第一話(四)
幼い女の子の後ろを、みのりは追いかける。その少女は格別瞬足というわけでもないのだろうが、地の利に長けているという表現がふさわしいのだろうか、それなりに広い公園を人や物に当たることなく綺麗にすり抜けていく。
(よくよく考えるとアリスと白兎っていうより幼女を追いかけるストーカーっぽいよなあ、こんな姿)
みのりはそう思いながら追いかけている。ならばやめればいいではないかと理性は訴えているが足は何となく止まることを知らないようにひょいひょいとついていってしまうのだ。
(ううん、もし年齢が逆だったら知らない人を追いかけるってなって、それはそれでこれも変なやつ扱いされるだろうし、なんだか世の中ってあれこれ面倒くさいなぁ)
それでも好奇心がうずくのは仕方のないこと、なのかもしれない。銀がかった白いポニーテイルは公園の茂みのなかに入ってもきらきらと輝くかのように目立つので追いかけやすく、その行く先が妙に気になってしまったのも事実だった。
がさがさ……がさがさ……
追いかけて約五分くらいが過ぎただろうか、ふとみのりは妙なことに気づいた。この公園は小さくはないがそんなに大きいわけでもない。こんな茂みばかりの場所なんて、あっただろうかと。見覚えのない茂みをくぐりぬけていくのは、それこそ不安や緊張も生じたけれど、探検のようで変に胸も高鳴る。
と、急に目の前が開けた。しかしそれはみのりにはまったく覚えのない風景だった。
「……え、こんなところに神社なんてあったっけ……?」
そこは紛れもなく神社だった。赤い鳥居が続いていて、それだけでも知らない空間に迷い込んだというのが分かる。この近所にこんな鳥居の多い神社は小さい頃から住んできた身である関わらずみのりの記憶にないのだ。そしてはっと思い出したように前を見ると、あの少女がごく当たり前のようにぴょこぴょこと歩いていて、奇妙な気分にさせられた。先程までは違和感のあった巫女服も、ここでならしっくりくるのも不思議な話だ。
もしかしてあの子に意図的に連れてこられたのではないか――そう思うと、やっぱり相手が本当にアリスの白兎か何かのように感じられてしまうし、同時にみのりの脳裏に神隠し、なんていう時代錯誤なことばも浮かんでくる。
するとそのとき、
「おはぎ! お前、何してんだ!」
という少し怒ったような青年の声がしたので、慌ててその声の方を向いた。そして目を丸くしてしまった。なぜって、確かにそこに青年はいた。けれど、その青年の姿はずいぶんと古めかしく、同時に妖しい感じだった。例えていうなら、明治や大正時代の書生さんルックというのだろうか、着物と袴、着物の内側にシャツを着込んでいるといういでたちだ。その装束も少し色あせていて、かなり古そうな感じがする。さらに額には奇妙なペインティングを施していて、脱色したような金みがかった淡い色の長い髪に何故か狐の面を斜めにかけているのだ。
(神社の神楽とか、そういうことをする人かな……見た感じの年齢は二十歳になるかならないかって感じだけど)
そんなことを考えつつみのりは見たことも無い風体の青年に口をぽかんと開けたまま、その声の主がまた話すのを見ていた。
「お前、また結界の外に遊びに行って、しかもなんかついてこられてるじゃねぇか! いくら腹が減ってるからって……」
「だっておいしかったから、あかりくんにも、だいふくにも食べてもらいたかったんだもんっ」
するとそれまで黙っていたおはぎと呼ばれた少女が、幼い少女独特の甲高い声でそう言いながら頬をぷんと膨らませた。
「はぁ? お前なぁ、食い物につられてってことかよ!」
「ちがうもん! すっごくおいしかったから、たべてほしかったんだもん!」
幼女はまだ怒りをおさめていない青年にぷんぷんしながら、みのりに向き直ってにこっと笑顔をこちらに向けると、あらためて丁寧に頭を下げた。
「お姉ちゃん、さっきはありがとう! すっごくおいしくて、だからみんなにも食べてほしくて、おやしろに連れてきちゃったんだけど……迷惑だった?」
おはぎ(ちゃんづけしたくなる愛らしさだ)はじーっとみのりの顔を見ながらそう尋ねてくる。みのり自身はよく分からない場所に連れてこられてよく分からない状況に置かれているわけだが、それでも愛らしい少女の笑顔に勝るものはなくて頬をゆるめると、
「そんなことはないよ。ただ、ちょっと驚いたのは事実だけど……えっと、おはぎちゃんって呼んでもいい? かわいい名前だね」
