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06 決断

 翌日。

 レティシアはロッカーを開け、予想通りの惨事になっている事に深く息をついた。前回のように教科書が捨てられているというわけではないが、ロッカーの中に、丸めたちり紙や黒いインクがぶち撒けられている。


(勇気を出して……レティシア……)


 深呼吸を繰り返し、レティシアはポーカーフェイスを保ったままズカズカと教室に入った。教室ではアイリスと、それを取り囲む令嬢たちが楽しそうに話していた。レティシアが彼女らの前まで来ると、令嬢たちはピタリと話すのをやめ、動揺し始める。しかし、アイリスだけは怯む様子もなくアメジストの瞳でレティシアを見つめていた。


「アイリス・エディノース侯爵令嬢。話があるわ。来なさい」


 レティシアが冷ややかな声でそう言い放つと、黙っていたアイリスの取り巻きたちが騒ぎ始めた。


「あ、アイリス様に何をするつもり!?」

「アイリス様に酷いことをしてみなさい!いくらレティシア様でもただでは済まないわ!!」


 そんな事を喚く令嬢たちを、レティシアはギロリと睨む。彼女らはレティシアの圧にウッと怯む。その様子を見ていたアイリスはクスリと笑い、優雅に椅子から立ち上がった。


「皆さまご心配ありがとうございます。でも、私は平気ですわ。ではレティシア様、行きましょうか?」

「アイリス様!しかし!」


 それでも引き止めようとする令嬢に、アイリスはニコリと微笑んだ。


「大丈夫です。……私も丁度、レティシア様と2人きりでお話したいと思ってましたのよ」


 レティシアはアイリスの笑顔にぞくりと寒気を感じた。絶対に彼女は何か企んでいる。そう感じたが、今更引くわけにはいかない。いつまでも嫌がらせに耐えているばかりではダメなのだ。


「では、行きましょう」


 レティシアは普段使われていない空き教室に向かった。アイリスは黙ってレティシアの後を着いてきた。

 教室にはやはり人っ子一人としていない。レティシアはアイリスに悟られぬよう浅く深呼吸をして緊張を振り解いた。


「……アイリス嬢、何故私が呼び出したのか……心当たりがあるのでは?」

「さぁ……?分かりませんわ。私、レティシア様とあまり関わりはないですもの」


 しらを切るつもりらしい。


「教科書を噴水にばら撒いたりした事には目を瞑りましょう。……ですが、今朝の件は黙っているわけにはいきません」


 レティシアは首を傾げているアイリスを睨みつけた。

 ぶち撒けられたインクの所為で、せっかく父に買い直してもらった教科書たちが使えなくなってしまった。あの教科書たちもタダではないのだ。父がせっかく購入してくれたものを粗末に扱われ、レティシアは流石に腹を立てた。

 しかし睨まれているにも関わらずアイリスは怯まない。


「レティシア様ったら……私がやった証拠もないのに私を責めていらっしゃるの?あんまりですわ……噴水に教科書をばら撒くのも、ロッカーにインクを撒くのも、私じゃなくても誰でも出来るではありませんか」

「……えぇ、確かに貴方でなくとも出来る事ですわね」


 アイリスの発言に、レティシアは勝ちを確信した。


「しかしアイリス嬢……私は、〝今朝の件〟としか言っておりませんよ」


 レティシアがそう言うと、初めてアイリスの顔が歪んだ。


「何故、私のロッカーにインクが撒かれているのを知っているのですか?」


 ロッカーが汚されていたのはロッカーを開けた本人か、汚した本人にしか分からないはず。レティシアはロッカーを開けた後、周りにアイリスがいない事を確認済みだ。つまり、彼女がレティシアのロッカーを盗み見てあのような発言をしたわけではない。


