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大通りに面した一角に、その店はあった。
普通に暮らしていればほとんど立ち入ることはないであろう、武具屋――主に剣、盾、鎧などを取り扱っている店だ――は、さほど大きくもないし、お世辞にも綺麗とは言い難かったが、一目見て受ける印象より遥かに繁盛している。
その理由は一つしかないと言っても過言ではない。
人間を喰らう妖と呼ばれる化け物に、少しでも対抗しようとする人々がいるからだ。
人間ほど数は多くないが、確かに存在している妖。多くの点で人間を上回る能力を持つ妖に立ち向かう為に、人々がいい武器を求めるのは至極当然のことで、それを揃えているこの店が繁盛するのもまた、当然のことだった。
「ノア!! 一体どこで何してた!!?」
店中に響く怒声に、ノアと呼ばれた少年は身を縮こまらせた。
「昼の鐘が鳴るまでに絶対帰って来いって言ったはずだ!!」
少年相手に容赦なく怒鳴っている男はこの店の主人で、名をアストといった。明るい赤の髪と黒い瞳の若い青年で、右目に着けられた眼帯が目を引く。
「ご…ごめんなさ…」
「謝る相手が違う!!」
再度怒鳴られ、ノアは客である男――こちらもアストと同様に若い――におずおずと近寄った。
その栗色の髪と水色の瞳には見覚えがあった。何度かこの店に来ていて、いつもアストと親しげに話している客のはずだ。
窓の外に広がる空の色がノアを見下ろす。
「あの…すみませんでした…」
ノアはこの男にも怒られることを覚悟していたが、男は意外にもノアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。風で乱れていた黒髪がさらに乱れる。
「気をつけろよ、坊主。じゃないと次はアストになにされるか分かんねーぞ?」
「う…あ、はい…」
男はノアにもう一度笑いかけるとアストに向き直った。
「じゃあ、確かに受け取った」
そう言って、大振りな剣――さっきまでノアが抱えていたものだ――を軽く掲げる。
「待たせて悪かったな、ティグ」
「いいさ。出発までまだ日にちもあるし、どうしても今日の昼までに欲しかったわけじゃないからな」
「いつ出発なんだ?」
「一応、明後日ってことになってるが…まぁ、雇い主の気分次第だろーな」
「商人の護衛、だったか? どこまでだ?」
「アーベント。大した距離じゃない」
アーベントは、ここウーリアから東にある街だ。ティグの言うとおり、それ程遠くはないが、途中にある森に妖が現れるという噂があった。
アストの考えを悟ったのか、ティグは大丈夫さ、と笑う。
「俺以外にも二人雇われてるし、小物だって話だ。殺られたりしねーよ」
そう言ったティグの引き締まった顔つきは、仕事中のそれだった。
ティグは傭兵だ。金で雇われる彼らを下に見る者もいるが、妖の跋扈する世界では、なくてはならない存在でもある。
「……」
ティグの強さはアストもよく知っている。だが相手は妖なのだ。気をつけるに越したことはない。
だから、念を押すように言う。
「お前なら大丈夫だとは思うが…油断はするなよ?」
「分かってる」
ティグは頷くと、硬い表情を解いた。
「そろそろ行くわ。またな、アスト」
「あぁ」
アストに向けて手を上げ、扉に向かう。ティグが店を出て行くと同時に扉に付いている鈴が鳴った。
僅かな余韻の中、ノアはアストに問いかけた。
「アストおじさん、今の人友達なの?」
「おじさんって言うな。あいつは昔の仲間だ」
それを聞いて、さっきティグが怒らなかったのは、おじさんの友達だったからなのかな、と思った。
「それよりもノア」
「何?」
「あいつは許したが、俺はまだ許してないって、解ってるよな?」
「えっ? あ…うん…」
言葉を濁した瞬間、ゴンッ、と鈍い音が響いた。
「痛ったー!!!」
「今度やったら、二度と手伝わせないからな!」
「えー!?」
不満げに叫ぶノアをアストは睨みつけた。
「えー、じゃない! いつも言ってるだろ!? 商売ってのは信用が大事なんだ!! それに、今回はあいつに時間があったからよかったが、もしすぐに出発だったら、あいつは別の剣を持って行くことになってた! どういう意味か解るな?!」
ノアは俯く。アストの言っていることが充分に理解できたからだ。
もしティグの出発が早かったなら、ティグは間違いなく別の剣を持って行った。それはつまり、ティグの命の危険が増すことを意味する。
使い慣れた物とそうでない物では、僅かだが動きに差がでるのだと、アストからよく聞かされていた。そして、その僅かな差が、生死を分けることがあるのだ、と。その上ティグの剣は、どこにでもあるような物ではないから──腕のいい職人が希少な金属で作り上げた、稀に見る名剣だった──その差というものが、もっと顕著に現れるかもしれない。
「ごめんなさい…」
心底反省して謝る。
そんなノアの頭に手が置かれた。恐る恐る見上げると、アストは優しく笑っていて。
「約束は、守れる男になれ」
ノアはアストが大好きだった。怒ると怖いが、アストが怒るのは本当の意味でノアが悪いことをした時だけで、理不尽な怒りをぶつけてくることは絶対になかった。
強く、優しい──アストのような男になりたいと、ノアは密かに思っている。だから、そんなアストの言葉をしっかりと胸に刻みつけた。
「で、その服の汚れはどうしたんだ?」
そう言われて自分を見ると、確かに砂で汚れていた。
「あのね…」
ノアは話す。
何があったのかを──。