02 近付かないで
「うわー、全然図書室の席空いてないな……」
「しょうがないだろ。テスト期間だし」
男子生徒は、急いで図書室へ向かったが、そこは既に人でごった返していた。月に一度のテスト期間が行われる一週間前には図書室の自習室の席は取り合いになる。
同じく席が取れなかった令嬢や令息たちは席が開くのを待つように、立ったまま本を読んだり、友人と小声でお喋りを楽しんだりしている。
男子生徒は諦めきれず、キョロキョロと空いている席がないか見渡す。そして、奇跡的に、ガランと空いている机を発見した。
「おっ、見ろよ!あそこ空いてる!座ろうぜ」
「馬鹿っ、やめとけ!あそこは……」
男子生徒は、机に向かって歩いて行く友人を引き止め、顎をクイっと使って席を指した。見ると、大きな机で一人の令嬢が黙々と勉強をしている姿が目に入った。レティシア・バーテンベルクである。
彼女の姿が視界に入った途端、座れると意気込んでいた令息は顔を青ざめさせた。
「あぁ……ありゃ誰も座れねぇわ……」
「だな。レティシア嬢と同じ机で勉強が出来るぐらいの度胸がある奴じゃなきゃ座れねぇよ」
「毎回テストで、生徒会長やアイリス嬢を抜いて一位だもんなー。相当頭いいぜあの人」
「もし隣で問題集なんか解いてみろ……『そこ、違うわよ。そんな事も分からないの?』って絶対睨まれるぜ」
「うへー、怖い怖い」
男子生徒たちが冗談を言い合い、ワハハと笑う。その時、ヒヤリとした氷のような視線を感じ、二人は恐る恐る振り返る。
レティシアは先程まで見ていた教科書から顔を上げ、こちらを凝視していた。ゴゴゴ……とレティシアの背後から地響きの幻聴まで聞こえ始め、男子生徒たちは慌てて本棚の影に隠れた。
一方、男子生徒たちの会話が聞こえていたレティシアは、手に力を込めてしまった所為で教科書がグシャリと紙の音を立てた。
(私そんな事言わないわ!!)
レティシアは心の中で涙を流した。
入学してまだ半年だが、もう既に学園の生徒全員から避けられているレティシアは焦っていた。今後、ノーヴェルに婚約破棄を言い渡してもらったとして自分に友達が出来るのか。今後のことを考えて、やはり今からでも優しいバーテンベルク公爵令嬢として振る舞うべきだろうか……いや、何を弱気になっている。ノーヴェルに婚約破棄してもらうまでは、このまま無愛想な〝氷の彫刻〟の令嬢として振る舞うのよ……!
「えっ、ウソ……!」
「どうしてこちらに……!?」
レティシアがそんな考え事をしていると、突然図書室がざわめき始めている事に気付いた。主に騒いでいるのは女子生徒であり、何事かとレティシアは視線だけを動かして騒ぎの元凶が誰なのかを盗み見る。
「ノーヴェル王太子殿下ですわ……!」
「わざわざ一年生の校舎に御出でになるなんて一体どうされたのかしら……?!」
おぅふ。
レティシアはポーカーフェイスを保ちつつ、心の中で謎の声を発してしまった。
図書室に入って来たのは間違いなく、ノーヴェル・ウェスタリエス王太子殿下であった。この学園は一年生、二年生、三年生とで校舎が分かれており、どの学年も校舎の作りは一緒なので、図書室を利用したければ自分の学年の校舎にある図書室を利用すればいいはず。
それなのに何故一年生の校舎の図書室に……!?
面倒事を察知したレティシアは事が起きる前に退散しようと椅子から立ち上がる。
「きっとアイリス様に会いに来られたのよ!」
しかし、そんな令嬢の声が聞こえ、レティシアはピタリと動きを止める。
「そうね。そうに違いないわ!」
「アイリス様とノーヴェル様は同じ生徒会のメンバーですもの。きっと生徒会役員同士で何かお話があるのかも」
「アイリス様が羨ましいですわ……ノーヴェル様直々に来ていただけるなんて!」
令嬢たちの話を聞き、なるほどねと納得したレティシアはそのまま椅子に腰を下ろした。そうよね。アイリス嬢と殿下は同じ生徒会だもの。きっと彼女に会いに来たんだわ。私としたことがとんだ勘違いだったわね。
レティシアはうんうんと一人でに納得しつつ、一応事に巻き込まれない為に影を薄くした。息を顰め、なるべく動きを最小限に抑える事によって影を薄くする、レティシアが長年愛用してきた技である。このおかげで「あら、レティシア様居ましたの?」と、何度も人からの目を欺く事に成功している。
お得意の技を使いつつ、レティシアは勉強に集中することにした。
「ノーヴェル様」
その時、鈴を転がすような可愛らしい声が響いた。アイリス・エディノース侯爵令嬢である。先程の令嬢たちの話が聞こえたのであろう。彼女もノーヴェルが探しているのは自分だと確信し、自分から動いたのだ。
上品な足取りでノーヴェルに近付き、柔らかく笑いながらお辞儀をした。
「わざわざ一年生の図書室にお見えになるだなんて……何方かお探しですか?よろしければ私がお呼びしますけれど」
アイリスはそう言いながらもチラリとアメジストの瞳でノーヴェルを見た。この場にいる全員が『いや、貴方を探していたんです。アイリス嬢』とノーヴェルは口にするだろうと予想した。
しかし、ノーヴェルはアイリスの笑顔に笑みを返した後、こう言った。
「本当ですか?実はレティ……レティシア・バーテンベルク公爵令嬢を探しているのですが……見かけていませんか?」
(ゑ?)
