03 いつ惚れた?!
「レティ!待ってください!」
背後からノーヴェルの声が聞こえ、レティシアは再び歩くスピードを上げた。これ以上目立ってたまるか!!という思いを渾身のポーカーフェイスで心の中に押し込め、なんとか真顔を保ちながらスタスタと廊下を歩く。
いつの間にか中庭に面した廊下を歩いていたレティシアは、そこでようやく雨が降っている事に気が付いた。
流石のノーヴェルも、雨の中私を追ってはこれまいと、レティシアは雨がザーザーと降る中庭を突っ切った。このまま校舎裏まで行って、ノーヴェルを撒いてやるわ!
「レティ!!」
しかし、自分より足の長いノーヴェルを引き離せるわけもなく、レティシアは中庭であっさり捕まった。彼に手を掴まれ、中庭に面している廊下に引き摺り込まれる。まさかノーヴェルが雨の中まで追ってくるとは……!とレティシアは心の中で下唇を噛んだ。
すると、ノーヴェルが自身の顔にスッと手を伸ばしてきた。
「……ずぶ濡れですよ」
ノーヴェルはハンカチでレティシアのびしょびしょになった顔を拭いた。レティシアは慌てて視線だけを動かして辺りを確認する。幸い、放課後という事もあって辺りに人はいなかった。危ない危ない。こんな状況を見られてしまったらとんでもない事になってしまうわ……
しかしレティシアはハッとし、心の中で「アカン!」と叫んで自分の顔をハンカチで拭くノーヴェルの手を振り払った。
油断は禁物!!どこで誰が見ているか分からないんだから……それに、ノーヴェルには冷たい対応をしないと婚約破棄してもらえないじゃない!!
レティシアは深呼吸をしてから、ノーヴェルを睨むように見上げた。そんなレティシアの表情に、ノーヴェルは悲しそうに眉を顰めた。
「レティ……そんなに僕が嫌いですか?」
「……」
ノーヴェルの質問に、レティシアは思わず黙った。あれ?これ肯定していいやつ?嫌われるのなら肯定するけど……でも肯定したら王族侮辱罪とかいう罪にならない?大丈夫?
何も答えないレティシアに、ノーヴェルの眉の皺は深みを増した。
「覚えていますか?レティ。僕たちが初めて会った日の事を」
「ッ……えぇ。私たちは入学式で初めて出会いましたね。殿下が生徒会長として、私たち一年生に答辞を読んでくださいましたもの。もちろん覚えております」
「……ッ違います、レティ。僕たちが初めて出会ったのは、あの白椿の中で……」
「申し訳ありませんが殿下……私にはそのような記憶はございません。他の誰かと間違えていらっしゃるのでは?」
「ッレティ……!」
ノーヴェルはもはや泣きそうなまでに顔を歪ませていた。これにはレティシアも思わずギョッと驚いた。もちろん彼女の表情は少しも変化していない。長年ポーカーフェイスを保ってきた賜物である。
ノーヴェルは、レティシアが自分との出会いを覚えていないフリをしている事に気が付いていた。先程、初めて出会った日の事を尋ねた際、彼女が一瞬の戸惑いの表情を見せたのをノーヴェルは見逃さなかった。
あの誕生日パーティーの日、ノーヴェルは花壇に咲く白椿の群生の中で蹲って泣いていた。第一王子として期待されている事は誇らしかったが、それと同時に王である両親に口を酸っぱくして言われていた。『お前は次期国王となるのだ。今のうちに優秀な令嬢に唾をつけておけ』と。
ノーヴェルを祝いに来た貴族たちも考えは一緒のようで。次々と挨拶をしにくる貴族たちは揃いも揃って結婚の話ばかりを持ち出した。気の早い者は子供の名前まで考え出していた。
ノーヴェルと同い年ぐらいの令嬢も両親に言われてか自分の意思でか、ノーヴェルに祝いの言葉をかけながらも自分の体に触れてくるその手には何とも言えない気持ち悪さがあった。
ひと通り挨拶に区切りがつくとノーヴェルは隙をついてパーティー会場から抜け出した。花壇に咲く白椿の群生は、自分の体を隠すのにはピッタリだった。
まだ八歳という幼さで、ノーヴェルは恋やら愛が何かすら分かっていないのに、結婚する事が決まっている。国の為、体裁の為、一族の為。なら、僕の意思は……?このようなパーティーが開かれる度、ノーヴェルは自分が第一王子として生まれてしまった事が嫌で嫌で仕方ないと感じていた。そんな事をグルグルと考える度に涙が溢れてきて、ノーヴェルは自分の膝に顔を埋めた。
そんな時、彼女は白椿のような白銀の髪を揺らして現れたのだ。
『貴方、白椿が好きなのね!』
彼女は美しい碧眼をキラキラと輝かせながら自分の隣に座り、花の知識をペラペラと語り始めた。ノーヴェルが知っているものから知らないものまで、あらゆる知識を語った。彼女の話に相槌を打っている間はノーヴェルは第一王子という立場を忘れていた。
やがて彼女は一人で喋りすぎたと謝罪をしてきたが、その話が面白かった事を告げると嬉しそうに顔を綻ばせた。
『本当!?嬉しいわ!ねぇ、貴方お名前は!?私、レティシア・バーテンベルク!』
『ノーヴェル……ノーヴェル・ウェスタリエス』
『えっ』
ノーヴェルが名前を告げるとレティシアはしまった、という顔して固まった。ノーヴェルはレティシアが自分を王太子だと分かっていなかったのか、と理解しクスリと笑いが溢れた。
