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隣を走っていた男が乗っている馬と共に裂けた瞬間、男──先ほど御者を引きずり落とした男で、名をハインツといった──は前を走る馬車に並ぶべく速度を上げた。
「ティグ! また殺られた!!」
その声に、ティグの疑念は確信へと変わった。
ここにいるのは小物などではない。
妖の力と知能は比例している。噂通りの小物なら、気配を殺して一人ずつ仕留めるなんてことはしないだろう。ただ単純に襲ってくるはずだ。
頭に浮かんだのは二つの選択肢。
このまま逃げ続けるか、否か。
妖に縄張りがあるのかは知らないが、この辺り以外で妖が出たという話は聞かないから、森を抜ければ助かる可能性はある。だがそこまでもつか分からない。
もしくは馬車を止めて戦うか。
小物ではないにしろ、二人で倒せる可能性がないわけではない。できるならば、一人ずつ削られていくのを待つよりも、早々に終わらせた方がいいに決まっている。
直感的にその答えを選ぼうとした時。
馬車の車輪の一つが吹き飛んだ。
「!!」
続けて馬車を引く馬の内の一頭の首。
ティグは慌てて馬車を止めた。
「くそっ…!」
これで選択肢は限りなく一つに近くなった。
けれどまだ消えたわけではない。
「降りるぞ!!」
ティグは幌の中で丸まり、震えている商人に向かって叫んだ。だが商人に、その選択肢はなかったようだ。
「な…何を言っている!! 荷物はどうするんだ!?」
先程までの震えはどこにいったのか、唾を飛ばさんばかりに怒鳴る商人をティグは睨む。
「ここで妖に喰われるのと、助かる可能性に縋るのとどっちがいい!?」
その迫力に圧されたのか、商人は言葉を飲み込み馬車を降りた。
「ハインツ!」
自らも手綱を捨てたティグは、生き残っている仲間に呼びかける。相手はそれだけでティグの意図を理解したようだ。すぐさま馬を降り、自分の馬の手綱を素早く馬車に括り付けた。
(ありがたい)
それが正直な感想だった。
この一刻を争う状況下では、全てを説明する時間が惜しい。だから説明しなくても動いてくれる存在は何にも勝る。
ハインツが仕事を済ませている間に、ティグは首のない馬を馬車から外した。
(上手くいくといいけどな…)
「ティグ! いいぞ!」
その声を合図に、ティグは馬の尻を思い切り叩いた。
驚いた馬は嘶きと共に走り出す。
「なっ…!!」
唖然とする商人。
よほど荷物が大切だったのか、いつまでも馬車を見送っている商人を、ティグ達は半ば引きずるようにして街道を外れた。
「馬だけ走らせてどうするんだ!? 車輪も三つしかない! 御者もいない! すぐに走れなくなるに決まってる!!」
「いいんだ、それで」
「いい? どこがいいと言うんだ!」
ティグはそれに答えず、街道に目をやった。見える範囲に馬達の姿はもうない。上手く前に進んでいるようだ。
「ご主人様よ、でかい声出さないでくれないか? 妖に気づかれるだろ。あれはな、囮なんだよ」
ティグの代わりに答えたのはハインツだ。
「お、囮?」
「そう、囮だ。妖はあれに俺達が乗ってると思ってる。だからあれを追いかけてくれれば、俺達の逃げる時間が稼げるってわけだ。馬達には悪いがな」
「ほ…本当に追いかけてくれるのか…?」
「さぁなー」
ハインツの曖昧な返事に、商人の顔が歪む。それに追い撃ちをかけるようにティグは言った。
「あんたには悪いがこれは賭けだ。雇われている以上、やれることは全てやるが、それが上手くいく保証はできない。それは理解しておいてくれ」
商人はごくりと唾を飲み込む。
「妖が馬車を追ってくれたとしても、おそらく早い段階で気づかれる。それまでに森を抜けられるかは──賭けだ」
ティグは自分の腕にそれなりの自負がある。小物とはいえ妖を一人で倒したこともあるし、幾度も死線を越えてきた。
ハインツの強さは知らないが、少なくとも弱くはないように思う。
けれど。
それでも、戦うという選択肢は選べなかった。戦うべきでないと、本能が告げている。
だから賭けるしかない。
運という、強さよりも何倍も不確かなものに。
「行くぞ」