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銀眼の女神 -The goddness of Silver eyes-  作者: 江口 凜
chapter3.見つめる者
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-01-




 木製の車輪は砕けんばかりに軋み、馬車を引く二頭の馬は手綱を振り切りそうな勢いで駆けている。

 馬達は気づいているのだ。止まることは、死を意味するということを。

 そしてティグもまた、馬を止めるつもりはなかった。だから不慣れな馬車の手綱を握り締め、馬達が道を外れないことだけに意識を払う。

 何故、護衛であるはずのティグが御者のまね事をしているのか。

 やりたくてやっているわけではないし、雇い主に命じられたわけでもない。ここにいるべき人間が、いなくなってしまったからだ。

 馬車に飛んだ血の跡に視線を走らせ、ティグは思い返す。


 ティグを含めた傭兵三人と雇い主である商人、そして御者の五人がウーリアを出発したのは今朝早くだった。出発が予定より早まった理由は聞かされなかったが、反対する理由があるわけでなし、ティグ達は商人の指示に従った。

 護衛の方法は任されていたから、ティグが御者の横で前方を、残り二人が馬で追う形で馬車の左右後方を警戒することにした。

 商人はというと、立派な幌をつけた馬車の中に陣取っている。

 遅くもなく早くもなく、いたって普通の速さで馬車が進んでいく中、ティグは何気なく幌の中に目をやった。

 商人は何かを熱心に見ながら、ぶつぶつ言っている。大方、次の街で売り捌く品物の値踏みでもしているのだろう。

 その視線をすぐに元に戻したのは、別に嫌悪を感じたわけでも、蔑んだわけでもない。

 ティグには必要のないことだからだ。

 商人には商人の、傭兵には傭兵の考え方と常識があり、恐らくそれは相容れることはないだろうし、その意味もない。傭兵であるティグに必要なのは、自分の役割を果たすことのできる力だけだ。


 しばらくして、馬車は妖が出るという噂のある森に入った。生い茂った木々が太陽の光を遮っているせいで、不気味なほど薄暗く、肌寒くさえある。人の手が殆ど入っていないと予想はつくが、その割には動物達の気配がしない。鳥の一羽すら見当たらなかった。

 緊張が走る。

 傭兵達は辺りを警戒し、御者は強張った顔で手綱を握っていた。何も気にしていないのは商人だけだろうな、とティグは思ったが、確認はしなかった。

 馬車はティグ達の不安を余所に走り続ける。


「このまま抜けれそうだな」


 後ろにいた傭兵の一人が、声をかけてきた。その表情が僅かだが緩んでいて、ティグは思わず眉をひそめそうになった。

 経験上、こういう時が一番危ない。


「…だな。でもそう思った時が一番危ないって聞くぜ」


 浮かび上がりかけた表情を消し、笑い話のように軽い調子で言ったのは、相手の感情を逆なでしないようにする為だ。

 それは別に、ティグが気が弱いだとか、相手に怖じけづいているだとか、そういう話ではない。

 咎めることは容易い。

 しかし、今それをして諍いが起きれば、この先何かあった時、対処できるものもできなくなってしまうだろう。だからティグは、敢えて相手に合わせた。どちらの言い方でも意味が伝わるのであれば、丸く収めるに越したことはない。

 ティグの言葉を聞いて、男の顔が引き締まる。真意をうまく汲み取ってくれたようだ。


「悪い、安心するのは早かっ──」


 男は言いかけて、止まってしまった。

 その双眸はティグを──いや、違う。

 男が見ているのはティグの向こう側だ。

 ちょうど御者がいる辺り。

 ティグはその視線を追うように振り返る。


 御者の首が。


 飛んだ。


「うわあぁあぁぁあぁ!!!」


 男の絶叫に馬達が乱れた。

 けれど、それを捌くべき御者はもういない。

 ティグは咄嗟に動かなくなった御者から手綱を奪い取り、暴走しかかった馬達をなんとか宥める。


「何事だ?!」


 流石に異変に気づいたのだろう。幌の中から商人が顔を出した。

 その拍子に御者の体が商人へともたれかかる。


「ひ…ひぃぃっ!!」


 商人は情けない声を上げながらそれを突き飛ばすと、再び幌の中へと戻っていった。

 首の無い死体だ。そうなるのも無理はない。だが迷惑なことに均衡を失った御者の体は、ティグの方へと倒れ込んできた。


「ちっ」


 ティグは舌打ちする。

 御者の体が邪魔で、上手く手綱が握れない。

 このままでは馬車が倒れるのも時間の問題だ──そう思った時、御者側の後ろからもう一人の傭兵が馬を駆って来た。


「どうした!?」


 速度が上がり、激しく音をたてる車輪と蹄の音に掻き消されないように、ティグは大声で叫ぶ。


「こいつを引きずり落としてくれ!!!」


 言われた男は一瞬ぎょっとしたが、御者の首が無いことに気づき、すぐさま自分の馬を馬車に寄せた。手を伸ばし、御者を掴んだ男はそのままの状態で馬を馬車から離しだす。そして御者の重みが自分の方へとかかったあたりで手を離した。当然御者の体は馬車からずれ落ち、疾走する馬車から瞬く間に遠ざかっていった。

 酷い扱いだと思う。

 できることならちゃんと弔ってやりたいと。

 そう思いはするが、今はそんな余裕はない。


 生き延びることしか、考えられない。


 それからどれくらい経っただろう。

 馬車は変わらずに走り続け、二人の傭兵が駆る馬も、その後ろを追随している。

 御者の首が飛んでから、それ以上の強襲はなかった。


(振り切れたのか…?)


 傭兵の一人──ティグに気の緩みを指摘された男は思う。

 ここにいるのは小物だという話だった。それなら御者一人分で、(あやかし)の腹は満たされたのではないか。

 男は馬の速度を緩め、後ろを確認する。

 (あやかし)の姿どころか気配もしない。

 やはり振り切れたのだ。

 助かった──。


 男の意識は、そこで途絶えた。





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