再びレティシアは謝罪をするが、その言葉遣いはさっきと打って変わって丁寧なものになっていた。それが寂しくて、ノーヴェルは彼女に普通に話してくれるよう頼んだ。
『……それなら、私の事はレティと呼んでください!私も殿下をノーヴェルと呼んで良いですか?』
純粋な瞳でそんな質問を投げかけてくるレティシアに、ノーヴェルは胸の中が熱くなっていくのを感じた。気付けばコクコクと首を縦に振って頷いていた。
『も、もちろんいいよレティ……!僕、名前を呼び捨てされたの、初めてだ』
『ふふ、当然ですよ。私たちはもう友達なのですから、名前で呼び合わないと!』
『友達……!』
レティシアが口にした〝友達〟という言葉をノーヴェルは何度も何度も頭の中で反芻させた。今まで誰かにそんな事を言われたことはなかった。
それから二人は様々な事を話した。
この前、お父様に紅茶を淹れてあげたのだけど私が砂糖と塩を間違えた所為で大変な事になった、だとか、うちの料理長にクッキーの作り方を聞いたら隠し味はオイスターソースだと教えてもらったのでそれを入れて作ったら随分笑われた、だとか。
普通の令嬢との会話からは、絶対に出てこない話にノーヴェルは心の底から笑った。レティシアといる時だけは第一王子ではなくノーヴェル・ウェスタリエスでいられた。
やがて自分を探しに来た騎士に見つかりノーヴェルとレティシアはパーティーに連れ戻された。まだまだ話していたかったが、会場に戻ったレティシアはもう逃げ出さないようにと両親に捕まっていてし、ノーヴェルも挨拶しにきた令嬢たちに囲まれていた所為で話せなかった。
しかしパーティーが終わる間際になんとか彼女にお礼の意を伝え、そして数日後にレティシアを婚約者にしたいと書き記した手紙をバーテンベルク邸へ送った。
レティシアから了承の返事が届き、『私たちは婚約者である以前にお友達ですもの!これを機に文通しませんか?』という言葉が書かれているのを見たノーヴェルは柄にもなくはしゃいだ。
それから数ヶ月後、レティシアは様子がおかしくなった。パーティーやお茶会に出席しなくなり、文通の返事も途絶えた。バーテンベルク邸へ出向いた際には決まって必ず『体調が悪い』と言われて会うことは叶わなかった。
月日は流れ、レティシアはノーヴェルと同じく学園に入学した。しかし、レティシアは初めて出会った頃とはまるで別人のように変化していた。
コロコロと変わっていた表情はまったく動かなくなり、誰も寄せ付けぬような冷たい雰囲気を放っていた。そんな彼女はたちまち学園で〝氷の彫刻〟と呼ばれ、生徒たちから避けられていた。
レティシアが学園に入学すると聞き、ノーヴェルはとても嬉しかった。これからは毎日一緒にいられると思っていたのに、数年ぶりに会った婚約者が冷たい女性になっていて、しかも話しかけようとすると逃げる。ノーヴェルは納得がいかなかった。
今だってそうだ。せっかく数年ぶりに会えたのに、レティシアは自分と出会ったあの頃を、無かったことにしている。
僕は、あの日の事を、まるで昨日の事のように鮮明に思い出せるのに。
「レティ……貴方が嫌だと思う事は、僕はしたくありません。ですので、もし嫌なら僕を突き飛ばしてください」
「───ッ?」
何をするつもりだろう、とレティシアが疑問に思っていたのも束の間。ノーヴェルはレティシアを胸の中に閉じ込め、ぎゅうっと宝物のように優しく抱き締めてきたのだ。
突然の抱擁に、レティシアはなんとか真顔を保ちつつも、頭の中はロード中とでも言わんばかりに白い丸がグルグルと回っていた。
レティシアが自分を突き飛ばしてこない事にノーヴェルは安堵し、彼女を抱き締める力を強くした。
「こんなところで伝える気はなかったのですが……こうでもしないといつまでも伝えられない気がして」
「殿……下……」
「レティ……僕は、貴方を愛しているのです。どうしようもなく」
(ゑ?)
〝愛している〟とノーヴェルの口からそんな言葉が飛びだし、レティシアは混乱状態に陥った。殿下が?私を?好き?WHY?
未だ混乱状態のレティシアをようやく解放し、ノーヴェルはその熱の篭った瞳でレティシアを見つめた。
「すぐに返事はしなくても結構です。でも、ちゃんと知っていて欲しいのです。僕がどれだけ貴方を愛しているのか。それだけを」
ようやくロード状態から解放されたレティシアは、ドンッとノーヴェルを突き飛ばした。そんな彼女の行動にノーヴェルは再び悲しそうに眉を顰めた。
「レティ……!」
「失礼致しますわ、殿下」
レティシアはいつも通りの平坦な声でそう返事をし、スタスタと早足でノーヴェルの元を去った。
ノーヴェルの姿が見えなくなった事を確認し、レティシアは、ぶはぁ!と息を吐き出して真っ青になって頭を抱えた。
「ノーヴェル……!なんで私に惚れてるの!?え、待って!いつの間に!?」
心当たりがまったくないレティシアは、これじゃ嫌われる難易度が上がっただけじゃないッ!!と頭をかきむしった。