1 記憶
『闇夜の海には、明かりが灯るよ。愛しい人を捜す、明かりが灯る』
新月の夜だった。
星だけが夜空を彩る。
タッタッタッ……
暗闇の中を、影がひとつ、街灯に照らし出されながら駆け抜けていった。
寝静まった町に、その音が小さく響いた。
1 記憶
『闇夜の海には、明かりが灯るよ。愛しい人を捜す、明かりが灯る』
海に面した淘汰の町には、そんな言い伝えがあった。
物心つく前から、ときどき思い出したように、祖母が歌うように呟いていたのを、聞いて育った。
それは何と言うことない、よくある昔話。
新月の夜、海でいなくなった人を捜す明かりが灯るという、不思議な物語。
聞き慣れたそんな物語に、ふいに興味を持ったのは、まだ十歳ぐらいの頃。
いつも一緒にいる幼なじみの巽を誘って、淘汰は祖母に話を聞きにいった。
「ああ、その噺はな……」
祖母がはじめから、ゆっくりと物語を話してくれた。
ちゃんと聞いたのは、それがはじめてだった。
物語は、ちょっとした恋物語。
漁師と、彼に恋をした女の話。
将来を約束した二人だったが、漁師は嵐の海で行方不明になる。
そして女は毎日祈った。手が空くたび漁師のいなくなった海へ行き「帰ってきますように」と。
淘汰には全く興味の湧かない昔話だった。
だけど昔話なんてこんなものだと思った。聞くんじゃなかったなぁなんて、内心後悔しながら、退屈で、隠れてこっそりとあくびをした。
あとは、楽しそうに話している祖母をがっかりさせないように、義務感だけで聞いていた。
祖母はゆっくりと話していた。
「お月様が隠れた新月の晩のことだ。女の祈りが通じたのか、ぽう……っと、明かりが灯った。その明かりが目印だった。海から帰れなくなっていた漁師は、それを見つけた。女が明かりを灯して探してくれたんだと、わかった。漁師はその明かりのおかげで、女と会うことができたんだよ」
「……ふ~ん」
退屈そうに、淘汰は呟いた。
祖母はにこにこと笑いながら、淘汰と巽を見ている。
ふいに、淘汰は気付く。
「なぁ、ばあちゃん。明かりが灯るのって、お月様が隠れた夜だけ?」
「そうだよ。新月の夜にしか、明かりは灯らない。いや、灯っていても、それは、見えないからねぇ」
「……?」
淘汰は首をかしげた。
「月の明かりが、まぶしすぎるせいかもしれんなぁ」
意味が分からずますます困った顔になる淘汰の顔を見て祖母が楽しそうに笑った。
笑われて更に納得がいかなくなった淘汰が思いっきり顔をしかめた。
話に興味なんてない。だけど、これは納得がいかない。
「なんで? 明るい方が周りが見えて見つけやすそうなのに」
「ばか。海の上なんて、どこ見ても海しかないんだぞ。真っ暗な中で、光があったらすぐに目に付くだろう? だから、暗闇のほうが見つけやすいんだよ」
隣でおとなしく聞いていた巽が、呆れたように口を挟んできた。
「……う~ん?」
顔をしかめたまま淘汰が首を傾げる。
やっぱり、よくわからなかった。
呆れたように巽が見つめている事に気付いた。
「そしたら、何で新月にしか灯らないんだ?」
「だから、灯ってるんだよ。でも、灯ってても見えないって言ってるんだって。そうだよね、おばあちゃん」
「巽君は賢いねぇ」
祖母が楽しそうに二人のやりとりを見て笑った。
ムッとすると、巽と祖母が顔を見合わせて笑い出した。
「笑うなよ! うるさぁいっ」
淘汰は叫ぶ。
するとそれを面白がっているのか、更に二人がおかしそうに笑った。
それがあんまり楽しそうに笑うものだから、笑われているのに、何だか自分もおかしく思えてきて、ついには淘汰も一緒になって笑い出した。
「なあ、巽」
ひとしきり笑って、淘汰はずいっと親友に体を近づけた。
「もし、だぞ。もし、どっちかが海でいなくなったとき、新月の夜に必ず探しに行こうな!」
「……縁起でもないこと言うなよ」
ぼそりと呟かれて淘汰は「そうだけどさ、もしっていったじゃん……」とぶつぶつと呟く。それを見て巽が苦笑した。
「ま、お前はバカだしドジだからね、そのくらいしてやるよ」
巽は言葉の割に優しく笑って言った。
それだけで淘汰の顔はパアッと嬉しそうに輝く。
「おう! 約束だぞ!」
巽の手を取って、ぶんぶんと腕を振って約束をする。
そして、すっかりその気になって、淘汰はぶつぶつと真剣に考え始めた。
「じゃあ新月の夜は、なんかライトを持っていけばいいのか?」
「早速俺が死ぬことを考えてるのか、淘汰」
呆れたように呟いた巽の言葉など耳にも入れず、淘汰は灯す明かりについてやはり真剣に考えていた。
すると、突然祖母に頭をぱふんと叩かれて、淘汰も顔を上げた。
「何言ってるんだい、淘汰。灯火はそんなものじゃないよ、そんな明かりは何の意味もないものだ。海の迷い人を探す灯火は、その人を想っていたら、ひとりでに灯るもんだ。なぁんにもせんでも、ちゃぁんと灯る」
呆れたように言って祖母はおもしろそうに笑った。
「なんで? 婆ちゃん。もっとわかるように言えよぉ」
淘汰はすっかり混乱して情けない声をあげる。
しかし、祖母は笑って自分で考えろと言わんばかりに「どうだろうねぇ」とごまかすばかり。
どうやらそれ以上は言う気がないらしい。
淘汰は頭をかきむしった。
納得がいかない。全然わからない。
勝手にどっかに火がつくんだろうか、それとも突然ぱぁっとどっかが光るんだろうか?
悩んでも答えは出しようがない。
隣で巽がバカにするような憐れむような目で見ている事に気付いた。
「なんだよ、巽、わかってんのかよ」
「まぁ、だいたいはね、想像がつくけど? つまり、お伽噺って事だよ」
巽が笑って、更にわからなくなる。
「そんなん分かってるよっ。それで、どうして勝手に火がつくんだよっ」
「火はつかないと思うけど。まあ、おばあちゃんの言う通り、その人をホントに思っていれば、明かりは灯るのかもしれないなぁ……」
そう言って巽は小さく笑った。
「う~っっ 全然わかんねぇ! まあイイや、とにかく勝手に灯るんだな、じゃあ俺は巽のことがすっげぇ好きだからな、絶対灯してみせるぜ!」
よくわからなかったが、淘汰は自己完結させて鼻息荒く宣言した。
「そりゃ頼もしいが、そんなに俺を殺したがるなよ……」
やっぱり巽が呆れながら苦笑した。
祖母は隣で見守るように笑っていた。
それは何でもない日の、たわいない約束だった。何もなければ忘れていた、なんでもない、約束。