光の中で
突然こんな手紙を渡されて、あなたはさぞ驚かれたことでしょう。
けれど僕が抱える思いの丈をあなたに伝えたい気持ちがどうしても抑え切れなくなり、堪らずに筆を取りました。
僕の身勝手をお許しください。
ひと目見た時から、貴女は僕の光でした。
桜の甘やかな色合いが窓の外に舞う四月。誰もが皆、新しい環境にそわそわと浮き立っていた教室で、あなたは一人静かに本を読んでいましたね。柔らかな午後の日差しを浴びながら、まっすぐに背筋を伸ばして読書に耽る君の横顔。外界の喧噪をものともせず、穏やかな静寂の中に凛と住まう君の姿を見たその瞬間に、僕は恋に落ちました。
憂いを帯びてまぶたを伏せたその眼差しの先で、一体どんな詩集を読んでいるのだろう。勇気を出して君の席に近づいて、読んでいたのは株式投資の為の実用書であったことに気がついたときには、その意外性への驚嘆とともに現実的な君への尊敬の念が更に強まったものです。
君の横顔はとても気高く、遠くから見つめるだけで学生服の第二ボタンの下で心臓を激しく鼓動させるばかりの僕には遠い高嶺の花であり過ぎて、中々声を掛ける勇気を出す事が出来ませんでした。
遠くから君を見つめていた間、僕は空想したものです。
あの女性が僕に微笑みかけてくれるならば。
あの女性が僕の差し延べた手を握り返してくれるならば。
あの女性と一緒にキネマでも見に行けるならば。
そんな恋愛キネマのようなロマンティックな結婚式を挙げ、皆に祝福してもらえるならば。
毎朝僕のために味噌汁を作って、朝日の中でおはようと笑いかけてくれるならば。
三人程子供を作って、揃って子育てに奮闘出来るならば。
ささやかながらも幸せな暮らしを続け、子供の巣立ちを見届け、穏やかな老後を共に過ごすことが出来るならば。
それらの空想が、やがて全て叶うのだと知ったら、あの頃の僕はどれほど狂喜乱舞することでしょう。狂喜乱舞にとどまらず、卒倒してそのまま昇天してしまうかも知れません。
おっと、今の僕が書くにはあまり洒落になりませんね。
これまで照れ臭くてあまり言葉で表現することはありませんでしたが、本当に感謝しています。
病を得てからは特に、苦労をかけることが多く申し訳ない限りでしたが、僕に不安を与えまいと笑顔を絶やさず甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる君の姿は、あの頃に似たときめきを、僕の心臓に与えてくれました。
貴女と過ごした五十年余の月日はただただ眩いばかりでした。
ひと目見た時から、そして今この瞬間までずっと、貴女は僕の光でした。
でもこれからしばらくは、そうですね、貴女が僕の所に来るまでの十年か二十年、それ位の間は、僕が君を照らす光でありたいと思います。
誰よりも愛しい我が妻へ。
不甲斐ないけれども誰よりもあなたを愛した夫より。
私は手紙を畳むと、黒い小さな鞄に大切にしまう。そして煙突から緩く空に立ち上る白い煙と、薄曇りの雲間から差す柔らかな光を見上げた。