忙しさの必要性
若いうちの苦労は買ってでもしろと言いますが。
生きている人間は、何かしら忙しいという状況にブチ当たる。
考えてみれば、私は、忙しいを避けがちだ。だって、忙しいは、しんどいからね。出来れば、のんびり過ごしたい。本当なら、涼しい場所でポーーッとしときたいのだ。時々、欠伸なんかして。気がついたら、一、二時間寝ている。というのが、理想のだらけ方と言える。
しかし、ずーっとそんなこと割と若いうちにそればっかしてたら、肩身が狭いよね。
『まだ元気あるのに、ボーーッとばかりして、バカになるぞ(能力磨きを元気に動けるうちにやっとかないと、他の人に自然にかなりの差をつけられて困るぞ)』と、かなり口悪く(一応、本人のためは思ってる感じはある)言われてしまうかもしれない。
でも、まあ本当にそういう風に過ごさないとメンタルもたない人もいるから、そういうこと言う人も見極めは大事だけど。
けれど、だらけている人だって、最初から目的がだらけることではなかったと思う。割とむなしいのだ。つまり。
頑張ろうと思ったけど、何度かそのやる気の火を邪魔が入って消されることがあったんじゃないだろうか。その問題と争うのも、難しくて、イライラするよりは寝ていたいと、なったのだ。それは、もったいない。
行って、引いて、引いて、行って。せめて、状況を打破するために、状況を良くするために動いた方がいい。
と、いう訳で、やっぱり、ある程度若いうちはよく動かないといけないんだろうな。ケガしちゃいけないから、少し警戒しながら。
終
まあ、あまりにも凄く何もしないと周りが成長して手遅れになりますね。たいてい。