名前になった。
おそらくもう生きてはいない。
誰もがそう言った。
そして数日前に捜索は打ち切られた。
けれど遺体はまだ上がっていない。
親友はこの闇の向こうに、いる。
少年は何も見えない暗闇を、ただ見つめた。
思い浮かぶのは、あの日の自分達。
闇にまぎれて今は見えないが、少年のすぐ近くで砂浜は終わり、テトラポットが積まれている。そのテトラポットの向こうには、親友が消えた場所へと続く。