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-04-




 ノアは海を見ていた。

 遠く広がる空の下、船は真っ白な線を描きながら走り、幾羽もの鳥は踊るように飛んでいる。

 ノアはこの場所──港に近いこの広場から、海を見下ろすのが大好きだった。まだ見ぬ世界に手が届きそうな気がして、時間を忘れて魅入ってしまう。

 そのせいで、昨日はアストに怒られることになってしまったわけだが、今日はその心配はない。アストと約束はしてないし、ラティアに頼まれた用事は済ませた。ゆっくりしても大丈夫だと思うと、自然と頬が緩む。


(ラティアに話してよかったな…)


 空を見上げて、そう思った。

 アストのことをラティアに相談しなければ、こんなにも穏やかな気持ちではいられなかっただろう。

 ラティアが大丈夫だと言った。たったそれだけで、のしかかっていた重たい何かはどこかへいってしまった。

 昨日初めて会った相手を どうしてそこまで信じられるのか、ノア自身 不思議だったが、そんなことはどうでもいいような気がしている。

 ラティアやアストの事を考えていると、ノアは無性に帰りたくなって。


「…帰ろ」


 呟く。

 と、その時。


 後ろで、聞いたことのないような奇妙な鳴き声がした。そして続けざまに聞こえた女の悲鳴。

 無意識に振り返る。

 ノアの緑の目に飛び込んできたのは、地面に伏した一人の男と、その男の側に立っている何かだった。

 最初、ノアはその何かを人だと思った。形が人によく似ていたからだ。

 だがその何かが、溢れる血溜まりの中で赤い瞳を嬉しそうに細め、自らの手についた血を耳まで裂けた口から伸びる舌で舐めた時、その考えが間違いであることに気がついた。


 あれは人などではない。

 あれは人を糧とするモノ──。


(あやかし)だ!!!」


 誰かが叫んだ。

 突然現れた妖への恐怖から身動きがとれずにいた人々は、その声に弾かれたように駆け出した。

 しかし妖は、何故かじっと一点を見たまま動かない。ただ真っ直ぐに、ノアを見ている。

 単に捕まえやすいと思ったのか、それとも柔らかな肉を好んでいるのか。

 他の者には目もくれず、(あやかし)はノアに向かった。

 血のような赤い瞳が間近に迫る。

 ノアは逃げようとも、助けてほしいとも思わなかった。

 頭にあるのは死の情景──倒れている男のように(あやかし)の爪に引き裂かれ、血の海に沈む自分の姿。

 恐怖を伴ったその予感に搦め捕られ、指一本動かせずにいるノアが、死という闇に飲み込まれそうになった時。


 女神の声が、聞こえた。


「まったく…お前は運の悪い子供だな」


「……ラティ…ア…?」


 その手にある大剣を見て、(あやかし)はラティアを敵と判断したのだろう。くぐもった声を漏らし、飛び掛かろうとして──。


「!!」


 真っ二つに裂けた。


「グ…ヒ…」


 自分の身に何が起きたのかを理解する前に、(あやかし)は肉片へと化した。

 それを目にした途端、逃げ惑っていた人々の足が止まる。


「な…あいつ(あやかし)を倒したぞ…」


「すげぇ…」


「何者だ…?」


「お、おい…あれって…」


「あの瞳──」


 水面に波紋が拡がるように、徐々にざわめきが大きくなる。けれど その中心にいるはずのラティアは、周りがどれ程騒ごうとも顔色一つ変えなかった。


「怪我はないか?」


 いつもの、人を食ったような笑み。

 それを見て、ノアは自分が生きていることを実感する。

 そこで初めて体が震えた。


「どうした? どこか痛むのか?」


「……」


 二度問いかけても何も答えないものだから、ラティアはノアに歩み寄った。


「おい、ノア──」


 ノアが次にとった行動は、周りの人々を驚かせた以上に、ラティア自身を驚かせる。


「!」


 ノアは静かに、ラティアに抱き着いたのだ。


「…っ…」


 咄嗟に、引き離そうとした。

 既に周りはざわめいている。このままでいて、ノアが自分と親しいと思われれば、この先 辛い思いをするのはノアだ。


 そう、思ったのに。


(……)


 よほど怖かったのだろう。ノアは震える体で必死にしがみついている。それは、この手が離れたら死んでしまうのではないかと思えるほどで。

 ラティアはため息をついて、引き離そうとした手をノアの頭に置いた。


「…泣くな」


 泣き声混じりに ごめんなさいと聞こえてきて、ラティアは小さく笑った。


「帰るぞ、アストが心配している」


 ノアは体を離し、頷く。それから満面の笑顔でラティアの手を引いた。


「行こう!」


 ラティアは引かれるがまま一歩踏み出す。

 だが──。


「!」


「……?」


 引いても動かなくなってしまったラティアを不思議に思って見てみると、銀色の瞳は空を睨んでいた。


「ラティア、どうしたの?」


「…いや…」


 返ってきたのは、言葉を濁したような答え。


「また…(あやかし)…?」


 繋がれた手が強く握られて、ラティアはノアに顔を向けた。

 不安げな瞳が、じっと自分を見つめている。


「…(あやかし)には違いないが、心配する必要はないよ。ここには来ない」


「本当? どこにいるの?」


「この街から、東に少し行ったところだ」


「東…」


 東と聞いて、今度はノアの動きが止まる。


「東がどうかしたか?」


「ラティア、その(あやかし)って弱いよね?」


 何故ノアが(あやかし)の強さなど気にするのか。

 ラティアは疑問に思いながらも真実を述べた。


「いや、弱くはない。並の(あやかし)よりはかなり強いな──」





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