第五十二章 十三番目の扉
第五十二章 十三番目の扉
シンハは不眠不休で馬を走らせた。カルナスヴァルナ城にたどり着いた時には馬もシンハもくたくたになっていた。それでもシンハは自分の体に鞭を打ってシャシャーンカ王のいる大広間へ向かった。
「シャシャーンカ王、シンハ祭司長が戻って来ました。」
チョンドロが大広間に駆け込んで言った。シャシャーンカ王とサンジャヤ大臣は待っていたと言わんばかりの様子だった。
「すぐにここへ通せ!」
シャシャーンカ王はチョンドロに言いつけた。チョンドロは急いでまた大広間から出て行った。
「良い知らせだといいのですが。」
シャシャーンカ王の横に控えていたサンジャヤ大臣が小声で言った。
「案ずるな。戻って来たのだ。良い知らせに決まっている。」
シャシャーンカ王が強気に言った。けれどその顔は緊張していた。
しばらくするとチョンドロに連れられてシンハが広間に入って来た。
「長旅、ご苦労であった。」
シャシャーンカ王が声をかけた。シンハは気取られないよういつものように振舞った。シャシャーンカ王の玉座の前まで来ると立ち止まり、再び声をかけられるのを待った。
「生き残った祭司を始末し、ラージャ王の安否を確認したか?」
シャシャーンカ王が待ちきれないという様子で尋ねた。
「そのことについてですが、お話しなければならないことがあります。」
シンハが言った。その目には獲物を狙っている虎のようだった。
「何だ!?失敗したのか!?」
シャシャーンカ王が興奮した様子で聞き返した。シンハはシャシャーンカ王の影にすばやく目を走らせた。シャシャーンカ王の横にいるサンジャヤ大臣は何かいつもとは違うシンハの雰囲気を感じ取った。けれどサンジャヤ大臣が何か言う前に、シンハはシャシャーンカ王の玉座に走り込んだ。
「何をする!?」
シャシャーンカ王がそう言いながら腰の剣を抜こうとしたが、手が動けなかった。シンハはシャシャーンカ王の影を踏んでいた。
「誰も動かないでください。動けばシャシャーンカ王の命はありません。」
シンハが大広間にいる全員に言った。剣を抜いた兵士たちはその場から動かなかった。
「何をするつもりだ!?」
シャシャーンカ王が怒鳴った。
「あなたに呪いをかけます。スターネーシヴァラ国に攻め入れないように。」
シンハは言った。
「今更どういうつもりだ!?気でも違ったか!?」
シャシャーンカ王が喚いた。
「いいえ、私は正気です。ただ自分が犯した過ちに気づいただけです。私はせめてもの罪滅ぼしにあなたに呪いをかけるのです。」
シンハは落ち着いた口調で言った。
「それでそなたに何の得がある!?そんなことをすればどうなるか分かっているのか!?」
シャシャーンカ王が噛み付くように言った。
「分かっています。すべて覚悟の上。」
シンハはそう言うと、シャシャーンカ王の腕を掴み、呪文を唱え始めた。
『汝、カルナスヴァルナ国の王シャシャーンカはスターネーシヴァラ国の王ラージャ・ヴァルダナとスターネーシヴァラ国の祭司長アジタ、及びその弟子サチン、アビジートを罠に陥れ、その命を奪った。汝はその罪により、呪われた身となる。汝、スターネーシヴァラ国に攻め入ることなかれ。もし攻め入れば汝の命はない。汝の影が汝の命を奪うであろう。』
シンハがそう呪文を唱えると、シャシャーンカ王の腕に鋭い痛みが走った。
「うああああああ。」
シャシャーンカ王がうめいた。
「シャシャーンカ王!」
サンジャヤ大臣が駆け寄ろうとした。
「動かないでください!」
シンハがサンジャヤ大臣に牽制するように言った。サンジャヤ大臣はハッとして立ち止まった。シンハはシャシャーンカ王の腕を放した。ちょうどシンハの手があった場所に人型の黒い染みのようなものがあった。呪いの印だった。
「おのれシンハ!このままカルナスヴァルナ城を生きて出られると思うな!」
シャシャーンカ王は顔を真っ赤にして言った。シンハはシャシャーンカ王の影から足をどかした。そしてシャシャーンカ王が剣を抜くか抜かないかといううちに大広間のど真ん中に躍り出た。シャシャーンカ王の命令を待たずして、大広間にいた兵士たちが一斉にシンハを取り囲んだ。
「捕らえろ!」
シャシャーンカ王が言った。兵士たちが襲い掛かってくる前にシンハは隠し持っていた煙幕弾を床に叩きつけた。兵士たちが煙にまかれてあたふたしている隙にシンハは大広間を抜け出した。
大広間の扉を開ける時、シンハは煙の壁の向こうにいるサンジャヤ大臣が自分を見ているような気がした。
シンハは廊下に出るとあることを思い出し、全速力で走った。シンハはサンジャヤ大臣が以前言っていたことを覚えていた。
『私はこの王宮に勤めて長いので、大体のことは知っています。近道も、そこら中に仕掛けられているすべての罠の位置も頭に入っています。大広間からここまで最短距離で来るには、大広間を出て右手にある十三番目の扉に入れば良いのです。その部屋には王宮の外につながる通路が隠されているのです。』
シンハは廊下を駆け抜けながら右手の扉の数を数えた。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三。十三番目の扉があった。シンハはすぐに扉ドアノブに手をかけた。その時、不思議なことにふとサンジャヤ大臣があの日言っていたことをもう一つのことを思い出した。
『お帰りの際はお気をつけて。どんなに急いでいても案内の家来が来るまでお待ちください。この王宮のいたるところに罠が仕掛けられております。万が一、その罠に陥ることがあっても一度警告致しました以上、責任を負いかねます。』
何か含みがあるような言い方だった。シンハはドアノブから手を離した。あの会話自体が罠かもしれないと思った。
シンハは扉に背を向けてまた廊下を走った。長い廊下を必死で駆け抜け、王宮の外に通じる扉の前にやって来た。そこにはいつもいる兵士の姿はなかった。扉を開くと、一頭の馬が用意されているのが見えた。その横にはいつかのようにサンジャヤ大臣がいるのが見えた。
「罠には掛からなかったようですね。」
サンジャヤ大臣はシンハを見るとそう言った。
「兵士は!?」
シンハが息を切らせながら尋ねた。
「まだ来てはいません。しかし、時間の問題でしょう。」
サンジャヤ大臣は落ち着いた口調で言った。
「あなたは昔の私とよく似ている。王を裏切り、師を裏切り、仲間を裏切り、そしてようやく裏切り者は報われないと気づく。そんな愚かな人間です。けれど幸いなことに、私もあなたも立ち直るチャンスを与えられた。これに乗ってお逃げなさい。」
サンジャヤ大臣はそう言って馬の手綱を放した。シンハはこれも罠ではないかと疑ったが、サンジャヤ大臣の顔を見るとそうは思えなかった。シンハは手綱を取って馬に乗った。
「シャシャーンカ王は必ず刺客を放ちます。もう日の下を堂々《どうどう》と歩けるとは思わない方が良いでしょう。できるだけ遠くへお逃げください。それから、アジタ祭司長とあとの二人の祭司の骨を積んでおきました。あなたがご自分で供養なさりたいだろうと思ったので。」
サンジャヤ大臣が馬の背にかけてある袋を指して言った。シンハは胸が熱くなった。
「ありがとうございます。」
シンハはそれだけ言うと馬を走らせた。