そう言いながら少女の頭を優しく撫でた。少女はえへへ、と嬉しそうに頷くと、
「そうだ、さっきのほかほかのお肉はいったやつ、まだある? はじめて食べてものすごく美味しかったから、ここのみんなに食べてほしくって」
そう言いながら小さく首を傾げてみせる。言われて肉まんのことかと気がつくと、エコバッグのなかから食べかけの肉まんを取り出して少女にそれを手渡した。
「私はお店に行けばいつでも買って食べられるし、あげたい人に食べさせてあげていいよ」
みのりの言葉に少女はぱぁっと顔をまた輝かせて、大きく頭を下げるとまるで子犬がしっぽを振るようにポニーテイルを嬉しそうに揺らしてみせた。本当に子犬かなにかのような少女だな、とみのりが思いながら見ていると、リボンだと思っていたものがぴこぴことうごいた。
(えっ、どういうこと? まるで犬の耳みたいだけど……)
一瞬驚いてしまったけれど、かわいい女の子であるのにはかわりない。おはぎはまたえへへと笑いながら肉まんを持って駆け出していった。白い子犬のようなおはぎは、初対面のみのりに酷く懐いてくれていてそれもまた嬉しい。
(そういえば、おはぎちゃんの言ってた名前? の子って、どんな子なのかな……)
『あかり』と『だいふく』。どちらも何となく可愛らしげのある名前だが、恐らくそのどちらかが先程の青年のものなのだろうな、なんてぼんやり考えていると、
「おい、そこの女」
という声が聞こえて、そちらを向くと先ほどの書生ルックの青年が立っていた。少し偉そうにふんぞり返って鼻を鳴らしている。
「え、ええと……一応、みのりって名前があるんですけど」
みのりが戸惑いながら返事をすると、
「……『みのり』? みのり、……ねえ。まあいずれにしろ、……運が良かったな、お前。ここはひとつ道を間違えるとたどり着けない……まあ迷路みたいな構造になってる。出るのも同様。変なところで迷ったら、二度と誰にも会えなくなっていたかもしれない」
青年はポリポリと頬をかきながらあっけらかんと言った。そう聞いて背中に冷たいものが走る。本当にそういう、神隠しだとかそういうものがあるのかと、驚いてしまったのだ。そして、そうなら彼らは何者なのだろうか。人間と変わらない姿かたちをしてはいるが、そうでは無いのかもしれない。――と、そんな緊張感を崩すかのようにきゅる、とみのりのお腹がなる。よくかんがえたらまだ肉まん一口分しかおやつを食べていなかったのだから腹が空いていても当然と言えば当然だ。さっき買ってきたおにぎりを取り出して食べようとして――ふと思いついて、目の前の青年に差し出した。
「これ、私のおやつだけど、まだあるし。また買いに行ってもいいしね。もしよかったら、おはぎちゃんたちと分けて食べてくれると嬉しいかな」
「はぁ?」
青年は呆気に取られたという表情で差し出されたおにぎりを受け取ると、ぽつりと呟いた。
「……変なやつだな、お前」
「そうかもしれないけど、ほら、情けは人のためならずっていうでしょ? どっちにしろおはぎちゃんにあげた肉まんだけじゃ足りない気がしたから」
言いながらみのりは菓子パンを手早く開けて口に放り込む。そして今日もバイトがあるのを思い出し、急に時間が不安になった。よく漫画なんかで見る、異世界とは時間の流れが違うなんてこともあり得ると思ったのだ。
「ああっ、そろそろバイトにも向かわなきゃ……えっと、帰り道ってわかる?」
「ばいと、って、ああ、奉公のことか。帰り道なら、そこの鳥居を抜ければ……って、おい!」
言いかけるとみのりは走りだす。
「おはぎちゃんによろしく言っといてね!」
そう言いながら鳥居をくぐりぬける。少女の姿がこの社から――消えた。
「……変なやつ……」
青年はそう言いながら渡されたおにぎりの包みをうまく外すと、一口かじりついて思わず呟いた。
「……やっぱり今の飯はうまいな……にしても、みのり。みのり……ねぇ……」
名前を何度か反芻すると、ほんの少し懐かしげに、目を細めた。
鳥居を出た、と思ったみのりはぽかんとしていた。公園にある時計はさっきから五分も経過していない。そしてみのりは先ほどのベンチに座っていたのだ。
(え、なにこれ。さっきのは夢だったの?)
思わずそう考えるが、確かに肉まんとおにぎりは影も形もなく、尚更混乱するばかり。それでも腕時計を確認して、とりあえずバイトに遅刻せずに行けそうだとわかると、ほっと胸をなでおろしてさっき買った一口サイズのチョコレートをぱくりと頬張った。