「……墓穴を掘りましたね、アイリス嬢」


 アイリスはレティシアを思いっきり睨みつけた。やはり、嫌がらせ行為をしていたのはアイリスだったかとレティシアは確信した。


「何故こんな事をしたのか、説明してください。……まぁ、予想はついておりますが」


 レティシアがそう問いかけると、アイリスはハァ、と溜息を吐いて、その薄桃色の髪の毛をかきむしった。


「……私、貴方が嫌いなの」


 突然、低い声で呟かれレティシアは驚いた。が、なんとか顔には出さない。いつものような砂糖菓子の甘ったるい声ではなく、地を這うような声だった。


「私は完璧なのよ。勉強だって昔から誰かに負けた事なんてなかったし、音楽の才能だって私の右に出る人なんていなかった。好きな殿方だって、私が微笑むだけですぐに手に入った。全部上手くいってたのよ。完璧な人生だったのよ……アンタが現れるまで」


 ゆらゆらとアイリスが近付いてくる。レティシアは後退りしそうになるのをなんとか堪えた。怖がっていると悟られてはならない。


「アンタは私から全てを奪ったわ。勉学でも、音楽でも、才能でも、そして……恋も」

「恋……?」


 レティシアの脳裏にノーヴェルの姿が浮かぶ。


「一目惚れだったのよ。ノーヴェル様に。彼に見てもらいたくて、必死で頑張ったわ。生徒会にも入ることが出来た。テストでも上位をとった。彼に精一杯愛を伝えたつもりだった……でも、彼には届かなかったわ。彼の目にはアンタしか映っていなかった。私がどれだけ努力しても、ノーヴェル様はアンタしか見ていない」


 アイリスが、レティシアの胸ぐらを掴み上げた。


「わかる!?私がどれだけイラついたか!!私は常に一番でなきゃいけないの!!アンタがいるから!!アンタがノーヴェル様の婚約者だから……!アンタの所為でノーヴェル様は私を見てくれないのよ!!この魔女!!」

「……私は、もうノーヴェル様の婚約者ではありません」


 レティシアはアイリスの手を振り解き、強い口調で告げた。


「えぇ、知ってるわ。昨日、聞いたもの」

「やはり昨日のは……貴方だったのですね」

「そうよ。聞いてたわ。でも、婚約破棄しただけじゃ、彼の気持ちは変わってない。ノーヴェル様はまだ、アンタを愛してる。だから……」


 アイリスがブレザーのポケットから何かを取り出した。レティシアはそれが何か分かった瞬間叫び出しそうになった。

 それは、小ぶりなナイフだった。


「ノーヴェル殿下に伝えてきて?〝貴方の私を思う気持ちは勘違いだ〟って……」

「何故、そんな事を……」

「もちろん一回だけじゃないわ。何度も、何度も彼にそう囁くのよ。そうしたら彼の脳は正常に戻るわ。知ってる?毎日毎日同じ言葉を囁けば、人間はそれが正しいって錯覚する事があるそうよ」


 洗脳みたいなものじゃない!!

 アイリスの発言に、レティシアは拳を握り締める。どうやったら彼女を刺激せずに済むか、とはその時は考えていなかった。考えるより先に、口が動いていた。


「できません」


「……今、なんて言ったの?」

「殿下にそのような事をするわけにはいきません」


 レティシアがそう言い放った瞬間、アイリスが手にしていたナイフがこちらに近付けられた。脅しの為に持っていたのか。震えそうになるのをレティシアはなんとか堪える。


「アンタがノーヴェル様を惑わしたのよ!!この魔女!!ノーヴェル様がアンタを好きだなんて、ただの勘違いよ!!だから早く私の言う通りにしなさい!!ノーヴェル様の気持ちは勘違いだって言いなさい!!」


 ただの勘違い。アイリスの言葉が耳に響いた。はたして、本当にノーヴェルの気持ちは勘違いなのだろうか。あんなに冷たくして、遠ざけていたのに、それでも好きだと言ってくれて、本当はすごく嫌なはずなのに、私の為を思って自ら婚約破棄を切り出し、それでも愛していると囁いてくれた彼の愛は……偽物なのだろうか。


