― 錆びた残響 ―
第一章 第三話
― 錆びた残響 ―
LCのハッチを抉じ開け、主人公は泥まみれの地面に降り立った。
振り返れば、10機のPTが作り出した「鉄の繭」は、もはや跡形もなく崩れ去っている。
自らの盾となって死んだ亡霊たちの残骸――焼けただれ、歪んだ金属の破片をかき分け、彼はまず、天を仰いだ。
あの大群を成していた爆撃機隊は、死を撒き散らすだけ撒き散らして、今はもうどこにもいない。
夜空は皮肉なほど静まり返り、舞い上がる火の粉の向こうで、無数の星が冷たく瞬いている。
まるで、地上で起きたことなど自分たちには無関係だと言わんばかりに。
視線を周囲へ移せば、そこには筆舌に尽くしがたい惨劇が広がっていた。
かつて巨大な威容を誇っていた工場群は、巨大な掌で押し潰されたように倒壊している。
アスファルトはめくれ上がり、爆撃の熱で溶解した鉄が、血管のように赤黒い光を放ちながら地面を這う。
そこかしこに転がっているのは、アンドロイドの四肢と、それと見分けのつかない肉塊。
焼夷弾の焔はまだ、瓦礫のあちこちでパチパチと音を立てて肉や油を焼き続け、立ち昇る黒煙が死の匂いを街全体に広げている。
「……ははっ」
乾いた笑いがこぼれた。
あの日、清潔な病室で彼女が守ろうとした「命」も、自分が守りたかった「記憶」も、この圧倒的な暴力の前では、塵ほどの価値も持たなかったのだ。
だが、その絶望に塗りつぶされた灰色の視界の中に、一点。
視界を遮る黒煙の向こう、クレーターの中にに「それ」はいた。
「……あ……」
瓦礫に半ば埋もれたその個体は、彼が失った彼女とは似ても似つかない姿をしていた。
記憶の中の彼女よりも少しだけ大人びた顔立ち。軍の高級士官を思わせるような、冷徹で美しい造作のアンドロイドだ。
しかし機体は爆撃の直撃を受け、腰から下を完全に失っている。
引きちぎられたコードからは、火花とオイルが垂れ流されていた。
それでもアンドロイドは、何かを庇うように、LCの残骸へと手を伸ばしている。
「……よかった……。怪我は、ありませんか」
瞬間、主人公の背筋に氷の楔が打ち込まれた。
その声だ。大人びた外見とは裏腹に、その唇からこぼれ落ちたのは、あの病室で、自分の傷を案じてくれた彼女の声そのものだった。
「お前……なぜ、その声で喋るッ!」
主人公は泥を這うアンドロイドに猛然と歩み寄り、その胸ぐらを掴み上げた。
彼女はもう死んだ。自分の腕の中で、冷たくなって。
その尊い最期を、こんな量産品の機械が、ガラクタの喉でなぞっていいはずがない。
「……倉庫……無事……。私……守れ、た……?」
アンドロイドの瞳から光が消えかかる中、その視線は、焼け焦げた瓦礫の下に覗く地下室の扉をじっと見つめていた。
自分の命が尽きることよりも、何かの役目を果たせたかどうかを案じるその献身。そして、濁りゆく瞳の奥に宿ったかすかな安らぎ。
(――よせ。そんな顔で、俺を見るな)
その消えゆく光彩までもが、あの日の病室で「あなたの手が、誰かを温めるために使われますように」と笑った彼女の最期の瞳に、残酷なほど重なって見えた。
機械の人形が見せた、人間よりも人間らしい最期の煌めき。それが、主人公の胸の奥で燻っていた憤怒を、やり場のない悲痛へと変えていく。
激しい憤怒と、心臓を素手で握り潰されるような混乱が彼を突き動かす。
彼は何かに取り憑かれたように、人工皮膚の隙間に隠された接続ポートを指で探り当てた。
そこには、淡い青色に明滅するひとつのシステムチップがあった。
(――壊さなければ。今すぐ、この偽物を終わらせなければ)
そう思っているのに、指先はチップを抜き取ることを強烈に求めていた。
「黙れ。その声で、二度と彼女を汚な……!」
呪詛を吐き捨て、彼は強引にそのシステムチップを奪い取った。
刹那、アンドロイドの瞳から光が失われ、その体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ただの「重い鉄の塊」へと戻った残骸が、泥の中に沈む。
直後、彼の右手が激しく震え始めた。掌に残る、微かな、しかし確かな熱。
(――俺は、いま、何をした?)
怒りは急速に引き、代わりに氷のような戦慄が全身を駆け抜ける。
この声がもし、軍の卑劣な実験の結果ではなく、彼女が遺した「何か」の続きだったとしたら。
自分がいま引き抜いたこのチップこそが、彼女をこの世に繋ぎ止めていた最後の一糸だったとしたら。
「……うっ……」
喉の奥から、言葉にならない掠れた声が漏れる。
あの日、病室で彼女の命の灯が消えるのをただ見ていることしかできなかった絶望に、再び叩き落とされていた。
自分の手が、今度こそ完全に彼女を殺してしまったのではないか。その疑念が、毒のように脳髄へと回っていく。
彼は血の気が引いた指で、奪い取ったチップを壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。
「……すまない……。すまない、ルナ……」
初めてその名を呼んだ。掌の中の熱だけが、この地獄の中で彼が縋ることのできる唯一の「現実」だった。
死を待つだけだった空虚な心に、怒りと、後悔、そして「真実を知りたい」という探求の火が灯る。
それは図らずも、生きていた頃の彼女が、彼に最も求めていた「生きる意志」そのものだった。
ふいに、静まり返った廃墟の空気を震わせ、不快な重低音が響き始めた。
頭上を仰げば、軍の哨戒機が旋回してくるのが見える。獲物の生死を確認しに来たかのよな、執拗で規則正しいローター音。
放たれたサーチライトの白い光柱が、クレーターの縁をなぞるように這い回っている。
逃げ場を奪うように近づいてくるその音は、自分を地獄へ連れ戻しに来る軍靴の音そのものだ。
光の筋が瓦礫を暴き出し、刻一刻と彼の手元へ迫っていた。
主人公はチップを握りしめたまま、沈黙した10機の亡霊たちと、下半身を失った人形を見つめ、静かに笑った。
忘れたかったはずの声が、最悪の形で具現化した瞬間、彼の新しい戦いが始まった。
(忘れることなど、最初から許されていなかったんだな)




