第五十三章 ハルシャ王
第五十三章 ハルシャ王
スターネーシヴァラ城の葬儀の間でひっそりとラージャ王の葬儀が取り行われた。灰はアニルの力でスターネーシヴァラ国のあらゆるところに撒かれた。
ラージャ王の葬儀の後、西の棟のではクリパールを出迎えるのではなく、見送るためにたくさんの祭司で溢れかえっていた。クリパールは城を去ることにした。
「クリパール様、本当に行ってしまわれるのですか?」
ラーケーシュが言った。ラーケーシュはスバル医薬長の応急処置が良かったおかげで、起き上がれるくらいに回復していた。
「はい。今回のことで、いろいろと考えるところがありました。城を出て、祭司としてではなく、一人の人間としてもっと世の中のことを学びたいと思います。」
クリパールは言った。アジタ祭司長と仲間の祭司が罠に掛かって死んだこと、命からがら、重大な使命を帯びて帰ってきたのにみすぼらしい身なりをしていたため兵士に追い返されたこと、そして信頼していた先輩祭司シンハに裏切られたこと。それらがクリパールの価値観を大きく揺さぶっていた。今まで見えていなかった何かが見えたような気がした。けれどそれは城の中にいてはまた見えなくなると思われた。
「そうですか。」
ラーケーシュは残念そうに言った。クリパールは愁いを帯びた優しい微笑を浮かべた。それからアニルに目を向けた。クリパールのその目は何かを予感している力強い目をしていた。今までのクリパールにはなかったものだった。
「アニル様。」
クリパールが遠巻きに自分を見送っているアニルに近づいて行った。
「何ですか、クリパール?」
アニルはクリパールが自分に声をかけるなんて意外だと思った。
「アニル様、お聞きしたいことがあります。」
クリパールが回りに聞こえないように声を潜めて言った。
「何でしょう?」
アニルも声を潜めて聞き返した。
「次の王はハルシャ王子で間違いありませんか?」
クリパールがそう尋ねた。アニルはまた意外そうな顔をした。
「なぜそんなことを聞くんです?この城を去るあなたには関係のないことでしょう?」
アニルが冗談ぽく言った。
「私はカルナスヴァルナ国から帰って来てこの城に入ろうとした時、城門のところで兵士たちに阻まれました。そんな私を助け、門番の兵士たちの目をくらましてくれた者がいました。アジタ祭司長は生前、その者が魔術師だと。それもかなりの術の使い手だと言っておりました。」
クリパールは真剣な口調で言った。
「魔術師?」
アニルは聞き返した。
「はい。道化師の格好をした魔術師です。その魔術師はカルナスヴァルナ国へ向かう途中、我々の張った結界をかいくぐり、ラージャ王の天幕に侵入したこともありました。」
クリパールがそう言うと、アニルは驚いた顔をした。
「私はその者から次の王への伝言を預かっています。助けてもらった時に、必ず伝えすると約束しました。ですからもしハルシャ王子が次の王であるならばハルシャ王子への伝言をアニル様にお頼みしたいのです。」
クリパールがそう本題を切り出した。
「伝言とは?」
アニルが神妙な顔で尋ねた。
「『カーラーナルがやって来る』。」
クリパールがそう低い声で言った。アニルははじかれたような衝撃を受けた。
「その者はそう言っておりました。しかとお伝えしましたよ。」
クリパールは明るい笑顔でそう言うと再び自分を送り出す輪の中に戻った。一方アニルはクリパールに別れの言葉をかけることも忘れて足を縛られたようにその場に立ちつくした。アニルはカーラーナルのことを知っていた。
「アニル、ラーケーシュ、そろそろ時間です。」
プータマリ司書長が人ごみを掻き分けながら二人を呼びに来た。二人はこれから玉座の間でハルシャ王子の戴冠式に出席することになっていた。アニルの方は大役を任せられていた。アニルは名前を呼ばれると呪縛から解けたようにプータマリ司書長の方を見た。
「アニル様、行きましょう。」
ラーケーシュが笑顔で言った。ラーケーシュはアニルの隣にいた。
「ええ、行きましょう。」
今まで白昼夢でも見ていたかのような顔でアニルが返事をした。二人はプータマリ司書長の後について玉座の間に行った。
「ハルシャ王子、そろそろ時間だよ。」
ハルシャ王子を呼びにルハーニが部屋にやって来た。肩にはもちろんクールマとシェーシャを乗せていた。
「今行く。」
ハルシャ王子はそう言うと恥ずかしそうにすごすごと出てきた。
「おお、これはこれは。」
クールマが顔をほころばして言った。
「馬子にも衣装だな。」
シェーシャが嫌味っぽく言った。
「そうでございましょう?」
今までハルシャ王子の着替えを手伝っていたナリニーが出てきて言った。
「でもやっぱり変じゃないか?ジャラジャラしたのとか、ヒラヒラしたのが一杯ついてるし…。」