 そんなはずはない。


「いいえ。ノーヴェル様のお気持ちは本物です。私が……他人(ひと)が易々と否定していいものではございません」

「……ッ!」


 ヒュッ、と耳元で風が吹いたかと思えば、床にパタパタと赤い雫が落ちた。レティシアは、それが自分の血だと分かるのに数十秒かかった。額を切りつけられたのか、ジクジクとその場所が痛んだ。

 アイリスはレティシアを切りつけた興奮で、ふーっふーっと荒い呼吸を繰り返していた。


「ぷっ、あはははっ!!初めて見たわ!アンタの表情が変わるところ!!」


 レティシアは恐怖から、体が縛り付けられたように動かなくなった。逃げないと。そう思っているのに、足が動いてくれない。ナイフを手にしたアイリスが再び近付いてくる。


「さぁ……もうこれ以上傷物になりたくないでしょう……?私の言う事に従いなさい」


 アイリスはそう囁いてレティシアの瞳に向かってナイフを構えた。嫌な汗が吹き出し、血と混ざって頬を伝う。


「……従いません」


 レティシアが一言、そう呟くとアイリスの目がつりあがった。


「このッ…!!生意気な!!」


 アイリスが自分に向かってナイフを振り下ろすのが、やけにスローモーションに映った。もうどうする事も出来ず、レティシアはぎゅっと目を固く瞑り、体を固くした。


 その時、カラン、とナイフが床に転がる音がしてアイリスの呻き声が聞こえた。


「レティ!!!」


 聞き覚えのある声だ。レティシアは恐る恐る目を開けた。ノーヴェルの美しいサファイアの瞳がこちらを覗いていた。レティシアがノーヴェルの後方に目を向けると、アイリスが手首を押さえながら信じられないようなものを見る目でこちらを見ていた。

 どうやらノーヴェルに手首を捻られてナイフを手放してしまったらしい。

 ノーヴェルは、レティシアの額の傷を見て眉を顰める。そして、床に転がったナイフをハンカチで包んで拾い上げ、アイリスをギロリと睨んだ。


「……ガッカリです。アイリス・エディノース侯爵令嬢。貴方がこのような卑劣な行いをするとは」

「の、ノーヴェル様……これは……!」

「この件は、僕の父とバーテンベルク公爵、そしてエディノース侯爵にも報告させていただきます。貴方は今月中に退学処分となるでしょう」

「わ、私が……私がやったという証拠が、ないではありませんか!!その女が自演の為にわざと傷を付けたという可能性も……!」

「その言い訳は通用しません。私は最初から、見ていましたから」

「え……」


 ノーヴェルは、後輩に貸していた本を受け取りに一年生の校舎に立ち寄った際、たまたまレティシアとアイリスが、この空き教室に入って行くのを目撃した。レティシアとはもう婚約者ではないのだし、彼女も自分に過干渉にされるのは嫌がるはず。

 でも、万が一彼女が危険な目に遭ってしまったら、僕は一生後悔するかもしれない。

 ノーヴェルはそう考え、ドアの前で聞き耳を立てていたのだ。もし、あの時気にせず彼女たちの後をつけず二年の校舎へ戻っていたらと考えるとゾッとする。


「証拠はないとおっしゃいましたが、僕が貴方の犯行を見ていたのですから、充分な証人となるでしょう。王族の僕と侯爵家の令嬢の貴方……皆はどちらを信用するか、分かりますよね?生徒会役員の貴方がこんな事をするなんて……残念です」

「の、ノーヴェル様……」

「さようなら。アイリス・エディノース。もう二度と僕とレティの前に姿を現さないでください」


 ノーヴェルが冷たくそう言い放つと、アイリスは顔面蒼白になり、その場に座り込んだ。

 ノーヴェルは、ふらつくレティシアの手を取り、そんな彼女の横を通り過ぎて教室を出た。



「レティ、大丈夫ですか!?」


 教室を出た途端、ノーヴェルはそう叫んでレティシアの頬を両手で包んだ。


「ノーヴェル……心配、いらないわ……私は、大丈夫───」

「レティ!!!」


 ノーヴェルが来てくれて急に安心したからか、レティシアはそのまま意識を失った。

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