レティシアは思わず羽ペンを握っている手を止めてしまった。レティシアだけではない。図書室にいる生徒全員が固まった。皆、ノーヴェルが探しているのはアイリスだと思い込んでいたからだ。
「彼女に話があるのですが……いつも僕が話しかけに行くと逃げられてしまうもので。レティには内緒で来ました」
悪戯っ子のように笑うノーヴェルに、女子生徒たちは思わずキュンと胸を撃ち抜かれてしまったが、探している人物がレティシアだと思い出し、何やら微妙な雰囲気が流れ始める。
アイリスはしばらくポカンとしていたが、すぐに淑女の笑顔に戻り、ノーヴェルに話しかけた。
「そっ、そうなのですね……あの……図書室にはいらっしゃらないと思いますよ?私もかなりの時間ここに居りますが、レティシア様をお見かけしておりませんので……」
アイリスの言葉が嘘だとレティシアはすぐに気付いた。何故なら、アイリスはそう言いながらも横目でチラリとレティシアの机を確認したからだ。幸い、ノーヴェルの視点からは、本棚で隠れてレティシアの姿は見えないだろう。
レティシアはアイリスの言葉に心の中で親指を立てて『ナイス』と叫んだ。
そして、そーっと椅子から立ち上がり、再びお得意の影を薄くする技を使い、図書室からの脱出を図った。こんな大勢に注目された状態でノーヴェルと話をするなど、自分から敵を作りに行くようなものである。今までなんとかノーヴェルとの接触を避けて来たのに、こんなところで捕まってたまるか。
レティシアは本棚の影に隠れつつ、なんとかノーヴェルから逃げようとした。
しかし———。
「レティ!!」
普通にバレた。
先程までアイリスと話していたのに、レティシアを見つけた途端、ノーヴェルはぱぁっと子供のような無邪気な笑顔を浮かべ、レティシアが逃げる間も無く彼女に近付いて行く。
「やっぱり図書室に居たのですね!貴方はいつも放課後は図書室に籠っているという噂を聞きまして……流石、学力テストで毎回僕を抜かして一位をキープしているだけの事はありますね。レティはいつも僕の上を行く……やはり君は幼い頃から素晴らしい才能を持っていたのですね」
ノーヴェルはキラキラとした瞳でレティシアの手を取り愛おしそうに彼女を見つめた。図書室にいる全員の視線が集まり、レティシアはハッとなって真顔を保ったままノーヴェルの手を振り解いた。
「私、忙しいので。失礼致しますわ殿下」
なるべく低い声を意識してノーヴェルにそう言い放ち、彼の横を早足で通り抜けて図書室を後にした。レティシアの心臓はバクバクである。
(っっっぶな!!マジで危なかったわ!!!危うくニヤけちゃうところだった!!だってしょうがないじゃない!!イケメンにあんな至近距離で手を取りながら褒められたら誰でもニヤけちゃうでしょう!?あー!誤魔化せてよかったわ!!!)
ちょっと口角がピクピクしているのを見られないように、レティシアは下を向けながら早足で廊下を歩いた。
「……無礼な方ですわ」
「本当よ!!ノーヴェル様が優しくしてくださっているのに、あの態度はなんなの!?」
「ノーヴェル様も、今回ばかりはあの女の本性をご理解なさったんじゃない?」
レティシアが去って行った後の図書室で、令嬢たちはヒソヒソとそんな事を小声で言い合う。それが耳に入ったノーヴェルは、彼女らをギロリと睨みつける。いつも優しいノーヴェルからは考えられない表情に、令嬢たちはビクッと驚くが、ノーヴェルはすぐにいつもの優しい表情に戻り、ヒソヒソと話していた令嬢たちに近寄った。
「すみません。聞き捨てならない言葉が聞こえたもので」
「の、ノーヴェル様……」
「レティは僕の婚約者です。彼女を侮辱する言葉を聞いたからには、僕も黙っているわけにはいきませんね」
ノーヴェルの柔らかい声が突然重くなり、令嬢たちはカタカタと震え始める。しかし、そんな彼女らの様子を見てノーヴェルはいつもの笑顔を浮かべた。
「今回は見逃します。でも次はありません」
そう言ってノーヴェルは、怯える女子生徒たちから視線を外し、レティシアを追おうと図書室の出入り口に向かって足を進めて行く。その後をアイリスは慌てて追いかけた。
「ノーヴェル様、よろしければ……私もレティシア様をお探しするのを手伝いましょうか?」
「……いえ、大丈夫ですよアイリス嬢。彼女と……レティと二人きりでしたい話があるので」
ノーヴェルは追ってくるアイリスに笑顔でそう告げ、レティシアを追いかけた。そんなノーヴェルの背中を見つめながら、アイリスはスカートの裾を力強く握り締めていた。