ハルシャ王子が自分の衣装を眺めながら言った。
「そんなことないよ。王様らしく見える。」
ルハーニが言った。
「そうかな?」
ハルシャ王子がちょっと気を良くした。
「うん、そんな服を着ている人、今まで見たことがない。」
ルハーニはそう言った。ハルシャ王子は馬鹿にされた気がして怒ったような顔をした。
「さあさあ、行きましょう。アニル様たちが首を長くして待ってますわ。」
ハルシャ王子がルハーニとケンカを始める前にナリニーが言った。
ハルシャ王子たちが玉座の間の扉を開けると、祭司であるアニルやスバル医薬長、プータマリ司書長はもちろん、サクセーナ大臣を含めた五大臣も顔をそろえていた。王の戴冠式にしては寂しい数ではあるが、ハルシャ王子には十分だった。
「ハルシャ王子、こちらへ。」
玉座の隣に立っているアニルが言った。アニルの横にはスバル医薬長とプータマリ司書長も神妙な顔をして立っていた。ハルシャ王子は生唾をごくりと飲み込んだ。
「ハルシャ王子、行ってください。」
ラーケーシュが背中を押した。
「みんなが君を祝福してる。」
ルハーニがぽつりと言った。
「え?」
ハルシャ王子は聞き返した。
「ハルシャ王子、行って下さい。」
ラーケーシュが急かすように言った。ハルシャ王子は仕方なく、ルハーニの返事を待たずに玉座に向かって歩き出した。
玉座の前には階段があった。王が家臣を見渡せるように玉座は高いとろこにあった。その階段を一歩一歩ハルシャ王子は上った。
「そこで止まってください。」
玉座がある壇上まで階段を上るとアニルが言った。
スバル医薬長がたくさんの宝石がはめ込まれたキラキラ光る黄金の冠をアニルに渡した。アニルはそれを受け取ると、ハルシャ王子の前に立った。
「ハルシャ王子、私はまだ正式に祭司長になった訳ではありませんが、スターネーシヴァラ国の祭司長としてあなたにこの王冠を授ける役目を務めさせて戴きます。」
アニルが言った。
「うん。」
ハルシャ王子は緊張した面持ちで頷いた。
「では、始めましょう。」
アニルはそう言ってにっこりと微笑むと、また真剣な顔に戻って、両手で王冠を掲げ、玉座の間に響き渡る声で言った。
『我、スターネーシヴァラ国祭司長アニルは、汝、プラバーカラ・ヴァルダナの子、ハルシャ・ヴァルダナが亡きラージャ・ヴァルダナ王の跡を継ぎ、スターネーシヴァラ国の王となることをここに宣言する。汝はこの王冠をその頭に授けられた瞬間から、スターネーシヴァラ国の領地と民を治める権利を有し、同時にその領地と民を守る責務を負う。』
アニルはゆっくりと王冠をハルシャ王子の頭の上に乗せた。ハルシャ王子はズッシリとした王冠の重みを感じた。
『汝、ハルシャ・ヴァルダナは今この瞬間よりスターネーシヴァラ国王である!』
アニルは声高々に言った。戴冠の様子を見守っていた全員が祝福するように手を叩いた。
「ハルシャ王、玉座に座って下さい。」
アニルが微笑んで耳打ちした。ハルシャはゆっくりと玉座に座った。するとどうしたことか。玉座の間を埋め尽くすほどの霊たちがハルシャ王子の戴冠を祝福し、惜しみない嵐のような拍手を送る姿が見えた。
かつてスターネーシヴァラ国の大臣であったと思われる人や、武官、文官、兵士、侍女、祭司たちがいた。ハルシャ王子は玉座の間を埋め尽くす霊たちを見回した。そして最前列にラージャ王がいるのを見つけた。
「兄上!」
ハルシャ王子は思わず声を上げた。ラージャ王は幸せそうな笑顔を浮かべて手を叩いていた。
「ハルシャ王子、ラージャ王の隣にいるのがお父上です。」
アニルがまた耳打ちした。ハルシャ王子はラージャ王の隣で手を叩いている黒髭を蓄えた厳格そうな男の人に目を走らせた。
「あれが父上…。」
プラバーカラ王はハルシャ王子が物心着く前に亡くなっていたので、アニルに言われるまでハルシャ王子は誰だか分からなかった。プラバーカラ王とラージャ王はよく似ていた。並んでいると親子だと頷けた。二人とも力強い目がそっくりだった。
「あっ。」
アニルが小さな声を漏らした。ハルシャ王子はアニルの視線の先を見た。そこにはアジタ祭司長の姿があった。アジタ祭司長の横にはサチンとアビジートもいた。
「アジタ祭司長もあなたを祝福しに来てくれたようですね。」
アニルが穏やかな口調で言った。
ハルシャ王子はたくさんの霊たちに埋もれているルハーニたちに目を留めた。
「みんなが祝福してるってこういうことか。」
ハルシャ王子はさっきルハーニに言われたことを思い出した。みんな優しい顔をして拍手をしていた。
「みんなありがとう!」
ハルシャ王子は玉座の間に響き渡る声で言った。
これからハルシャ王の御世が始まるのだ。
おわり




