第一話(六)
「いらっしゃいませ――」
そう声をかけて、それから何度も瞬きをして、入ってきた人物の顔をまじまじと見つめた。そこに立っていたのは、書生風のレトロな服装に身を包んだ青年で、ペインティングや狐のような耳やしっぽこそ無いし、服装も異なっているけれど、間違いなくあの不思議な稲荷に迷い込んだ時にいた、あかりと呼ばれている青年だったからだ。いや、よくよく素顔(?)を見れば、少年それもそれなり以上の美少年と言って差し支えないくらいかもしれない。それでも突然の訪問に驚いてしまったみのりが
「あ、あなたっ……さっきの、」
思わずそう言ってしまうと、雪乃が
「あら、みのりちゃんのお知り合い? それならこちらへどうぞ、もうすぐ閉店ですけれど」
そう言いながらにっこりと微笑んで、みのりの座っているテーブル席の向かいの椅子に案内して座らせた。
「別に、知り合いっていうわけじゃ――」
みのりがそう言うのもさあ? というかんじで、あかりは何食わぬ顔でみのりの前に座ると、小さくにまりと笑いかけてきた。
「また会ったな。また飯食ってるのか」
「……そうよ、バイトしながら賄いをもらってるの。お夕飯」
みのりはわずかにむっとしながら、茶碗のご飯を口に放り込む。
「やっぱりというか、相変わらず大飯ぐらいだな?」
あかりがどこか楽しげにそう言うと、思わずみのりはご飯を喉につまらせかけてトントン、と胸を叩く。
「そんなの、突然女性に向けていうなんてすごく失礼じゃない?」
まあ実際大食らいなのは否めない事実ではあるのだが、年若い女性に面と向かっていうものではないと思っているし、事実みのりは顔を真っ赤にする。しかしあかりはけろりとした顔で、
「見たままの事実を言って何が悪いか。それにお前こそ、俺のことを知り合いじゃないとか言おうとしたろうが。永年のえにしに逆らうとは、相変わらずの愚か者め」
胸を張るようにして、そんな風に言ってみせた。が、あいにくみのりにはとことん意味不明きわまりない。むしろ正直に言えばおかしな連中に関わってしまったという感想がまず出てくるのだが、それをまさか本人の前で言うわけにもいかず、ある意味途方にくれてしまっている。
「そういえばこのあたりではあまりみない顔のかたね。それに服装もレトロで。そういう格好はお洒落で、私はとても好きだけれど」
そんなとき、話を変えるかのようにタイミングよく、雪乃がお冷やとメニューを持ってきてくれた。あかりもそう言われるとまんざらでもないらしく、
「昔でいう書生の格好ですよね。俺、ちょっとこの町でやることがあって、久々に来た感じなんです」
そんな風に自己紹介をして見せる。
「あら、じゃあ元々はこちらのご出身?」
「いや、そういうわけでもないんですけどね。本当に昔、いたことがあるって程度で」
雪乃に対しては愛想よく言葉を返すあかり。それを見ていると、みのりはほんの少しだけイラっとして来た。――なによ、私に対する態度とまるで違うじゃない。
とはいえ、それを口にするのは店員としても常識ある学生としても非常によろしくないとは理解しているので、すこしむすくれた表情で相手をにらむ程度にしておく。まあそれに気づいているかはわからないが。それから青年は、ごく当たり前とでもいうように「肉じゃがをください」と笑みを浮かべながら注文した。そこでみのりはあれ、と思う。
「……私、あんたにおやつにっておにぎり渡したよね? ていうか、いなり寿司か何かを頼むのかと思ってた」
「それはそれ、これはこれ。あれはおやつで、これは俺の夕飯。お前だって、さっき食べていま食べてるだろうが。それに、肉じゃがは……」
雪乃が厨房にいる大将に伝えにいくのを見届けてから、みのりはあかりにこそこそっと問いかけると、またもやけろっとした顔でそう言ってのけた。ただ、肉じゃがに関してはどこか歯切れの悪い口ぶりだったが。
「……て言うか、その、やっぱりあんたって……ええと、カミサマ、とかそういうやつなの?」
みのりはやっぱり気になってそっと小声で聞いてみると、あかりはこちらを小さくにらみ返し、「それはおいおい」と小さい声で返事をされた。ちょうどそのタイミングで、雪乃がにこにこしながら料理を持ってやってきた。
「はい、お待たせしました。当店自慢の特製肉じゃがをどうぞ。昴さん――店長がかなりこだわっていましてね、おいしいですよ」
ことん、とあかりの前におかれた器にはたっぷりの肉じゃがと、これまた茶碗にたっぷり盛られたごはんがあった。ふわりと漂うほんのり甘い肉じゃがの香りと、こだわりの米のどこか懐かしさのあるにおいがほどよく組み合わさって非常においしそうだ。
あかりは嬉しそうにうなずいてから器用な箸づかいでパクリと一口頬張る。すると間髪入れずに「うまいっ!」と大声で叫ぶと、もぐもぐと一気に食べ始めた。
(本当におなかすいてたみたい……ああ、もしかしたらさっき会えなかった子に、おにぎりはあげちゃったのかも)
みのりはそんなことをぼんやり考えながら、その食べっぷりをポカンと見つめていた。軽口を叩いてはいたが、やはりかなりお腹が空いていたのだろう。それにこの感じ、こいつも大ぐらいの方じゃないか、と思ってしまう。
「あら、うちの肉じゃが気に入ってくれました?」
雪乃がおっとりと問いかけると、あかりはこくこくとうなずきながら一生懸命肉じゃがと白米をかき込んでいる。その様子をみた雪乃はクスクスと笑い、
「それならよかった。うちの自慢料理なんですよ。そこのみのりちゃんもしょっちゅうつまみ食いしてますし」
「えっ、そんなことしてないですよぉ」
雪乃の言葉に慌ててみのりが反論すると、それもまたクスクスと小さく笑ってから、
「でも、お兄さん。その食べっぷりとか、なんだかみのりちゃんに似てますね? それにその、お顔の雰囲気も」
そんなことを言い出したので、一瞬キョトンとしてから、
「「はぁ……」」
と思わず二人してため息をつく。それをみていた老人もくっくと笑っていた。
「いやあ、面白い嬢ちゃんたちだ。……それに」
老人は目を細めてまだ食べ物に食らいついているあかりを見やり、
「むかし、わしがガキの頃に見たことのある兄ちゃんも、そんな着物を着とったな。飯食う姿は、残念ながら見たことなかったが」
どこか懐かしげにそう言うと、おもむろに立ち上がった。
「さぁて、と。わしはそろそろ帰らんとな。……久々に祠にでもお参りもしてくるかのう」
老人は言いながらにやりと笑って、代金をさっと払うとがらがらと戸を開けて店の外へと出ていった。店に残されたみのりとあかり、そして雪乃は一瞬ポカンと見ていたが、あかりは突如「ふぅん」と呟くと、顎に手を添えてにやにやと笑う。
「そういえば、あのおっさんに似たじいさんが昔住んでたっけな。孫あたりかもしない」
「……そうなの?」
みのりが問いかけると、青年は小さくうなずいてみせた。
「信心深いじいさんでな、よくガキどもを連れて神社に来てたよ」
懐かしそうな言葉。嘘をいっているようではない。
「いってあげないの……?」
「なんで俺が。むしろそれはお前の役目だろ」
あかりがそう言うと、みのりは一瞬呆然として、それから変な声が出そうになるのを慌ててこらえて、
「どういう――」
真意を尋ねようとするもあかりはにやにや笑うのみ。すると、すっと視界が暗くなった。